何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

信頼のピンク ワンコ

2017-07-22 15:35:51 | ひとりごと
ワンコさんは ピンクの花のような わんこだね  出展 ピンク花の聖地

ワンコが、御大の手術の日の朝 咲かせてくれたピンクの睡蓮 「ワンコのいるところ」

誰かを何かを色に例えるなんてことは、したことがなかったのだけれど、
ワンコを花の色に例えると、ピンクだという意見で一致したんだよ ワンコ
家族みんなが、そう感じるのは、
ワンコがお空組に転入したとき残していった水飲みオアシスが、理由なんだよ
ワンコが愛用していたものを、いつも目にの届く所で用いたいと相談し、
あの水飲みオアシスは、
仏壇横のワンココーナーのワンコ専用の花瓶になったのだけど、
家族がそれぞれワンコのために花を買ってくると、なぜだかピンク色の花を選ぶことが多いんだよ

男前で美男子で気品があって凛々しくて天才で賢くて、か~わいいか~わいい
と言われ続けたワンコを思って選ぶ花なら、シャープなイメージの色でもよいはずなのだけど、
なぜか皆ピンクを買って来てしまうんだよ ワンコ
ワンコには ピンクの花が 良く似合う  出展 ワンコ百景

みんな言ってるよ ワンコ
今だって勿論、ワンコが男前で気品があって美男子で凛々しいことは確かだと思っているけれど、
今みんなの心に一番あるのは、ワンコの世界一の優しさで、
それを色に例えるなら、繊細で優しいピンク色なんだなと

でさ、柄にもなくピンクの睡蓮の花言葉を調べたのだけど、
それは、「信頼」なんだって ワンコ

涙がでてくるよ ワンコ
4月のワンコの日に、犬を詠った句を紹介しただろう ワンコ 「ワンコの一句一遊」
そして、ワンコにピッタリの句を見つけたと言っていただろう
あの句のなかに、「信頼」が詠われていたよね ワンコ

銀河の下 犬に信頼されて行く  西東三鬼

我が家の場合、ワンコに信頼されていたというより、
私達がワンコに、絶対の信頼をおいていたのだけれど、
私達のあいだには、’’信頼’’や’’愛’’が確かにあったよね ワンコ

色々と悩むことは多いのだけど、
そんなことを思っていると、気持ちが晴れてくるから不思議だよ ワンコ
ありがとね ワンコ

今は本当に大変だけど、
だからこそワンコとの約束の星に逢いに、ワンコのお山に登る計画を立てているんだよ ワンコ
その時は、ワンコブラザーズも連れて行くから、
ワンコも、ワンコのお山に一緒に登ろうね ワンコ
  




ワンコのいるところ

2017-07-20 09:51:25 | ひとりごと
又また時間マジックを使っている情けない私を、ワンコは呆れながらも理解してくれているよね 
御大が緊急手術をしなければならなくなったり、仕事上でも方向転換を迫られたり、
それに伴い家族で話し合わなければならない問題があったりして、
私が煮詰まっていることは、ワンコが一番わかってくれているだろう

だから、この日のためにワンコがお告げで教えてくれた本も、途切れ途切れにしか読めずにいるのに、
思いがけないニュースで違う本を読み返している私に、
ワンコは許しの言葉を送ってくれたね  「in the heaven,a perfect round」
その本「生き方上手」(日野原重明)には、
ワンコ先生が最後にワンコに贈ってくださったのと同じ言葉があったんだよ ワンコ
ワンコ病院に長年のお礼に伺い、最期の様子をお話しすると、ワンコ先生は、
「ワンコは’’命の器’’を生ききったのですね」と涙ぐみながら仰ったのを覚えているかい ワンコ
眠るように笑うように眠っていったワンコにピッタリなその言葉に、
私達はどれほど救われたことだろう 「一瞬の命の結実 命の器」
その言葉に、ワンコの日を前にして出会えたことに、ワンコの’’愛’’を感じるんだよ ワンコ

そして、ワンコの’’愛’’というと、
今月ワンコがお告げで知らせてくれた本も、全編ワンコの’’愛’’で溢れているんだよ ワンコ
それは、そこはかとなく漂う愛ではなく、ハッキリと’’愛’’という言葉で記されているんだよ  
その言葉は、
’’愛’’なんて言葉を口にするのは、顔から火を吹きそうなほど恥ずかしいことだと思って生きてきた頑固老人の言葉なんだよ
その老人は、犬に あらん限りの愛情を捧げる少年とその母を見守りながら、
人と犬との関係について話すとき、『愛という言葉を抜きにして語るのは難しいように思えた』と言うんだよ ワンコ

この本は、少年だけでなく街の誰からも愛されたアイリッシュ・セッターの物語なんだよ ワンコ
「ブックのいた街」(関口尚)

本書の帯より
『「ねぇ、聞いてよ。ブック」―住人たちはそっと秘密を打ち明ける。
恋と夢に破れ故郷に戻った日本画家、初恋の人と結婚したのに寂しそうな奥さん、手の届かない素敵なひとに思いを寄せる少年、愛犬を亡くし笑顔が消えた一家、女運がない優しすぎるパン屋の元店主、占いができなくなってしまった占い師…
ラブリ商店街の人々の相談相手は、アイリッシュセッターのブック。
どこから来たのか、誰が名前を付けたのか、知る者はいない。
でもなぜか、ブックの前だと素直になれた―
“最高の友人”との忘れられない日々を描く、ぎゅっと抱きしめたくなる物語。』

ラブリ商店街の住人とブックとのかかわりを、それぞれ一章ずつで語りながら、
最終的にはブックを中心に商店街の皆が交流を始めることができるという話なんだけど、
一章ごとの登場人物のなかに、どことなく自分を感じることが多いんだよ ワンコ

夢を追い続けることの辛さも、ありのままの等身大で繋がり続ける難しさも、儚げな美しさに憧れる青さも、
愛している犬を亡くした慟哭も、裏切られ続けて期待することを諦めてしまう哀しさも、
自分の言動が人の人生を変えてしまったのかと思い悩む苦しみも、
みんなみんな、私のなかにも ある感情のような気がするんだよ
だから、登場人物の心の襞にブックがスルリと入り込み、溶かしていく様子は、
私の頬に鼻をこすりつけ、頬をつたうものをすくってくれた ワンコに重なり
・・・・・ページを繰るごとに涙だよ ワンコ

でもさ、ただ涙なみだで物語を終わらさないのが、ワンコ一押しの理由だね
最終章「空でつながる日」には、
犬も人間も、’’愛’’で結ばれていれば、どちらが先に旅立つことになっても’’大丈夫’’だと書かれているんだよ
犬が先にお空組に転入しても、人が先に逝っても、
お互い生まれ変わって又出会えるのを待てばいいし、
もし、この世で巡り合えなくても、きっと空で一緒になれると書いてあるんだよ ワンコ

これを読んで、私が泣かないはずがないだろう ワンコ
今でも頻繁に ワンコの心づかいを感じるけれど、
生まれ変わって戻って来てくれれば、これほど嬉しいことはないし、
お空で永遠に一緒にいられるように、ワンコが準備して待ってくれていると思えば、
それも悪くないなと、心から思うんだよ ワンコ

色々あってさ ワンコ
今は、ちょっとばかし落ち込んでいるけれど、
こうしてワンコはお告げで本を教えてくれるし、
御大の手術の日の朝には、ワンコ睡蓮の花を咲かせてエールを送ってくれるから、
頑張ってみるよ ワンコ

見守っていておくれよ ワンコ

in the heaven, a perfect round

2017-07-19 23:49:49 | ひとりごと
「追悼 命の授業を全うされて」より

日野原氏の著書はかなり読んできたのだが、思い返すと それらはクリスチャンの上司にお借りして読んだので、今手元にあるのはベストセラになった「生き方上手」「10歳の君へー95歳からの手紙」の二冊だけだ。
だが、私の読書備忘録には日野原氏の言葉が多く記されている、その幾つかを理由とともに、ここにも残しておきたい。

ワンコが天上界の住犬になってしまい落ち込んでいた頃、「生きること(命)=時間」という説を読み、ショックを受けたことがある。
その説は、たとえワンコに触れることができなくとも、ワンコと過ごした時間は私のなかに息づき続けるし、ワンコがいない季節をいくつ重ねようとも そこにワンコを感じ続けると信じている私には(今でもそれは信じているが・・・)、頭では理解できても、心が受け容れられるものではなかったからだ。
だが、読書備忘録にあった日野原氏の言葉はワンコ先生の言葉に重なり心を救ってくれた。
「一瞬の命の結実 命の器」

日野原氏が断続的に続けておられた子供への’’命の授業’’での一コマとメッセージ。
日野原氏が子供に「命をどこに持っているのか」と問うと、多くの子は「心臓」という。
そんな遣り取りから日野原氏は子供たちに、「命も時間も見えないけれど、皆さんが持って使える時間こそが命だから、どういうふうに時間を使うかが大切だ」と語られたそうだが、その想いは「10歳の君へ」で更に詳しく記されている。

『わたしがイメージする寿命とは、手持ち時間を削っていくというのとはまるで反対に、
 寿命という大きなからっぽの器のなかに、精一杯生きた一瞬一瞬をつめこんでいくイメージです。』
『時間というものは、止まることなくつねに流れています。
 けれども時間というのは、ただの容れ物にすぎません。
 そこに君が何をつめこむかで、時間の中身、つまり時間の質が決まります。
 君が君らしく、生き生きと過ごせば、
 その時間はまるで君に「いのち」をふきこまれたように生きてくるのです。』

日野原氏のこの言葉を再読した時、ワンコ病院の先生が最後の挨拶のおりに掛けて下さった言葉が甦り、涙がこぼれて止まらなかった。
そうして、素直な気持ちで日野原氏が書かれたものを読み返せば、そこにあるのは これから立ち向かわなければならない問題への処方箋となるものばかりだった。

『死は自然から永遠への通路』(「ハムレット」より)
『一粒の麦もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん。
 死なば多くの実を結ぶべし』(「カラマーゾフの兄弟」より)
『人は始めることさえ忘れなければ、いつまでも若くある』(マルティン・ブーバー)

日野原氏が著書で引用されているこれらの名言は、人生も中盤戦を迎えようとしている私にとり指針となるものだが、他にも、私が仕事をするうえでも又 心をこめて誰かを応援するうえでも支えにしている大切な言葉がある。
それは、ここでも何度も記しているR・ブラウニングの言葉である。「素晴らしい朝(あした)を重ねて」
『地上では欠けた弧、天上では全き円』
『小さな円を描いて満足するより、大きな円の、その一部分である弧になれ』

日野原氏の父上が日野原氏に語って聞かせた このブラウニングの詩の一節について、日野原氏が更に若い人々に『私が生きている間は私が頑張ってなるべく描く円を大きくし、次の代の人が、この円を完成してくれることを願っています』と語って聞かせておられるところが、まさに この詩が意図するところに重なり素晴らしい。

105歳 大往生のニュースに改めて日野原氏の著書を手にとった人も多いと思う。
そしてそこに、生き方のヒントを見つけた人も多いと思う。
今まさに生き方の方向性に迷う私も、この機会に何冊か読み直し、自分が描きたい円はどのようなものなのか、じっくり考えたいと思っている。

追悼 命の授業を全うされて

2017-07-18 10:00:00 | ニュース
このブログは、読んだ本や四季折々の自然についての記録を中心に、誠実に頑張る人を応援する気持ちを綴ることにしているので、本来ならば個人の訃報は記さないのだが、日野原氏の著書は何作も読んでいるし(実は将に現在も、次回記事にその一部を書いていたところなのだが)、クリスチャンの上司のおかげで一度だけ日野原氏の講演を聞く機会にも恵まれていたので、ここに謹んで哀悼の意を表したい。

<日野原重明さん死去 105歳 聖路加国際病院名誉院長> 朝日新聞7/18(火) 8:54配信より一部引用
「生涯現役」として著作や講演など幅広く活動してきた聖路加国際病院名誉院長の日野原重明さんが、18日午前6時半、呼吸不全で死去した。105歳だった。
1911年山口県生まれ。京都帝大医学部卒。41年から聖路加国際病院に勤めた。同病院内科医長、聖路加看護大学長、同病院長などを歴任。02年度朝日社会福祉賞。05年に文化勲章を受章した。
専門は内科学。成人病と呼ばれていた脳卒中、心臓病などを「習慣病」と呼んで病気の予防につなげようと1970年代から提唱してきた。旧厚生省は96年になって成人病を生活習慣病と改称し、今では広く受け入れられている。
87年からは小学生を対象に「いのちの授業」を続けた。多数の著書があり、90歳で出版した「生きかた上手」がベストセラーになった。


私が日野原氏の講演を聴いたのは、日野原氏が98歳であられる頃のことだったと思うが、颯爽と壇上にあがられて「5年後までスケジュール帖の予定は一杯つまっている」と仰っていた。
その日野原氏の105歳での大往生。
人生の大先輩であり敬虔なクリスチャンである日野原氏の訃報に、どのような言葉を記すべきなのか、若輩者で世間知らずの私には(恥ずかしながら)分からない。
だが今夜は、手元にある何冊かの著書を静かに読み返してみようと思っている。

参照、
日野原氏の功績と、その精神を継いで立派な仕事をされている聖路加国際病院の医療関係者に敬意を表し、全文を引用させて頂きたい記事がある。

<地下鉄サリン事件から22年 治療に当たった医師たちの秘話> Abema TIMES 4/2(日) 22:56配信より引用
1995年3月20日に起きた「地下鉄サリン事件」。死者13人、負傷者約6200人の犠牲者を出したこの事件で、オウム真理教が東京の地下鉄で撒き散らした毒物「サリン」に世間の注目は集まった。
サリンはイラン・イラク戦争で使われるなど、大量殺戮を目的に開発された化学兵器だが、実は事件の約2ヶ月前、1月1日の読売新聞一面に「サリン残留物を検出 山梨の山ろく」という記事が掲載されていた。オウム真理教の拠点である上九一色村で、94年6月に起きた松本サリン事件の残留物と同じ成分が発見されていたのだ。オウムに対し、すぐに強制捜査が入ると思われたものの、直後に阪神淡路大震災が起こり、日本中が浮き立つ中、地下鉄サリン事件が発生してしまったのだった。
当時、2000人近い負傷者を出した築地駅に近い聖路加国際病院では、スタッフが被害者の命を救うべき総力戦を展開していた。当時院長だった日野原重明氏はこの緊急事態に、一般外来の診療と、予定していた手術の中止を決断、被害者の全面受け入れを指示した。
礼拝堂の壁の配管に人工呼吸器を取り付け、点滴台と毛布を運び込むと、そこは広い病室へと変わった。東京大空襲で十分な救助活動ができなかったことへの後悔があった日野原氏が、院長就任の交換条件として廊下に酸素供給の配管、さらにそれを礼拝堂にも設置し、すぐに病室に転用できるように求めていたことが功を奏したのだった。
事件現場からおよそ200km離れていた長野県で速報中継を見ていた信州大学医学部付属病院の柳澤信夫医師は、聖路加国際病院に対しサリン中毒を強く疑う情報や資料を伝えた。同様の提言は、現場の医師からもあがっていた。現在、横浜クリニック院長で、事件当日は自衛隊の医官として聖路加病院に緊急派遣されていた青木晃医師は、瞳孔が極端に小さくなる“縮瞳“の症状をみて「これはサリンだ。この場合の特効薬はアトロピン、もしくはパムだ」と報告した。
パムは、サリンなどの有機リン中毒の治療のために有効だが、他の医師たちは使用をためらっていたという。青木医師は事件が起こる1週間前、自衛隊衛生学校における特殊武器防護のテストで“サリンにさらされた時の臨床症状を5つ書け。そしてそれに対する初期治療を2つ書け“という問題を解いていたという。
「5人ほど見ただけで神経系のガスによる中毒症状とすぐにわかりました。1週間前に見た問題が全て当てはまっていた」(青木医師)。
また、当時の状況について青木医師は「簡易カルテを患者さんが首からぶら下げていて、そこに僕たち医師が症状を書けば済むようになっていた。また日野原院長や副院長が先頭に立って患者さんを重症・中等症・軽症と、トリアージと呼ばれる振り分けをしていた」と振り返った。
トリアージとはテロ・大災害・大事故など、医療体制が確立していない現場で多数の傷病者が同時に発生した場合に重症度と緊急性を選別し、搬送や治療の優先順位を決めるものだ。テロ対策などの総合教育を提供する一般社団法人・TACMEDAの協議会理事長・照井資規氏は「テロや自然災害は大量の負傷者を同時に発生させるが、治療は1人ずつしか行なえません。そのための選別、順番付けが非常に大事になる。患者一人一人の治療に繋げていくためには非常に大事なツール」と話す。
聖路加病院には640人が運ばれたが、亡くなったのは1人だけだったという。
照井氏はテロ・大災害が起きた際にすべき行動として「今一番しなければいけない事を把握すること」と話す。例えば、事件が起きた際に逃げるのではなく、携帯電話で撮影するなどの行為は非常に危険だと指摘。「記録するよりも、まずは逃げないといけない。危機を危機として認識すること。普段から想定外を想定しておくのが大事」と話した。(AbemaTV/AbemaPrimeより)

空を飛びたい、飛ばせたい

2017-07-14 23:05:05 | ひとりごと
かってに縁を感じているため、毎年少しばかり盛大に祝う、7月14日 パリ祭の日。

今日は悲喜こもごも色々あり又 帰宅も遅かったので、祝うという気分になれないまま夕食後にパソコンを立ち上げたのだが、いきなり目に飛び込んできたニュースサイトの写真の題名に、励まされた。

AFP配信のその記事は、「リニューアルオープンしたサンシャイン水族館(Sunshine Aquarium)の屋外エリアに新設された展示水槽’’天空のペンギン’’の中を泳ぎ回るペンギン」について伝えるものだったが、その写真には「空も飛べるはず」というタイトルがついていた。
http://www.afpbb.com/articles/-/3135787?cx_part=txt_topics



歌というのは、歌詞やメロディの一か所を見聞きしただけで、その歌を口ずさんでいた頃のことを強烈に甦えらせるという不思議な力を持っている。
「空も飛べるはず」(作詞作曲・草野正宗)を口ずさんでいた頃がバラ色だったわけではないが、直向に頑張っていれば努力は報われると信じるられる程度には捻くれてはおらず、奇跡のような出会いに淡い期待を抱くほどに世間知らずでもあった。
それが年を重ねるごとに、世知辛い世の中を知り 現実を突き付けられ、「世情」(中島みゆき作詞作曲)の方がしっくり来るようになってしまっている。
だが、それでも「空も飛べるはず」を聞くと、早春の田んぼに映る残雪を頂いた常念岳が目に浮かび、元気が出てくるのは、この曲が信州・松本を舞台としたドラマ「白線流し」の主題歌だったからだと思う。
そんな事を想いながら、この曲を聴いていると、なぜか井上靖氏の詩が浮かんできた。

愛する人に

洪水のように、
大きく、烈しく、
生きなくてもいい。
清水のように、あの岩陰の、
人目につかぬ滴りのように、
清らかに、ひそやかに、自ら耀いて、
生きて貰いたい。

さくらの花のように、
万朶を飾らなくてもいい。
梅のように、
あの白い五枚の花弁のように、
香しく、きびしく、
まなこ見張り、
寒夜、なおひらくがいい。

壮大な天の曲、神の声は、
よし聞けなくとも、
風の音に、
あの木々をゆるがせ、
野をわたり、
村を二つに割るものの音に、
耳を傾けよ。

愛する人よ、
夢みなくてもいい。
去年のように、
また来年そうであるように、
この新しく春の陽の中に、
醒めてあれ。
白き石のおもてのように醒めてあれ。
「井上靖全詩集」より

とは云え、パリ祭に記す想いは・・・
愛する人には、涙で夢を濡らしても、夢みつづて欲しい
愛する人には、大空を飛んで欲しい
そして私は、
愛する人を、そばで笑って応援し続けていきたい