アルトーはゴッホ「烏の群れ飛ぶ麦畑」について語る。またゴッホはニーチェの同時代人である。
「死の二日前に描かれたあれらのカラスたちは、ヴァン・ゴッホの他のカンヴァスと同じく、何らかの死後の栄光への扉を彼に開きはしなかったが、それらのカラスたちは、描かれた絵画に、というかむしろ描かれてはいない自然に対して、ヴァン・ゴッホによって開かれた、謎めいて不吉なある彼岸への扉を通して、ある得べきひとつの彼岸への、あり得べきひとつの恒久的実在性への秘密を開く」(アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.123』河出文庫)
ゴッホがありもしない自然を描こうとしたことなど一度もない。十六世紀末から十七世紀初頭の古典主義時代にヨーロッパ全土で急速に捏造された「自然」を否定し、それ以前すでにあった自然を描こうと欲した。ゴッホはそれを絵画という形式を通して知らず知らずのうちに行っていた。その態度を芸術への一つの意志としてみれば、「戦略《としての》ゴッホ」ということができる。ところがこの種の否定的態度をあからさまに《欲望した》のは何もゴッホ一人だけではないという点で注意が必要だろう。なるほど「烏の群れ飛ぶ麦畑」は自殺の数日前に仕上げられた作品である。十九世紀後半、ゴッホやニーチェといったビッグネームだけでなく、十六世紀近代社会の成立以来ずっと通用してきたパラダイムが雪崩を打って崩壊していくのを感じ取っていた人々は案外多い。目に見えない速度で世界が変わるときというのは似ているもので、この時期も例外なく、変化の兆しをいち早く感じ取っていた人々はいつものように知識人階級の中にいた。
「たいがいの顔はぼやけ、自由豁達(じゆうかつたつ)でなく、多種多様のことが書きしるされてはいるものの、そのいずれにも確信が欠け、崇高さが欠けている」(ホフマンスタール「帰国者の手紙」『チャンドス卿の手紙・P.188』岩波文庫)
「この四ヶ月間ずいぶん汽車に乗った。ベルリンからライン河畔へ、ブレーメンからシュレージエンへと縦横にだ。すると、いつであれ午後三時、あるいはいつでもいい、ごくありふれた光のもとでおこるのだ。線路の左右の小さな町、あるいは村、工場、風景の全体、丘、畑、林檎の木、散在する家、それらすべてが入りまじり、一つの顔をもち、内側にあってはまったく不確かで実にたちが悪いくらい非現実めいた、独特の曖昧な表情をし、ひどくうつろにーーーこの世ならぬほどうつろになる」(ホフマンスタール「帰国者の手紙」『チャンドス卿の手紙・P.207』岩波文庫)
「誓って言うが、その表情にも物腰にも言葉にもぼくは今日(こんにち)現にあるがままのドイツ人を見いだせない」(ホフマンスタール「帰国者の手紙」『チャンドス卿の手紙・P.188』岩波文庫)
一般的に「チャンドス卿の手紙」は大きく二つに分かれる。言語的融解を問題とした前半と後半に配置された「帰国者の手紙」の二つである。問題とすべきは後者「帰国者の手紙」。創作であり一九〇一年に書かれた書簡という形式が取られている。創作ゆえに主題は明確であり、世界の「曖昧性」あるいは「ぼやけて見える」さらに風景全体が「ひどくうつろにーーーこの世ならぬほどうつろになる」という変容について切迫した文章が綴られている。またそれら風景について「すべてが入りまじり、一つの顔」として急変していく点は重要だろう。十六世紀末から十七世紀初頭の古典主義時代に発生し、ニーチェの死の前後、十九世紀末まで続いたヨーロッパという確かなものは溶けてなくなる。資本主義の萌芽はなるほどオランダで発生したわけだが。
「地下茎と空中根、雑草とリゾームの他には、何一つとして美しいもの、愛にあふれたもの、政治的なものなどない。アムステルダム、まったく根をもたない都市、茎-運河をそなえたリゾーム-都市、そこでは有用性が、商業的戦争機械と関係しつつ、最大の狂気と結びついている」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・上・P.40」河出文庫)
オランダの時代は急速に消費されて終わる。ポルトガルもまたしかり。フランスも一世を風靡したが十九世紀後半以降五〇年経たずしてドイツやロシアに抜かれてしまう。それはそれとしてデカルトに触れておかねばならない。オランダ人でありながらフランス語で書かれた「方法序説」。こうある。
「『わたしは考える、ゆえにわたしは存在する〔ワレ惟(おも)ウ、故ニワレ在(あ)リ〕』というこの真理は、懐疑論者たちのどんな途方もない想定といえども揺るがしえない」(デカルト「方法序説・P.46」岩波文庫)
コギト、すなわち「わたしは考える、ゆえにわたしは存在する〔ワレ惟(おも)ウ、故ニワレ在(あ)リ〕」。ところがそれだけではわからない事態が出現してきた。デカルトはすでに世界、といっても当時の世界はヨーロッパのことなのだが、それでも旅行という形で「場所移動」を果たしながら学んだ。要するに、行く先々で、様々な土地で、デカルトの知らない世界があるということを知った。
「われわれにはきわめて突飛でこっけいに見えても、それでもほかの国々のおおぜいの人に共通に受け入れられ是認されている多くのことがあるのを見て、ただ前例と習慣だけで納得してきたことを、あまり堅く信じてはいけないと学んだ」(デカルト「方法序説・P.18」岩波文庫)
デカルトに学びの機会を与えた「場所移動」。それはデカルトがそれまで「真実」と思い込み信じて疑っていなかった諸々の諸要素のすべてを疑ってみる態度変更へと導くことになった。全面的な態度変更を迫るものであった。フッサールの言葉では次のようになる。
「生活世界があらかじめ与えられているという事態は、どうすれば固有の普遍的な主題になりうるであろうか。それは、言うまでもなく、自然的態度を《全面的に変更すること》によってのみ可能なのである。それは、われわれがもはや、いままでのように自然的に現存する人間として、あらかじめ与えられている世界の恒常的な妥当を遂行することのうちに生きるのをやめ、むしろこの妥当をたえずさし控えるといった変更である。そのようにしてのみ、われわれは、『世界それ自体の先所与性』という、変更された新たな種類の主題に到達することができる。換言すれば、世界が純粋にもっぱら《世界》として、また、われわれの意識生活において意味と存在妥当をもち、しかも、たえず新たな形態の意味と存在妥当を得てくるそのままの《姿》で主題となるのである。こうしてのみわれわれは、自然的生活においてものを企てたり所有したりするさいの基盤として妥当する世界がなんであるのか、またそれと相関的に、自然的生活とその主観性とは《究極的には》なんであるのかーーーその主観性はそこでは妥当を遂行するものとして作動しているのであるがーーーを研究することができる。自然的な世界生活は世界を妥当させているが、そのような能作をしている生活は、自然的な世界生活の態度では研究されえない。それゆえにこそ、《全面的な》態度変更が、すなわち《まったく他に類のない普遍的な判断中止》が必要となるのである」(フッサール「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学・第三部・第三十九節・P.266~267」中公文庫)
なぜ「判断中止」が要請されるに至ったのか。それまで自明とされてきた世界とその運動について全面的に検証し直してみる必要性を抑えられなくなったからである。そこでフーコーの場合、デカルトのいう「コギト」を脱構築し、新しい問いとして置き換えてみる作業に移った。コギトはコギトであると言って済ましているだけで果たして十分なのだろうか。妥当するといえるのだろうかと。
「コギトは《ある》の肯定にはつながらず、まさしく、そこで存在が問題とされる、一系列の問い全体に通じるのだ。わたしがわたしの思考しないものであるとすれば、わたしの思考がわたしでないものであるとすれば、思考しわたしの思考であるわたしとは、いったい何ものでなければならぬのか?」(フーコー「言葉と物・P.345」新潮社)
ここで問われているのは「他者」という問いである。「わたしでありながらわたしでなくわたしの思考としてわたしである何か」。それも自分と自分自身は一致しているかどうか、そもそも一致するものなのかどうか、古典主義時代からだんだん生じてきただけでなく少なくとも十九世紀においては明確に人間は自分と自分自身とに引き裂かれた存在として一致しているなどと、一体どこの誰にわかるのかという問いとともに出現した「他者」という問いなのだ。さらにまた、今ここで「自分《と》自分自身」というふうに分割して述べた理由は極めて単純である。というのは、「他者」は地理的に遠く離れた存在者のことではないからである。フーコーは慎重に、差し当たり「思考されぬもの」としている。
「思考されぬものは(それにあたえられる名がどのようなものであれ)、人間のなかに、縮まった自然として、あるいはそこに層をなす歴史として、宿るのではない。それこそ、人間との関係においては<他者>なのである。人間から生れたのでも人間から生まれたのでもなく、わきに、同時に、同一な新しさ、どうにもならぬ二重的存在として生れた、兄弟で双子の<他者>である」(フーコー「言葉と物・P.347」新潮社)
フーコーが「思考されぬもの/他者」について述べているもの。哲学思想の用語を用いれば次のように整理することができる。
「人間の<他者>であり影であるそれは、人間から相補的形態とさかさまの名を受けとっていたのである。つまり、ヘーゲルの現象学では、《対自》にたいする《即自》であり、ショーペンハウエルにとっては、《無意識なもの》であり、マルクスにとっては、疎外された人間であり、フッサールの諸分析では、潜在的なもの、非顕在的なもの、沈殿させられたもの、非充実態であった。ともかく、それこそ、人間が真実そうであるところのものの濁った投影として、反省的知に呈示されるが、人間がそこから出発しておのれ自身を結集し、おのれの真実までも想起しなければならぬ、あらかじめ決められた基底の役割を演じる、汲みつくしえぬ裏面にほかならない。だからこの分身は、近くにあっても無縁のものであって、思考の役割、その固有のイニシアティヴは、それを思考自身にできるだけ近づけることであろう。近代のすべての思考は、思考されぬものを思考せねばならぬという法則によってつらぬかれているのであるーーーすなわち、<対自>の形態のなかで<即自>の諸内容を反省し、人間をその固有の本質と和解させつつ疎外から救いだし、諸経験に直接的で武装解除された明証性という根底をあたえる地平を明白にし、<無意識的なもの>の帳をあげ、その沈黙のなかに吸収されるか、あるいはその際限のないつぶやきに耳を傾けねばならぬという法則によって」(フーコー「言葉と物・P.347」新潮社)
なかでも理解しやすいのはマルクスの「疎外されたもの」だろう。今なおますます増大する日々の労働においてほぼすべての諸国民がその構成部分へ組み込まれているからである。しかしそれは余りにも身近過ぎるためほとんど目に見えないほどである。だから距離を置かねば見えてこない。手に入りやすいもので参照に値するのはマルクス「経済学・哲学草稿・P.84〜106」(岩波文庫)。とはいえ当然のことながらたった一読しただけで理解できるようなものではない。なので比較的よくまとめられた解説を引用しておきたい。
「(1)労働生産物からの労働者の疎外。労働者は労働することによって労働生産物を生みだすが、これは彼自身の労働の対象化である。しかし、資本主義経済の中にあっては、この労働の対象化は労働者自身のものではなく、資本家階級のものである。そしてこの生産物を資本家が商品として売り捌くことによって利益を得ており、資本家の利益は本質的には労働者の不利益である以上、この労働の対象化は、労働者にとってはよそよそしく対立する敵対物として現われる。彼は労働すればするほどその労働の対象化から疎外され、みずからを安価な商品となし、その結果ますます貧窮化してゆく。『労働者は、彼が富をより多く生産すればするほど、それだけますます彼はより安価な商品となる。事物世界の《価値増大》にぴったり比例して人間世界の《価値低下》がひどくなる』。
(2)生産活動そのものからの労働者の疎外。労働の生産物が対象化であり疎外であるとすれば、生産そのものもまた活動の疎外または疎外の活動である。資本主義社会において労働が労働者にとって疎外としてしか現われ得ないのは、第一にその労働が労働者にとって外的であること、つまり労働が労働者の本質の現実化ではなく、生きるためにやむを得ず働かねばならぬという意味における外的強制だからである。労働者は労働において不幸を感じ、労働からの脱出を幸福と感ずる。それゆえ、レジャーに人々は資本主義的・隷属的労働の脱出口を求めて殺到するのであるが、そのレジャーも一つのレジャー文化として資本主義的体制の一環に組み込まれているかぎり、それ自身また疎外でしかない。第二に、労働者にとって労働が疎外でしかないというのは、労働が労働者に属しておらず、他人のものだということ、つまり労働において彼が従属するのは自己自身にではなく他人にであるということに由来する。労働者の活動は他者のものであり、それは労働者自身の喪失である。
(3)類的存在からの人間の疎外。自由な意識的活動、自由な対象化活動が人間の類的性格である。だが『疎外された労働は人間の類的存在を、つまり自然をも人間の精神的な類的能力をも、彼にとって《疎遠な》本質とし、彼の《個人的生存》の《手段》としてしまう。疎外された労働は人間から彼自身の身体を、同様に彼の外にある自然を、また彼の精神的本質を、要するに彼の《人間的》本質を疎外する』。
(4)人間関係からの人間の疎外。人間の類的存在が人間から疎外されているということは、ある人間が他の人間から疎外されているということである。疎外された労働は、人間相互間に支配=被支配の関係があるということに根源的には由来している。その人間関係はよそよそしく敵対的たらざるを得ない。『所有階級とプロレタリア階級とは同一の人間的疎外をあらわしている。第一の階級はこういう自己疎外の中にあって幸福だと感じており、疎外のうちに人間的存在の仮象を所有している。第二の階級は疎外のうちにあって自分が否認されていると感じ、疎外のうちに自己の無力と非人間的な存在の現実性を認める』」(山崎正一/市川浩編「現代哲学事典・P.406〜408」講談社現代新書)
以上、岩波文庫版から引用された部分を次に示しておこう。
「労働者は商品をより多くつくればつくるほど、それだけますますかれはより安価な商品となる。事物世界の《価値増大》にぴったり比例して、人間世界の《価値低下》がひどくなる」(マルクス「経済学・哲学草稿・P.86」岩波文庫)
「疎外された労働は、《人間の類的存在》を、すなわち自然をも人間の精神的な類的能力をも、彼にとって《疎遠な》本質とし、彼の《個人的生存》の《手段》としてしまう。疎外された労働は、人間から彼自身の身体を、同様に彼の外にある自然を、また彼の精神的本質を、要するに彼の《人間的》本質を疎外する」(マルクス「経済学・哲学草稿・P.97~98」岩波文庫)
また「所有階級とプロレタリア階級」とあるが、その関係の中で重要な部分は「資本論」を参照したほうが理解が速い。
「労働者の側から見れば、彼の労働力の生産的発揮は、それが売られて生産手段と結合される瞬間からはじめて可能になる。つまり、労働力は、売られる前には、生産手段から、それを発揮するための対象的諸条件から、分離されているのである。このような分離状態にあっては、労働力は、直接にその所持者のための使用価値の生産のためにも使えないし、またその所持者が生きて行くために売らなければならない諸商品の生産のためにも使えない。ところが、労働力が売られることによって生産手段と結合されるやいなや、労働力も、生産手段とまったく同じに、その買い手の生産資本の一つの成分になるのである。
それゆえ、G(貨幣額)ーA(労働力)という行為では、貨幣所持者と労働力所持者とは、互いにただ買い手と売り手として関係し、互いに貨幣所持者と商品所持者として相対するのであり、したがってこの面から見れば互いに単なる貨幣関係にあるだけなのであるが、ーーーそれにもかかわらず、買い手のほうは、はじめから同時に生産手段の所持者として立ち現われ、その生産手段は、労働力がその所持者によって生産的に支出されるための対象的諸条件をなしているのである。言い換えれば、この生産手段は労働力の所持者にたいして他人の所有物として現われるのである。他方、労働の売り手はその買い手にたいして他人の労働力として相対するのであって、この労働力は、買い手の資本が現実に生産資本として働くために買い手の支配下にはいらなければならないのであり、彼の資本に合体されなければならないのである。だから、資本家と賃金労働者との階級関係は、両者がGーA(労働者から見ればAーG)という行為で相対して現われる瞬間に、すでに存在しているのであり、すでに前提されているのである。それは、売買であり、貨幣関係であるが、しかし、資本家としての買い手と賃金労働者としての売り手とが前提されている売買なのである。そして、この関係は、労働力の実現のための諸条件ーーー生活手段と生産手段ーーーが他人の所有物として労働力の所持者から分離されているということといっしょに、与えられているのである。
このような分離がどのようにして生ずるかは、ここでの問題ではない。GーAが行われるとき、それはすでに存在している。ここでわれわれが関心をもつのは次のことである。GーAが貨幣資本の一機能として現われるにしても、それは、けっして、ただ単に、貨幣がここではある有用効果をもつ人間活動すなわちある役だちにたいする支払手段として現われるからではない。つまり、けっして支払手段としての貨幣の機能によるのではない。貨幣をこの形態で支出することができるのは、だた、労働力がその生産手段(労働力そのものの生産手段としての生活手段をも含めて)から分離された状態にあるからである。そして、この分離状態は、ただ、労働力が生産手段の所持者に売られることによってのみ、したがってまた、けっして労働力それ自身の価格の再生産に必要な労働量と同じ限度内にとどまらない労働力の流動化もこの買い手に属するということによってのみ、解消されるのだからである。資本関係が生産過程で現われてくるのは、ただ、この関係がそれ自体として流通行為のうちに、買い手と売り手とが相対するときの両者の経済的根本条件の相違のうちに、彼らの階級関係のうちに、存在するからにほかならないのである。貨幣の本性とともにこの関係が与えられているのではない。むしろ、この関係の存在こそが、単なる貨幣機能を資本機能に転化させることができるのである」(マルクス「資本論・第二部・第一篇・第一章・P.64~66」国民文庫)
さて、アルトーによるゴッホだが、「烏の群れ飛ぶ麦畑」で出現するカラスの群れはゴッホにとって必要不可欠だった。ゴッホに限らず、どんな芸術家も必要不可欠なものは必要なぶんだけ作品に定着させるが、他方、無駄に思えるものはいっさい取り込まないように。
「下の方で大地は、《吉兆》をしめすカラスたちの、恐らくただヴァン・ゴッホにとってだけ吉兆であり、その上いまからその彼にはもう触れることはないだろうある悪の豪奢な兆しであるカラスたちの翼の下で、いったい何を嘆いているのか?というものそのときまで、誰ひとり、彼のように大地を、酒と血に濡れてよじれた汚い布切れに変えたものはいなかったからである」アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.124』河出文庫)
十六世紀から十九世紀にわたる長いあいだ静的なものとして錯覚されてきた不自然な自然について、ゴッホは否定者として死刑執行人として、さらに欲望する諸機械として自然を創造するのである。
ーーーーー
さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。
「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)
ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。
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「死の二日前に描かれたあれらのカラスたちは、ヴァン・ゴッホの他のカンヴァスと同じく、何らかの死後の栄光への扉を彼に開きはしなかったが、それらのカラスたちは、描かれた絵画に、というかむしろ描かれてはいない自然に対して、ヴァン・ゴッホによって開かれた、謎めいて不吉なある彼岸への扉を通して、ある得べきひとつの彼岸への、あり得べきひとつの恒久的実在性への秘密を開く」(アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.123』河出文庫)
ゴッホがありもしない自然を描こうとしたことなど一度もない。十六世紀末から十七世紀初頭の古典主義時代にヨーロッパ全土で急速に捏造された「自然」を否定し、それ以前すでにあった自然を描こうと欲した。ゴッホはそれを絵画という形式を通して知らず知らずのうちに行っていた。その態度を芸術への一つの意志としてみれば、「戦略《としての》ゴッホ」ということができる。ところがこの種の否定的態度をあからさまに《欲望した》のは何もゴッホ一人だけではないという点で注意が必要だろう。なるほど「烏の群れ飛ぶ麦畑」は自殺の数日前に仕上げられた作品である。十九世紀後半、ゴッホやニーチェといったビッグネームだけでなく、十六世紀近代社会の成立以来ずっと通用してきたパラダイムが雪崩を打って崩壊していくのを感じ取っていた人々は案外多い。目に見えない速度で世界が変わるときというのは似ているもので、この時期も例外なく、変化の兆しをいち早く感じ取っていた人々はいつものように知識人階級の中にいた。
「たいがいの顔はぼやけ、自由豁達(じゆうかつたつ)でなく、多種多様のことが書きしるされてはいるものの、そのいずれにも確信が欠け、崇高さが欠けている」(ホフマンスタール「帰国者の手紙」『チャンドス卿の手紙・P.188』岩波文庫)
「この四ヶ月間ずいぶん汽車に乗った。ベルリンからライン河畔へ、ブレーメンからシュレージエンへと縦横にだ。すると、いつであれ午後三時、あるいはいつでもいい、ごくありふれた光のもとでおこるのだ。線路の左右の小さな町、あるいは村、工場、風景の全体、丘、畑、林檎の木、散在する家、それらすべてが入りまじり、一つの顔をもち、内側にあってはまったく不確かで実にたちが悪いくらい非現実めいた、独特の曖昧な表情をし、ひどくうつろにーーーこの世ならぬほどうつろになる」(ホフマンスタール「帰国者の手紙」『チャンドス卿の手紙・P.207』岩波文庫)
「誓って言うが、その表情にも物腰にも言葉にもぼくは今日(こんにち)現にあるがままのドイツ人を見いだせない」(ホフマンスタール「帰国者の手紙」『チャンドス卿の手紙・P.188』岩波文庫)
一般的に「チャンドス卿の手紙」は大きく二つに分かれる。言語的融解を問題とした前半と後半に配置された「帰国者の手紙」の二つである。問題とすべきは後者「帰国者の手紙」。創作であり一九〇一年に書かれた書簡という形式が取られている。創作ゆえに主題は明確であり、世界の「曖昧性」あるいは「ぼやけて見える」さらに風景全体が「ひどくうつろにーーーこの世ならぬほどうつろになる」という変容について切迫した文章が綴られている。またそれら風景について「すべてが入りまじり、一つの顔」として急変していく点は重要だろう。十六世紀末から十七世紀初頭の古典主義時代に発生し、ニーチェの死の前後、十九世紀末まで続いたヨーロッパという確かなものは溶けてなくなる。資本主義の萌芽はなるほどオランダで発生したわけだが。
「地下茎と空中根、雑草とリゾームの他には、何一つとして美しいもの、愛にあふれたもの、政治的なものなどない。アムステルダム、まったく根をもたない都市、茎-運河をそなえたリゾーム-都市、そこでは有用性が、商業的戦争機械と関係しつつ、最大の狂気と結びついている」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・上・P.40」河出文庫)
オランダの時代は急速に消費されて終わる。ポルトガルもまたしかり。フランスも一世を風靡したが十九世紀後半以降五〇年経たずしてドイツやロシアに抜かれてしまう。それはそれとしてデカルトに触れておかねばならない。オランダ人でありながらフランス語で書かれた「方法序説」。こうある。
「『わたしは考える、ゆえにわたしは存在する〔ワレ惟(おも)ウ、故ニワレ在(あ)リ〕』というこの真理は、懐疑論者たちのどんな途方もない想定といえども揺るがしえない」(デカルト「方法序説・P.46」岩波文庫)
コギト、すなわち「わたしは考える、ゆえにわたしは存在する〔ワレ惟(おも)ウ、故ニワレ在(あ)リ〕」。ところがそれだけではわからない事態が出現してきた。デカルトはすでに世界、といっても当時の世界はヨーロッパのことなのだが、それでも旅行という形で「場所移動」を果たしながら学んだ。要するに、行く先々で、様々な土地で、デカルトの知らない世界があるということを知った。
「われわれにはきわめて突飛でこっけいに見えても、それでもほかの国々のおおぜいの人に共通に受け入れられ是認されている多くのことがあるのを見て、ただ前例と習慣だけで納得してきたことを、あまり堅く信じてはいけないと学んだ」(デカルト「方法序説・P.18」岩波文庫)
デカルトに学びの機会を与えた「場所移動」。それはデカルトがそれまで「真実」と思い込み信じて疑っていなかった諸々の諸要素のすべてを疑ってみる態度変更へと導くことになった。全面的な態度変更を迫るものであった。フッサールの言葉では次のようになる。
「生活世界があらかじめ与えられているという事態は、どうすれば固有の普遍的な主題になりうるであろうか。それは、言うまでもなく、自然的態度を《全面的に変更すること》によってのみ可能なのである。それは、われわれがもはや、いままでのように自然的に現存する人間として、あらかじめ与えられている世界の恒常的な妥当を遂行することのうちに生きるのをやめ、むしろこの妥当をたえずさし控えるといった変更である。そのようにしてのみ、われわれは、『世界それ自体の先所与性』という、変更された新たな種類の主題に到達することができる。換言すれば、世界が純粋にもっぱら《世界》として、また、われわれの意識生活において意味と存在妥当をもち、しかも、たえず新たな形態の意味と存在妥当を得てくるそのままの《姿》で主題となるのである。こうしてのみわれわれは、自然的生活においてものを企てたり所有したりするさいの基盤として妥当する世界がなんであるのか、またそれと相関的に、自然的生活とその主観性とは《究極的には》なんであるのかーーーその主観性はそこでは妥当を遂行するものとして作動しているのであるがーーーを研究することができる。自然的な世界生活は世界を妥当させているが、そのような能作をしている生活は、自然的な世界生活の態度では研究されえない。それゆえにこそ、《全面的な》態度変更が、すなわち《まったく他に類のない普遍的な判断中止》が必要となるのである」(フッサール「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学・第三部・第三十九節・P.266~267」中公文庫)
なぜ「判断中止」が要請されるに至ったのか。それまで自明とされてきた世界とその運動について全面的に検証し直してみる必要性を抑えられなくなったからである。そこでフーコーの場合、デカルトのいう「コギト」を脱構築し、新しい問いとして置き換えてみる作業に移った。コギトはコギトであると言って済ましているだけで果たして十分なのだろうか。妥当するといえるのだろうかと。
「コギトは《ある》の肯定にはつながらず、まさしく、そこで存在が問題とされる、一系列の問い全体に通じるのだ。わたしがわたしの思考しないものであるとすれば、わたしの思考がわたしでないものであるとすれば、思考しわたしの思考であるわたしとは、いったい何ものでなければならぬのか?」(フーコー「言葉と物・P.345」新潮社)
ここで問われているのは「他者」という問いである。「わたしでありながらわたしでなくわたしの思考としてわたしである何か」。それも自分と自分自身は一致しているかどうか、そもそも一致するものなのかどうか、古典主義時代からだんだん生じてきただけでなく少なくとも十九世紀においては明確に人間は自分と自分自身とに引き裂かれた存在として一致しているなどと、一体どこの誰にわかるのかという問いとともに出現した「他者」という問いなのだ。さらにまた、今ここで「自分《と》自分自身」というふうに分割して述べた理由は極めて単純である。というのは、「他者」は地理的に遠く離れた存在者のことではないからである。フーコーは慎重に、差し当たり「思考されぬもの」としている。
「思考されぬものは(それにあたえられる名がどのようなものであれ)、人間のなかに、縮まった自然として、あるいはそこに層をなす歴史として、宿るのではない。それこそ、人間との関係においては<他者>なのである。人間から生れたのでも人間から生まれたのでもなく、わきに、同時に、同一な新しさ、どうにもならぬ二重的存在として生れた、兄弟で双子の<他者>である」(フーコー「言葉と物・P.347」新潮社)
フーコーが「思考されぬもの/他者」について述べているもの。哲学思想の用語を用いれば次のように整理することができる。
「人間の<他者>であり影であるそれは、人間から相補的形態とさかさまの名を受けとっていたのである。つまり、ヘーゲルの現象学では、《対自》にたいする《即自》であり、ショーペンハウエルにとっては、《無意識なもの》であり、マルクスにとっては、疎外された人間であり、フッサールの諸分析では、潜在的なもの、非顕在的なもの、沈殿させられたもの、非充実態であった。ともかく、それこそ、人間が真実そうであるところのものの濁った投影として、反省的知に呈示されるが、人間がそこから出発しておのれ自身を結集し、おのれの真実までも想起しなければならぬ、あらかじめ決められた基底の役割を演じる、汲みつくしえぬ裏面にほかならない。だからこの分身は、近くにあっても無縁のものであって、思考の役割、その固有のイニシアティヴは、それを思考自身にできるだけ近づけることであろう。近代のすべての思考は、思考されぬものを思考せねばならぬという法則によってつらぬかれているのであるーーーすなわち、<対自>の形態のなかで<即自>の諸内容を反省し、人間をその固有の本質と和解させつつ疎外から救いだし、諸経験に直接的で武装解除された明証性という根底をあたえる地平を明白にし、<無意識的なもの>の帳をあげ、その沈黙のなかに吸収されるか、あるいはその際限のないつぶやきに耳を傾けねばならぬという法則によって」(フーコー「言葉と物・P.347」新潮社)
なかでも理解しやすいのはマルクスの「疎外されたもの」だろう。今なおますます増大する日々の労働においてほぼすべての諸国民がその構成部分へ組み込まれているからである。しかしそれは余りにも身近過ぎるためほとんど目に見えないほどである。だから距離を置かねば見えてこない。手に入りやすいもので参照に値するのはマルクス「経済学・哲学草稿・P.84〜106」(岩波文庫)。とはいえ当然のことながらたった一読しただけで理解できるようなものではない。なので比較的よくまとめられた解説を引用しておきたい。
「(1)労働生産物からの労働者の疎外。労働者は労働することによって労働生産物を生みだすが、これは彼自身の労働の対象化である。しかし、資本主義経済の中にあっては、この労働の対象化は労働者自身のものではなく、資本家階級のものである。そしてこの生産物を資本家が商品として売り捌くことによって利益を得ており、資本家の利益は本質的には労働者の不利益である以上、この労働の対象化は、労働者にとってはよそよそしく対立する敵対物として現われる。彼は労働すればするほどその労働の対象化から疎外され、みずからを安価な商品となし、その結果ますます貧窮化してゆく。『労働者は、彼が富をより多く生産すればするほど、それだけますます彼はより安価な商品となる。事物世界の《価値増大》にぴったり比例して人間世界の《価値低下》がひどくなる』。
(2)生産活動そのものからの労働者の疎外。労働の生産物が対象化であり疎外であるとすれば、生産そのものもまた活動の疎外または疎外の活動である。資本主義社会において労働が労働者にとって疎外としてしか現われ得ないのは、第一にその労働が労働者にとって外的であること、つまり労働が労働者の本質の現実化ではなく、生きるためにやむを得ず働かねばならぬという意味における外的強制だからである。労働者は労働において不幸を感じ、労働からの脱出を幸福と感ずる。それゆえ、レジャーに人々は資本主義的・隷属的労働の脱出口を求めて殺到するのであるが、そのレジャーも一つのレジャー文化として資本主義的体制の一環に組み込まれているかぎり、それ自身また疎外でしかない。第二に、労働者にとって労働が疎外でしかないというのは、労働が労働者に属しておらず、他人のものだということ、つまり労働において彼が従属するのは自己自身にではなく他人にであるということに由来する。労働者の活動は他者のものであり、それは労働者自身の喪失である。
(3)類的存在からの人間の疎外。自由な意識的活動、自由な対象化活動が人間の類的性格である。だが『疎外された労働は人間の類的存在を、つまり自然をも人間の精神的な類的能力をも、彼にとって《疎遠な》本質とし、彼の《個人的生存》の《手段》としてしまう。疎外された労働は人間から彼自身の身体を、同様に彼の外にある自然を、また彼の精神的本質を、要するに彼の《人間的》本質を疎外する』。
(4)人間関係からの人間の疎外。人間の類的存在が人間から疎外されているということは、ある人間が他の人間から疎外されているということである。疎外された労働は、人間相互間に支配=被支配の関係があるということに根源的には由来している。その人間関係はよそよそしく敵対的たらざるを得ない。『所有階級とプロレタリア階級とは同一の人間的疎外をあらわしている。第一の階級はこういう自己疎外の中にあって幸福だと感じており、疎外のうちに人間的存在の仮象を所有している。第二の階級は疎外のうちにあって自分が否認されていると感じ、疎外のうちに自己の無力と非人間的な存在の現実性を認める』」(山崎正一/市川浩編「現代哲学事典・P.406〜408」講談社現代新書)
以上、岩波文庫版から引用された部分を次に示しておこう。
「労働者は商品をより多くつくればつくるほど、それだけますますかれはより安価な商品となる。事物世界の《価値増大》にぴったり比例して、人間世界の《価値低下》がひどくなる」(マルクス「経済学・哲学草稿・P.86」岩波文庫)
「疎外された労働は、《人間の類的存在》を、すなわち自然をも人間の精神的な類的能力をも、彼にとって《疎遠な》本質とし、彼の《個人的生存》の《手段》としてしまう。疎外された労働は、人間から彼自身の身体を、同様に彼の外にある自然を、また彼の精神的本質を、要するに彼の《人間的》本質を疎外する」(マルクス「経済学・哲学草稿・P.97~98」岩波文庫)
また「所有階級とプロレタリア階級」とあるが、その関係の中で重要な部分は「資本論」を参照したほうが理解が速い。
「労働者の側から見れば、彼の労働力の生産的発揮は、それが売られて生産手段と結合される瞬間からはじめて可能になる。つまり、労働力は、売られる前には、生産手段から、それを発揮するための対象的諸条件から、分離されているのである。このような分離状態にあっては、労働力は、直接にその所持者のための使用価値の生産のためにも使えないし、またその所持者が生きて行くために売らなければならない諸商品の生産のためにも使えない。ところが、労働力が売られることによって生産手段と結合されるやいなや、労働力も、生産手段とまったく同じに、その買い手の生産資本の一つの成分になるのである。
それゆえ、G(貨幣額)ーA(労働力)という行為では、貨幣所持者と労働力所持者とは、互いにただ買い手と売り手として関係し、互いに貨幣所持者と商品所持者として相対するのであり、したがってこの面から見れば互いに単なる貨幣関係にあるだけなのであるが、ーーーそれにもかかわらず、買い手のほうは、はじめから同時に生産手段の所持者として立ち現われ、その生産手段は、労働力がその所持者によって生産的に支出されるための対象的諸条件をなしているのである。言い換えれば、この生産手段は労働力の所持者にたいして他人の所有物として現われるのである。他方、労働の売り手はその買い手にたいして他人の労働力として相対するのであって、この労働力は、買い手の資本が現実に生産資本として働くために買い手の支配下にはいらなければならないのであり、彼の資本に合体されなければならないのである。だから、資本家と賃金労働者との階級関係は、両者がGーA(労働者から見ればAーG)という行為で相対して現われる瞬間に、すでに存在しているのであり、すでに前提されているのである。それは、売買であり、貨幣関係であるが、しかし、資本家としての買い手と賃金労働者としての売り手とが前提されている売買なのである。そして、この関係は、労働力の実現のための諸条件ーーー生活手段と生産手段ーーーが他人の所有物として労働力の所持者から分離されているということといっしょに、与えられているのである。
このような分離がどのようにして生ずるかは、ここでの問題ではない。GーAが行われるとき、それはすでに存在している。ここでわれわれが関心をもつのは次のことである。GーAが貨幣資本の一機能として現われるにしても、それは、けっして、ただ単に、貨幣がここではある有用効果をもつ人間活動すなわちある役だちにたいする支払手段として現われるからではない。つまり、けっして支払手段としての貨幣の機能によるのではない。貨幣をこの形態で支出することができるのは、だた、労働力がその生産手段(労働力そのものの生産手段としての生活手段をも含めて)から分離された状態にあるからである。そして、この分離状態は、ただ、労働力が生産手段の所持者に売られることによってのみ、したがってまた、けっして労働力それ自身の価格の再生産に必要な労働量と同じ限度内にとどまらない労働力の流動化もこの買い手に属するということによってのみ、解消されるのだからである。資本関係が生産過程で現われてくるのは、ただ、この関係がそれ自体として流通行為のうちに、買い手と売り手とが相対するときの両者の経済的根本条件の相違のうちに、彼らの階級関係のうちに、存在するからにほかならないのである。貨幣の本性とともにこの関係が与えられているのではない。むしろ、この関係の存在こそが、単なる貨幣機能を資本機能に転化させることができるのである」(マルクス「資本論・第二部・第一篇・第一章・P.64~66」国民文庫)
さて、アルトーによるゴッホだが、「烏の群れ飛ぶ麦畑」で出現するカラスの群れはゴッホにとって必要不可欠だった。ゴッホに限らず、どんな芸術家も必要不可欠なものは必要なぶんだけ作品に定着させるが、他方、無駄に思えるものはいっさい取り込まないように。
「下の方で大地は、《吉兆》をしめすカラスたちの、恐らくただヴァン・ゴッホにとってだけ吉兆であり、その上いまからその彼にはもう触れることはないだろうある悪の豪奢な兆しであるカラスたちの翼の下で、いったい何を嘆いているのか?というものそのときまで、誰ひとり、彼のように大地を、酒と血に濡れてよじれた汚い布切れに変えたものはいなかったからである」アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.124』河出文庫)
十六世紀から十九世紀にわたる長いあいだ静的なものとして錯覚されてきた不自然な自然について、ゴッホは否定者として死刑執行人として、さらに欲望する諸機械として自然を創造するのである。
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さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。
「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)
ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。
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