何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

真っ向勝負に栄冠を!

2018-08-06 11:11:11 | ニュース
8月5日、夏の甲子園100回記念大会の開会式が、皇太子ご夫妻ご臨席のもと行われた。

連日40℃に迫る酷暑のなかでの記念大会であり、選手たちの体調も心配だが、開会式は日頃 体を鍛えているわけではない普通の高校生も多く運営に関わっているので、邪まな思惑で全国中等学校野球大会(現全国高等学校野球選手権大会)を始めた主催社の挨拶を簡素にするのは勿論のこと、式次第もサクサクと進められることを望んでいたのだが、なかなかそうもいかない。

そんな開会式だったが、やはり感動的だったのは、球児と運営に携わる高校生が清々しかったことと、皇太子様のお言葉がありきたりではなく、聞く者誰もに「自分の甲子園」を思い起こさせるもので、まさに100回の大会に相応しいものだったからだと思う。

皇太子様のお言葉

あいさつに先立ち、この度の平成30年7月豪雨により亡くなられた方々に深く哀悼の意を表しますとともに、ご遺族と被災された方々に心からお見舞いを申し上げます。被災地の復旧が一日も早く進むことを願っております。
 第100回という記念すべき節目を迎えた、全国高等学校野球選手権記念大会の開会式に出席できることを、うれしく思います。
 次代を担う若者が、スポーツを通じて自らを鍛え、スポーツマンシップを養うことは、とても大切なことであり、これまで1世紀にわたり、青少年の夢を育み、国民の大きな関心を集めてきた高校野球が果たしてきた役割には、大きなものがあります。
 私の高校野球の最初の記憶は、第50回記念大会の決勝戦、大阪の興国高校と静岡商業高校の試合でした。1対0という白熱した投手戦をよく覚えています。それ以来、50年にわたり、高校野球を身近なものと感じて応援してきましたし、第70回大会と第91回大会では開会式に出席し、試合を観戦して、長きにわたる高校野球の歴史の一部をこの目で垣間見る機会を得られたことは、とてもうれしいことでした。
 その度に、選手や応援団、観客や運営に関わる人たち、さらには選手たちを受け入れる地元の方々のひたむきな取り組みによって、高校野球が育てられていることを、強く感じることができました。1世紀の長きにわたる皆さんの努力に対し敬意を表します。あわせて、選手の皆さんが、試合を通して大きく成長されている様子もうれしく思っています。
 選手の皆さんは、日々鍛錬を積み重ね、母校の、そしてふるさとの期待を担って、ここ甲子園に集いました。今日までの練習の成果を十分に発揮し、力の限りプレーすることを期待しています。同時に、暑いさなかの試合となりますので、プレーする選手の皆さんも、応援する方々も、くれぐれも体調の管理には気を付けてください。
 この大会が、多くの球児の活躍の場となり、国民に親しまれながら、更に大きく発展することを願うとともに、選手の皆さんのご健闘を心からお祈りし、あいさつといたします。



昨日開会式を一緒に見ていた家族は、『私の高校野球の最初の記憶は、第50回記念大会の決勝戦、大阪の興国高校と静岡商業高校の試合でした。』この皇太子様のお言葉を耳にすると、フッと遠くをみる視線となった。

日頃 皇室の方は、公平やら平等やらに過度に御配慮されるため、固有名詞を述べられない傾向があるが、それでは共感を得にくいという難しさもある。そこを、皇太子様があえて、この一戦を挙げられたのは、それが50回記念大会の決勝だったから、ということもあると思うが、そのおかげで、お言葉に触れた者は、自分の甲子園に思いを馳せる機会を得たと思われる。

世代が違えば思い出す試合も違うが、誰にとっても、自分にとっての’’最初の記憶’’となる試合や印象に残る大切な試合があるからだ。

例えば私にとってのそれは、チビ子野球に興じていた夏の、宇部商の快進撃だ。「さわやか真っ向勝負!」

準々決勝、準決勝と逆転で勝ち進んだ宇部商の粘り強さは、最後まで諦めないことの大切さを子供の私に教えてくれたが、その中でも特に印象に残ったのは、万年補欠で出番のなかった控えの古谷投手が、最後の最後で あのPL相手の決勝戦のマウンドを任され、見事に戦ったことだ。

そん宇部商を讃える新聞は、古谷君の写真に「さわやか 真っ向勝負」と大きなタイトルをつけたのだが、その記事の切り抜きは、長く私の机の上で、居眠りばかりしている私を見守り続けてくれたものだった。

そんなことも改めて思い出させて下さる素晴らしい皇太子様のお言葉を、きちんと脱帽したうえで耳を傾けた、礼儀正しい球児もいるというので、なんの思い入れもなくなってしまった今年の甲子園だったが、やっぱり手に汗握り応援することになると思う。



甲子園と野球の話は今少し、つづく

反社会品ばかりで空になる

2018-08-02 12:30:00 | 
かなり憂鬱な日々を送っているせいで、本を読む暇も気分も無くしていたので、この読書備忘録からも遠ざかっていた。
だが、観測史上例を見ない進行方向をとる台風12号の凄まじい雨風で眠れぬ時間に、考えるところがあり、本を一冊と三分の一読んだので、とりあえずそれを記しておきたい。

「反社会品」(久坂部羊)
「空の色紙」(帚木蓬生)

図書館のディスプレイで紹介されていた、医師でもある作家さんの作品。
帚木氏も久坂部氏も出版されれば必ず読むことにしている作家さんなのだが、どうしたわけか、この二冊は読んでいなかった。
いつもなら、そんな本を見つけた時は嬉々として借りるのだが、帚木氏の本はともかく、強烈なアイロニーが利いていることが多い久坂部氏の本を、今の自分が受け入れることができるかは怪しいと思いつつ借り、そのままになっていた。

そんな久坂部氏の短編集である「反社会品」は、7話のほぼ全てが、行き過ぎた医療の進歩や、医療技術の進歩に法整備や人の心情が追い付いていないことから生じる問題を皮肉な視点で描かれているのだが、出生前診断、体外受精、臓器提供という特殊な問題に潜む赤裸々な本音と実態から超高齢化社会の行き着く先まで、どれを取っても、あまり明るい未来は見えてこない。

本書が描く臓器提供や体外受精の問題点は、「わたしを離さないで」(カズオ・イシグロ)「臓器農場」関連(帚木蓬生)のような極端なものではないのだが、心の病を扱った第一話は現在の風潮に鑑みるに、近い将来に現実のものとなりそうで恐ろしい。

この第一話、のっけから『心の病で働かないヤツは、人間の屑だ!』という言葉から始まる。
この言葉をスローガンにした政党「愛国一心の会」は、ケネディ大統領のあの『国が自分達に何かをしてくれるかではなく、自分達が国のために何ができるかを考えて下さい』を引用しながら、支えられる側が優遇される政策から超実力主義の政策への転換を図ろうとする。又それに呼応し世間には、努力しても報われなかった者や、それを嘆き病む者ような ’’人間の屑’’ は、泣こうが喚こうが死のうが徹底的に排斥すべし、との空気が充満していく。
第一話では、そんな実力主義の実現のためには独裁政治が必要だと考えた大衆が、独裁者を熱狂的に迎え入れる様が描かれている。

’’自助´’や ''成果主義'' という言葉は本来 弱者を叩くために用いられるべき言葉ではないはずだが、自分よりも弱い人間を叩くことで精神の均衡を保っている人にとっては、これらの言葉は他者を非難するのに好都合なものとなり、偽りの実力主義と歪んだ政治体制を好むようになる。

その狂気の行きつく先を、「空の色紙」の一節は端的に表していると、思う。

神風特攻隊として逝った兄は、精神科医を志している弟との最後の会話で、こう言い残した。

『狂気を相手にするのも医学だったな』
『だが、集団の狂気となると、医学も手に負えんだろう』

・・・・・手に負えない状態に、近づきつつあるような気がしてならない。


重要な追記
久坂部氏は、「虚栄」で電磁波による脳への悪影響を懸念しているが、本書でも(有名な説ではあるが)電磁波の生殖機能への影響を懸念する件が示されている。重要なことに思えるので、記しておきたい。

本書での架空の病名:ロート症(無脳児)
ロート症はスマホやネットの電波が関係しているという説もある。

『モバイルのメールや、wi-fiなど、電波利用機器が急激に増加したため、卵子の遺伝子に悪影響が出る危険があります。放射線もそうですが、電波は胎児の脳や眼球、四肢の形成異常を生みやすいのです。排卵時に集中してネットを見たり、スマホを利用したりすると危険です』

『まだ、確証はないのでしょう?』

『通信業界が圧力をかけて、研究を妨害していますからね』