昨夜った雪も1㎝程度。
薄曇りの天気である。
今日はコースを離れその昔、諏訪湖に弁天島が有ったと言う
「浜中島弁財天」の境内へと足を運ぶ。
ここはまだ釜口水門がなかった頃2つの島が有ったと言う。
その風景を葛飾北斎が描いた景勝地として知られていた。
"富嶽三十六景 -信州諏訪湖"葛飾北斎
葛飾北斎が描いた版画には諏訪湖が大きく描かている。
奥に描かれた高島城もまだ諏訪湖の湖岸にあった。
中央に描かれた祠のある島が弁天島。
しかし、現在弁天社のあるところはこの場所ではない。
弁天島は諏訪湖の洪水対策のために作られた水路で出来た島。
諏訪史談会『諏訪藩主手元絵図』にある「岡谷村 新屋 間下 上浜 下浜」の一部
しかし、それでも洪水が収まらなかったため、島も撤去されてしまった。
撤去の際に現在の場所に移された。
社は現在公園として整備されている釜口水門近くの一角に祀られている。
ここにも御柱が4本建っている。
覆屋の中を覗くと...。
何と本殿に弁財天の絵がはめ込まれている。
すでに例祭が絶えて久しい。
岡谷の釜口水門を起点として天竜川は駒ヶ根、飯田の伊那谷を通って浜松へと流れている。
まだ氷が溶けきれない諏訪湖。
その昔ここに有った弁天島を偲ぶ。
薄曇りの天気である。
今日はコースを離れその昔、諏訪湖に弁天島が有ったと言う
「浜中島弁財天」の境内へと足を運ぶ。
ここはまだ釜口水門がなかった頃2つの島が有ったと言う。
その風景を葛飾北斎が描いた景勝地として知られていた。
"富嶽三十六景 -信州諏訪湖"葛飾北斎
葛飾北斎が描いた版画には諏訪湖が大きく描かている。
奥に描かれた高島城もまだ諏訪湖の湖岸にあった。
中央に描かれた祠のある島が弁天島。
しかし、現在弁天社のあるところはこの場所ではない。
弁天島は諏訪湖の洪水対策のために作られた水路で出来た島。
諏訪史談会『諏訪藩主手元絵図』にある「岡谷村 新屋 間下 上浜 下浜」の一部
しかし、それでも洪水が収まらなかったため、島も撤去されてしまった。
撤去の際に現在の場所に移された。
社は現在公園として整備されている釜口水門近くの一角に祀られている。
ここにも御柱が4本建っている。
覆屋の中を覗くと...。
何と本殿に弁財天の絵がはめ込まれている。
すでに例祭が絶えて久しい。
岡谷の釜口水門を起点として天竜川は駒ヶ根、飯田の伊那谷を通って浜松へと流れている。
まだ氷が溶けきれない諏訪湖。
その昔ここに有った弁天島を偲ぶ。
版画だったのですか?
印象に残ってる絵です。
諏訪湖が描かれてたとは、
知らなかったです。
弁天島って 聞いたことはあったのですが
詳しい事は 全然知らず、でした。
天竜川のスタート地点・なのですね。
諏訪湖にも弁天島が有ったのですか。
この近くにも何処かに有りましたが直ぐ思い付きませんが
守り神なので有って当然でしょうが。
葛飾北斎の絵に諏訪湖の絵も有ったのですね この辺りで見るのは東海道ばかりでした 余り詳しくないのも原因ですが。
諏訪湖の水路が浜松に来ているのも初めて知りました 天竜川も名前だけの知識でした 地図を見て見ようと思いました。
今朝も寒い中、白鳥が優雅に泳いでいました。江戸時代も来ていたのでしょうか?
釜口水門のそばに弁天様がいると言う事は分かっていたんですが...。
調べると色んな事が分かるものですね。
どうしてこんな所にって言う疑問が消えました。
北斎もこの地を訪れた時に弁天島から見る諏訪の景色に感銘されたのでしょうね。
昔の諏訪湖も現在よりずっと大きかったはず。
後何年先になるか分かりませんが諏訪湖も湿原に変わっていくと言う事が言われいてます。
諏訪湖には31もの流入河川が有ります。
出て行く川は天竜川一本。
諏訪の平に降った雨は諏訪湖に集まりますから昔のようにまだ釜口水門がなかった頃は下流域では洪水に見舞われた事と思います。
そんな以前の諏訪湖は今よりもっと大きく満々と水を蓄えていた事と思います。
現在諏訪湖から高島城と言えば700m程度離れていますから直径で約1.5km位諏訪湖は小さくなっています。
高島城は浮城と呼ばれ諏訪湖に浮いているように見えていたのですね。
その頃の景色を今見れればきっといい観光名所になっていた事と思います。
自然。
大事ですね。
今の自然を後世に残したいものです。
今の景色を北斎が見れば何と言うのでしょう。
あぁ、なんと嘆かわしい...。
逆にあの頃の景色を私たちが見るとなんて言うかな。
なんて素晴らしい景色なんだ。
自然って素晴らしいな。
なんて思うかも知れません。
でも、天竜川下流の人達の事を思えば水門も仕方のない事。
他に自然を壊さない方法があればいいのですが。
人にとって文明の進歩はいいのですが自然にとってはそのままの方が今の地球には優しいかも。
原子力の被害や温暖化による自然破壊などはきっとないと思います。また、時間がもっとゆっくりと動いて行くような気がします。
以前祖母から聞いた事が有りますが一日かがりで原村から茅野まで徒歩で用事に行ったり...。
今のようにせかせかしない生活もいいカモ知れませんね。
江戸時代にも御神渡りが出来たりハクチョウたちも渡っていたと思います。
もっと多くの鳥たちが広い諏訪湖でまどろんでいたかも...。
...と思っていました。
コメントを拝見していると名前が無くともあぁ、この人からだ!
と分かりながら返事をしています。