34Leftで

チャリオで20分
羽田空港が子供の頃からの秘密基地
ハンバーガーとモンブランが大好きで時々オリーブも

昔懐かしい川崎区をのぞいてみませんか

2022年04月19日 | まち歩き
今月 川崎区制50周年を迎え
時代の移り変わりをジオラマやパネルで紹介するイベントが期間限定でアトレ川崎4階コモレビテラスで開催されてます。

JR川崎駅北改札の上
四人がけのテーブルが幾つも配置され
ちょっとした待ち合わせに便利。

あまり知られていないテラスなので
利用する方も少ない。

床に無造作に並べられたパネルには
あの頃と言う名の駅前と
現在の川崎区が写し出されて。

川崎駅前のジオラマには西口の東芝工場が見える。
今はラゾーナ川崎になって

真ん中の跨線橋の膨らんだ場所が

ココ
今は東西自由通路になっているけど
当時は改札口があり
西口と東口を行き交うには南側に今でもある自由通路を利用しなければならなかった。

中二階のこの場所には踊り場があり
向かいのスタバがある場所には電気店があり
ブラウン管をこちらに向けたテレビが何台も並び、スポーツ中継を観戦する方々が足を止めてた。

その横には牛乳スタンド、そしてその奥には
アルマイトの食器に盛られた黄色いカレーの
「オオモリ」が あった。
昭和の川崎の懐かしい味。
川崎出身の司会者 玉置弘がラジオで50円カレーと紹介し一躍有名になったんだ。
高度経済成長期の働く戦士のチカラメシなんだ。
以前 閉店してしまったこの味を1度だけ再現したことがある。
でも商業ベースには乗れない幻に。

新川橋通りは 親しみを込めおいらは さいか屋通りと呼んでる。

この階段、アゼリア地下街が出来るまでは
狭く暗い地下道だった。
両脇には浮浪者の寝床と傷痍軍人がアコーディオンを弾いていたり
今では想像できない環境だった。

でも美味いものも沢山。
アッ あそこのあれが食べたくなった。

この続きは
またあした。


本日も御安全に🍀












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