何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

火宅がもたらす亡国

2016-09-11 16:04:04 | 
「ピアノの中の羊の大なるもの」より

登場人物のすべてが善人の「羊と鋼の森」(宮下奈都)を読みながら、私欲我欲のための権謀術数の果てに登場人物のほとんどが殺し合う「リア王」(シェークスピア)を思い出したのは何故かというと、「羊と鋼の森」のなかに『赤ん坊の産声は世界共通で440ヘルツなのだそうだ』という一節があったからだ。

世界中の赤ん坊は皆440ヘルツの産声をあげてこの世に誕生するというが、その理由をリア王は、こう語っている。
We came crying hither.
Thou know’st the first time that we smell the air, We wawl and cry. I will preach to thee. Mark me.
When we are born, we cry that we are come To this great stage of fools.
人間は皆、泣きながらこの世に生まれる。
生まれて初めてこの世の空気に触れたとき、オギャアオギャアと泣く。
人間がこの世に生まれた時に泣くのは、この馬鹿者どもの舞台に引き出されたのが悲しいからだ。

世界中の赤ん坊が440ヘルツの産声でもって生まれてくる理由が、馬鹿者どもの舞台に引き出された悲しみによるものか否かは分からないが、リア王がこのセリフを吐きたくなる気持ちなら、よく分かる。

年老い王としての役割を果たすことが重荷になった’’父(リア王)’’は、三人の娘に領地を分け与えるにあたり、「父への愛を語れ」と娘たちに命じる。
欲深い長女と次女は、ここぞとばかりに心にもない愛を大仰に表現し父を喜ばせるが、万事控えめで優しい末娘のコーデリアは、父を愛しているにもかかわらず、それを言葉で表現することを拒んだために父の逆鱗に触れ、追放されてしまう。
あれほどの親愛の情を語った子達なら大切にしてくれるだろうと、長女と次女のもとを訪れた父は、現実を知る。
取るものを取れば父など''お払い箱''どころか元王として当然有しているべきものまで毟り取り、放り出したため、元王は気がふれてしまう。
父の窮状を知ったコーデリア(追放された後、フランス王妃となっていた)は、父を救うべくフランス軍とともにドーバー海峡を渡り父のもとへ駆けつけるが、姉一派の手に掛かり、父に抱かれながら亡くなってしまう。
そして、真実自分を愛してくれていた娘コーデリアの亡骸を抱いた元王である父も、絶叫のうちにこの世を去る。
ちなみに、欲望にかられ父を欺いた長女と次女の顛末はというと?二人とも既婚者でありながら、他所の男性に関心をもち、嫉妬しあい、姉が妹を殺し、その後姉も自殺してしまう。

「リア王」のあらすじは?というと、こういうことなのかもしれないが、私的にはサイドストーリーとしてある、もう一つの家族にも注目してしまう。

王家の忠臣として知られる、グロスター伯爵家。
正妻の子である長男は誠実で立派な人格だが、庶子である次男は庶子ゆえに軽んじられていると拗ね人格が歪んでいる。
父の財産も愛情も兄から奪い取ることを目論む弟は、兄が父を殺す策を練っていると証文をでっちあげたり、父を殺そうとする兄を止めようとして負った傷だと(自ら腕につけた傷を)父に見せたりと、兄を陥れるために奸計のかぎりを尽くし、又そのような弟にしてしまった程度の父であるから、それを見破ることができず、誠実な長男を勘当し、庶子である弟に財産全てを相続させてしまう。
そうなればお決まりのコースで、取るものさえ取ってしまえば父など用済みとばかりに、弟は姉一派(リア王の長女・次女一派)に父の不忠をでっちあげ訴えたため、父は姉一派に両目をくりぬかれてしまうのだ。
全てを失い初めて弟の非道さに気付いた父は、なんとか生き延びていた長男に出会い命を救われるのだが、無理がたたり亡くなってしまう。
その後、兄弟は真正面から決闘し、長男が勝利を収めるのだが、良い者も悪い者もずるい者も奸智に長けた者も消え去り、残るのは荒涼とした地ばかりだった。
だが長男は、そのような時代に責任をおうことを誓い、悲劇の「リア王」は幕を閉じる。

このような悲劇のなかにあるのが、『When we are born, we cry that we are come To this great stage of fools.』というセリフなのだ。

今読むに、なかなか示唆に富んだ物語であり、今現在と照らし合わせて考えさせられることが多いのだが、この四大悲劇の一つである「リア王」で唯一救われる点があるとすれば、良い者も亡くなってしまうが悪い者も淘汰されるところではある。
「正直者がバカをみる」現実世界では、なかなかこうはいかない。良い者は浮かばれることなく、ワロモノが跋扈する結果となることの方が多い。
そうならぬよう、しっかと目を見開き、黙って誠実に頑張っている人を応援していかなければならないと思う、今日という日である。