「何に勝つ事が、勝ちなのか」より
第99回夏の甲子園も中盤戦を迎えていた頃、それに相応しいタイトルと装幀の本を読んでいた。
「栄冠を君に」(水原秀策)
デザインの著作権が気になりつつも、「高校野球好きとしては、読まずにはおれない」と強く思わせたタイトルと装幀であったため、製作に関わられた方々の御名前とともに記しておきたい。
本書のタイトルが、一夏に何度となく耳にする「く~も~は~わ~き~光あふ~れ~て」の題名と微妙に違うところが’’ミソ’’なのだろう、果たして本書は純粋な野球モノではなく、主人公が甲子園を目指すエースという設定のミステリーだった。
最近あらゆる分野の小説に殺人やテロが持ち込まれ、それが山岳本にまで及んでいるのを少々残念に思っているのだが、殺人などとは最も対極にありそうな高校球児を描いた本書でも、ご多分に漏れず次々と殺人事件が起こっていく。
だが、フォームの改造を試みる場面や男子高校生の日常がリアルに描かれているため、設定に違和感をさほど感じることなく読み進めることができてしまう、それだけに、読み終えた後には’’高校野球をとりまく問題’’を より深刻に考えさせられた。
それは、同様の問題を描いた東野圭吾氏の「魔球」を思い出したせいかもしれない。
本書の帯より引用
『将来を嘱望されたエースピッチャーが殺人事件を目撃したとき、人生は迷走し始める!
彼の行き着く果ては、甲子園か、殺人犯か!?
佐内第一高校のエースピッチャー村椿勇人。勇人が目指すのは、甲子園出場、そして、憧れのメジャーリーガーと全力の勝負すること。しかし、謎の男が死体を遺棄する現場を目撃してから、彼の人生は迷走し始める! 夢のためには、手段を選んでいられない。悪に魅入られた彼の頭上に、栄冠は輝くのか!?』
現在、甲子園を目指すほど熱心に野球をするには、物心ともに部活動の範囲を超えた支えが必要であり、それを得ることが出来ない球児は、野球の技術とは別の問題で、夢や道を諦めなければならないかもしれない。
そんな危機に立たされている主人公が、ふとしたことから悪の道に引きずり込まれていく、というのが本書が描くミステリーだ。
本書はミステリーなので詳細を書くことは控えるが、主人公に悪を指南していく男のアドバイスは、一考に値するので、それだけを記しておきたい。
一、とりあえず親や周囲の奴らにはいい子の演技をしろ。
二、自分の目的達成のために最短距離で行く。
そのためにどうしたらいいのか、常にそのことだけを考えろ。
三、大事なのは自分のコントロールできる範囲のことをきちんとやることなんだ。
四、すべての前提条件を疑え。
五、他人の物語にいちいち頭を悩ませるな。
いちいち他人の物語に巻き込まれて、しかもそれを絶対の要素だと受け留め二進も三進もいかないくせに、自分のコントロールできる範囲以上のことをしようとする癖がある私なので、このアドバイスは(悪の指南役のものではあるが)しっかと胸に留めておこうと思っている。
とは云え、いったい最短距離で行きつく目的とは何なのだろうか。
最短距離でつかむ’’ラッキー’’は、人生という長距離走において幸運をもたらすのだろうか。
悪の指南役は、目的達成のために必要なのは、頭の良し悪しではなく「意志」なのだという。
目の前の邪魔者を排除してでも蹴飛してでも目的を達成するという強い「意志」は、最短距離で勝利をつかませることができるだろうが、その目的には夢や憧れといったものは入り込めないし、そのような目的はいずれ綻びが生じ破綻するはずだ・・・・・そう思いたいのは、中途半端にイイ人を演じ微温湯に浸かったような中途半端な人生を歩んでいる私の精一杯の抵抗なのだろうか。
だが、最後に、悪の指南役は、このようなアドバイスもしている。
その十、殺しは一度始めるとやめられない。
殺人などという論外的な’’悪’’は兎も角として、「悪どい手段は一度始めると止められない」と置き替えることが出来る このアドバイスもシッカと心に留めながら、人生も中盤戦を迎えている自分は、最短距離の勝利も考えなければならないと思っている。
さて、本書を読んだ直後には、一層モヤモヤ感が深まった’’打者走者のプレー’’だが、J君の言葉で思い出した本のお蔭で、少し気持ちが晴れたような気がしている、その本については又つづく
追記
ミステリー小説である本書の(私的)一番の謎は、主人公が村椿なら何故に関係者のなかに、坂東の名がないのだろうか?という、この一点であったかもしれない。
第99回夏の甲子園も中盤戦を迎えていた頃、それに相応しいタイトルと装幀の本を読んでいた。
「栄冠を君に」(水原秀策)
デザインの著作権が気になりつつも、「高校野球好きとしては、読まずにはおれない」と強く思わせたタイトルと装幀であったため、製作に関わられた方々の御名前とともに記しておきたい。
装画・角田純男 装幀・井上則人井上則人デザイン事務所
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062170888
本書のタイトルが、一夏に何度となく耳にする「く~も~は~わ~き~光あふ~れ~て」の題名と微妙に違うところが’’ミソ’’なのだろう、果たして本書は純粋な野球モノではなく、主人公が甲子園を目指すエースという設定のミステリーだった。
最近あらゆる分野の小説に殺人やテロが持ち込まれ、それが山岳本にまで及んでいるのを少々残念に思っているのだが、殺人などとは最も対極にありそうな高校球児を描いた本書でも、ご多分に漏れず次々と殺人事件が起こっていく。
だが、フォームの改造を試みる場面や男子高校生の日常がリアルに描かれているため、設定に違和感をさほど感じることなく読み進めることができてしまう、それだけに、読み終えた後には’’高校野球をとりまく問題’’を より深刻に考えさせられた。
それは、同様の問題を描いた東野圭吾氏の「魔球」を思い出したせいかもしれない。
本書の帯より引用
『将来を嘱望されたエースピッチャーが殺人事件を目撃したとき、人生は迷走し始める!
彼の行き着く果ては、甲子園か、殺人犯か!?
佐内第一高校のエースピッチャー村椿勇人。勇人が目指すのは、甲子園出場、そして、憧れのメジャーリーガーと全力の勝負すること。しかし、謎の男が死体を遺棄する現場を目撃してから、彼の人生は迷走し始める! 夢のためには、手段を選んでいられない。悪に魅入られた彼の頭上に、栄冠は輝くのか!?』
現在、甲子園を目指すほど熱心に野球をするには、物心ともに部活動の範囲を超えた支えが必要であり、それを得ることが出来ない球児は、野球の技術とは別の問題で、夢や道を諦めなければならないかもしれない。
そんな危機に立たされている主人公が、ふとしたことから悪の道に引きずり込まれていく、というのが本書が描くミステリーだ。
本書はミステリーなので詳細を書くことは控えるが、主人公に悪を指南していく男のアドバイスは、一考に値するので、それだけを記しておきたい。
一、とりあえず親や周囲の奴らにはいい子の演技をしろ。
二、自分の目的達成のために最短距離で行く。
そのためにどうしたらいいのか、常にそのことだけを考えろ。
三、大事なのは自分のコントロールできる範囲のことをきちんとやることなんだ。
四、すべての前提条件を疑え。
五、他人の物語にいちいち頭を悩ませるな。
いちいち他人の物語に巻き込まれて、しかもそれを絶対の要素だと受け留め二進も三進もいかないくせに、自分のコントロールできる範囲以上のことをしようとする癖がある私なので、このアドバイスは(悪の指南役のものではあるが)しっかと胸に留めておこうと思っている。
とは云え、いったい最短距離で行きつく目的とは何なのだろうか。
最短距離でつかむ’’ラッキー’’は、人生という長距離走において幸運をもたらすのだろうか。
悪の指南役は、目的達成のために必要なのは、頭の良し悪しではなく「意志」なのだという。
目の前の邪魔者を排除してでも蹴飛してでも目的を達成するという強い「意志」は、最短距離で勝利をつかませることができるだろうが、その目的には夢や憧れといったものは入り込めないし、そのような目的はいずれ綻びが生じ破綻するはずだ・・・・・そう思いたいのは、中途半端にイイ人を演じ微温湯に浸かったような中途半端な人生を歩んでいる私の精一杯の抵抗なのだろうか。
だが、最後に、悪の指南役は、このようなアドバイスもしている。
その十、殺しは一度始めるとやめられない。
殺人などという論外的な’’悪’’は兎も角として、「悪どい手段は一度始めると止められない」と置き替えることが出来る このアドバイスもシッカと心に留めながら、人生も中盤戦を迎えている自分は、最短距離の勝利も考えなければならないと思っている。
さて、本書を読んだ直後には、一層モヤモヤ感が深まった’’打者走者のプレー’’だが、J君の言葉で思い出した本のお蔭で、少し気持ちが晴れたような気がしている、その本については又つづく
追記
ミステリー小説である本書の(私的)一番の謎は、主人公が村椿なら何故に関係者のなかに、坂東の名がないのだろうか?という、この一点であったかもしれない。