アルトーはゴッホを擁護する前からその種々の言動によって精神病院への入退院を繰り返していた。もし社会の側が理性的であるとすればアルトー=ゴッホの側が狂気だということになる。
「彼の寝台の羽布団の色が現実にとてもすばらしいものであったとすれば、それは間違いなくヴァン・ゴッホの不手際であったし、そして、ヴァン・ゴッホがあのなんとも形容し難い釉薬(うわぐすり)の赤をその脳の奥底から彼のカンヴァスに移し替える術を知っていたように、そのなんとも形容し難い性質を移植し得たであろう織り子が誰なのかは私にはわからない」(アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.148』河出文庫)
作品「アルルの寝室」。ベッドからはみ出さんばかりにもりもりと盛り上がった「なんとも形容し難い釉薬(うわぐすり)の赤」。それは絵画としてゴッホが「その脳の奥底から彼のカンヴァスに移し替え」たのでないならば、いったい誰があの「羽布団」の「織り子」だったのか。「わからない」とアルトーはいう。アルトーの生涯はなるほど結末において死という形で終わりを告げはした。その意味で社会の側は常々厄介払いしたいとおもっていたアルトー=ゴッホを葬り去ることができた。しかしアルトーの死はその文化的遺産とともに、まさしくその死によって改めて次元を組み換えられ永遠化されるのである。
「《不滅にする》。ーーー敵を殺そうとする者は、ほかならぬこのことによって、自分の心の中で敵を永遠なものにしないかどうか、とくと考えてみるがよい」(ニーチェ「曙光・四〇六・P.349」ちくま学芸文庫)
アルトー=ゴッホが可視化して見せたもの。それは社会の側が見ようと欲しなかったものだと重ね重ねアルトーは語っている。可視化という暴露。狂人だから暴露したのかそれとも暴露したから狂人と見なされたのか。いずれにしろ暴露があったことは疑えない。暴露されたものとはなんだったのか。
「狂気が暴露する人間的な真理は、人間の道徳的で社会的な真実であるところのものの無媒介な矛盾である」(フーコー「狂気の歴史・P.542」新潮社)
ゴッホは一般の司祭たちが犯して止まない「事件」など気にしていない。ところが司祭たちの側にすればゴッホの絵画における「一筆一筆はひとつの事件よりなお悪しきものなのだ」。
「また彼らの娼婦である『マリア』へ捧げたステンドグラスのオークル色の黄金や無限の青を、自分たちのいわゆる精霊の頭のなかで夢見ているいったい何人の罪深い司祭たちが、まったくひとつの事件であるあれらの色彩を気取らずに大気のなかで孤立させ、大気の皮肉ないたずらから引き出すことができたのか私は知らないが、そこではカンヴァスの上のヴァン・ゴッホの一筆一筆はひとつの事件よりなお悪しきものなのだ」(アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.149』河出文庫)
ゴッホが明るみに出した究極的なもの。そのおかげで司祭たちが常日頃から犯している陳腐極まりない性的劣情に満ちた「事件」は隠蔽されているというのに、その同じ動作がゴッホをますます社会から排除する方向を強化していく。
「狂人は人間の究極的な真理を明るみに出すのである。つまり、情熱、社交界生活、狂気を体験しない原始人の自然から人間をへだてるすべての事態、それらが人間をどこへ追いやってしまうことができたか、を示している。狂気は文明およびその不快感とにつねに結びついている。『旅行者たちの証言によると、未開人は知的機能の混乱におちいることはない』。狂気は世界が老境に入るにつれて始まるのであり、時間の変化につれて狂気がおびる相貌は、この堕落の形態ならびに真実をしめす」(フーコー「狂気の歴史・P.541」新潮社)
社会の側が見たくなかったもの。「人間の究極的な真理」。それを見せつけられるやいなや社会の側は一挙にファシズム化するのである。
「百人がいっしょにいると、各人はおのれの悟性を失って、或る別の悟性を手に入れる」(ニーチェ「生成の無垢・上巻・八二五・P.470」ちくま学芸文庫)
というふうに。
ーーーーー
なお、「感染=パンデミック」についてさらに。フーコーは一七八九年フランス革命前後に社会的な「知の枠組み」の転倒が生じたことを見抜いている。ニーチェのいう「価値転換」がヨーロッパ全土でほとんど一挙に起こった。そしてその断層はどこに残されているか。臨床医学の分野でも例外なくそのとき生じた「裂け目」を見出すことができる。そこでは二つの方法が明確化される。「分析的方法」と「解剖学的方法」との二つである。
「分析的方法は、『症例』というものを、ただ意味論的支持物としての機能においてのみ、考えていた。症例がその中におかれている共存の形態とか、系列とかは、症例に存在しうる偶発的なもの、または変りうるものを、無効なものとさせる力があった。つまり、症例の解読しうる構造とは、本質的でないものを中立化することにおいてのみ、あらわれたのである。臨床医学とは、それがまず個別的なものの差をぼやけさせる、という限りにおいて症例の科学であった」(フーコー「臨床医学の誕生・P.279」みすず書房)
症例を見ること。それまではそのような一般的分類でこと足りていた。「症例の科学」は「偶発的なもの、または変りうるものを、無効なものとさせる力があった」。「本質的なもの/非本質的なもの」という区別がその技術でありまた医学とはそのようなものだった。ところが。
「解剖学の方法論においては、個別的知覚は、空間的な、ある格子の最もせんさいな、最も分化した構造であって、逆説的にも、最も説明的でありながら、偶発的なものに対して、最も開かれた構造である。ーーー解剖=臨床医学的方法は、はじめて病気の構造の中に、個人的変化というものが、いつでもありうるという可能性を、くみこんだ」(フーコー「臨床医学の誕生・P.279~280」みすず書房)
革命以後、医学は新しい読解格子を手に入れる。それは「個人的なもの」への侵入とその「組み込み」である。
「解剖学的知覚においては、病気は必ず、ある程度の『動いたもの』を伴ってあらわれる。それは初めから、起始点、歩み、強さ、速度などの点で、ある自由なゆとりを持っていて、それがこの病気の個別的形態を描く。この形態は、病理的逸脱に加えられた逸脱ではない。病気とは本質的に逸脱的なものだが、その本性の内部において、それ自体、たえず逸脱するものなのである。病気には個別的な病気しかない。それは個人が自己の病気に反応するからというわけではなく、病気の作用が、当然のこととして、個性のかたちの中で、くりひろげられるからである」(フーコー「臨床医学の誕生・P.280」みすず書房)
当たり前といえば当たり前なのだが、当たり前に思えるのは読者の側がすでにそこにある「不思議なもの」を不思議がらなくなっている証拠でもある。
「私たちは、後を追って継起する規則的なものに馴れきってしまったので、《そこにある不思議なものを不思議がらないのである》」(ニーチェ「権力への意志・下巻・六二〇・P.153」ちくま学芸文庫)
こうして「個人《としての》人間」という概念が出現する。
「十八世紀末以前に、《人間》というものは実在しなかったのである。生命の力も、労働の多産性も、言語(ランガージュ)の歴史的厚みもまた同様だった。《人間》こそ、知という造物主がわずか二百年たらずまえ、みずからの手でこしらえあげた、まったく最近の被造物にすぎない」(フーコー「言葉と物・P.328」新潮社)
フーコーのいうように「人間」というものはここ二百年ばかりのあいだに自分たち「みずからの手でこしらえあげた、まったく最近の被造物にすぎない」。医学的な方向性はフランス革命前後から急転換する。平板で分類学的な「症例の科学」であることを止める。同時に言語というものに、これまでとはまったく違った動作環境が与えられる。
「もはや問題は両義包括的な照合によって、可視を可読に変えることや、コード化された言語の普遍性によって、それを意味的なものに移行させることでもない。反対に、問題は、ことばを或る種の質的な洗練へむかってひらくこと、つまりつねにより具体的で、より個別的で、より忠実に物の形に沿うような、そうした洗練へと、ことばを向かわせることなのである」(フーコー「臨床医学の誕生・P.280~281」みすず書房)
どこまでも執拗に「個人」というものを狙うようになる。言語はそのために使用方法もその価値関係もまったく刷新される。新しい動作環境を与えられた言語による「病気への導入」が行われる。
「問題はもはや或る知覚の部分と意味論的要素をむすびつけることではない。知覚されたものが、その独自性のゆえに、ことばの形から逃げてしまい、表現されないあまりに、ついには知覚されえぬものとなる危れがある、そうした領域へ向けて、言語を完全に転換させることが問題なのである。そのため、《発見する》ということは、ある混乱の下にある本質的な一貫性を《読みとる》ということではなくなり、言葉の波がしらの泡の線をもう少し先まで押しすすめ、知覚の明るみに対してまだ開かれてはいるものの、すでに日常のことばに対しては開かれていない、かの砂浜の領域へと、波がしらの線を、食いこませることとなる。まなざしが、もはやことばを持ちあわせない、かの薄明の中に、言語を導入するわけである」(フーコー「臨床医学の誕生・P.281」みすず書房)
言語によって可視化される前に新しい言語を滑り込ませて「個人」を捕らえることが目指される。
「ここでいう《可視的なもの》とは、解剖学的なまなざしが、その至高な力で再びとらえてしまう以前に、生きた個性と、諸症状の交錯と、生体内の深さとが、事実上、しばらくの間、見えないものにしてしまうもののことである。しかしまた、ここでいう《不可視的なもの》とは、個別的な様相に関する」(フーコー「臨床医学の誕生・P.282」みすず書房)
一七八九年のフランス革命以後、国家化された医学はどんな役割を割り当てられ何を目的とするようになったのか。監禁型管理社会の特徴がそこに示されている。
「しかし、この不可視的なものは、鋭い、忍耐づよい、少しずつかじって行くようなことばによって、ついにあらゆる人にとって《可視的なもの》の、共通な光のもとに呈示されるのである。ことばと死とは、この経験の各レベルで働き、またこの経験の厚み全体に沿って働き、ついに科学的知覚に対して、長い間、不可視なる可視でありつづけたものを、呈示したのであった。不可視的なる可視とは、禁止された、切迫した秘密であったもの、つまり、個人に対する認識である」(フーコー「臨床医学の誕生・P.282」みすず書房)
国家の内部に回収され国家化された医学。加速化した中央集権化の動き。それとともに「狂気」というものの様相もまた変化している点はたいへん興味深い。
「狂気にたいする人々の感受性は、以前には一様であったが、急に開かれたものとなり、気違いという単一性のなかに当時まで隠れてきたものへ新しい注意をむけるのである。もはや狂人は、人々がそれ以外の者との包括的で混乱した区別によって一挙に知覚される対象ではない。狂人は彼らのあいだで相互に異なってしまい、逆説的な種別の秘密を、彼らを包括する非理性という語のかげにおいても隠しおおすことはできない。いずれにしても、狂気の均一さのなかに差異が入りこんだことは意味がふかいのである。こうして理性は、非理性の告発のみをおこなわせうる外在性の点で非理性にたいして入りこみ始めるのであるーーーただし、非類似ーーー同一性にたいする一種の最初の脱却ーーーという極端だが決定的な形式によって入りこみ始めるのである。無媒介的な統覚において把握されていた非理性は、かつては理性にとって絶対的な差異、ただし、際限なくくりかえし始められる同一性によって、それじたいとして均一化される差異であった。ところが今や、その差異の多様な相貌がにわかに表われはじめて、理性がふたたび自分を見出しうる、もうほとんど自分を認知しうる一つの領域を形づくる」(フーコー「狂気の歴史・P.412」新潮社)
社会が問題にしているのは「狂気」である。ところが逆に、手前勝手に「狂気」の社会的位置や機能を移動させたり置き換えたりする「理性」の側をこそフーコーは問題視する。
「なるほど狂人保護院はもはや狂人の有罪性に制裁をくわえない。だが、それ以上のことをするのであって、有罪性を組織する」(フーコー「狂気の歴史・P.506」新潮社)
どのようにしてか。「狂人=非理性」をめぐる古典主義時代の光景は「監禁=拘束にもかかわらず」かえって牧歌的なものでしかなくなる。逆に「十九世紀の狂人保護院のなかに拘束がないということは」何を意味しているのだろう。
「十八世紀までは、狂人の世界にむらがっていたのは、狂人を監禁したままにしておく、顔をもたぬ抽象的な力だけであった。しかもその限りにおいて、狂人の世界は空白であり、狂気以外のすべてを欠いていた。番人までがしばしば患者自身から徴募されていた。ところが反対にテュークは、番人と患者とのあいだ、理性と狂気とのあいだに媒介要素を設定する。精神錯乱のために社会が充当していた空間は今では《むこう側》の人々、監禁する権勢の威光と同時に裁定する理性の厳密さを代表する人々が足しげく出入りする場所になる。監視者は武器も拘束具ももたずに、ただ視線と言語だけでもって介入する。ーーー十九世紀の狂人保護院のなかに拘束がないということは、非理性が自由に解き放たれている姿ではなく、ずっと前から狂気が支配されている姿である」(フーコー「狂気の歴史・P.509~510」新潮社)
だんだん目に見えにくくなるに連れてますます狡猾になる「国家管理」という技術の出現とその洗練。
「かつて監禁が故意に暗闇のなかに閉じこめられていたものを、革命的意識は公衆にさらけだそうと欲するーーー明示こそが懲罰の本質となっているのだから。秘密と悪評とにかんするすべての価値は、こうして転倒させられたのである。すなわち、実現された過ちを包んでいた刑罰という秘められた深さのかわりに、人々は悪評という表面的な華々しさを導入して、人間の心のなかにあるもっとも秘められた、もっとも深い、もっとも無形なものを承認したのである。しかも奇妙な仕方によって、革命的意識は、おおやけの懲罰のもっている旧来の価値と、非理性のもっている表立たない力の一種の増大とを再発見している。とはいっても、それは表面上のことでしかない。重大なのは、世間のまえに気違いを明示することではもはやなく、単に、悪評を加えられた〔人間の〕意識に不道徳性を明示することである。それによって、ある一つの心理学がすっかり誕生しつつあった、狂気の本質的な意味を変えて、非理性の内密の諸形態への人間の関係の新しい記述を提出する一つの心理学が。奇妙だが、なお初歩的な面での犯罪心理学はーーーすくなくとも、犯罪の起源を人間の心情にまでさかのぼって考えようとする配慮はーーー法に人間味を与えることから生まれたのではなくて、道徳をめぐる補足的な要求、良俗のいわば国家管理、憤りの形態のいわば洗練、そうしたものから生まれている」(フーコー「狂気の歴史・P.476」新潮社)
ここでものを言っているのは一七八九年のフランス革命でルイ王朝を打倒して最高権力の座についた当時の「ブルジョア道徳」である。
「道徳面の総合化をおこなうこと、狂気の世界と理性の世界とのあいだに倫理上の連続性を確保すること、しかしその場合に、社会的な隔離、それによってブルジョア道徳が事実上の普遍性を保証され、またそのおかげでその道徳は一つの権利としてすべての形態の精神錯乱を押しつけられる、そうして隔離を実施すること、これらが肝要なのであるから。古典主義時代には、貧窮、怠惰、悪徳、狂気は、非理性の内部で同一の罪過によって包括されて混ぜ合わされていた。狂人たちは貧困と失業にたいする大規模な監禁のなかに把握されたが、すべて人々は罪と隣り合せた場所で人間の根本的な社会面の失権とつながるのであり、その失権状態が狂気の原因・雛型・限度となって雑然と現われるのである。さらに半世紀たつと、精神病は悪化・変質ということになるだろう。以後、人を現実におびやかす根本的な狂気とは、社会の下層階級から出てくるもの、となる」(フーコー「狂気の歴史・P.516」新潮社)
上層階級をなしていた部分の道徳が新しい基準とされるやいなや中層階級ならびに特に下層階級に属する人々はすべて「人を現実におびやかす根本的な狂気」としての社会的位置を打刻されることになる。しかしこのように道徳的な分割を可能にするためにはその前になされておかねばならない措置があった。それは歴史的に長い時間をかけて水面下で着々と進められていた。「理性」であろうと「狂気」であろうと「人間」としては「同等である」という均質化の作業である。それによって人間は始めて《数値化可能なものにされる》のである。ニーチェはいう。
「これこそは《責任》の系譜の長い歴史である。約束をなしうる動物を育て上げるというあの課題のうちには、われわれがすでに理解したように、その条件や準備として、人間をまずある程度まで必然的な、一様な、同等者の間で同等な、規則的な、従って算定しうべきものに《する》という一層手近な課題が含まれている。私が『風習の道徳』と呼んだあの巨怪な作業ーーー人間種族の最も長い期間に人間が自己自身に加えてきた本来の作業、すなわち人間の《前史的》作業の全体は、たといどれほど多くの冷酷と暴圧と鈍重と痴愚とを内に含んでいるにもせよ、ここにおいて意義を与えられ、堂々たる名分を獲得する。人間は風習の道徳と社会の緊衣との助けによって、実際に算定しうべきものに《された》」(ニーチェ「道徳の系譜・P.64」岩波文庫)
国家化された医学はすでに十九世紀に出現したばかりの「個人《としての》人間」の身体の隅々まで、国家管理のための射程に入れていたのである。問題はしかし、同時に出現した「個性」という言葉の全面的礼賛によって覆い隠されてしまう。ところで、新興ブルジョワ階級の指導部が「新しい基準」を創設する条件となったものはなんなのか。「神の死」=「絶対的なものの死」、「中心の消滅」、「絶えず移動する中心点=変動相場制」が達成されていたからである。以後、「新しい神」=「資本主義」が世界中を覆い尽くしていくことになる。そしてこの事情は、二〇二〇年の「感染=パンデミック」について、少なくともマスコミでは「目に見えない敵と人類との戦い」という二極対立的ステレオタイプ(決まり文句)で報道されてはいるけれども、本当にそうかと問う必要性を出現させる。時々刻々と算出されその都度テレビ画面に表示されていく「個人《としての》人間」。「算定しうべきものに《された》」ことで物化されると同時に今なお生きている人間に対して時々刻々と熱量を増大させる社会的視線。そこに出現してくるのはなんなのか。問題となるのはおそらく再び言語である。しかし言語はいつどこで発生したのか。
「外へ向けて放出されないすべての本能は《内へ向けられる》ーーー私が人間の《内面化》と呼ぶところのものはこれである。後に人間の『魂』と呼ばれるようになったものは、このようにして初めて人間に生じてくる。当初は二枚の皮の間に張られたみたいに薄いものだったあの内的世界の全体は、人間の外への放(は)け口が《堰き止められて》しまうと、それだけいよいよ分化し拡大して、深さと広さとを得てきた。国家的体制が古い自由の諸本能から自己を防衛するために築いたあの恐るべき防堡ーーーわけても刑罰がこの防堡の一つだーーーは、粗野で自由で漂泊的な人間のあの諸本能に悉く廻れ右をさせ、それらを《人間自身の方へ》向かわせた。敵意・残忍、迫害や襲撃や変革や破壊の悦び、ーーーこれらの本能がすべてその所有者の方へ向きを変えること、《これこそ》『良心の疚しさ』の起源である」(ニーチェ「道徳の系譜・P.99」岩波文庫)
外界から押し寄せる刺激が内面を形成する。この場合、外界というのは国家的体制である。さらに自然の猛威もそうだ。フロイトはいう。
「内的知覚の外界への投射は原始的メカニズムであり、たとえばわれわれの感覚的知覚もこれにしたがっている。したがってこのメカニズムは普通われわれの外界形成にあずかってもっとも力のあるものである。まだ充分に確かめられてはいないが、ある条件のもとでは、感情や思考の動きといった内的知覚までが感覚的知覚と同様に外部に投射され、内的世界にとどまるべきはずのものが、外部世界の形成に利用されるのである。このことは発生的にはおそらく、注意力のはたらきが本来内部世界にではなく、外界から押しよせる刺激に向けられていて、内的心理過程については快・不快の発展についての情報しか受けつけないということと関連があるのであろう。抽象的思考言語ができあがってはじめて、言語表象の感覚的残滓は内的事象と結びつくようになり、かくして内的事象そのものがしだいに知覚されうるようになった」(フロイト「トーテムとタブー」『フロイト著作集3・P.202~203』人文書院)
さらにマルクスは言語についてこう述べている。
「『精神』はそもそもの初めから物質に『取り憑かれて』いるという呪いを負っており、ここでは物質は運動する空気層、音、要するに言語という形で現われる。言語は意識と同い年である」(マルクス=エンゲルス「ドイツ・イデオロギー・P.56~57」岩波文庫)
抽象的に思えてはいても言語はただちに具体的かつ物質的なものなのだ。
ーーーーー
さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。
「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)
ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。
BGM1
BGM2
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「彼の寝台の羽布団の色が現実にとてもすばらしいものであったとすれば、それは間違いなくヴァン・ゴッホの不手際であったし、そして、ヴァン・ゴッホがあのなんとも形容し難い釉薬(うわぐすり)の赤をその脳の奥底から彼のカンヴァスに移し替える術を知っていたように、そのなんとも形容し難い性質を移植し得たであろう織り子が誰なのかは私にはわからない」(アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.148』河出文庫)
作品「アルルの寝室」。ベッドからはみ出さんばかりにもりもりと盛り上がった「なんとも形容し難い釉薬(うわぐすり)の赤」。それは絵画としてゴッホが「その脳の奥底から彼のカンヴァスに移し替え」たのでないならば、いったい誰があの「羽布団」の「織り子」だったのか。「わからない」とアルトーはいう。アルトーの生涯はなるほど結末において死という形で終わりを告げはした。その意味で社会の側は常々厄介払いしたいとおもっていたアルトー=ゴッホを葬り去ることができた。しかしアルトーの死はその文化的遺産とともに、まさしくその死によって改めて次元を組み換えられ永遠化されるのである。
「《不滅にする》。ーーー敵を殺そうとする者は、ほかならぬこのことによって、自分の心の中で敵を永遠なものにしないかどうか、とくと考えてみるがよい」(ニーチェ「曙光・四〇六・P.349」ちくま学芸文庫)
アルトー=ゴッホが可視化して見せたもの。それは社会の側が見ようと欲しなかったものだと重ね重ねアルトーは語っている。可視化という暴露。狂人だから暴露したのかそれとも暴露したから狂人と見なされたのか。いずれにしろ暴露があったことは疑えない。暴露されたものとはなんだったのか。
「狂気が暴露する人間的な真理は、人間の道徳的で社会的な真実であるところのものの無媒介な矛盾である」(フーコー「狂気の歴史・P.542」新潮社)
ゴッホは一般の司祭たちが犯して止まない「事件」など気にしていない。ところが司祭たちの側にすればゴッホの絵画における「一筆一筆はひとつの事件よりなお悪しきものなのだ」。
「また彼らの娼婦である『マリア』へ捧げたステンドグラスのオークル色の黄金や無限の青を、自分たちのいわゆる精霊の頭のなかで夢見ているいったい何人の罪深い司祭たちが、まったくひとつの事件であるあれらの色彩を気取らずに大気のなかで孤立させ、大気の皮肉ないたずらから引き出すことができたのか私は知らないが、そこではカンヴァスの上のヴァン・ゴッホの一筆一筆はひとつの事件よりなお悪しきものなのだ」(アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.149』河出文庫)
ゴッホが明るみに出した究極的なもの。そのおかげで司祭たちが常日頃から犯している陳腐極まりない性的劣情に満ちた「事件」は隠蔽されているというのに、その同じ動作がゴッホをますます社会から排除する方向を強化していく。
「狂人は人間の究極的な真理を明るみに出すのである。つまり、情熱、社交界生活、狂気を体験しない原始人の自然から人間をへだてるすべての事態、それらが人間をどこへ追いやってしまうことができたか、を示している。狂気は文明およびその不快感とにつねに結びついている。『旅行者たちの証言によると、未開人は知的機能の混乱におちいることはない』。狂気は世界が老境に入るにつれて始まるのであり、時間の変化につれて狂気がおびる相貌は、この堕落の形態ならびに真実をしめす」(フーコー「狂気の歴史・P.541」新潮社)
社会の側が見たくなかったもの。「人間の究極的な真理」。それを見せつけられるやいなや社会の側は一挙にファシズム化するのである。
「百人がいっしょにいると、各人はおのれの悟性を失って、或る別の悟性を手に入れる」(ニーチェ「生成の無垢・上巻・八二五・P.470」ちくま学芸文庫)
というふうに。
ーーーーー
なお、「感染=パンデミック」についてさらに。フーコーは一七八九年フランス革命前後に社会的な「知の枠組み」の転倒が生じたことを見抜いている。ニーチェのいう「価値転換」がヨーロッパ全土でほとんど一挙に起こった。そしてその断層はどこに残されているか。臨床医学の分野でも例外なくそのとき生じた「裂け目」を見出すことができる。そこでは二つの方法が明確化される。「分析的方法」と「解剖学的方法」との二つである。
「分析的方法は、『症例』というものを、ただ意味論的支持物としての機能においてのみ、考えていた。症例がその中におかれている共存の形態とか、系列とかは、症例に存在しうる偶発的なもの、または変りうるものを、無効なものとさせる力があった。つまり、症例の解読しうる構造とは、本質的でないものを中立化することにおいてのみ、あらわれたのである。臨床医学とは、それがまず個別的なものの差をぼやけさせる、という限りにおいて症例の科学であった」(フーコー「臨床医学の誕生・P.279」みすず書房)
症例を見ること。それまではそのような一般的分類でこと足りていた。「症例の科学」は「偶発的なもの、または変りうるものを、無効なものとさせる力があった」。「本質的なもの/非本質的なもの」という区別がその技術でありまた医学とはそのようなものだった。ところが。
「解剖学の方法論においては、個別的知覚は、空間的な、ある格子の最もせんさいな、最も分化した構造であって、逆説的にも、最も説明的でありながら、偶発的なものに対して、最も開かれた構造である。ーーー解剖=臨床医学的方法は、はじめて病気の構造の中に、個人的変化というものが、いつでもありうるという可能性を、くみこんだ」(フーコー「臨床医学の誕生・P.279~280」みすず書房)
革命以後、医学は新しい読解格子を手に入れる。それは「個人的なもの」への侵入とその「組み込み」である。
「解剖学的知覚においては、病気は必ず、ある程度の『動いたもの』を伴ってあらわれる。それは初めから、起始点、歩み、強さ、速度などの点で、ある自由なゆとりを持っていて、それがこの病気の個別的形態を描く。この形態は、病理的逸脱に加えられた逸脱ではない。病気とは本質的に逸脱的なものだが、その本性の内部において、それ自体、たえず逸脱するものなのである。病気には個別的な病気しかない。それは個人が自己の病気に反応するからというわけではなく、病気の作用が、当然のこととして、個性のかたちの中で、くりひろげられるからである」(フーコー「臨床医学の誕生・P.280」みすず書房)
当たり前といえば当たり前なのだが、当たり前に思えるのは読者の側がすでにそこにある「不思議なもの」を不思議がらなくなっている証拠でもある。
「私たちは、後を追って継起する規則的なものに馴れきってしまったので、《そこにある不思議なものを不思議がらないのである》」(ニーチェ「権力への意志・下巻・六二〇・P.153」ちくま学芸文庫)
こうして「個人《としての》人間」という概念が出現する。
「十八世紀末以前に、《人間》というものは実在しなかったのである。生命の力も、労働の多産性も、言語(ランガージュ)の歴史的厚みもまた同様だった。《人間》こそ、知という造物主がわずか二百年たらずまえ、みずからの手でこしらえあげた、まったく最近の被造物にすぎない」(フーコー「言葉と物・P.328」新潮社)
フーコーのいうように「人間」というものはここ二百年ばかりのあいだに自分たち「みずからの手でこしらえあげた、まったく最近の被造物にすぎない」。医学的な方向性はフランス革命前後から急転換する。平板で分類学的な「症例の科学」であることを止める。同時に言語というものに、これまでとはまったく違った動作環境が与えられる。
「もはや問題は両義包括的な照合によって、可視を可読に変えることや、コード化された言語の普遍性によって、それを意味的なものに移行させることでもない。反対に、問題は、ことばを或る種の質的な洗練へむかってひらくこと、つまりつねにより具体的で、より個別的で、より忠実に物の形に沿うような、そうした洗練へと、ことばを向かわせることなのである」(フーコー「臨床医学の誕生・P.280~281」みすず書房)
どこまでも執拗に「個人」というものを狙うようになる。言語はそのために使用方法もその価値関係もまったく刷新される。新しい動作環境を与えられた言語による「病気への導入」が行われる。
「問題はもはや或る知覚の部分と意味論的要素をむすびつけることではない。知覚されたものが、その独自性のゆえに、ことばの形から逃げてしまい、表現されないあまりに、ついには知覚されえぬものとなる危れがある、そうした領域へ向けて、言語を完全に転換させることが問題なのである。そのため、《発見する》ということは、ある混乱の下にある本質的な一貫性を《読みとる》ということではなくなり、言葉の波がしらの泡の線をもう少し先まで押しすすめ、知覚の明るみに対してまだ開かれてはいるものの、すでに日常のことばに対しては開かれていない、かの砂浜の領域へと、波がしらの線を、食いこませることとなる。まなざしが、もはやことばを持ちあわせない、かの薄明の中に、言語を導入するわけである」(フーコー「臨床医学の誕生・P.281」みすず書房)
言語によって可視化される前に新しい言語を滑り込ませて「個人」を捕らえることが目指される。
「ここでいう《可視的なもの》とは、解剖学的なまなざしが、その至高な力で再びとらえてしまう以前に、生きた個性と、諸症状の交錯と、生体内の深さとが、事実上、しばらくの間、見えないものにしてしまうもののことである。しかしまた、ここでいう《不可視的なもの》とは、個別的な様相に関する」(フーコー「臨床医学の誕生・P.282」みすず書房)
一七八九年のフランス革命以後、国家化された医学はどんな役割を割り当てられ何を目的とするようになったのか。監禁型管理社会の特徴がそこに示されている。
「しかし、この不可視的なものは、鋭い、忍耐づよい、少しずつかじって行くようなことばによって、ついにあらゆる人にとって《可視的なもの》の、共通な光のもとに呈示されるのである。ことばと死とは、この経験の各レベルで働き、またこの経験の厚み全体に沿って働き、ついに科学的知覚に対して、長い間、不可視なる可視でありつづけたものを、呈示したのであった。不可視的なる可視とは、禁止された、切迫した秘密であったもの、つまり、個人に対する認識である」(フーコー「臨床医学の誕生・P.282」みすず書房)
国家の内部に回収され国家化された医学。加速化した中央集権化の動き。それとともに「狂気」というものの様相もまた変化している点はたいへん興味深い。
「狂気にたいする人々の感受性は、以前には一様であったが、急に開かれたものとなり、気違いという単一性のなかに当時まで隠れてきたものへ新しい注意をむけるのである。もはや狂人は、人々がそれ以外の者との包括的で混乱した区別によって一挙に知覚される対象ではない。狂人は彼らのあいだで相互に異なってしまい、逆説的な種別の秘密を、彼らを包括する非理性という語のかげにおいても隠しおおすことはできない。いずれにしても、狂気の均一さのなかに差異が入りこんだことは意味がふかいのである。こうして理性は、非理性の告発のみをおこなわせうる外在性の点で非理性にたいして入りこみ始めるのであるーーーただし、非類似ーーー同一性にたいする一種の最初の脱却ーーーという極端だが決定的な形式によって入りこみ始めるのである。無媒介的な統覚において把握されていた非理性は、かつては理性にとって絶対的な差異、ただし、際限なくくりかえし始められる同一性によって、それじたいとして均一化される差異であった。ところが今や、その差異の多様な相貌がにわかに表われはじめて、理性がふたたび自分を見出しうる、もうほとんど自分を認知しうる一つの領域を形づくる」(フーコー「狂気の歴史・P.412」新潮社)
社会が問題にしているのは「狂気」である。ところが逆に、手前勝手に「狂気」の社会的位置や機能を移動させたり置き換えたりする「理性」の側をこそフーコーは問題視する。
「なるほど狂人保護院はもはや狂人の有罪性に制裁をくわえない。だが、それ以上のことをするのであって、有罪性を組織する」(フーコー「狂気の歴史・P.506」新潮社)
どのようにしてか。「狂人=非理性」をめぐる古典主義時代の光景は「監禁=拘束にもかかわらず」かえって牧歌的なものでしかなくなる。逆に「十九世紀の狂人保護院のなかに拘束がないということは」何を意味しているのだろう。
「十八世紀までは、狂人の世界にむらがっていたのは、狂人を監禁したままにしておく、顔をもたぬ抽象的な力だけであった。しかもその限りにおいて、狂人の世界は空白であり、狂気以外のすべてを欠いていた。番人までがしばしば患者自身から徴募されていた。ところが反対にテュークは、番人と患者とのあいだ、理性と狂気とのあいだに媒介要素を設定する。精神錯乱のために社会が充当していた空間は今では《むこう側》の人々、監禁する権勢の威光と同時に裁定する理性の厳密さを代表する人々が足しげく出入りする場所になる。監視者は武器も拘束具ももたずに、ただ視線と言語だけでもって介入する。ーーー十九世紀の狂人保護院のなかに拘束がないということは、非理性が自由に解き放たれている姿ではなく、ずっと前から狂気が支配されている姿である」(フーコー「狂気の歴史・P.509~510」新潮社)
だんだん目に見えにくくなるに連れてますます狡猾になる「国家管理」という技術の出現とその洗練。
「かつて監禁が故意に暗闇のなかに閉じこめられていたものを、革命的意識は公衆にさらけだそうと欲するーーー明示こそが懲罰の本質となっているのだから。秘密と悪評とにかんするすべての価値は、こうして転倒させられたのである。すなわち、実現された過ちを包んでいた刑罰という秘められた深さのかわりに、人々は悪評という表面的な華々しさを導入して、人間の心のなかにあるもっとも秘められた、もっとも深い、もっとも無形なものを承認したのである。しかも奇妙な仕方によって、革命的意識は、おおやけの懲罰のもっている旧来の価値と、非理性のもっている表立たない力の一種の増大とを再発見している。とはいっても、それは表面上のことでしかない。重大なのは、世間のまえに気違いを明示することではもはやなく、単に、悪評を加えられた〔人間の〕意識に不道徳性を明示することである。それによって、ある一つの心理学がすっかり誕生しつつあった、狂気の本質的な意味を変えて、非理性の内密の諸形態への人間の関係の新しい記述を提出する一つの心理学が。奇妙だが、なお初歩的な面での犯罪心理学はーーーすくなくとも、犯罪の起源を人間の心情にまでさかのぼって考えようとする配慮はーーー法に人間味を与えることから生まれたのではなくて、道徳をめぐる補足的な要求、良俗のいわば国家管理、憤りの形態のいわば洗練、そうしたものから生まれている」(フーコー「狂気の歴史・P.476」新潮社)
ここでものを言っているのは一七八九年のフランス革命でルイ王朝を打倒して最高権力の座についた当時の「ブルジョア道徳」である。
「道徳面の総合化をおこなうこと、狂気の世界と理性の世界とのあいだに倫理上の連続性を確保すること、しかしその場合に、社会的な隔離、それによってブルジョア道徳が事実上の普遍性を保証され、またそのおかげでその道徳は一つの権利としてすべての形態の精神錯乱を押しつけられる、そうして隔離を実施すること、これらが肝要なのであるから。古典主義時代には、貧窮、怠惰、悪徳、狂気は、非理性の内部で同一の罪過によって包括されて混ぜ合わされていた。狂人たちは貧困と失業にたいする大規模な監禁のなかに把握されたが、すべて人々は罪と隣り合せた場所で人間の根本的な社会面の失権とつながるのであり、その失権状態が狂気の原因・雛型・限度となって雑然と現われるのである。さらに半世紀たつと、精神病は悪化・変質ということになるだろう。以後、人を現実におびやかす根本的な狂気とは、社会の下層階級から出てくるもの、となる」(フーコー「狂気の歴史・P.516」新潮社)
上層階級をなしていた部分の道徳が新しい基準とされるやいなや中層階級ならびに特に下層階級に属する人々はすべて「人を現実におびやかす根本的な狂気」としての社会的位置を打刻されることになる。しかしこのように道徳的な分割を可能にするためにはその前になされておかねばならない措置があった。それは歴史的に長い時間をかけて水面下で着々と進められていた。「理性」であろうと「狂気」であろうと「人間」としては「同等である」という均質化の作業である。それによって人間は始めて《数値化可能なものにされる》のである。ニーチェはいう。
「これこそは《責任》の系譜の長い歴史である。約束をなしうる動物を育て上げるというあの課題のうちには、われわれがすでに理解したように、その条件や準備として、人間をまずある程度まで必然的な、一様な、同等者の間で同等な、規則的な、従って算定しうべきものに《する》という一層手近な課題が含まれている。私が『風習の道徳』と呼んだあの巨怪な作業ーーー人間種族の最も長い期間に人間が自己自身に加えてきた本来の作業、すなわち人間の《前史的》作業の全体は、たといどれほど多くの冷酷と暴圧と鈍重と痴愚とを内に含んでいるにもせよ、ここにおいて意義を与えられ、堂々たる名分を獲得する。人間は風習の道徳と社会の緊衣との助けによって、実際に算定しうべきものに《された》」(ニーチェ「道徳の系譜・P.64」岩波文庫)
国家化された医学はすでに十九世紀に出現したばかりの「個人《としての》人間」の身体の隅々まで、国家管理のための射程に入れていたのである。問題はしかし、同時に出現した「個性」という言葉の全面的礼賛によって覆い隠されてしまう。ところで、新興ブルジョワ階級の指導部が「新しい基準」を創設する条件となったものはなんなのか。「神の死」=「絶対的なものの死」、「中心の消滅」、「絶えず移動する中心点=変動相場制」が達成されていたからである。以後、「新しい神」=「資本主義」が世界中を覆い尽くしていくことになる。そしてこの事情は、二〇二〇年の「感染=パンデミック」について、少なくともマスコミでは「目に見えない敵と人類との戦い」という二極対立的ステレオタイプ(決まり文句)で報道されてはいるけれども、本当にそうかと問う必要性を出現させる。時々刻々と算出されその都度テレビ画面に表示されていく「個人《としての》人間」。「算定しうべきものに《された》」ことで物化されると同時に今なお生きている人間に対して時々刻々と熱量を増大させる社会的視線。そこに出現してくるのはなんなのか。問題となるのはおそらく再び言語である。しかし言語はいつどこで発生したのか。
「外へ向けて放出されないすべての本能は《内へ向けられる》ーーー私が人間の《内面化》と呼ぶところのものはこれである。後に人間の『魂』と呼ばれるようになったものは、このようにして初めて人間に生じてくる。当初は二枚の皮の間に張られたみたいに薄いものだったあの内的世界の全体は、人間の外への放(は)け口が《堰き止められて》しまうと、それだけいよいよ分化し拡大して、深さと広さとを得てきた。国家的体制が古い自由の諸本能から自己を防衛するために築いたあの恐るべき防堡ーーーわけても刑罰がこの防堡の一つだーーーは、粗野で自由で漂泊的な人間のあの諸本能に悉く廻れ右をさせ、それらを《人間自身の方へ》向かわせた。敵意・残忍、迫害や襲撃や変革や破壊の悦び、ーーーこれらの本能がすべてその所有者の方へ向きを変えること、《これこそ》『良心の疚しさ』の起源である」(ニーチェ「道徳の系譜・P.99」岩波文庫)
外界から押し寄せる刺激が内面を形成する。この場合、外界というのは国家的体制である。さらに自然の猛威もそうだ。フロイトはいう。
「内的知覚の外界への投射は原始的メカニズムであり、たとえばわれわれの感覚的知覚もこれにしたがっている。したがってこのメカニズムは普通われわれの外界形成にあずかってもっとも力のあるものである。まだ充分に確かめられてはいないが、ある条件のもとでは、感情や思考の動きといった内的知覚までが感覚的知覚と同様に外部に投射され、内的世界にとどまるべきはずのものが、外部世界の形成に利用されるのである。このことは発生的にはおそらく、注意力のはたらきが本来内部世界にではなく、外界から押しよせる刺激に向けられていて、内的心理過程については快・不快の発展についての情報しか受けつけないということと関連があるのであろう。抽象的思考言語ができあがってはじめて、言語表象の感覚的残滓は内的事象と結びつくようになり、かくして内的事象そのものがしだいに知覚されうるようになった」(フロイト「トーテムとタブー」『フロイト著作集3・P.202~203』人文書院)
さらにマルクスは言語についてこう述べている。
「『精神』はそもそもの初めから物質に『取り憑かれて』いるという呪いを負っており、ここでは物質は運動する空気層、音、要するに言語という形で現われる。言語は意識と同い年である」(マルクス=エンゲルス「ドイツ・イデオロギー・P.56~57」岩波文庫)
抽象的に思えてはいても言語はただちに具体的かつ物質的なものなのだ。
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さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。
「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)
ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。
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