何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

世界を生かすのは 愛

2016-09-06 23:42:55 | ひとりごと
「死を待つ人の家より寂しい処」より

1979年ノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサは1981年、国際会議出席のために日本を訪れた。
テレビ・ラジオ・雑誌がマザー・テレサを取り上げ、その行く先々にマスコミは着いてまわったが、彼女は日本の真実・現実を見たいと、マスコミの目から逃れて東京の山谷や大阪の愛隣地区を訪問した。そして、それらを訪問した後の講演でマザー・テレサが語ったことは、我々日本人にとって耳が痛いばかりではなく、人としても哀しい。

「マザー・テレサ」(写真・作 沖守弘)と、子供向け英語教材「Mather Teresa」より私なりの要約
『今朝、私はこの豊かで美しい日本で、孤独な人を見ました。この豊かで美しい国の、大きな心の貧困を見ました。
 カルカッタやその他の土地に比べれば貧しさの度合いは異なり、日本には貧しい人は少ないでしょう。
 でも、一人でもいるのなら、その人は何故(道端で)倒れたままで、救われないのでしょう?
 手を差し伸べる日本人がいないことにビックリし、そして悲しくなりました。』
『貧しさとは、物質的なものに飢えていることだけを言うのではありません。
 貧しい人とは、社会に見捨てられてしまっていると感じている人々、例えば高齢者、酔っ払い、病気の人。
 貧しい人とは、自分自身を不必要だと感じてしまっている人々である。』
『あなた方が身近にいる、孤独や愛の不足で苦しんでいる人々を助けようとしないのは何故ですか?』
『もし、あなたが自分自身の家族にためらいなく微笑んだ顔を見せて彼らに尽くすなら、
 あなたの家庭の外の世界の人々に生かせる愛を持つことが出来るでしょう』
『この豊かで恵まれた国で学ぶ若い人々は、自分達の社会を進歩させるために、たくさんの愛を持ち続けるべきです』

マザー・テレサが目にしたものが日本の全てではない、ということは声を大にして言いたいが、では一点の曇りもなく善良で心優しき者達ばかりかと云えば、そうでは無いとしか言いようがない。
残念だが近年では、倒れた人を放っておくだけならまだしもマシで、自分が優位に立つためなら、相手を倒れさせたうえで踏みつけ捻りつぶして、水底へ突き落としそうな冷酷な面が顕著にみられると考える今日という日は特に、15年以上にわたり苦しみ抜いてこられた皇太子御一家、とりわけ雅子妃殿下の孤独について思わざるをえない。

長年待ち望んだ待望の第一子を抱く枕辺で、「次こそは男児を」と責められた女性。
男子を産めなかったという一点で立場を軽んじられ、外交的重要場面で紹介すら飛ばされる屈辱に遭った女性。
ハーバードとオックスフォードで学んだことを活かして日本のために働きたいという高い理想は踏みにじられ、「そんなに海外に行きたいのか」と罵倒された女性。
世継ぎを産めない女性には存在価値がないのだと人格を否定され、倒れてしまった女性。

物質的には恵まれていようとも、男児を産めなかった自分を不必要な存在だと感じ、心を病んでしまわれた雅子妃殿下。
病んで尚、見るも悍ましいようなバッシングに晒され続けた雅子妃殿下。

苦しみの時を経て、今ご回復が顕著になっているのは、苦しむ雅子妃殿下の傍らでいつも変わりなく微笑んでおられた皇太子様の御存在があるからだと思う。

マザー・テレサは言っている。
『もし、あなたが自分自身の家族にためらいなく微笑んだ顔を見せて彼らに尽くすなら、
 あなたの家庭の外の世界の人々に生かせる愛を持つことが出来るでしょう』

どのような奇麗ごとを並べようとも、隣で苦しみもがいている家族を支えることが出来ずして、外の世界の人々に''愛''をもつことが出来るだろうか。

皇太子様は、ただ微笑んで雅子妃殿下を支えてこられただけではない。
雅子妃殿下を支えることで、女の子である敬宮様を慈しみ育てることで、外界から恐ろしいほどの攻撃に遭ってこられた。
それでも、皇太子様が御家族を守られる姿勢は変わることはなかった。
この静かな強さに感嘆している。
この静かで強い''愛''がいずれ外の世界にも向けられるとき、いや既にあるその''愛''に気づく人が増えてきたとき、我々は良い方向に変わっていくと信じている。

そして、その時は近いと期待している。

ところで、5日「聖人」の列に加えられたマザー・テレサだが、その前段階である福音に認定(2003年)していたのは、当時のローマ法王ヨハネパウロ2世だ。
ヨハネパウロ二世は、「いのちの福音」で「神は小さな形のない胚芽であるときに人間を見つめ、そのような人間のうちにすでに将来の成長した姿を認めるかたです」との考えを示しておられる。それ故に(受精卵を壊して作る)ES細胞を認めなかったのに対して、山中教授が成功させたiPS細胞にバチカンは絶大なる賞賛を送ったのだが、より一般的な例としては、堕胎や受精卵の廃棄を禁じている事だろう。
「受精卵も命である」という考えは、生命の尊厳を重んじることであり、その帰結として命・性別の選別を許さないのだが、それは女性の命や働きを認めるということに繋がると思われる。この姿勢は徐々に実を結び、今年ついに※「女性聖職者復活」を検討するに至っている。

「受精卵も命である」「堕胎は許されない」というカトリック的姿勢にみられるような教義の全てが、現代の科学やライフスタイルに合致するかは議論の余地があるのかもしれないが、そのような精神が、人の生き方や科学や政治経済に生きているからこそ保たれている秩序があるのだと思う。
ご都合主義や自らを立てる欲得のために、科学の進歩を利用し政治を動かしていたのでは、いつか破綻をきたすに違いない。

愛のある夫婦として科学の進歩と共調しながらも、命の尊厳を守るために、踏み越えてはならないモノとは一線を画された皇太子ご夫妻を尊敬していると、今日この日に記しておきたい。


追記
マザー・テレサは「貧しい人とは、自分自身を不必要だと感じてしまっている人々である。」という。
貧しい、という語がもつ意味合いの理解は難しいが、自分自身を不必要だと感じてしまうことの哀しさなら、よく分かる。
だからこそ言いたい。
最も貧しく最も哀しい人間は、自分自身を不必要だと感じさせる処まで他人を追い詰めた人ではないかと、思っている。
そんな私なので、自分を棚に上げた上でいうと、悪人正機説など理解できないとも、思っている。


※「女性聖職者復活」のニュース、「復活」というところが興味深い。
現在は許されていない女性聖職者が過去には存在していたという事実は、旧弊な価値観にとらわれていたと思われがちな昔の方が、ある種の男女同権を有していたことを示している。
海の向こうのこの話、何かを思い出させるではないですか。
そう、日本にもかつておられた女性天皇の存在である。
世界も日本も変化の時、でもそれは廻りまわって、元の姿に戻るということ。
(参照、ローマ法王、女性聖職者復活を検討 委員会設置の考え http://www.asahi.com/articles/ASJ5F54KYJ5FUHBI018.html)

死を待つ人の家より寂しい処

2016-09-06 06:28:44 | ひとりごと
今となっては何で読んだのか明らかではないのだが、仏教とキリスト教を比較したものを読んだことがある。
キリスト教では、祈れば山は動き、死人は甦る、奇跡は確かにあるという。

これに対して用いられていた仏教の説が、私は好きだ。
ある所に、幼い子供を亡くして半狂乱になっていた母がいた。この母は、お釈迦様なら亡くなった子供を生き返らせてくれるに違いないと思い、亡骸ををかかえて、お釈迦様のところへやって来た。
すると、お釈迦様は「未だかつて一度も死者を出したことのない家からケシの実をもらってきなさい」とおっしゃった。
そのケシの実で生き返らせてもらえると思ったのだろう、母は半狂乱のまま死者を出したことのない家を求めて町中を彷徨ったのだが、やがて気が付くのだ。
死者を出したことのない家などないことに、愛する者を喪う悲しみを経験しない者などないことに。
そして、諦めがついたとき、憑きものが落ちるように半狂乱が治まったと。
これについて、筆者は「諦める」とは「(真理を)明らかに極める」ことであり、これもある種の奇跡ではないか、と書いていたと記憶している。

これまで出会ったことのある幾人かのクリスチャンは皆さん素晴らしい方々であり、教えられる事も多いのだが、それでも私が理解しづらいのは、「祈れば叶えられる」「クリスチャンだけが救われる(次の世を継ぐ)」と言われることだ。
多分に御利益宗教的感覚を有している罰当たり者だからか、私の祈りはさっぱり聞き届けられたことはないし、所謂選民思想的なものにもツイツイ反発を覚えてしまうのだ。
そんな私でも、素直に奇跡として受け入れ喜ぶようなニュースがあった。

<バチカンでマザー・テレサの列聖式、12万人が参列> ロイター 9月5日(月)11時34分配信より一部引用
ローマ法王フランシスコは4日、インドの貧しい人々への奉仕に生涯をささげた修道女の故マザー・テレサをカトリック教会の最高位である「聖人」の列に加える列聖式を執り行った。
バチカン当局によると、参列者は約12万人に上った。
マザー・テレサは1910年にマケドニアに生まれた。16歳で修道女になり、1929年にインドに渡った。コルカタで貧しい人々の救済活動に尽くし、1979年にノーベル平和賞を受賞。1997年に亡くなった。列聖式の翌5日はマザー・テレサの命日に当たる。
2003年には、当時のローマ法王ヨハネパウロ2世が、聖人の前段階である福者に認定していた。
聖人に認定されるには2度の奇跡を起こしたことが認められる必要があるが、マザー・テレサは1998年に胃がんのインド人女性を、2008年に脳感染症のブラジル人男性を回復させたとされている。このブラジル人男性と妻は列聖式に参加し、法王の祝福を受けた。


「聖人」に認定されるための二度の奇跡はもちろん素晴らしいのだが、それ以上に私が感銘を受けるのが「死を待つ人の家」を開設し、多くの死を待つ人に慰めを与え、病む人を回復へ導いたことだ。

マザーテレサがインドに渡った1929年当時、イギリスの支配下にあるインドの最大都市であったカルカッタは、飢餓に苦しむ地方からの人口流入への対応がとれないという問題を抱えていたのだが、1947年インドが二つに分断されたことにより、パキスタンに住んでいたヒンズー教徒が難民としてカルカッタに押し寄せたため、人口過密の問題が更に大きく伸し掛かってくることになる。その数、一平方キロメートル当たりの人口、東京が一万五千人に対してカルカッタは3万人ともいう。また、カルカッタのスラム街には百万もの人がいるが、これはまだ幸運な人の方で、完全な路上生活者が40万以上だともいうし、ハンセン病患者は30万を超えるともいう。
このような状況にあって、貧困にあえぐ人、病気の人、死にかけている人を救うべくマザーテレサは活動を始めたのだが、その一つが「死を待つ人の家」での活動だった。
病に倒れても食べ物も薬もないどころか体を横たえる場所もない人々に安息の場を与える活動のなかには、現在の看護の点からは必ずしも適切ではない事もあったかもしれないし、それにより奇蹟がおこり病人が癒されることはなかったかもしれないが、行く当てなく路上で朽ち果てるしかなかった人々が、温かく見守られるているという安らぎの中で最期を迎えることができたならば、それを奇跡と云わずして何を奇跡と呼ぶのだろう。

世の中の立派な慈善事業をする人すべてを「聖人」と認定するわけにはいかないので、そこは神の御印とでも云うべき「奇跡」が必要なのかもしれないが、山を動かさなくとも、死人を甦らさなくとも、癌を消滅させなくとも、魂を救うことは出来るのではないかと考える時、マザーテレサこそ、愛による奇跡をおこした「聖人」なのだと思っている。

貧困や疫病に苦しむ人々の救済に生涯をささげたマザーテレサは、最も貧しい(哀しい)人について日本で講演している、それを日本で見たと話している。
それについては、又つづく。