二〇二四年十一月二十五日(月)。
早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
今日は爪切りだったけどお利口だったねタマ。慣れてきた?
慣れてきたって言うか一応鳴き声を上げてみるのも面倒になってきただけって言うか。
一応鳴いて見せてただけだって?
途中からはね。この夏くらいに鳴いて見せたのは爪切りの時の姿勢があまりにも暑苦しかったからってことなんだけど。
仕方ないよ、ささっと切り揃えるには多少暑苦しくても横になってくれないとね。
うん。でもここ何日かで新しい音楽を聴かせてくれるようになってからなんだけど、無駄な抵抗は馬鹿馬鹿しくなったってのはある。
テクノ?幅広い世界だよ。まだまだこれからさ。
楽しみにしてる。それはそれとして今朝の飼い主ね、新聞を見た途端顔色変わってたけど、なんかあった?
ああ、オンラインゲーム依存のことか。アルコールや薬物みたいに体内に何かを摂取するまでもなく簡単にギャンブル依存とおんなじ精神状態へ引きずりこむことができるし湯水のごとくお金を注ぎ込んでくれる。そりゃあIOCも手を伸ばすわけでね。今じゃ生まれてほどない幼少時の頃から端末漬になってる子どももいるわけだし商売する側としては幾らでもぼったくれるインフラとして整備されてる、使わない手はないってことなんだろう。
それが問題なの?
タマの生まれる前にはオンラインゲーム依存じゃなくて「ネトゲ廃人」って差別用語で呼ばれる患者が出てきた。一時は社会問題としてちょっとだけ騒がれたけどeスポーツとして承認されてからは精神障害者の続出にもかかわらずマス-コミが率先して急速に報道から撤退し出した。闇に葬られるようになった。で、引きこもりに悩んでる子どもたちをオンラインゲームへ接続して夢中にならせてまだ十代のうちから依存症に罹患させるとどうなるかってことだね。
どうなるの?
ますますゲームの世界へ引きこもっていくばかり。依存症治療の現実ってのを知らないんじゃないかなって思うよ。端末から離れる時間を作ってみた時にはもう依存症化してて家族や周囲の友人知人らを片っ端から怒鳴りつけたり他人を恐喝したりいわゆる闇バイトってのかな、それに平気で手をだす未成年がどんどん出てきたんだけど。やっとのことで治療プログラムに乗ることができたとしても一生付き合っていかないといけない不治の病気なんで、端末の管理を患者ができるようになるまで一体誰がやるのか。とともにその治療費は死ぬまでかかるわけだけど、じゃあどこから出すのって話になる。
なんだか殺伐とした感じ。
飼い主がアルコール治療で入院した専門病院にね、たまたまアルコールもギャンブルもって患者さんが入ってきたことがあったんだけどさ。親がお金持ちだったからみたいなんだけど、勝手に家を売って酒やギャンブルの軍資金に換えた。親は当然怒るわけなんだが家を売られちまったから二軒目の家を建てた。するとまたしてもお金に困った子供が二軒目も勝手に売っちまった。さらに親は怒るよね。で、ともかく三軒目の家を建てた。そこで専門病院に辿り着いたってわけ。辿り着いたのがほとんどあり得ない話に感じるだろ?実際のところ専門病院に辿り着くケースって今なおほとんどあり得ないのさ。
でもマス-コミとどう関係あるの?
マス-コミは今や新自由主義の広告代理店になっちゃってる。けど大事なのはここまで荒廃したお金儲けを率先して宣伝しないといけない日本の置かれた位置なんだよ多分。
う~ん、そのへんでまたわからなくなりそうな。
もしかしたらすでに日本は破産国家の手前あたりをうろうろしてる気がするんだなあ。スポーツって言ってもサッカーでもテニスでもマラソンでも現役スポーツ選手として食べていける人生って短いよね。オンラインゲームを手にするとそれまで元気のなかった子供の目にみるみる光が戻るっていうんだけど、ギャンブルで家族崩壊させてもギャンブルやめられない人に500円だけだよって言ってお金を手渡すとそれまで元気のなかった患者さんの目がみるみる光り始める。わからない人にはわからないんだけど酷い目に遭わされた家族とか専門医が見るとひと目でわかる。この目の光は違うって。異様な光り方だから。もうほとんどあっちの世界にいっちゃってる。オンラインゲームの選手生命ってもっと遥かに短くなると思うよ。でもそこまで犠牲者を出さないとお金が回らないような不況がもう何十年も続いてるところを見るとさ、ああ日本が破産国家宣告されるのも近いのかもと思うし察しの早い人々はもう何年か前から海外へ出ていっちゃった。
タマはどうなるの?
どうなるんだろうね。でもそんなことばかり目に見える形で派手にまかり通らせてしまった新自由主義がどれほど危ういかと気づく人々はますます増えてきたからさ、今度は逆にオルタナティヴとそのゾンビも一緒に叩き起こしてくる流れが出来始めてきたわけ。いつまで正体の知れない「クラインの壺」に熱中してるのかって。しかしマス-コミはとうとう幼少児を資本のための人間の盾に使うようなことまでやって見せてさらに様子を伺うって黴臭いやり方、いつまで演じるつもりなのかな。ほんとに時間がないのかもね。あの世界で食ってる人々自身の大失敗なのはわかりきってるから取っ捕まえようと追いかけていく人々は増えるばかりで逃げ切れるわけないってのに。
黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。マシュー・ハルソール。モーダルな演奏が特徴的。スピリチュアル的な響きはコルトレーンを思わせたりもするが実験的により幅広くクールな音を送り出し続けている。