いつも有職故実(ゆうそくこじつ)に詳しい、
藤原実資(ふじわらのさねすけ)と書いているのですが、
昨晩の放送でも「立后(りっこう)の儀式」を、
三条天皇に頼まれてましたね。
実資は天徳元年~長徳元年まで生き(957~1046)、
90歳という長命でした。
有職故実って「有職」と「故実」を組み合わせた語で、
有職(ゆうそく)は、
本来は有識(ゆうしき)と表記するそうです。
以下青文字はNHK大河ハンドブックより抜粋です。
有職とは、
知識を持つ人の意味である。
ただし、
その知識は故実の知識であり故実の知識を多く持つ、
あるいは多く持つ人が有識である。
一方、故実は行動の規範、
つまり現代で言えばマニュアルに相当する。
この有職故実は、
公家故実(くげこじつ)と武家故実(ぶけこじつ)に大別でき、
公家故実は摂関時代に成立し、
武家故実は鎌倉時代に成立した。
有職公卿(ゆうそくくぎょう)と言われる藤原実資は、
村上天皇・冷泉天皇、
円融・花山・一条・三条天皇に仕え、
以後も後一条・後朱雀・後冷泉天皇と仕えます。
『小右記』には88才の時、
致仕(ちし)を請うも聴されず(ゆるされず)とありますが、
(致仕とは禄位を返上するの意味)
実資は最後の最後まで有能な有職公卿だったのです。
°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°第42回「光る君へ」°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°
明子の息子:顕信(あきのぶ)が出家をしたのは、
明子にとっては子供を殺されたのも同然だったのでしょうね。
明子の兄の源俊賢は妹を慰めました。
顕信は残念なことであったが内裏の権力争いから逃れて、
心穏やかになったのではないか
それも一理あると思います。
四納言としてブレずに道長を支えてます。
実資は最初に書いたように立后の儀を、
三条天皇に頼まれ止む無く引き受けるしかなかったのですが、
天皇側にも道長にも媚びているのではありません。
お困りの天皇に忠義を尽くしただけなのです。
ですので、
天皇にお褒めに与ったと喜んでいる息子に、
浮かれるなと一喝。
なんとも小気味よい場面でした。
娘?孫?をあやす実資はなんともユーモラスでしたね。
かたや道長は心労が重なり辞表を出し伏してしまいます。
左大臣様のお命は長くはもちますまいという清少納言。
憎々し気な怖いお顔でした。
彰子は父親の道長が倒れたのは自分のせいではないかと、
心を痛めるのですが祖母にこういわれるのです。
信じた道をおいきなさいませ。
父上は皇太后さま(彰子)を誇りに思っておいでですよ
この言葉も胸に響きました。
祖母役の石野真子さんいいですね~
宇治で療養の道長のもとへ、
百舌彦(もずひこ)に頼まれて藤式部(紫式部)がやってきます。
宇治川ですか?別の川での撮影ですか?
情緒あふれる光景でした。
もうよろしいのです。
私との約束はお忘れくださいませ
お前との約束を忘れれば俺の命も終わる
ならば私も一緒に参ります
たわむれをもうすな
この世に私の役目は終わりました
この時の藤式部の表情は良かったですね。
お前は俺より先に死ぬな 死ぬな
ならば道長さまも生きてくださいませ
道長さまが生きていてくだされば私も生きられます
その言葉に泣く道長。
散楽の直秀を葬ったときも、
まひろ(紫式部)の前で泣きましたよね。
そして『宇治十帖』が始まりました。
『源氏物語』も終わりに近づいてきています。
ではまた来週。