「2017 四方山話 ワンコ編」 「わんこ と 人の物語①」より
ワンコ
「学校犬 クロ」(藤岡改造)については小説にも映画にもなったから、よく知られていると思うのだけど、
クロの一生を記しておくことにするね (『 』「学校犬 クロ」より引用)
クロは、どこからともなく松本深志高校に現れた わんこ なんだよ
躾もできていたし人懐こい性格だったから、元は飼い犬だったんだろうと思われるのだけど、
クロが新聞などに取り上げられても、元の飼い主は現れなかったから、正確なところは分からないんだよ
とにかく当て所なく彷徨い、学校に辿り着いたクロは、
そこにいれば生徒たちがご飯をお裾分けしてくれると理解し、学校に居つくようになるんだよ
遠慮しいしい体育館の隅で、生徒がくれる御飯のおこばれに与りながら暮らしていたクロは、
学園祭の出し物で、西郷どんが連れていた犬の銅像を見事に演じ、一躍スターの座を手に入れ、
それ以後は、校舎のなかを ねぐら にし、遂には校長室のソファーで寛ぐようにさえなるのだけれど、
クロはやっぱり、わんこなんだな
一食一飯の恩を律儀に果たそうとするんだな
夜の校舎は、’’トイレの花子さん’’ではないけれど、何となく怖いものなんだよ ワンコ
それは、大人である教師にとっても同じで、宿直で夜中に校舎を見回るのは不気味なことなのだけど、
いつからかクロが、夜回りの先導をするようになるんだよ
『クロはこれがまるで自分の仕事ででもあるかのように、どの先生やおじさんの夜回りにも一緒に行きました。毎夜欠かさず回ったというのも驚きですが、たんに習性でしたことだとは思われません。この学校で世話になっているのだから、お返しに、自分で出来るこれくらいのことはしなければと思っていたに違いないと皆そう考えていました。』
やがてクロは、※ 好きな授業を聴講するようになり、
職員会議にも出席するようになり、
ついには職員名簿にその名が記されるようにもなるんだよ
クロが、
青春時代らしい悩みをもつ生徒のそばにソッと寄り添ったり、
激論で長引く職員会議の空気を和ませたりするのを、
一食一飯の恩のお返しと捉えるのか、
人といて、人を幸せにすることに喜びを感じるのが犬なのだ、と捉えるのかは、
人によって考えが分かれるのかもしれないけれど、
とにかくクロがいる学校は幸せだったと思うし、クロ自身も楽しく過ごしていたと思うんだよ
そんな学校が、悲しみに、大きな悲しみに包まれたことがあるんだよ
1972年(昭和42年)8月1日、西穂高独標落雷事故が起こり、
松本深志高校の学校登山行事に参加していた生徒さんが落雷に遭い、
11人が亡くなり、たくさんの怪我人がでたんだよ
遺体は次々とヘリコプターで校庭に運ばれ、
学校中が深い悲しみに包まれ、沈んだ気分がずっとずっと続いたそうなのだけど、
この時もクロは、皆の心に寄り添い力になったんだそうだよ
『それからはクロに声をかけたり、頭をなでたり、首をさすったり、クロを相手に長々と話をする先生や生徒が急に多くなりました。クロは嫌がったりせず、いつまでもその相手をしていました。皆クロと触れ合うことで気持ちが癒されていたに違いありません。
クロは先生や生徒たちの心のなかに、微かながらも灯りをともす役割を果たしたのでした。(この事故のあと)学校の中でクロとみんなの心が深く触れ合うようになっていったのでした。』
こんなクロも年をとり、やがて眠りにつく日が来てしまうんだよ
だけどね ワンコ
クロのために盛大な「お別れの会」が開かれるんだよ ワンコ
それは、旧職員や元生徒もかけつけ総勢1200人を超す会となり、
僧籍をもつ教師が読経をあげ、校長先生が弔事を述べ、応援団長が会を取り仕切るというもので、
最後には皆で校歌を歌ったそうなのだけど、
入学式や卒業式や記念式典などの晴れの舞台以外で 校歌が歌われたのは、
後にも先にも、西穂高落雷事故の学校葬とクロのお別れの会だけだというから、
どれだけクロが、この学校で愛されていたかは、分かるだろう ワンコ
この お別れの会で朗読されたギリシャの詩や、先生や生徒の詩歌には心を打つものが多いから、
それは又つづく とするよ ワンコ
追記 ※
クロは、どの学年のどんな授業も聴講することを許されていたんだよ
先生も生徒も「クロが生徒だったらトップクラスだろう」と思うほど、
クロはしっかり授業を受けていたのだけど、
クロが得意だったのは、どうも語学らしいんだよ
国語と英語の授業は特にしっかり受けていたというんだよ ワンコ
ワンコと一緒だね
ラジオで語学講座を聞く私達の側で、いつも真面目に勉強していたから、
ワンコは語学が得意だったね ワンコ 「ワンコの愛 その2」
お空組でも語学の勉強を続けているかい?ワンコ
ワンコ
「学校犬 クロ」(藤岡改造)については小説にも映画にもなったから、よく知られていると思うのだけど、
クロの一生を記しておくことにするね (『 』「学校犬 クロ」より引用)
クロは、どこからともなく松本深志高校に現れた わんこ なんだよ
躾もできていたし人懐こい性格だったから、元は飼い犬だったんだろうと思われるのだけど、
クロが新聞などに取り上げられても、元の飼い主は現れなかったから、正確なところは分からないんだよ
とにかく当て所なく彷徨い、学校に辿り着いたクロは、
そこにいれば生徒たちがご飯をお裾分けしてくれると理解し、学校に居つくようになるんだよ
遠慮しいしい体育館の隅で、生徒がくれる御飯のおこばれに与りながら暮らしていたクロは、
学園祭の出し物で、西郷どんが連れていた犬の銅像を見事に演じ、一躍スターの座を手に入れ、
それ以後は、校舎のなかを ねぐら にし、遂には校長室のソファーで寛ぐようにさえなるのだけれど、
クロはやっぱり、わんこなんだな
一食一飯の恩を律儀に果たそうとするんだな
夜の校舎は、’’トイレの花子さん’’ではないけれど、何となく怖いものなんだよ ワンコ
それは、大人である教師にとっても同じで、宿直で夜中に校舎を見回るのは不気味なことなのだけど、
いつからかクロが、夜回りの先導をするようになるんだよ
『クロはこれがまるで自分の仕事ででもあるかのように、どの先生やおじさんの夜回りにも一緒に行きました。毎夜欠かさず回ったというのも驚きですが、たんに習性でしたことだとは思われません。この学校で世話になっているのだから、お返しに、自分で出来るこれくらいのことはしなければと思っていたに違いないと皆そう考えていました。』
やがてクロは、※ 好きな授業を聴講するようになり、
職員会議にも出席するようになり、
ついには職員名簿にその名が記されるようにもなるんだよ
クロが、
青春時代らしい悩みをもつ生徒のそばにソッと寄り添ったり、
激論で長引く職員会議の空気を和ませたりするのを、
一食一飯の恩のお返しと捉えるのか、
人といて、人を幸せにすることに喜びを感じるのが犬なのだ、と捉えるのかは、
人によって考えが分かれるのかもしれないけれど、
とにかくクロがいる学校は幸せだったと思うし、クロ自身も楽しく過ごしていたと思うんだよ
そんな学校が、悲しみに、大きな悲しみに包まれたことがあるんだよ
1972年(昭和42年)8月1日、西穂高独標落雷事故が起こり、
松本深志高校の学校登山行事に参加していた生徒さんが落雷に遭い、
11人が亡くなり、たくさんの怪我人がでたんだよ
遺体は次々とヘリコプターで校庭に運ばれ、
学校中が深い悲しみに包まれ、沈んだ気分がずっとずっと続いたそうなのだけど、
この時もクロは、皆の心に寄り添い力になったんだそうだよ
『それからはクロに声をかけたり、頭をなでたり、首をさすったり、クロを相手に長々と話をする先生や生徒が急に多くなりました。クロは嫌がったりせず、いつまでもその相手をしていました。皆クロと触れ合うことで気持ちが癒されていたに違いありません。
クロは先生や生徒たちの心のなかに、微かながらも灯りをともす役割を果たしたのでした。(この事故のあと)学校の中でクロとみんなの心が深く触れ合うようになっていったのでした。』
こんなクロも年をとり、やがて眠りにつく日が来てしまうんだよ
だけどね ワンコ
クロのために盛大な「お別れの会」が開かれるんだよ ワンコ
それは、旧職員や元生徒もかけつけ総勢1200人を超す会となり、
僧籍をもつ教師が読経をあげ、校長先生が弔事を述べ、応援団長が会を取り仕切るというもので、
最後には皆で校歌を歌ったそうなのだけど、
入学式や卒業式や記念式典などの晴れの舞台以外で 校歌が歌われたのは、
後にも先にも、西穂高落雷事故の学校葬とクロのお別れの会だけだというから、
どれだけクロが、この学校で愛されていたかは、分かるだろう ワンコ
この お別れの会で朗読されたギリシャの詩や、先生や生徒の詩歌には心を打つものが多いから、
それは又つづく とするよ ワンコ
追記 ※
クロは、どの学年のどんな授業も聴講することを許されていたんだよ
先生も生徒も「クロが生徒だったらトップクラスだろう」と思うほど、
クロはしっかり授業を受けていたのだけど、
クロが得意だったのは、どうも語学らしいんだよ
国語と英語の授業は特にしっかり受けていたというんだよ ワンコ
ワンコと一緒だね
ラジオで語学講座を聞く私達の側で、いつも真面目に勉強していたから、
ワンコは語学が得意だったね ワンコ 「ワンコの愛 その2」
お空組でも語学の勉強を続けているかい?ワンコ