年末年始にお泊り客が居なかったなんて、
我が家では初めてのこと。
二日より葉室麟さんの『弧篷のひと』を読みました。
茶人・建築・造園家の小堀遠州の物語なのですが、
孤篷(こほう)の篷(ホウ)の文字は、
草冠の蓬(ヨモギ・ホウ)ではなく、
竹冠の篷(トマ・ホウ)という文字なのですね。
よ~く見たら竹冠のトマだったんです。
篷(トマ・ホウ)とは、
菅(スゲ)や茅(カヤ)を菰(コモ)のように編み、
和舟の上部などに用いるのだとか。
そして遠州の号である「孤篷」とは、
旅人の意味もあるようですね。
下記青文字は遠州の永訣の言葉。
わたしは、
川を進む1艘の篷舟(とまぶね)であったと思う。
さほど目立ちもせず、
きらびやかでもないが、
慎み深いさまはわたしの性にあっていた。
されど、
孤舟(こしゅう)ではなかったぞ。
(中略)
ひとはひとりでは生きられぬ。
遠州は茶人だけではなく作事奉行もやっていたこともあり、
登場人物は、
そうそうたるメンバーなのです。
利休、織部など茶道の師、
後陽成天皇、後水尾天皇、信長、秀吉、家康、秀忠、家光、伊達政宗・・・
将軍足利義輝、石田三成、上杉謙信、沢庵和尚、本阿弥光悦・・・
天草四郎、スペイン人の宣教師、聖書の中のカインとアベル・・・
明智光秀の娘(ガラシャ夫人)や徳川秀忠の娘(東福門院和子)・・・
そして家光の乳母(春日局)や織部の娘(琴)、
桂離宮を作られた後陽成天皇の弟君である八条宮などと。
回想シーンとして静かに語られるのですが、
何が正しい生き方なのか、
考えさせられます。
当時のお茶というものは文化でもあったのでしょうが、
政にも使われたのですしね。
独眼竜正宗が、
遠州に茶の手ほどきを受けるところなど面白いのです。
正宗は「退屈だな」というのですもの。
でも、
その退屈の意味合いが深いものなのです。
沢庵和尚が徳川の天敵である、
石田三成を葬った理由を語るところも味わいがありました。
石田様は心中に欲を買わず、
何もない無であった。
忠義の果てに、
おのれが何ものも失うであろうことを、
覚悟しておられた。
褒めそやされることを求めず、
ただひたすらおのれのなすべきことをされた。
それゆえ、
わたしは葬ったのだ。
われら禅僧も及ばぬ境地だとおもったゆえな。
この本は、
茶を介しての壮大な歴史小説ですね。
ブロ友loveさんのご紹介ですが、
ドジな私は以前買った本に、
『孤篷のひと』の紹介があったのに忘れていたのです。
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おかげに、
こちらも再読できました。
loveさんありがとうございました。
まだまだ沢山の本が待ってます。
追々紹介いたしましょう。
TV&読書
いい三が日でした。