白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

延長される民主主義22

2020年04月09日 | 日記・エッセイ・コラム
社会的呪縛というものは怖ろしいものだ。この呪縛に囚われている人間は呪縛されていることを感じない。大半の人々はそうだ。その意味で「幸せ」でいると錯覚したまま生涯を終えることさえできる。ところがそうでない人々、たとえばアルトーが「一個の感受性」と呼んだゴッホの場合、ゴッホ自身、社会的呪縛に囚われていると感じることができただけでなくそうに違いないと信じるほかないほど当時の社会規範によってがんじがらめにされ苦悶していた。

「ヴァン・ゴッホもまた呪いをかけられていると信じていたし、彼はそう言っていたのだ。そして私はといえば、彼がそうであったと分別をもって信じているし、私は、どこで、そしてどのようにして、ある日そうなったかを言おう」(アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.136~137』河出文庫)

アルトーがそう言う理由について述べた部分を引こう。

「私自身は、精神病院で九年間を過ごして一度として自殺の強迫観念をもたなかった、しかし私にはわかっているが、朝の回診のときに、精神科医とのどの会話も、彼の喉をかっ切って殺すことができないだろうと感じて、私に首を吊りたいという欲求をもたらしたものだった」(アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.139』河出文庫)

アルトーの精神病院入院は有名な話でありなおかつ何度も反復されている。一度でない。そしてまた患者として収容された者が感じる二者択一という傾向が顕著に出現する。医師との対話において「彼の喉をかっ切って殺すことができないだろうと感じて、私に首を吊りたいという欲求をもたらした」とあるように。ここで問題なのは医師との《対話において》、その都度、「医師が消去されるかそうでなければ自分が自分自身を消去するか」という切迫した二者択一の構造が出現することである。両者の「対話」はなるほど言語によってもたらされるわけだが、この種の方程式じみた対話形式において、対話はただ単なる形式をもたらすだけであって、問題をもたらし出現させるのは《言語》という「粗雑な必要物」なのだ。その意味で第二次世界大戦終結以降、ヨーロッパで構造論的思考が発生してきたのは偶然でない。ナチスのドイツ、スターリンのロシア、そしてアメリカ。これらを成立させたものは何だったか。ヨーロッパを起源とする理性というものである。まさしく理性がこれら巨大な怪物を生んだという疑いようのない事実だった。哲学思想の世界では紀元前から長く歴史的に「真、善、美」とは何か、そしてそれを思考し実践していく過程が人間に与えられた至高の生き方だとされてきた。そこには暗黙の裡に理性は間違わないという観念が前提されていた。ところがその理性の行き着いたところに、ナチスのドイツ、スターリンのロシア、そしてアメリカ、が出現した。絶滅収容所が、全体主義が、原爆が。理性は間違うのだ。そう気づいたとき、考えるための「粗雑な必要物」としてそれまで信じて疑われていなかった「言葉そのもの」に始めて嫌疑がかけられた。言語への疑問。しかしそれは第一次世界大戦の始まる前、十九世紀後半すでにニーチェが何度も繰り返し口酸っぱく述べていたことだった。だが当時のニーチェ哲学はほとんど無視され素通りされている。「ツァラトゥストラ」理解のための入門書として書かれた「道徳の系譜」ですらニーチェは出版社を見つけることができず自費出版という形で数えるほどしか世に出ていない。そして二度にわたって繰り広げられた総力戦の後。アドルノの言葉を借りれば「すべてのできごとの後で」、その瞬間、現代思想の震源地としてのニーチェは新しく見出されたのである。

さて、問題は「言語じたい」であり《言語において》問題はすでに生じていると述べた。けれども、「対話」という「形式」はただ単なる形式でしかないにもかかわらず、「対話」とその「形式」との自明性は疑われるに十分な構造を与えられてしまっている。この「形式」は何らアプリオリに妥当するものではない。むしろ「形式化」とその濫用はその慣習化と習熟とによって「解答は本当か」という問いについて考え直す機会を奪い取ってしまう。あるいは機械的思考しか与えなくさせてしまう。この傾向は大規模化すればするほど言語とともある理性の怪物化/怪物化した意識の出現をいともたやすく許してしまう。マルクス=エンゲルスはこう指摘する。

「回答の内にだけでなく、<むしろ>問いそのものの内に、すでにごまかしがあった」(マルクス=エンゲルス「ドイツ・イデオロギー・P.38」岩波文庫)

それを見抜く目は何も特別なものではない。神秘主義的なものではまったくなく、逆になんの変哲もない態度変更によって獲得されたものだ。

「哲学的誇大広告ーーーこれがお上品なドイツ市民の胸にさえ慈悲深い国民感情を奮い起こさせるのだがーーーを正しく評価するためには、また、《こうした青年ヘーゲル派運動総体の》狭量さ<と>、地方的偏狭さを、<そして>《とりわけ》これらの英雄たちの実際の業績と業績に関する幻想との間の悲喜劇的なコントラストを明瞭にするためには、この騒動全体をいったんドイツの外なる見地から眺めてみることが必要である」(マルクス=エンゲルス「ドイツ・イデオロギー・P.36」岩波文庫)

ニーチェもまた同じことを言っている。

「《『漂泊者』は語る》。ーーーわれわれのヨーロッパの道徳性を一度遠くから眺められるようにするためには、それを過去あるいは将来の別な道徳性と比べて見るためには、ある町の塔の高さのほどを知ろうとする漂泊者のやりかたと同じことをやらねばならない、ーーーつまり、それをやるために漂泊者はその町を《立ち去る》。『道徳的先入見についての考察』には、それが先入見に関する先入見に堕さないようにするためには、道徳《外》に位置することが、われわれがそこまで昇り・攀(よ)じ・飛翔すべき何か善悪の彼岸といった位置が、前提となる」(ニーチェ「悦ばしき知識・三八〇・P.451」ちくま学芸文庫)

そのような知の枠組みによって不可避的にもたらされる種も仕掛けもある手品について気づいていたのはヨーロッパの知識人だけではない。次の一節を知らない日本人はおそらくいないという意味であえて引いてみる。

「健三(けんぞう)が遠い所から帰って来て駒込(こまごめ)の奥に世帯(しょたい)を持ったのは東京を出てから何年目になるだろう。彼は故郷(こきょう)の土を踏む珍らしさのうちに一種の淋(さび)し味さえ感じた」(夏目漱石「道草・P.5」新潮文庫)

漱石作品の中で最もリアリズムに接近したものとされているが、そのような分類はどうでもよい。見るべきは漱石がこの文章をわざわざ作品の冒頭に「置いた」ことにある。漱石の分身たる健三はどこからやって来たか。イギリスからやって来た。留学帰りのインテリ、当時としては超人的インテリに属する。健三は日本人であって日本人でない。日本人として日本語で考え日本語という社会的文法が根底から規定してくる行動様式に則ってすべての振る舞いを決定する。にもかかわらず異邦人たるを免れない。戦前日本の知識人は日本的なものとヨーロッパ的なものとの《あいだ》でいつもダブルバインド(相反傾向、板ばさみ)されていざるを得なかった。いかなる時にでも両義的だった。作品「それから」の主人公である代助の態度のように。一方で<身体>は一つにまとまって見えてはいる。他方で精神はばらばらの多様な諸力が絶え間ない権力闘争を演じ続けせめぎ合う一つの<共同体>である。そしてそこには中心がない。「故郷(こきょう)の土を踏む珍らしさ」というフレーズには健三=漱石の鮮烈な驚きがある。もし「故郷(こきょう)」へ回帰してきたときにこの「驚き」がなかったとしたら漱石の留学経験=場所移動はただ単にどこにでもある無意味な留学に終わっていただろう。ただ単にイギリスで英文学を学んできたという履歴書に過ぎなくなっていただろう。そうではないこの種の「驚き」の特徴について。

「私たちは、後を追って継起する規則的なものに馴れきってしまったので、《そこにある不思議なものを不思議がらないのである》」(ニーチェ「権力への意志・下巻・六二〇・P.153」ちくま学芸文庫)

また作品「それから」の主人公である代助の態度というのは、周囲の目から見て「策士の態度」に映って見える身振り仕ぐさである。

「彼は元来が何方(どっち)付かずの男であった。誰の命令も文字通りに拝承した事のない代りには、誰の意見にも露(むき)に抵抗した試(ためし)がなかった。解釈のしようでは、策士の態度とも取れ、優柔の生れ付とも思われる遣口(やりくち)であった。彼自身さえ、この二つの非難の何(いず)れかを聞いた時、そうかも知れないと、腹の中で首を捩(ひね)らぬ訳には行かなかった。然しその原因の大部分は策略でもなく、優柔でもなく、寧ろ彼に融通の利く両(ふた)つの眼が付いていて、双方を一時に見る便宜を有していたからであった。かれはこの能力の為(ため)に、今日まで一図に物に向って突進する勇気を挫(くじ)かれた。即(つ)かず離れず現状に立ち竦(すく)んでいる事が屢(しばしば)あった。この現状維持の外観が、思慮の欠乏から生ずるのではなくて、却(かえ)って明白な判断に本(もとづ)いて起ると云う事実は、彼が犯すべからざる敢為(かんい)の気象を以て、彼の信ずる所を断行した時に、彼自身にも始めて解ったのである」(夏目漱石「それから・P.251~252」新潮文庫)

漱石作品は中期以降、この種の問いにがんじがらめにされている。「彼の信ずる所を断行した時に、彼自身にも始めて解った」。「信ずる所」というのは超越論的=存在論的態度である。「始めて解った」ことというのは社会規範=倫理的問題である。ただ、「現状維持の外観が、思慮の欠乏から生ずるのではなくて、却(かえ)って明白な判断に本(もとづ)いて起る」というのは確かに「事実」だろう。代助が狂気の領域に入ったのは恐らくそのときである。明白な事実を突きつけられた時、人間は「狂う」ようにできている。それは狂気という事態が自殺ではなく自殺回避への逃走線として見出された瞬間に生じる。

「世の人々はハムレットの言うことが《わかっている》のだろうか?人を気違いにするのは、疑いではなくて、《確かさ》なのだ」(ニーチェ「この人を見よ」『この人を見よ/自伝集・P.58』ちまく学芸文庫)

そしてすべての現代人はシュークスピア演劇を見るに際して、いま上げたニーチェの言葉についてどこかで気づいているはずである。わかっているはずなのだ。というのも、ハムレットが「狂った」からといって観客の誰一人として救急車を呼ばないのはなぜなのかを考えれば容易にわかることだからだ。観客はわかっているにもかかわらずわからないふりをして改めてシェークスピア演劇の観客を演じるのである。「それから」の代助もまた事実の前に立たざるを得なくなって始めて社会規範=倫理というものの途方もない暴力性について知らされるのだ。

「彼は永らく手に持っていた賽(さい)を思い切って投げた人の決心を以(もつ)て起きた。彼は自分と三千代の運命に対して、昨日から一種の責任を帯びねば済まぬ身になったと自覚した。しかもそれは自ら進んで求めた責任に違いなかった。従って、それを自分の脊(せ)に負うて、苦しいとは思えなかった。その重みに押されるがため、却(かえ)って自然と足が前に出る様な気がした。彼は自ら切り開いたこの運命の断片を頭に乗せて、父と決戦すべき準備を整えた。父の後には兄がいた、嫂(あによめ)がいた。これ等と戦った後には平岡がいた。これ等を切り抜けても大きな社会があった。個人の自由と情実を毫(ごう)も斟酌(しんしゃく)してくれない器械のような社会があった。代助にはこの社会が今全然暗黒に見えた」(夏目漱石「それから・P.247」新潮文庫)

明治近代の資本主義社会はむき出しの暴力を持ってくる。それは「個人の自由と情実を毫(ごう)も斟酌(しんしゃく)してくれない器械のような社会」である。マルクスのいう生成期の資本主義である。

「一方の極に労働条件が資本として現われ、他方の極に自分の労働力のほかには売るものがないという人間が現われるということだけでは、まだ十分ではない。このような人間が自発的に自分を売らざるをえないようにすることだけでも、まだ十分ではない。資本主義的生産が進むにつれて、教育や伝統や慣習によってこの生産様式の諸要求を自明な自然法則として認める労働者階級が発展してくる。完成した資本主義的生産様式の組織はいっさいの抵抗をくじき、相対的過剰人口の不断の生産は労働の需要供給の法則を、したがってまた労賃を、資本の増殖欲求に適合する軌道内に保ち、経済的諸関係の無言の強制は労働者にたいする資本家の支配を確定する。経済外的な直接的な強力も相変わらず用いられはするが、しかし例外的でしかない。事態が普通に進行するかぎり、労働者は『生産の自然法則』に任されたままでよい。すなわち、生産条件そのものから生じてそれによって保証され永久化されているところの資本への労働者の従属に任されたままでよい。資本主義的生産の歴史的生成期にはそうではなかった。興起しつつあるブルジョアジーは、労賃を『調節する』ために、すなわち利殖に好都合な枠のなかに労賃を押しこんでおくために、労働日を延長して労働者自身を正常な従属度に維持するために、国家権力を必要とし、利用する」(マルクス「資本論・第一部・第七篇・第二十四章・P.397」国民文庫)

ところが今や目に見えていた暴力行為は鳴りをひそめている。そしてたぶん今後も目に見える暴力として出現することはない。なぜなら、グローバル化にともなうネット社会の出現によって「殴る蹴る監禁する」という暴力は不必要になったからだ。国家もまた暴力で社会を操作する必要性を剥奪される。かつて目に見えていたしそれに対抗することも比較的容易だった権力というものに取って代わって、資本主義の自己目的としての脱コード化と公理系化とが一つの同じ動作であるかぎり、いまや権力は目に見えないものへと生成し、世界中に偏在するようになったからである。と同時に国家がその一部分に過ぎないようなグローバル社会が再編された。とはいえ、アルトーがゴッホの「健康」について語っているのはその少し前、まだ精神病院の医師が患者にとって「神」の位置を取ることができていた安穏たる時期のことだ。

「そしてガッシュ医師とは、彼からその健康な観念すべてを奪い取るために哀れなヴァン・ゴッホの前に置かれた、あのグロテスクな看守、蒼穹の上着と激しく凍りついた下着を纏った、血膿をたらして化膿したあの地獄の番犬ケルベロスであったのだ」(アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.137』河出文庫)

精神病院の医師が社会の「番犬ケルベロス」として君臨できていた時期。フーコーのいう監禁型=規律社会。それは二〇二〇年の人間から見れば遥かに牧歌的光景でしかなかったのである。もっとも、当時の監禁型=規律社会の中に収容された経験のあるアルトーはその意味で十分にゴッホの理解者だったといえる。
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なお、「感染=パンデミック」についてさらに。米中高官による罵り合いがいかに馬鹿馬鹿しいか。新型とはいえ「ウイルス-病原体」は数千年あるいは数万年前から地球上のどこかに存在していた。新発見されたに過ぎない。しかしなぜそれはわざわざ大都会の真ん中で出現したのか。それを可能にしたのは古代ギリシアや古代ローマに見られた都市構造ではなく現在の新自由主義的社会構造である。自然界の循環には生態系のバランスを維持する機能があらかじめ備わっている。それでも時として生態系のバランスは狂うのだが、にもかかわらず狂いを回復させるに十分な機能がある。しかし米中高官はどちらも「感染=パンデミック」発生の「起源」を互いになすりつけ合っている。東西冷戦時代すでに「起源への問い」という身振り仕ぐさは無効を宣告されたにもかかわらず。なぜ「起源への問い」が馬鹿馬鹿しいか。冷戦時代を知らない人々が増えていくなかで触れておかねばならない。フーコーから。

「人間は、十九世紀のはじめに、この歴史性との相関関係において、あのすべての物、すなわち、自身に巻きつき、みずからの並列をとおし、しかもその固有の諸法則にしたがって、自身の起源の近づきがたい同一性を指示する、あのすべての物との相関関係において、成立したのであった。とはいえ、人間がみずからの起源と関係をもつのは、物の場合とおなじような様態にもとづいてではない。つまり、実際のところ、人間は、すでにつくられている歴史性と結びついてはじめて姿を見せたのにほかならない。ーーー人間が労働する存在としてみずからをとらえなおそうとこころみるとき、人間が労働のもっとも初歩的な諸形態をあきらかにするのは、すでに制度化され、社会によってすでに制御されている、人間の時間と空間との内部においてにすぎない。ーーー人間がみずからにとって起源としての価値をもつものを思考することができるのは、つねにすでにはじめられたものを下地としてなのである。したがって起源とは、人間にとって、はじまりーーーそこから出発してその後の獲得物がつみかさねられていくような、いわゆる歴史の夜明けではまったくない。起源とは、それよりずっとさきに、人間一般が、あるいはどのようなものであれ任意の人間が、労働や生命や言語というすでにはじめられているものとみずからを連結させる、その仕方にほかならない」(フーコー「言葉と物・P.350~351」新潮社)

フーコーのいう「連結させる、その仕方」。逆にいえば、連結以前、両者のあいだに因果関係は《ない》のだ。むしろ連結されるやいなやそこに唐突に因果関係が出現する。この因果関係の出現によって同時に起源〔連結させる、その仕方〕は覆い隠されてしまうのである。覆い隠されることで今度はありもしない何か起源=原因のようなものが「そこに」あるにちがいないという形而上学的錯覚を生じさせる。第一に因果性の迷妄について。

「《因果性による解釈は一つの迷妄である》ーーー『事物』とは、概念や心象によって総合的に結合されたその諸結果の総計のことである。じじつ、科学は、因果性という概念からその内容を抜き去り、この概念を比喩のための定式として残存せしめたが、この定式においては、いずれの側を原因ないしは結果とみなすかは、根本においてどうでもよいこととなってしまった。二つの複合状態(力の位置関係)においては力の量は等しさを保っているということが、主張されている。《生起を算定しうるのは》、それが或る法則に従っているとか、ないしは或る必然性に服しているとか、ないしは或る因果の法則を私たちがあらゆる事物のうちへと投影するとかということのためではないーーー、それは《『同一の場合』が回帰する》からである。カントが思いこんでいるように、《因果性の感覚》なるものはない。驚いて、不安をおぼえ、たよりにできる何か既知のものをもとめるのであるーーー新しいもののうちに何か古いものが指摘されるやいなや、私たちの心は鎮(しず)まる。いわゆる因果性の本能は、《なれていないものに対する恐怖》にすぎず、そのもののうちに何か《既知のもの》を発見しようとの試みにすぎない、ーーー原因の探求ではなく、既知のものの探求である」(ニーチェ「権力への意志・第三書・五五一・P.84」ちくま学芸文庫)

第二に言語が諸事物の流動性を覆い隠すということについて。

「今日では言語学者としてのニーチェが証明するように、この批判の可能性と必要性は、言語活動が存在するということに結びついている。また人間たちによって語られた無数のことばは、それが合理的なものであろうと無分別なものであろうと、説明的なものであろうと、詩的なものであろうと、その中で一つの意味が形成され、それがわれわれの上に覆いかぶさり、われわれを盲目にする」(フーコー「臨床医学の誕生・P.18」みすず書房)

フーコーが参照したであろう箇所。

「《言葉がわれわれの妨害になる!》ーーー大昔の人々がある言葉を提出する場合はいつでも、彼らはある発見をしたと信じていた。実際はどんなに違っていたことだろう!ーーー彼らはある問題に触れていた。しかしそれを《解決》してしまったと思い違いすることによって、解決の障碍物をつくり出した。ーーー現在われわれはどんな認識においても、石のように硬い不滅の言葉につまずかざるをえない。そしてその際言葉を破るよりもむしろ脚を折るであろう」(ニーチェ「曙光・四七・P.64」ちくま学芸文庫)

さらに。

「意欲とは私には何よりもまず或る《複合的なもの》で、ただ言葉としてのみ単純であるように思われる」(ニーチェ「善悪の彼岸・十九・P.35」岩波文庫)

また、意識にのぼってきた言語は無限に多様な権力意志による闘争、角逐、せめぎ合いの最後の部分に過ぎない。だからニーチェはそれらをひっくるめて「多数の霊魂の共同体」というのである。

「意欲する者は、命令者としての自己の愉悦感情に加えて、遂行し効果を挙げる道具の愉悦感情、隷属的な『下層意志』または『下層霊魂』ーーーわれわれの肉体は実に多数の霊魂の共同体にすぎないーーーの愉悦感情を享(たの)しむ。《その成果は私だ》。ここで起こることはあらゆるよく構成された幸福な共同体に起こることで、すなわち支配階級が共同体の諸成果と同一視されるわけである」(ニーチェ「善悪の彼岸・十九・P.37」岩波文庫)

ちなみに二〇二〇年の日本の場合、なまじ先進国の仲間入りを果たしているだけに余計にこの傾向をまともに受けやすい。個々の国家がその一部分に過ぎないようなグローバル社会が成立し世界が「世界共同体」へと再編されてしまっている以上、たとえばどこかの国が単独で「改憲」の動きを見せたとしても、見せるやいなやその動きはただちにデジタル変換され、データバンク化され、絶え間なくマーケティングされ、情報商品化され、世界中の諸国家中枢へ販売され、貨幣交換され、剰余価値を実現して資本へ回帰してくる。その上で情報の内容は何もかもが丸裸になるまで分析され、資本主義の様々な部門で生じてくる利害関係について注意深く計測され先取られた後で、おもむろに世界というテーブルの上で改めて議論されることになる。だから、どこかの国が単独で「改憲」の動きを見せた場合、日本もこの席に着かなければならないし、グローバル社会の一部分を構成するとともに資本主義の一部分に過ぎない構成要素として、国家として適切かつ責任ある慎重で妥当な発言が求められることになる。しかしグローバル社会の実現によってなぜ「改憲」が重要課題とされるに至ったのか。クラウゼヴィッツのいう「戦争は、異なった手段による政治のたんなる継続である」という公式が戦後になって転倒されたからである。

「戦争機械の自立化、オートメーション化が現実的な効果を発揮し始めたのは第二次大戦以後のことである。戦争機械は、それに作用する新しい対立の結果、もはや戦争を唯一の対象とせず、平和、政治、世界秩序をもにない、これらを対象とするにいたり、要するに目的であったものも一つの対象とするにいたる。ここにおいてクラウゼヴィッツの公式は転倒される。政治はただ戦争を継続させるものとなり、《平和が無限の物質的プロセスを全面戦争から技術的に解放するのである》。戦争はもはや戦争機械の具体化ではなく、《具体化された戦争となるのは戦争機械そのものである》。この意味でもはやファシズムは不要となった。ファシストたちは前兆としての子供でしかなかったのであり、生き残りのための絶対的な平和は全面戦争が達成できなかったものを完成させた」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・下・P.233~234」河出文庫)

と同時に次のことが明確化された。

「国家はもはや戦争機械を所有するのではなく、国家自身が戦争機械の一部分にすぎぬような戦争機械を再構成した」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・下・P.234」河出文庫)

事情がすでにそうなってしまっているかぎり、たった一国の憲法改正議論であっても、すべての諸国家は常時接続状態であるがゆえ、ますます世界は共同して一挙に議論の中へ滑り込んでくるのである。
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さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

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