この界隈は おいらにとって
ココにハンバーガーがあるんです。
築地本願寺が目の前に見られる陽当たりの良い席に案内されやした。
そっと袋から出し
ハンバーグ用に仕込んだ合挽きにコクのあるチーズを被せたパティは
意外とゴツゴツした食感に
ほんのりジューシー
厚切りのベーコンの脂の甘さと
超厚切りトマトの酸味が
肉汁と競いあい
不揃いなレタスの甘さと
BBQソースの甘さが
1人歩きしてしまうところを
フカしっとりなバンズが包み損ねそうになるところを
食べる場所を変えながら。
持ちこたえる。
カタギの皆さんにはバーガー袋の利用をオススメしやす。 腹ごなしに懐かしいこの場所を散歩してみやした。
築地テラスと同じブロックにあるココ。 おいらが小学校低学年の頃、親父殿が作った商品を築地場内で売ってくれる卸売り商の「みつや商店」があった場所。 当時 家族が寝静まる夜中 1日おきにこの場所へ親父殿が軽四で配達しに行ってた。 すると週1の割合で おいらを一緒に連れて行ってくれるんだ。 東京オリンピックが終わった首都高1号線は夜中のせいかガラガラで、ビルに掲げられたネオンサインにワクワクしてた。
首都高を降り「みつや商店」さんに品物を納めた後 連れて行ってくれる場所が
今は時事通信のビルだけど当時ココに銀座東急ホテルがあったんだ。
ホームページからお借りしやした。 あの頃 ファミレスもコンビニも無い時代。 夜中営業していると言えばラーメン屋かお弁当屋位。 そんな中 このホテルの一階に24時間営業している レストラン「オートゥーフォー」があった。
初めて入った時 親父殿は柄入りのワイシャツにヨレヨレのズボンにサンダル履き、おいらは薄汚れたランニングにほつれた半ズボン 足元は年季の入ったズック。 その風貌を見た支配人が怪訝そうに席に案内してくれる。 メニューから親父殿がステーキとハンバーグステーキ、それにポタージュスープを頼んで待つと回りの視線を感じる
窓の外は真っ暗だけど目の前が新橋演舞場に反対側は歌舞伎座、少し歩けば日劇のロケーション。 だから毎夜 あの時代に輝いていた役者さんやコメディアンが食事を楽しんでいたんだ。
そんな雰囲気の中 親父殿はたじろぐ事も無くステーキを箸で流暢に食べ、おいらも皿を持ってかき込んで テーブルマナーNGやり放題みたいな。
だけど 何度か訪れるうち 支配人が顔を覚えてくれ 入口のドアをにこやかに開けてくれるようにまで。
人参のグラッセの甘さに破天荒な親父殿の生きざまを重ね
ご馳走さまです😋
良いお話ありがとうございます。
お父さまは、男は中身で勝負!を
身を持ってお教えしてくださって、、超かっこいい(語彙力無くてごめんなさい(_ _;))
私には父の記憶ほぼないので 羨ましいです。
代々 普通の家庭じゃなかった しぇふ家。
普通の家庭が羨ましかった。
以前ブログに親父殿の女性遍歴を載せたけど、それは ほんの一部。
今なら笑い事で済むけど
親類縁者 並びにご町内の皆さんにご迷惑おかけして。
その血を引く おいらは・・・?
しぇふ