昨日8月7日は、立秋。
立秋の声を聞くと思い出すのが、高校の国語の授業で習った、長塚節のこの短歌だ。
『馬追虫のひげのそよろに来る秋は まなこを閉ぢて想ひ見るべし』
例年なら、米粒より心もち大きなバッタを見かけるようになるのが、ちょうどこの時期で、暑さ厳しきなかにも秋の気配を感じるものだが、今年はどうにもオカシイ。
嫌な記憶を呼び覚ますような暑さと、7月から次々と発生する台風に、バッタの’’時’’も狂ってしまったのだろうか、朝顔の花に米粒バッタを見つけたのは、7月も半ばのことだった。
米粒バッタが乗っている朝顔は、我家にとって何年ぶりかの、朝顔だ。
園芸用具入れの中で何年も置きっぱなしになっていた朝顔の種を「植えてみる」と家人が言い出したのが梅雨入りの頃。
すっかり干からびた種を一昼夜水に浸した後に植えたのだが、一日たった数時間しか咲かない花びらの儚げで繊細な様とは裏腹に、朝顔とは意外に強い花なのだろう、芽が出てからはグングン育ち、今年何年かぶりに我が家の庭でその花を咲かせてくれたのだ。
どれほど美しく咲いても一日で萎れてしまうことから、’’槿花 一朝の夢’’と云われる朝顔にふさわしい本を、読んだ。
それについては又つづく
立秋の声を聞くと思い出すのが、高校の国語の授業で習った、長塚節のこの短歌だ。
『馬追虫のひげのそよろに来る秋は まなこを閉ぢて想ひ見るべし』
例年なら、米粒より心もち大きなバッタを見かけるようになるのが、ちょうどこの時期で、暑さ厳しきなかにも秋の気配を感じるものだが、今年はどうにもオカシイ。
嫌な記憶を呼び覚ますような暑さと、7月から次々と発生する台風に、バッタの’’時’’も狂ってしまったのだろうか、朝顔の花に米粒バッタを見つけたのは、7月も半ばのことだった。
米粒バッタが乗っている朝顔は、我家にとって何年ぶりかの、朝顔だ。
園芸用具入れの中で何年も置きっぱなしになっていた朝顔の種を「植えてみる」と家人が言い出したのが梅雨入りの頃。
すっかり干からびた種を一昼夜水に浸した後に植えたのだが、一日たった数時間しか咲かない花びらの儚げで繊細な様とは裏腹に、朝顔とは意外に強い花なのだろう、芽が出てからはグングン育ち、今年何年かぶりに我が家の庭でその花を咲かせてくれたのだ。
どれほど美しく咲いても一日で萎れてしまうことから、’’槿花 一朝の夢’’と云われる朝顔にふさわしい本を、読んだ。
それについては又つづく