34Leftで

チャリオで20分
羽田空港が子供の頃からの秘密基地
ハンバーガーとモンブランが大好きで時々オリーブも

おいらの町の今と昔

2022年03月08日 | まち歩き
おいらの生まれ育った町
幼い頃は川崎大師周辺には沢山の工場があった。
あの頃 東京から多摩川に架かる六郷橋を渡っていると左手に音符の形をした赤い電飾が見える。

京急大師線港町駅裏にコロンビアレコードの本社があったんだ。
今はタワーマンションになってしまった。
港町駅のホームには コロンビアレコード出身の美空ひばりの
港町13番地の歌詞が描かれている。

JR川崎駅西口側一帯は明治製菓の工場があった、その並びには東芝の本社も。
今ではそこもタワーマンションやラゾーナ川崎 それに複合ビルに。
多摩川まで桜並木が出来て。

港町を過ぎると

歴史遺産にもなった水門が見える。
戦前、ここから渡田を通り汐入まで運河で繋げる計画があったが 戦争で数百メートル掘ったところで頓挫してしまったんだ。
怪獣ブースカのロケにも使われた。

鈴木町駅裏手には味の素工場がある。
昭和の味、味の素を作っていたんだ。
ココで作られたアミノ酸を当時 京急大師線の終電後に
その線路を利用して国鉄貨物のディーゼル機関車が専用貨車で日本各地に運んでいた。
今ではクックドゥや冷凍食品を作っているが。

その横には三楽オーシャンがあり、色々な酒を精製してた。
その一つにブレンデッドモルト用にグレンウイスキーを作っていた。
ココの前を通る度 芋が発酵したような匂いがして 子供心に なんて臭いんだと思っていたが
慣れてくると 地元に帰って来た落ち着く匂いになって。
あの頃に精製されたグレンウイスキー原酒が
山梨県の山奥の倉庫で見つかり
イチローズモルトを立ち上げた
伊知郎氏がその原酒を引き取り
世に広めたんだ。
イチローズモルト「川崎」
十数年前 池袋のバーでご縁があり
飲ませてもらったことがある。
どこか昔の京急大師線の230形電車の木張りの床の匂いがした。

京急川崎大師駅の次の駅 東門前駅の国道側には
コマツ重機の工場があった。
ブルドーザーやダンプを作っていたけど
戦車も作っていたんだ。
夜中になるとトレーラーに積まれた戦車がカバーをかけられ運ばれて行く光景に異次元で起きている何かを察知していたのを覚えている。

今では大規模マンションやショッピングセンター、それに川崎大師自動車祈祷殿までココに移転して
今は隅っこで重機の教習所をやっているだけに。

大師橋をくぐり殿町エリアへ。
左手対岸には羽田空港が一望できる。

この辺りはまだ開発が遅れているけど
ココにもいすゞ自動車の工場があった。
メインはトラックのエルフを作っていた。
一時 乗用車も作っていて
高い壁に囲まれたテストコースで走る音にワクワクしてた。

そのテストコースの跡地は川崎市の戦略特区になり高度医療の研究施設や欧米の製薬会社の研究施設に

東急REIホテルや郵便局にコンビニも出来
整備が進んで
今週 対岸の羽田空港とを結ぶ新しい橋も開通する。

大正時代この先には三本葭と呼ばれた干潟があった。
日本初の飛行学校を穴守に設立した有志が
この地で飛行訓練をしたんだ。
当時 羽田には適当な訓練場所が無く
羽田の渡しで対岸から川崎側に渡り
ヨシズで囲った格納庫?に玉井式弐号機を納め
干潮時になると訓練してたと。

今ではジェット機が爆音を轟かせ飛び去るけど
あの当時は のんびりした雰囲気で
足踏み式ミシンのようなリズムで
バタバタと音を出して飛んでいたのかなぁ。

そんなことを思いながらチャリオで帰ると🚲

オリーブ(女房殿)が懐かしい黒ネコを用意してくれていた。
尚且つ 崎陽軒のシウマイも

甘い白ワインによく合います。

まだ40数年の歴史しかないふたり

この先の・・・・・・

その全てに
ご馳走さまです🍀

















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