何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

連作・破壊力あるガラパゴスを生き抜くために

2016-09-16 12:30:07 | 
数日前の早朝、つけっぱなしのラジオが「これでは、短期的にみても長期的にみても、国がもたないのではないか」と思わせるような嫌なニュースを二つ続けて伝えていた。

超高齢少子化社会の問題を扱った本については、これまでも何冊か読んでいたので深刻な問題だという認識は持っていたものの、人口問題が顕在化するのはもう少し先の話だと思っていたのだが、既に足もとまで忍び寄っている。

<地銀の6割超、本業赤字に=人口減で9年後-金融庁試算> 時事通信2016/09/14-19:24より一部引用
地域人口の減少によって全国の地方銀行の6割超が9年後の2025年3月期に、顧客向けサービス業務の利益で経費を賄えない「本業赤字」の状態に陥るとの試算を、金融庁がまとめたことが14日分かった。同庁は地銀に対し、「早期に自らのビジネスモデルの持続可能性について真剣な検討が必要」と警鐘を鳴らしている。

「2040年に地方自治体の半分は消滅する」というニュースに衝撃を受けたのは2~3年前のことだったと思う。それ以来、この問題を扱う本「和僑」「ミッション崩壊」(楡周平)なども読み自分なりに関心をもってきたつもりだったが、記事でも本でも「2040年」がキーフレーズとなっていたため、深刻に受け留めながらも切迫した危機感をもってはいなかった。
(参照、「開花不進我が家」 「Lucyはそう言うけれど」 「今を生きる人間の義務」 「ミッション 崩壊」

ただ、この夏山登りのため山間部を車で走らせた時に感じた漠とした不安は、今も強く印象に残っている。
人里離れた山間部のまばらにしか人家がない集落にも、当然と云えば当然だが、電線が繋がっていたのだが、これが一体いつまで維持されるだろうかという不安だ。というのも、この数年身の回りで電柱と電線の取り換え工事を目にする機会が多いため、一本の電柱と電線の取り替えにかかる労力の大変さを知ったからだ。あの労力ともちろん費用を、たった数軒の人家のために割く余裕が、これからの我々にあるだろうか、しかし仮にコストパフォーマンスを優先させ人と物を町に集約させる対策をとれば、それはすぐさま国土の荒廃化に繋がってしまうのではないか、などと考えながら車を走らせていた。
それでも、それは私のなかでは2040年頃の問題のはずだった。

だが、人口減のために地方銀行の6割が成り立たなくなるのが9年後、と知れば危機感は異なってくる。
考えてみれば、2040年に突如地方自治体の半数が消滅するのではなく、2040年までにジワジワ消滅していくのだろうから、その過程にある9年後の2025年に地銀の6割が人口減少を理由として淘汰されるのも、あるいは当然なのかもしれないが、’’9年後’’の現実に頬をうたれて、24年後に思いを巡らせてみれば、自分はまだ年金受給年齢には達していないし、大切な子供たちは今の私の年齢に達していない。

これは大変なことだと肝を冷やしているのに、追い打ちをかけるような恐ろしいニュースがあとに続いている。

<医療費 過去最高41.4兆円15年度概算、3.8%増>  毎日新聞 2016年9月13日 19時50分より一部引用
厚生労働省は13日、2015年度に病気やけがの治療で全国の医療機関に支払われた医療費(概算)は41兆4627億円で、過去最高を更新したと発表した。前年度と比べ1兆5000億円の増加で、伸び率は3.8%。
高齢化や医療技術の高度化に加え、薬の値段と薬剤師の技術料を合計した調剤が約6800億円(9.4%)も急増し、医療費を押し上げた。
15年度の1人当たり医療費は前年度から1万3000円増え32万7000円。75歳未満が9000円増となる22万円、75歳以上も1万7000円増の94万8000円と大きく膨らんだ。

何で読んだか聞いたか記憶が確かではないが、「健康な一般的な人が50歳までの50年で使う医療費を、75歳以上の人は一年で使う」と見聞きしたことがある。この毎日新聞の記事によると、それはオーバーな表現だったのかもしれないが、そのように表現したい現実はあるのだと考えると、あの団塊の世代すべてが膨大な医療費を必要とする後期高齢者に突入する2025年問題というものは凄まじい問題である。
そして、その2025年こそが、人口減少で地銀の6割が立ち行かなくなる年でもあるのだ。

朝っぱらから、このようなニュースを立て続けに耳にし憂鬱になっているとこに勧められた本がまた、凄まじい現実を突き付けてきた。
「ガラパゴス」(相場英雄
本の帯には、「聞こえるか。人間の壊れていく音が。』 とある。

あまりに憂鬱であることと、ここ数日多忙で一時に一本の文を書けないので、継ぎ足し継ぎ足し方式で書いていく。

というわけで、つづく。


<9月17日分を収録>
相場英雄氏の作品は、「共震」を読んだことがあり、ノンフィクションのような筆致を覚えていたのだが、本作「ガラパゴス」は更にその度合いが強く、本の帯からして「これは、本当にフィクションなのか?」と問いかけている。
(参照、「共に心震わせる 2」

それは、相場氏が題材とする内容が実態社会に肉薄しているというだけでなく、前職でとった杵柄とでも云うべきか、その筆致がデキの良いルポルタージュを読んでいる印象を与えるからだと思われるのだが、果たして相場氏の前職とは?
時事通信の元記者。

記者ならではの目の付け所とフットワークの良さが、主人公である刑事の動きに真実味とリズムを与え、ノンフィクションと見紛うような印象を与えていると思うのだが、本作品が私にとってより真実味を感じさせるのには、理由がある。
それは、ある種の業界では有名なことなのだろうが、ふとしたことから耳にした事情が、本書でも書かれていたからだ。

新車の購入を考えている若者が、某有名自動車メーカーの技術者である友人に相談しているのを聞くともなしに聞いていた。
「燃費抜群で売出し中の○○〇の車は、どうだ?」
<止めたほうが良い。確かに燃費は抜群だし加速感も悪くないが、それに拘るあまり鋼板が薄い。同程度の事故が起こった時、死亡事故となるのは○○○の車だというのは、よく知られている>
「では、お前のところの車は、どうだ?」
<デザインは悪くないが、そのせいで修理に費用がかかるぞ>
「では、一体どこのが良いのだ?」
<燃費とデザインにこだわりが無く、懐具合にそこそこ余裕があるなら、×××だ。まして、お前は高速をけっこう走るのだから>

某有名自動車メーカーの技術者が言う「燃費に拘るあまり車体を軽くしようとし、鋼板を薄くしている」という問題は本書でも指摘しているが、本書はそれに加えてコスト面での企業側の事情も書いている。 (『 』「ガラパゴス」より引用)
『スーパーハイブリッドを一段と拡散させるに当たり、会社的なコストカットを行いました。鋼板納入先に対し、試験的にせよ薄めの板を出せと要求したとの話を聞いたことがありますよ。鋼板を三ミリグラム軽くすれば、一円のコストカットです。一トン超えの車なら三万から五万近くコストが浮きますからね。月間で一万台以上売れるクルマですから、コストカットの効果は大きいですよ。』
『同じ車格の別の車両と比較した場合、危険な車に仕上がる可能性は十分ありますね。』

私が本書にフィクション以上の印象を持つのは、作中の「鋼板を薄くしていることに関する諸々」が、私が耳にした内容に酷似している事もあるが、それだけでもなく、本書がなんとなく評価しているらしき車と、某有名自動車メーカー技術者が勧める×××が一致しているからでもある。

そんなこんなで、私にとってかなりノンフィクションな感じの「ガラパゴス」の本題については、つづく。



<9月18日分を収録>
本の帯からして「これは、本当にフィクションなのか?」と銘打っている「ガラパゴス」(相場英雄)に真実味を感じる個人的意見を前回書いた。
クルマメーカーが鋼板を薄くすることの諸々が、本作の殺人事件の理由であることを考えると、この問題の大きさと罪深さは、それだけで一つの大テーマだが、著者・相場氏が本作で一番訴えたかったことでは、それではなかったのだと思う。

派遣・請負の過酷な労働問題。
これこそが相場氏が一番書きたかったことであり、その過酷さゆえに帯びには「聞えるか、人間が壊れていく音が」と書かれるのだが、これがフィクションとは思えないのが現実社会なのだから、我々の社会は本当に病んでいるのだろうと思う。

バブルが完全にはじけた頃に社会に放り出され、その後の失われた10年とも20年ともいわれる時代を掻い潜っているだけに、自分としては世間の世知辛い部分ばかりを見て来たと思っていたが、「ガラパゴス」が描く派遣・・偽装請負の世界は想像を絶する厳しさだった。

派遣・請負はまさに物心ともに人間を壊していく。

派遣会社の支持通りに働くことが一番だと洗脳し考えることを停止させるだけでなく、派遣社員同士互いに監視し密告させるシステムをつくり精神的に追い込んでいくのも酷いが、物理的な困窮により更に精神面を追い詰める。

送り込まれた会社で真面目に働いても、社会保険料やその他の経費として三割は派遣会社がマージンとして抜き取ってしまう。
例えば、派遣先企業が100円自給を上げたとしても、マージンとして派遣会社が90円抜き取ってしまうといった具合。これでは政府がいくら最低賃金の値上げを命じたところで効果があるはずがない。
例えば、寮費4万円、光熱費5000円で住まいを提供とうたわれていても、その2DKの借り上げアパートは、べニア板で仕切られていて、絶えず4~5人が押し込まれているといった具合。しかも、自殺者が出たとき発見が遅れてしまうからという理由で、アパートには鍵がつけられていない。
例えば、食中毒になっても、介護オムツを履いて仕事に行けと、どやされる。

派遣社員のこの労働環境だけでも凄まじいと思うのに、それより酷い形態があるという、偽装請負。(『 』「ガラパゴス」より引用)
『派遣の場合、依頼した側の企業は労働者の工場内や業務上の安全管理を負う責任があります。この際、業務の指示も行います。一方、請負の場合は、一つの事業者という立場ですので、企業にはその責任が発生しません』
つまり、派遣労働者の一人ひとりを一つの請負事業者とみなすことで、労働基準法や労働派遣法を適用せずともよいという、様々な抜け道が生まれてくる。
その結果、例えば荷台から落ちてきた工具で腕を骨折しようとも、自動車のプレスのラインで指を骨折しようとも、企業の安全配慮義務は問われることがないどころか労災申請すら許されず、即時解雇になってしまうという。

殺人事件の被害者が派遣社員であったことから、その仕組みを調べていた刑事が思わず「いくら人件費や関連するコストを浮かせようと言っても・・・・・」と反駁しかけると、元派遣社員は「請負・派遣労働者にかかるコストは人件費ではありません」という。

一般に、働いて賃金を得る人を労働者といい、その賃金は支払う側からみれば人件費というが、請負・派遣労働者にかかるコストは外注加工費という項目で計上されるのだという。まさに部品以下の扱いである。

外注加工費・・・・・
商法の授業の第一日目に言われた言葉を思い出した。
サラリーマンはみなさん自分を(会)社員だと思っているだろうが、じつは従業員もしくは労働者というのが正解で、社員と規定されるのは株主のこと。うかうかしていると、日本企業に勤めたつもりが、社員はみな外国人になっていて、株主総会である日突然会社の解散が決議されることだってあり得る、と。
あの時も、言葉がもつ微妙なニュアンスの違いを感じたが、外注加工費とは血も涙もない。

この血も涙もない就労状況は、今や正社員にまで及びつつある。
家電や自動車を筆頭に主要な製造業は絶えず国際的なコスト競争にさらされているため、人件費削減の風潮は強まることはあっても弱まることはないのだという。
それ故に、多様な働き方を謳い文句に「限定正社員」と「無限定正社員」という新たな階層を作り、『正社員の首切りを容易にする』方向で進んでいるのだ。


このような過酷な派遣労働の環境にあって、優しさとを失わなかった真面目で知的で真っ直ぐな青年が、その知性と真っ直ぐさゆえに殺されてしまうのだが、犯人が取調室で叫ぶ言葉も、心に痛い。
『運が悪けりゃ、人間として扱ってもらえない世の中にしたのは誰だよ』

読後感がこれほど「しんどい」本は久しぶりだ。
この、どうしようもなく「しんどい」感じを、穏やかに包みこんで流してくれるのが、皮肉で不思議なことに殺人事件の被害者が歌う唄だ。
そのあたりは、又つづく



<9月19日分を収録>
一連の「ガラパゴス」より

年のせいか、それとも当世流行りの楽しみ方を知らないせいか、最近Myブームなのが近場の温泉めぐり。

昨夜も、夕飯を早めにすませて近場の温泉に出向き’’まったり’’とした時間に浸っていると、なにやら家人が切なそうな物欲しそうな視線を送っているのに気が付いた。
果たしてその視線の先にあるものは?  UFOキャッチャー。
私以上に堅物で、もとい真面目な家人がその手のものに関心を示すのを見たことが無いので、訝しい思いでUFOキャッチャーを見て、分かった。
景品のぬいぐるみの中に、我がワンコに似ている可愛い犬のぬいぐるみがいたのだ。
そうと分かれば挑戦せねばならないが、実は私も家人もUFOキャッチャーなるものをしたことがない。
100円を投入したのはいいが、何をどうしたらいいのか分からないまま、時間(30秒)がきてしまい、その一回で私達の人生で最初で最後の体験は呆気なく終わってしまった。

暑いのが苦手なくせにクーラーが嫌いだったワンコは、夏の間は天上界で極楽生活を楽しんでるだろうと、皆で慰めあっていたが、涼しくなってくると、いけない。
ワンコの優しさが溢れているような柔かな毛のぬくもりが懐かしく、どうにも、いけない。

帰路の車は、しんみりとした空気が流れていたのだが、ふと次の日(今日19日)が彼岸の入りだと気が付き、「今頃ワンコも、天上界から我家へ向かっている頃だな」と言うと、「天国から帰ってきてくれるのは、お盆」と言われてしまった。

会いたい。

この想いが込められた唄が、「ガラパゴス」(相場英雄)には、あった。

血も涙もない派遣・偽装請負の職場で、優しさと明るさを失わなかった青年が、殺された。
宮古島の人々に愛され期待されて本土に出た青年が、殺された。
優秀で誠実であるが故に、殺された。
優秀ゆえに殺される理由を悟り、優しさゆえに残した最期の言葉が哀しい。

その青年が殺される数時間前に歌った唄が、心に沁みる。

歌詞に惹かれながらも、それが甘い美声で歌われることに違和感があり、これまで心に留めてこなかった、唄。
「涙そうそう」(森山良子作詞 BEGIN作曲)

だが、本書のなかのそれは「涙そうそう」のウチナーグチバージョンで、歌うのも島を思う宮古島の青年だった。
それが、心に沁みた。

ワンコと、去年の今頃見たのは明けの明星だったが、歌詞の『一番星(いちばんぶし)に願(にが)ゆん』を読んだだけで、文字が滲んでしまった。(参照、「星は、朝づつ、犬星」) (注『 』「涙そうそう」ウチナーグチバージョン)

「懐かしくて胸が締め付けられるような風景を心に持っている人は、どれほどの困難に出会おうとも、立ち上がれる」と何かで読んだことがあるが、本書で殺人事件の被害者となった青年が、どれほど過酷な環境にあっても、人への優しさを失わず自分を見失わなかったのは、故郷・宮古島の風景と人の温もりがいつも心の根っこにあったからなのだと思う。


ワンコと歩いた散歩道
ワンコと見た明けの明星
ワンコとすごした一瞬一瞬

すべてが私の心の原風景

『会いぶさぬ 会いぶさぬ
 思(うむ)いや増さてぃ 涙そうそう』