「神々の頂へ ビンディ」より
彼岸の入りだというので、今読んでいる「神々の山嶺」(夢枕獏)のなかに、それに関連する場面はないかと探してみたが、当然のことながら、ない。
とは云え、エヴェレストを狙う登山家たちの話なので、幾つもの’’死’’が書かれている。
その中でも、長編小説の映像化ゆえに絶対に脚本化されていないと思われる場面の''死''と、 ''死''に関して述べている件で一番印象に残った言葉を記しておきたい。
本書は、本筋に関係ない内容や冗長的な表現は少ないのだが、登山ともカメラともネパールの情勢とも脈絡なく書かれているのが、ある僧院の高僧の''死''である。
岡田准一氏演じる深町が、以前お参りしたことのあるタンボチェの僧院の高僧が亡くなったと聞き、訪ねる場面だ。
『縁というほどの縁ではないが、しばらく前までは生きていた人間が、半年ほどたって又やって来たら、すでにこの世のものではないということに、奇妙な感慨を覚えた。哀しみというほど強い感情ではない。感慨と、そう呼ぶのが一番当たっているように思う。』
火事に紛れて寺の宝物を売り払う僧がいるという噂に真実味が感じられるような一面と、都会の喧騒や猥雑さとは隔絶されたヒマラヤの雪峰を望む清浄な地で一生を終えるという一面を併せ持つタンボチェの僧。この僧の一生に、深町が思いを巡らせるという場面は、おそらく映画にはないだろうし、小説でも何故描かれているのか唐突な感があるのだが、それだけに意味があるのかもしれないなどと、彼岸の入りに無理やりこじ付け考えている。
ただ、朝の瞑想の最中に坐したまま亡くなったという高僧の姿が、眠るように笑うように眠ったワンコの姿に何故か重なり、一番印象に残る言葉に繋がっていく。
この物語は、エヴェレストとならんでカメラも主人公だ。
映画エヴェレストのサイトにはカメラを構える岡田准一の姿が大きく写されているが、それは彼がカメラマンの役どころであったというよりは、物語におけるカメラの重要性を表しているのだと思う。
''BEST POCKET AUTOGRAPHIC KODAK SPECIAL'' 1924年発売
マロリーが携行したのと同じカメラを、深町が闇市で買ったことから、全ての物語が始まる。
「なぜ山に登るのか」という問いに対する「そこに山があるから」という答えは、あまりにも有名だが、この言葉がイギリス人登山家マロリーのものであることや、マロリーの足跡までも知っている人は少ないのではないか。
1924年のエヴェレスト第三次遠征隊であったマロリーとアーヴィンは、頂上直下(セカンドステップ)にいる姿をサポート役のオデルに目撃されたのを最後に消えてしまったため、現在、エヴェレストの頂を最初に踏んだのは、1953年イギリス隊のメンバーだったニュージーランド人エドモンド・ヒラリーとシェルパのテンジンとされているが、もしマロリーのカメラが発見され、そこに頂からの写真が残されておれば、初登頂はヒラリーを遡ること29年前の1924年のマロリーとアーヴィンによって成し遂げられたことになり、世界の登山史が書き変えられるのだ。
1924年 6月8日12時50分 ~オデルの回想~
『その時ー
突然、頭上を覆っていた雲の一角が割れて、青い空がそこに覗いたのである。
みるみるうちに、青い空が広がってゆき、エヴェレストの頂嶺が、まばゆいその姿をあらわしたのだ。
奇跡のようであった。
私は、動くのも忘れて、夢のようなその光景を見つめていた。北東稜から、頂上山稜へと続く岩と雪の屋根。
天の一角に窓が開いて、私が焦がれていたこの地上で唯一無二の場所を見せてくれたのだ。
~略~
私の視線は、稜線上の、ある岩のスッテプにある雪の背に止まっていた。
その雪の上を、一つの黒点が動いていたのである。
人であった。
人が、ステップの雪の背を登っているのだ。
見ていると、その更に下方から、もう一つの黒い点ー人間が姿を現して、最初の人間の後に続いて、雪上を登ってゆく。
マロリーとアーヴィンであった
~略~
二番目の黒い影が、最初の影に続いて、その岩の上に登ってゆく。
そしてー
その光景を、再び、濃い雲が包み、二人の人影を押し隠してしまったのである。
それが、二人の姿を見た最後になったのであった。』
マロリーとアーヴィンは果たして、神々の山嶺に辿り着いたのだろうか。
それは、カメラの行方とともに今も謎のままであるが、最後に二人を目撃したオデルの言葉は心に残り、この言葉で幕をとじる本書は、その余韻を長く心に留める。
N・Eオデルインタビュー 1987年1月 ロンドンにて
『よく考えてみれば、あれは、私の姿なのです。
そして、あなたのね。
この世に生きる人は、全て、あの二人の姿をしているのです。
マロリーとアーヴィンは、今も歩き続けているのです。
頂にたどりつこうとして、歩いている。
歩き続けている。
そして、いつも、死はその途上でその人に訪れるのです。
軽々しく、人の人生に価値などつけられるものではありませんが、その人が死んだ時、いったい何の途上であったのか、
たぶんそのことが重要なのだと思います。
私にとっても、あなたにとっても。
何かの途上であることー
あの事件が、私に何らかの教訓をもたらしてくれたとすれば、たぶんそれでしょう。』
映画「剱岳・点の記」にある「人がどう評価しようとも、何をしたかではなく、何のためにそれをしたかが大事です。 悔いなくやり遂げることが大切だと思います」という文言に心打たれたと以前書いたが、オデルの思索と通じるものを感じている。
まだ、何事も成しえておらず、人生をかけて目指す頂も見つかっていない私だが、最期のときに、せめて間違った道の途上ではないと思えるように、出来れば正しい道の途上であると思えるように願い、今歩いている道を確かめたいと考えている。
だから、春分にはいつも一緒に西方を拝したワンコよ
彼岸の入りだよ 帰ってきておくれ
17年二か月の間、愛と優しさだけを与え続けてくれた全き存在のワンコよ
正しい道を一緒に考えるため 帰って来ておくれ
ワンコ
ちなみに、マロリーのカメラはコダック社だが、少年岡田こと深町が構えるカメラはCANONのようだ。
つづく
彼岸の入りだというので、今読んでいる「神々の山嶺」(夢枕獏)のなかに、それに関連する場面はないかと探してみたが、当然のことながら、ない。
とは云え、エヴェレストを狙う登山家たちの話なので、幾つもの’’死’’が書かれている。
その中でも、長編小説の映像化ゆえに絶対に脚本化されていないと思われる場面の''死''と、 ''死''に関して述べている件で一番印象に残った言葉を記しておきたい。
本書は、本筋に関係ない内容や冗長的な表現は少ないのだが、登山ともカメラともネパールの情勢とも脈絡なく書かれているのが、ある僧院の高僧の''死''である。
岡田准一氏演じる深町が、以前お参りしたことのあるタンボチェの僧院の高僧が亡くなったと聞き、訪ねる場面だ。
『縁というほどの縁ではないが、しばらく前までは生きていた人間が、半年ほどたって又やって来たら、すでにこの世のものではないということに、奇妙な感慨を覚えた。哀しみというほど強い感情ではない。感慨と、そう呼ぶのが一番当たっているように思う。』
火事に紛れて寺の宝物を売り払う僧がいるという噂に真実味が感じられるような一面と、都会の喧騒や猥雑さとは隔絶されたヒマラヤの雪峰を望む清浄な地で一生を終えるという一面を併せ持つタンボチェの僧。この僧の一生に、深町が思いを巡らせるという場面は、おそらく映画にはないだろうし、小説でも何故描かれているのか唐突な感があるのだが、それだけに意味があるのかもしれないなどと、彼岸の入りに無理やりこじ付け考えている。
ただ、朝の瞑想の最中に坐したまま亡くなったという高僧の姿が、眠るように笑うように眠ったワンコの姿に何故か重なり、一番印象に残る言葉に繋がっていく。
この物語は、エヴェレストとならんでカメラも主人公だ。
映画エヴェレストのサイトにはカメラを構える岡田准一の姿が大きく写されているが、それは彼がカメラマンの役どころであったというよりは、物語におけるカメラの重要性を表しているのだと思う。
''BEST POCKET AUTOGRAPHIC KODAK SPECIAL'' 1924年発売
マロリーが携行したのと同じカメラを、深町が闇市で買ったことから、全ての物語が始まる。
「なぜ山に登るのか」という問いに対する「そこに山があるから」という答えは、あまりにも有名だが、この言葉がイギリス人登山家マロリーのものであることや、マロリーの足跡までも知っている人は少ないのではないか。
1924年のエヴェレスト第三次遠征隊であったマロリーとアーヴィンは、頂上直下(セカンドステップ)にいる姿をサポート役のオデルに目撃されたのを最後に消えてしまったため、現在、エヴェレストの頂を最初に踏んだのは、1953年イギリス隊のメンバーだったニュージーランド人エドモンド・ヒラリーとシェルパのテンジンとされているが、もしマロリーのカメラが発見され、そこに頂からの写真が残されておれば、初登頂はヒラリーを遡ること29年前の1924年のマロリーとアーヴィンによって成し遂げられたことになり、世界の登山史が書き変えられるのだ。
1924年 6月8日12時50分 ~オデルの回想~
『その時ー
突然、頭上を覆っていた雲の一角が割れて、青い空がそこに覗いたのである。
みるみるうちに、青い空が広がってゆき、エヴェレストの頂嶺が、まばゆいその姿をあらわしたのだ。
奇跡のようであった。
私は、動くのも忘れて、夢のようなその光景を見つめていた。北東稜から、頂上山稜へと続く岩と雪の屋根。
天の一角に窓が開いて、私が焦がれていたこの地上で唯一無二の場所を見せてくれたのだ。
~略~
私の視線は、稜線上の、ある岩のスッテプにある雪の背に止まっていた。
その雪の上を、一つの黒点が動いていたのである。
人であった。
人が、ステップの雪の背を登っているのだ。
見ていると、その更に下方から、もう一つの黒い点ー人間が姿を現して、最初の人間の後に続いて、雪上を登ってゆく。
マロリーとアーヴィンであった
~略~
二番目の黒い影が、最初の影に続いて、その岩の上に登ってゆく。
そしてー
その光景を、再び、濃い雲が包み、二人の人影を押し隠してしまったのである。
それが、二人の姿を見た最後になったのであった。』
マロリーとアーヴィンは果たして、神々の山嶺に辿り着いたのだろうか。
それは、カメラの行方とともに今も謎のままであるが、最後に二人を目撃したオデルの言葉は心に残り、この言葉で幕をとじる本書は、その余韻を長く心に留める。
N・Eオデルインタビュー 1987年1月 ロンドンにて
『よく考えてみれば、あれは、私の姿なのです。
そして、あなたのね。
この世に生きる人は、全て、あの二人の姿をしているのです。
マロリーとアーヴィンは、今も歩き続けているのです。
頂にたどりつこうとして、歩いている。
歩き続けている。
そして、いつも、死はその途上でその人に訪れるのです。
軽々しく、人の人生に価値などつけられるものではありませんが、その人が死んだ時、いったい何の途上であったのか、
たぶんそのことが重要なのだと思います。
私にとっても、あなたにとっても。
何かの途上であることー
あの事件が、私に何らかの教訓をもたらしてくれたとすれば、たぶんそれでしょう。』
映画「剱岳・点の記」にある「人がどう評価しようとも、何をしたかではなく、何のためにそれをしたかが大事です。 悔いなくやり遂げることが大切だと思います」という文言に心打たれたと以前書いたが、オデルの思索と通じるものを感じている。
まだ、何事も成しえておらず、人生をかけて目指す頂も見つかっていない私だが、最期のときに、せめて間違った道の途上ではないと思えるように、出来れば正しい道の途上であると思えるように願い、今歩いている道を確かめたいと考えている。
だから、春分にはいつも一緒に西方を拝したワンコよ
彼岸の入りだよ 帰ってきておくれ
17年二か月の間、愛と優しさだけを与え続けてくれた全き存在のワンコよ
正しい道を一緒に考えるため 帰って来ておくれ
ワンコ
ちなみに、マロリーのカメラはコダック社だが、少年岡田こと深町が構えるカメラはCANONのようだ。
つづく