白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

延長される民主主義30

2020年04月17日 | 日記・エッセイ・コラム
絵画制作にとって最低限必要なもの以外、ゴッホは何ら特別なものを用いたことはない。画布、絵筆、絵具、画架。

「ヴァン・ゴッホを見たなら、モチーフより乗り越え難い何かがあるということをもう信じることはできない」(アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.154』河出文庫)

ゴッホには絵を描くにあたってモチーフを持ったが、そのモチーフもまた特別なものではない。主題という意味ではあるのだが、その主題は彼の自然であり、彼の自然は彼の日常生活の中の、すなわちどこにでもあった風景ばかりだ。ゴッホの行為は二つしかない。第一にゴッホには「こう見える」ということ。ニーチェのいう「別様の感じ方」の実践である。第二にゴッホは「こう描きたい」という《欲望》の実践。たった二つの要素。この二つを合わせるとフーコーのいう或る「真実」が出現する。

「無媒介な確信と化した彼らの真実」(フーコー「狂気の歴史・P.375」新潮社)

何度もいうようにそれこそ社会の側が見たくなかったものである。だから社会はゴッホを葬り去ることにしたのだとアルトーは主張することを止めない。止めないでいるうちにアルトーはまたしても精神病院送りにされてしまった。この分割。社会的分割。ところが分割にばかり集中してしまうとゴッホにそのような絵画を描かせたものが何であったかが忘れ去られてしまう。最も身近なゴッホの動き。それはゴッホの《手》である。重要なのは身体という運動なのだ。ゴッホの身体。しかしそれはただ「それ単体」では動くことはできない。種々の事情の多層的要素のせめぎ合いとしてのみ、それは動くことができる。その意味ではマルクスが正しい。

「経済的社会構成の発展を一つの自然史的過程と考える私の立場は、ほかのどの立場にもまして、個人を諸関係に責任あるものとすることはできない。というのは、彼が主観的にはどんなに諸関係を超越していようとも、社会的には個人はやはり諸関係の所産なのだからである」(マルクス「資本論・第一版序文・P.26」国民文庫)

そしてゴッホの《手》。もっとも、マルクスはゴッホよりずっと早く世界に登場した。だからゴッホについて論じる必要性はないしその必要性について論じる必要性すら必要ない。ところがゴッホの《手》は動くものだという意味では大いに関係がある。フォイエルバッハ批判の中で「彼」(フォイエルバッハ)の方法についてこう述べている。

「しかし、《彼が人間を単に『感性的対象』としてしか捉えず、『感性的活動』としては捉えない》」(マルクス=エンゲルス「ドイツ・イデオロギー・P.49」岩波文庫)

ゴッホの《手》はただ単なる感性的「対象」ではない。感性的「活動」でありなおかつそうである限りでゴッホの絵画は出現したのである。

「紫がかった枠のついた藁の肘掛け椅子の上に置かれた火のついた燭台という単なるモチーフは、ヴァン・ゴッホの手にかかると、一連のギリシア悲劇や、シリル・ターナー、ウエブスター、またはフォードの、もっともいまでは相変わらず演じられてはいないドラマの全シリーズよりも多くのことを物語る」(アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.154』河出文庫)

なるほどそうかもしれない、というより、ほぼその通りだろう。これらの中に「ギリシア悲劇」を含めるのはアルトーの自由である。だが安易に含めて語るには、ギリシア悲劇の多様性を考慮すると、いささか躊躇を覚えないわけにはいかない。後の名についてはその通りかもしれないが。

さて、この「肘掛け椅子」については前に述べた。「ゴーギャンの肘掛け椅子」として有名な作品である。アルトーは椅子の真ん中に置かれた「燭台の光」についてそれは「鳴り響く」という。しかも「優しい身体の息づかいのように」と。

「こうして燭台の光は鳴り響く、緑色の藁でできた肘掛け椅子の上の火のついた燭台の光は、眠りこけたひとりの病人のからだを前にした優しい身体の息づかいのように鳴り響く」(アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.128』河出文庫)

なにやらジュネのよだれを思わせないでもない捉え方ではある。ジュネにとって「よだれ」と「勃起」とは別物ではないのだから。それはどうでもいいのだが、ただし「充分開いた耳をもつことができたとき」に限りという条件には注意が必要だろう。「ゴーギャンの肘掛け椅子」から音楽を捉えるためにはそのための「耳」が必要だという。ここでも問題とされているのは身体でありその「活動」である。だとしてもなお、「原因と結果の取り違い」について訂正しておかねばならない。「充分開いた耳をもつことができたとき」に音楽が降りそそぐ、のではなく、降りそそぐ音楽を聴きとることができたときに始めて人々は「充分開いた耳をもつことができた」と言えるのである。
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なお、「感染=パンデミック」についてさらに。国家化された医学=医学体系化した国家権力という問題。それは細かく分化し個々人の身体における「個性」を隅々まで捉え記録し囲い込むところまで加速したという点まで述べた。「病的なもの」はさらに二つの意味に分かれる。一つは一般的な単純な意味で。

「『《病的なもの》』は、生が死において、自己の最も分化した形を発見するやりかたについての、精緻な知覚を可能にする。病的なものとは、生の《稀薄になった》形である。死の空虚の中で、生存が衰弱し、疲弊するという意味でそうである」(フーコー「臨床医学の誕生・P.285」みすず書房)

もう一つの点はたいへん重要な部分に触れている。

「またもう一つべつの意味でもそうである。つまり、生存はそこで奇妙な容積をとることになり、その容積は、与えられた慣習、習慣、必然性などの一切に還元できないものである。それは、その絶対的稀少性が規定する《独自な》容積である。これは肺結核患者の特権である。曾ては、《らい》にかかると、集団的な大刑罰をうけたものだが、十九世紀の人間は肺結核になり、ものごとを急がせ、それらを裏切るこの熱病の中において、彼の伝達不能な秘密を成就する。それゆえ、肺の病は、恋の病とまさに同じ性質のものである。これらはパシオン(受難/情熱)なのである。つまり、死によって交換不能の顔を与えられる生なのである」(フーコー「臨床医学の誕生・P.285」みすず書房)

肺結核は病気としては一つでしかない。だがそれは、言い換えれば、その「絶対的希少性」において「肺結核患者の特権であ」り、奇妙にも「恋の病とまさに同じ性質のものである」。一七八九年フランス革命前後、二つの情痴事件が法廷にかけられた。問題は金銭がらみの前者ではなく、金銭に関係のない後者において明確化される。

「一七九二年、弁護士ベラールは、当時五二歳のグラという職人を控訴審で弁護しなければならなかった。職人は、不貞の現場を不意におさえて愛人を殺したので死刑を宣告されたばかりの男である。ーーー自然のもつ知恵によってもはや限定を受けない、この後者の恋愛は自分の極端さにすっかり没頭している。それは、いわば空虚な心の凶暴さ、対象をもたぬ情熱の絶対的な作用である。この恋愛の愛着感は、愛する対象の真実とは関係がないのであって、それほどまでに、この恋愛はひたすら自分の想像力だけの動きに激しく夢中になっている。『主としてこの恋愛は心のなかで生きる、心と同じく嫉妬ぶかく凶暴になって』。すっかり自己陶酔におちいっているこの凶暴さは、一種のむき出しになった真実における恋愛、と同時に、孤独な幻想にふける狂気、である。場合によると、この愛の情熱は自分の機械的(メカニック)な真実にあまりにも合致したために疎外をおこすのであって、その結果、自分の動きの惰性だけのせいで、この情熱は妄想となる。しかもこうして、荒々しい行為を情熱の荒々しさと関係させつつ、しかも荒々しい行為から純粋状態における心理学的な真実を取り出すことで、人々はその行為を盲目・幻想・狂気の世界に位置づけるのであり、その世界では、この荒々しい行為のもつ犯罪上の現実性は巧みに度外視される。口頭弁論のなかでベラールがはじめて明るみに出したことは、あらゆる人間的行為にはその真実性と現実性のあいだには逆比例をうち立てる関係ーーーわれわれにとって根本的な関係がある、という点であった。ある一つの行為の真実性は、その行為をかならず非現実化させることができるのであって、その真実性はその行為にたいして狂気を、その行為の内密の姿の最終的で分析不可能な形態として差し出そうとする傾向をもっている。例の老人グラの殺人行為についていうと、結局もはや、『罪のある手だけ』がおこなった空虚な行為しか残っていず、他方、『理性の欠如と抗すべからざる情熱の責句となかで』作用した『不幸な宿命』しか残っていないのであった。人間を道徳上の神話から、そこで人間の真実性はずっと把握されていたが、解放する時、人々が気がつくのは、本来の姿をとり戻したこの真実性の真実が精神錯乱それじたいにほかならないという点である」(フーコー「狂気の歴史・P.474~475」新潮社)

ただ単に「妻が浮気した」、だから「脇目もふらず殺した」、というだけでは済まされない法的追求が出現した。被告の妻が「脇目もふらず」無我夢中で他の男との性行為に打ち込んでいるという「妻の真実」はほとんど無視されている。それは被告の妻が殺した側ではなく殺された側だから、というだけではない。殺していない限りで、妻の浮気は「狂気」と見なされていないからである。するとなぜかはわからないが、世間も司法も「妻に浮気されてしまった側」の男に夢中になる。フーコーは「情熱」がもたらす逆比例関係について言及している。被告の恋愛感情(愛の情熱)が強ければ強いほど「真実性」は高まる。そして殺害という現実的行為は覆い隠される。だが殺害という現実的行為に至るほど強固な恋愛感情(愛の情熱)は、それこそ人間の「真実」なのではとベラールは主張した。そしてそれが「精神錯乱」と呼ばれるのであれば、精神錯乱にまで立ち至った「疎外」こそ最も強固な恋愛感情(愛の情熱)の「真実」ではないのかと。なるほど言われてみればそうかもしれない。実際、二〇二〇年の今なお争われていることでもある。そこでフーコーが問題視するのは、被告の行為が狂気かどうか、ではなく、人間の中にある狂気が「客体化された」という国家-医学的視線の変化である。

「以後、《人間の心理的な真実》によって意味される事柄は、かつて長らく非理性に託されてきた機能と意味をふたたびおびる。そして人間は自分自身の奥底に、自分の孤独のはてに、幸福も真実らしさも道徳もけっして到達しない地点に、例の古くからの力を、古典主義時代によって悪魔ばらいされ、社会からもっとも隔たった辺境の地に追放された、例の力を発見するのである。非理性は、人間のなかにある最も主観的で最も内面的で最も奥深いもののなかで、無理やりに客体化されるのである。かつて長らく有罪の明示であった非理性は、今や無罪で秘密なものになる。そこでは人間が自分の真実を失う錯誤の諸形態を賞揚してきた非理性は、外見を越えたところ、現実そのものを越えたところで、最も純粋な真実となる。人間の心のなかで捕捉され、そのなかに追いやられる狂気は、人間のなかにある、もともと真実なものを表明することができる」(フーコー「狂気の歴史・P.476」新潮社)

近代の起源というのは要するに資本主義の生成期にあたっている。しかし、だからといって、ただ単純に資本主義を批判すればそれでことは片付くというほど事態は簡単でない。なるほど資本主義社会の成立は見逃しがたい大きな要素である。しかし、ともすれば資本主義だけを取り出してそれに問題のすべてを還元してしまおうとすると逆に、問題を安易な形式へ還元する形式主義におちいることになりかねない。形式主義はその主義化によって問題を解決させるどころか、かえって問題を延命させてしまう方向へ働く。資本主義はその運動そのものによって資本主義の形態を取り換えるのである。国家化された医学=医学的体系化された国家は、十九世紀いっぱいを通して、個々人の内面にまで分け入り、個々人を細分化し、情報の中央集権化を押し進めていく。狂気の中に「国家の道徳」を滑り込ませて狂気をどんどん分類することに熱中するようになる。差し当たり「良い狂気」と「悪い狂気」という分割がなされるわけだが、しかし、「悪い狂気」とはなんなのか。国家はその問いを自分自身で問おうとはしない。

「大革命に公開の席で弁護され判決の下された、最初の大規模な刑事裁判では、狂気の古い領域全体は、ほとんど日常的な経験のなかでふたたび明るみに出された。だが、この経験の規範をもってしては、狂気の古い領域は自分の重荷をもはやひき受けることはできない。しかも、十六世紀が想像上の世界の冗漫な全体性のなかで受け入れてきた事柄を、十九世紀は道徳上の知覚の諸規則にもとづいて細分化するようになる。すなわち十九世紀は、良い狂気と悪い狂気とを認知するようになる」(フーコー「狂気の歴史・P.479」新潮社)

一七八九年フランス革命という大文字の歴史が、フーコーが研究したような小文字の、しかし後々大問題となってくる国家的な「知の枠組み」の変化を覆い隠してしまうのである。この変化は今の日本の政治家に多く見られるようなただ単なる「言葉の意味の横すべり」といった見え見えでけち臭さ満開の政治的技術ではない。全ヨーロッパ世界を挙げてそれまでの認識方法が破棄され崩壊したということ。同時に全ヨーロッパ世界にまたがる新しい認識方法が再編されたということ。目に見えない断層が発生したという疑えない事実を意味している。

「新しい意識は狂気にその自由と積極的な真実をとり戻させているように見えるけれども、そのことは、狂気にたいする古くからの拘束がなくなったためだけではなく、次の二系列の積極的な過程の均衡のおかげである。つまり、一方の過程は解明、脱却、あえて言えば解放である。もう一つは、新しい保護の構造を急いで組み立てる過程であって、その構造のおかげで理性は、無媒介的な近接関係のなかで狂気をふたたび発見するまさにその時に、自ら自由になり、自らを守ることができる。これら二つの過程の総体は対立していない。しかも互いに補足しあうというよりも、それ以上のことさえ行うのであって、同じ一つの事柄でしかないのであるーーーつまり、それはある行為、《一挙に疎外をおこさせる構造のなかで狂気が認識に差し出されるようにする行為》の首尾一貫した統一性である」(フーコー「狂気の歴史・P.480」新潮社)

だから国家化された医学=医学体系的国家の出現は、目に見える監禁社会の終わりの始まりを意味し、目に見えない監禁社会の緩慢な出現と一致するのである。近代における「肺結核患者の特権」は特権化された「肺の病」という《神話》を生じさせる。事実としての結核は途方もなく悲惨なものだ。ところが結核は、この「肺の病」という言葉へ変換され、フーコーが告発した「恋の病」というアナロジー(類似、類推)的な次元へ組み込まれることで《神話化》されてしまうのである。そして十九世紀いっぱいをかけて国家主導で遂行された「病気の個性化」という作業は、個々人における《神話化》された「病」として商品化される。それは結核という感染症の事実の悲惨さにもかかわらず、むしろ悲惨であればあるほど個々人の症状においてロマンティックな次元へ移動させられ、悲惨であればあるほどますます高価格で売れる商品と化してしまう。流通するのは感染者の数字でありその商品化であり、事実としての感染症の悲惨さはどこか別のところに座を占めるという《ずれ》が、解離が、起こってくる。同時に《神話化》された感染症はその常としてロマン主義的加工を施され、一般のマスコミ視聴者はその切迫感にあふれたロマン主義ばかりを受け取り、時々刻々と切迫した様相で示されるロマン主義的マスコミ情報の虜となってしまう。視聴者は感染症に感染する前すでに、切迫感を漲らせたヒロイズム的マスコミ情報に感染するのである。だから、あちらでは商品Aが足りないとか、こちらでは商品Bが、そちらでは商品Cが、といったふうに様々な齟齬が生じてくる。だがこの齟齬は同時に次々と割り込んでくる混乱と矛盾、そして社会的分裂の中で、なぜか資本回転を、それも多国籍大手企業に限って、その資本回転だけを、加速させる動因となるのだ。

国家的道徳によって個人化された感染症は、個人の身体において現われる諸症状よりもその意味を担うものとして「客体化」される。それは「客体化」されることで、個々人における個々別々の症状とは切り離された「病という意味」だけがさらに様々な(ヒロイズム的、ロマン主義的)意味を与えられ商品化され流通し、貨幣交換を経て剰余価値を実現し、資本として回帰してくるのである。
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さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

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