以下の文は7月10日に掲載されているはずだったのだが、どういうわけか掲載されておらす、しかもそれに気づくのが遅れているうちに、次の水害まで起っている。
12日夜 東海地方を局所的に襲った大雨は各地に土砂崩れを起こしただけでなく、落雷のため国宝・犬山城のシャチホコ一基が破損しているという。
このような状況であるので、医療系の本にあった災害に関する箇所を記録しておきたい。
医療系の小説は洩れなく読むようにしているのだが、最近 癌だけでなく様々な手術に立ち向かっている人を身近にしているので、本書は題名からして強い興味を覚えさせてくれた。
「がん消滅の罠 完全寛解の謎」(岩木一麻)
本年度の「このミステリーが面白い!」の大賞を受賞した本書は、出版から間もない作品でもあり、どのように感想を書くかは迷うところなので、ミステリーとは無関係だが、この度の災害などに関わり印象に残った点を先ずは記録しておきたい。 (『 』「がん消滅の罠 完全寛解の謎」より)
それは、若き医師たちから、尊敬と親愛の情をこめて’’先生’’と呼び慕われる医師の言葉だ。
この’’先生’’は、医療の現場で貧困ゆえに理不尽な苦労をする弱者を見続けたことや まだ若い娘を亡くしたことから、『医師にはできず、医師でなければできず、そしてどんな医師にも成し遂げられなかったこと』で以て、困難な状況にある人を救済したいと願うようになる。
先生の願いを如何に実現しようとするかが、本書のミステリーとしての肝となるのだが、その過程で不安にかられた若き医師に掛けた’’先生’’の言葉は、多分にマイナス思考の傾向が強い私には、印象的だった。
『憂鬱な気持ちは人々の独創性を増加させるのです。
アリストテレスはすでに紀元前四世紀にソクラテスやプラトンを含む偉人に憂鬱質的な気質があることを指摘しています。またゴッホや太宰治のように自ら命を絶った天才の例はいくらでもあげることができます。ミケランジェロ、ダーウィン、バルザック、トルストイ、ヘミングウェイ、宮沢賢治。チャイコフスキーやシューマンもそうです。彼らは皆、鬱病的な傾向をもっていました。政治家ではリンカーンやチャーチルといった歴史に名を残す政治家が憂鬱質的であったことが記録されています。
苦悩し、不安を感じていた人々が偉業を成し遂げられたのがどうしてなのか、分かりますか?』
『情緒と認知には深い関係があるのです。
悲しみや不安は我々をより注意深くし、細かなことに関心を持たせやすくします。』
「くよくよして細かいことを考えるな」という言葉が巷を席巻しているが、’’先生’’は「くよくよ細かいことを考えず、楽しく明るくを人生の至上命題としている社会では、人は繊細な思考を放棄し、愚かになってしまう」と嘆く。
『幸福だけを至上とする社会では苦悩や不安は一種の病として扱われます。今の社会では大病を患った人は不幸にして社会のレールから外れてしまうと見做されています。昔は違いました。苦悩や不安、死と滅びは日本文化に宿命として取り込まれていたのです。我々の国土は度重なる地震とそれに伴う津波、火山の噴火、洪水などの様々な災害に襲われてきました。滅びは私達の国土に内包され、日本人はそれを一種の美意識とともに受け入れてきた。その中で日本人独特の情緒が形成されていったのです。』
『阪神淡路大震災でも多くの人々が大変な危機に直面しました。その時の被災者たちの多くが東日本大震災の折には被災地に入り、被災者の気持ちを理解して痛みを分かち合う最良の助っ人として人々を支えたのです。熊本の地震でも、東日本大震災の被災者たちが被災地支援に力を尽くしました。』
この場面を読んでいる時、この度の大洪水の募金活動のニュースを知った。
<茨城 常総市が九州豪雨の募金活動へ> NHK7月7日 16時06分配信より一部引用
記録的な豪雨となっている九州北部を支援しようと、おととし9月の関東・東北豪雨で大きな被害を受けた茨城県常総市は、9日東京で開催する復興に向けた物産展で、九州の被災地を支援する募金活動を行うことを決めました。
<茨城)秋葉原で九州豪雨の募金呼びかけ 常総市長ら> 朝日新聞2017年7月10日03時配信より一部引用
常総市の神達岳志市長らは9日、東京・秋葉原駅前で九州北部豪雨の被災地に向けた義援金の募金を呼びかけた。同市は2年前に「関東・東北豪雨」で大きな被害を受け当初、この日は常総水害への募金を呼びかける予定だったが、九州での被害を受けて急きょ切り替えた。日曜日とあって多くの人が募金に応じた。
「一昨年の水害でお世話になった茨城県常総市です。同じような水害で苦しんでいる九州の人たちへの義援金に協力をお願いします」。神達市長が呼びかけると、若者から年配者までが次々と応じていた。
市によると、2年前は九州からも多くの義援金を受けた。福岡、大分両県とは、職員の派遣などですでに相談を始めているという。
この度の九州豪雨災害では既に一般の方々に夜ボランティアの方々の活動も始まっているというが、同じく水害を受けた地方自治体がいち早く職員の派遣や募金活動を始めているというニュースが、先生の言葉に重なった。
日本人特有の’’滅びの美学’’が、果たして繰り返される災害により培われたのか否かは、私には分からないが、それにより判官贔屓や同病相憐れむという気質が育まれたのだら、悲しく辛い経験にも意味を見出すことができると思う。
何より、繰り返される災害に敢然と立ち向かい、その度ごとに打ち勝ってきたことは、長い歴史が証明してくれている。
自分にできることを考えながら、九州へ向け心をこめて祈っている。
12日夜 東海地方を局所的に襲った大雨は各地に土砂崩れを起こしただけでなく、落雷のため国宝・犬山城のシャチホコ一基が破損しているという。
このような状況であるので、医療系の本にあった災害に関する箇所を記録しておきたい。
~・~・~・~・~・~・~・~
医療系の小説は洩れなく読むようにしているのだが、最近 癌だけでなく様々な手術に立ち向かっている人を身近にしているので、本書は題名からして強い興味を覚えさせてくれた。
「がん消滅の罠 完全寛解の謎」(岩木一麻)
本年度の「このミステリーが面白い!」の大賞を受賞した本書は、出版から間もない作品でもあり、どのように感想を書くかは迷うところなので、ミステリーとは無関係だが、この度の災害などに関わり印象に残った点を先ずは記録しておきたい。 (『 』「がん消滅の罠 完全寛解の謎」より)
それは、若き医師たちから、尊敬と親愛の情をこめて’’先生’’と呼び慕われる医師の言葉だ。
この’’先生’’は、医療の現場で貧困ゆえに理不尽な苦労をする弱者を見続けたことや まだ若い娘を亡くしたことから、『医師にはできず、医師でなければできず、そしてどんな医師にも成し遂げられなかったこと』で以て、困難な状況にある人を救済したいと願うようになる。
先生の願いを如何に実現しようとするかが、本書のミステリーとしての肝となるのだが、その過程で不安にかられた若き医師に掛けた’’先生’’の言葉は、多分にマイナス思考の傾向が強い私には、印象的だった。
『憂鬱な気持ちは人々の独創性を増加させるのです。
アリストテレスはすでに紀元前四世紀にソクラテスやプラトンを含む偉人に憂鬱質的な気質があることを指摘しています。またゴッホや太宰治のように自ら命を絶った天才の例はいくらでもあげることができます。ミケランジェロ、ダーウィン、バルザック、トルストイ、ヘミングウェイ、宮沢賢治。チャイコフスキーやシューマンもそうです。彼らは皆、鬱病的な傾向をもっていました。政治家ではリンカーンやチャーチルといった歴史に名を残す政治家が憂鬱質的であったことが記録されています。
苦悩し、不安を感じていた人々が偉業を成し遂げられたのがどうしてなのか、分かりますか?』
『情緒と認知には深い関係があるのです。
悲しみや不安は我々をより注意深くし、細かなことに関心を持たせやすくします。』
「くよくよして細かいことを考えるな」という言葉が巷を席巻しているが、’’先生’’は「くよくよ細かいことを考えず、楽しく明るくを人生の至上命題としている社会では、人は繊細な思考を放棄し、愚かになってしまう」と嘆く。
『幸福だけを至上とする社会では苦悩や不安は一種の病として扱われます。今の社会では大病を患った人は不幸にして社会のレールから外れてしまうと見做されています。昔は違いました。苦悩や不安、死と滅びは日本文化に宿命として取り込まれていたのです。我々の国土は度重なる地震とそれに伴う津波、火山の噴火、洪水などの様々な災害に襲われてきました。滅びは私達の国土に内包され、日本人はそれを一種の美意識とともに受け入れてきた。その中で日本人独特の情緒が形成されていったのです。』
『阪神淡路大震災でも多くの人々が大変な危機に直面しました。その時の被災者たちの多くが東日本大震災の折には被災地に入り、被災者の気持ちを理解して痛みを分かち合う最良の助っ人として人々を支えたのです。熊本の地震でも、東日本大震災の被災者たちが被災地支援に力を尽くしました。』
この場面を読んでいる時、この度の大洪水の募金活動のニュースを知った。
<茨城 常総市が九州豪雨の募金活動へ> NHK7月7日 16時06分配信より一部引用
記録的な豪雨となっている九州北部を支援しようと、おととし9月の関東・東北豪雨で大きな被害を受けた茨城県常総市は、9日東京で開催する復興に向けた物産展で、九州の被災地を支援する募金活動を行うことを決めました。
<茨城)秋葉原で九州豪雨の募金呼びかけ 常総市長ら> 朝日新聞2017年7月10日03時配信より一部引用
常総市の神達岳志市長らは9日、東京・秋葉原駅前で九州北部豪雨の被災地に向けた義援金の募金を呼びかけた。同市は2年前に「関東・東北豪雨」で大きな被害を受け当初、この日は常総水害への募金を呼びかける予定だったが、九州での被害を受けて急きょ切り替えた。日曜日とあって多くの人が募金に応じた。
「一昨年の水害でお世話になった茨城県常総市です。同じような水害で苦しんでいる九州の人たちへの義援金に協力をお願いします」。神達市長が呼びかけると、若者から年配者までが次々と応じていた。
市によると、2年前は九州からも多くの義援金を受けた。福岡、大分両県とは、職員の派遣などですでに相談を始めているという。
この度の九州豪雨災害では既に一般の方々に夜ボランティアの方々の活動も始まっているというが、同じく水害を受けた地方自治体がいち早く職員の派遣や募金活動を始めているというニュースが、先生の言葉に重なった。
日本人特有の’’滅びの美学’’が、果たして繰り返される災害により培われたのか否かは、私には分からないが、それにより判官贔屓や同病相憐れむという気質が育まれたのだら、悲しく辛い経験にも意味を見出すことができると思う。
何より、繰り返される災害に敢然と立ち向かい、その度ごとに打ち勝ってきたことは、長い歴史が証明してくれている。
自分にできることを考えながら、九州へ向け心をこめて祈っている。