アルトーにゴッホ論を書かせたのはアルトーの《手》である。同じようにゴッホにゴッホの絵画を描かせたのがゴッホの《手》でありその「活動」であるように。非理性という仮面をまとった「道化」が悪い意味での「狂気」と一体化されつつ取り扱われるようになっていた頃。一七八九年フランス革命前後の時期。それ以降、人々は生きながら死んでいる。ディドロ「ラモーの甥」の言動は、当時の最後に不意打ちとして出現した狂気と非理性との結合であり、同時にその分割がすでに決定されていた言葉だ。しかしその言葉はなぜか脆い。十五世紀の画家、ブリューゲルやボッシュの絵画が明確に捉えていた確固たる狂気をもはや持っていない。鮮烈な皮肉と逆説とに満ちていながら確信的な肉体がない。仮面に過ぎない。道化に過ぎない。自信がないのではない。自分自身の真実性はすでに他者の中にしか反映されなくなっているからである。疎外されたもの。疎外されたものである限りでしか自分自身の真実性を現わし得ない、途方もなく心もとない存在でしかない。ほとんど不在というに等しい。日常の中に狂人たちが歩き回って同居していた中世ではもはやない。同居とはいえ、しかし狂人たちはかつて<阿呆船>の乗組員であった。<水>を介して<水>とともに異国から異国へと<通過>することになっていた。狂人たちはそのままの姿でただちに<通過>として出現していた。迎え入れられると同時に追い出される。けれども大変親しみのある人々。この両義的存在の群れ。歓迎されるとともに次の場所へ送り出されることが決まっている、生きている《畏怖》される存在だった。ゴッホは「無媒介の真実」とは何かを、無媒介の自然とはどのようなものかを、ただそれだけを描いた。しかしそのために尋常ではない体力の消耗を犠牲にしている。なぜなら、ゴッホは社会規範という近代の倫理的制度が絡みついて離れない状態に置かれていたからだ。
「われわれ全員がずっと仕事をして、戦い、恐怖と飢えと逆境と憎しみと躓(つまず)きと嫌悪のあまりわめき散らしたのは、われわれ全員が毒を盛られたのは、この世界のためではなく、けっしてこの地上のためなどではない」(アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.155』河出文庫)
社会規範は目に見えない社会的文法によって規定されている。何を見るにせよ語るにせよ描くにせよ、こうでなければならないという遠近法が社会全体に浸透していた。その領域を犯すことは犯罪でありわかりやすい行為だった。しかしその領域からはみ出ていこうとする動きには途轍もなく用心深く嫉妬深い視線を張り巡らせている目に見えない警察国家の網目が社会の隅々まで張り巡らされていた。「挽き臼」というのは目に見えないが誰でも身につけている社会的文法のことだ。目に見える形ではフランス革命前後に更新されたキリスト教道徳だったり新興ブルジョワ階級の倫理規範だったりしていたが。中世の狂人たちは<通過>自体を生きることができた。だからといって狂人たちは尊敬されていたわけではない。厄介払いされる。しかしその象徴性を奪われることはないのであり、事態は次のように進行していた。
「狂人たちの航行に作用し、それに威厳をあたえているにちがいない奇妙な過重な意味が、よりよく理解される。一面では、議論の余地なき実際上の効力がはたす役割を過小評価してはならないのであって、狂人を船頭に託すことは、たしかに狂人が際限なく市域をぶらつかぬようにし、遠方へおもむいたことを確かめて、狂人にその出発を忠実に実行させることだった。だが、この事態に、水はそれじたいの不明確な多くの価値をつけ加えるのである。水は運び出す、だがそれ以上のことをする。浄化するのである。さらにまた航行は人間を運命の定めなさに直面させる。航行中は、各人はみずからの宿運にゆだねられ、いつ船に乗ろうとも、それが最後の命になる可能性が秘められる。狂人が気違い船にのっておもむく先は、あの世である。舟をおりて帰ってくるのは、あの世からである。こうした狂人の船旅は、厳密な分割であると同時に絶対的な<通過・変転>である。ある意味ではこの船旅は、なかば実在していてなかば空想的な地理書にしたがいつつ、たえず中世的人間の関心の地平にまで狂人の《出発点での》状況を展開させつづけているわけである。ーーー都市の《城門》のところで《監禁され》るという、狂人に与えられた特権によって、象徴化されもし現実化されてもいる状況を。つまり、狂人の排除は狂人を囲い込まねばならないのである。狂人は《関門》じたいのほかには《牢獄》をもつことができず、それをもってはならないとしても、狂人は通過する地点で取り押さえられるのである。彼は、外部の内側におかれているし、逆に内部の外側におかれてもいるのだ。これは高度に象徴的な立場であり、もしも、狂人のおかれるこの立場がかつては秩序の明確な要塞だったものが現代では、われわれの意識の城と化してしまったことを認めるとすれば、この象徴的な立場は現代にいたるまで、その姿のまま残っているにちがいない。
水と船旅がこの役割をはたしている。脱出できない船のなかに閉じこめられた狂人は、幾千もの支流をもつ河川、数多くの航路をもつ海、あらゆることと絶縁した大いなる不安にゆだねられる。狂人は自由自在の航路、どこにむかっても開かれている航路の途上で囚人になっている。つまり、果てしない十字路にかたく鎖でつながれているわけである。彼はこの上ない<通過者>、つまり通過の囚人だ。しかも接岸するはずの陸地がいかなるところであるかは不明である。ちょうど出立してきた陸地がどんなところだったかが上陸するおりに不明であるように。狂人は、自分のものとなりえぬ二つの土地(出立地と上陸地)のあいだの、あの不毛の広い空間にしか自分の真実と自分の生れ故郷をもちあわせない。西洋文化の流れにそって人がたどることができるのは、こうした諸価値を媒介として長期にわたる空想上の血族関係の起源にあるあの宗教的慣習なのだろうか?それとも逆に、古来、船旅の慣例を招きよせ固定化したのは、この空想上の血族関係なのだろうか?いずれにしても一つの事柄だけは確かである。つまり、ヨーロッパ人の夢想のなかで、水と狂気は長いあいだ結びあっているという点は」(フーコー「狂気の歴史・P.28~29」新潮社)
ラモーの甥はなぜ道化でしかないのか。自分が道化でしかあり得ず、狂気としてしか認知されない態度をあえて引き受けて生きているのか。自己疎外された存在であることを引き受け、皮肉に満ちた嘲笑を演じ、非理性の奥底から理性的なものを根拠づけるピエロでありパントマイムであること。しかもその嘲笑は他人の偽善的な態度をあばき立てるもう一つの偽善者の態度ではない。逆に偽善的ではありえないことから来る留保なしの切迫性。夜の街路でヴァイオリンを奏でる物乞いの「真実の姿」。「真実」を語るためにはピエロでありパントマイムでしかあり得ない絶体的な虚無性。
「極端な隔たりであると同時に絶対的な混淆である。破壊的な力しかもたないので完全に消極的であるが、自分が打ち消すものにおいて魅惑されるので完全に積極的である。こうした媒介こそ、非理性の妄想である。ーーーわれわれがそこに狂気を認知する、謎にみちた姿である。この妄想は、世界の感覚的陶酔を、困窮と外観との切迫したたわむれを、表現の力によって蘇らせようとする、その企てのなかでは、皮肉にも孤独のままである」(フーコー「狂気の歴史・P.374」新潮社)
自分が確実であるためには常にその逆説を演じ続けるほか方法はないという深い洞察。にもかかわらずその洞察の深さの理解者はどこにもいないという悲劇あるいは喜劇的人物。ところが社会的理性は理性自身が理性であると証明するためにこの種の道化=狂気を必要不可欠なものとしている。その点についてはヘーゲルを引用して述べておいた。ゴッホはそれから約百五十年後にやって来た。事情はますます混濁し異様に分割されている。ゴッホは非理性という位置で言う。この分割は正しくないと。だからといって再び合体させればいいと言っているわけでもない。ただ、世の中の人々の目に映って見えているこの自然の風景は、正しく映って見えていないと言っている。とはいえ、語っているのは絵画なのだが。そしてゴッホの《手》は《欲望する》。世間一般で正しいとされているありふれた風景は瞞着であり、さらによくないことに、自分で自分自身の目を欺くことによって始めて出現し正当性を得ているだけの自己瞞着でしかないと。自然そしてどこにでもある部屋や風景。それらはどれも、もっとねじまがり屈曲しているのだと。
「挽き臼によってわれわれ全員が呪いをかけられ、とうとう最後に自殺してしまったにもかかわらず、というのも、われわれ全員が、哀れなヴァン・ゴッホその人のように、社会による自殺者であるからではないのか!」(アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.155』河出文庫)
ゴッホは否定し、否定されたものを肯定した。画布には騒然と渦を巻き上げ流動する真っ赤な空が、ただし灰色の絵の具を用いて、描き上げられる。しかしそのための道具はどこにでも売っているごく当たり前の画布、絵筆、絵の具、画架。そして《欲望する》ゴッホの《手》である。しかしその態度は社会の側を激怒させた。したがって、ありもしない罪を問われ続け、社会的に葬り去られてしまった。
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なお、「感染=パンデミック」についてさらに。結核という感染症による大量の死者。国家化された医学によって細分化され個性化された死。その死はしかし、古代の悲劇性をもはや持っていない。古代悲劇はもはやなく、「個性」の名において「抒情的なもの」へと置き換えられる。個々人として尊重されはするが、個々別々に細分化され記録され国家的管理下に置かれる。国家化された医学=医学をモデルとした国家は、あらゆる情報の中央集権化とともに様々な「死に方」を分析し組織化し商品化する。
「死はその悲劇的な、古い空を去った。今やそれは人間の抒情的な中核となった」(フーコー「臨床医学の誕生・P.285」みすず書房)
感染症者の生涯は抒情的な詩へ、抒情的な商品へ、と変換された。一七八九年フランス革命の文化的遺産。それは近現代の物語の出現、すなわち《神話》の生産様式の確立と叩き売りの始まりでもあった。事実としての結核の悲惨さは商業主義的物語化の過程ですっかり分離され、だから事実はほとんど反映されず、したがって解離されている。事実としての結核の悲惨さはむしろ物語化のための小道具の位置に貶められ、どこか暗示的な暗雲の影としてのみ取り出され大いに商業利用される。日本では徳富濾過「不如帰」がその種の方法を採用し大ヒットしたことで有名だが。しかし作品は事実としての結核ではなく、そこから抽出された「個性」として、抒情的なものとして、ロマン主義的でヒロイズム的な美貌のヒロインが「肺の病」を患うという「美しい物語」的抒情性においてのみ、大ヒットした。ところが大ヒットしたことで今度は蔓延する結核患者の事実面は忘れ去られてしまうのである。結核を始めとする感染症は人間の身体において主体的に生きられるもの、というより、解剖学的管理体制の樹立によって客体化可能になったことで病者の身体と切り離され、実際、綿密詳細に客体化(対象化/カルテ化)された。客体化(対象化/カルテ化)されるやいなやそれは「個性」として病者の身体を置き去りにしつつ流通網へ派遣される。客体化された患者の生涯は「個性」の名の下に商品として世界各地を駆け巡る。
「色白の細面(ほそおもて)、眉(まゆ)の間(あわい)やや蹙(せま)りて、頰(ほお)のあたりの肉寒げなるが、疵(きず)といわば疵なれど、瘠形(やさがた)のすらりと静淑(しお)らしき人品(ひとがら)。これや北風(ほくふう)に一輪勁(つよ)きを誇る梅花にあらず、また霞(かすみ)の春に蝴蝶(こちょう)と化けて飛ぶ桜の花にもあらで、夏の夕闇にほのかに匂う月見草、と品定めもしつべき婦人」(徳富蘆花「不如帰・P.11」岩波文庫)
特権的「美人」である。さらに軍人の恋人がいる。が、主人公は結核を患い徐々に死の淵へ近づく。このようなステレオタイプな女性の「キャラクター化」は一九〇〇年(明治三十三年)すでに始まっていた。何も昨今の日本のアニメ業界で突如として始まったことではけっしてない。
「個性の宿命は、つねに客観性の中で形をとることになるが、この客観性は個性をあらわしながら、これを隠し、これを否定しながらこれを創る。『ここでもなお、主観的なものと客観的なものとがその姿を交換する』。一見奇妙に思われるやり方で、十九世紀の抒情主義を支える動きは、人間が自分自身についてポジティヴな認識を持つに至った動きと、同一のものにほかならない」(フーコー「臨床医学の誕生・P.326~327」みすず書房)
この「ポジティヴ」という逆説的態度。フーコーは「個性の宿命」と呼ぶ。個性は言語において出現することができるけれども、その同じ言語が常に一般的なものでしかあり得ないことによって個性は覆い隠される。言語は個性を出現させると同時に言語によって個性を覆い隠す。ところで、患者の「個性」はそもそも或る種の「逸脱」から生じた。あたりまえの前提として、病気は「逸脱するもの」だからである。
「解剖学的知覚においては、病気は必ず、ある程度の『動いたもの』を伴ってあらわれる。それは初めから、起始点、歩み、強さ、速度などの点で、ある自由なゆとりを持っていて、それがこの病気の個別的形態を描く。この形態は、病理的逸脱に加えられた逸脱ではない。病気とは本質的に逸脱的なものだが、その本性の内部において、それ自体、たえず逸脱するものなのである。病気には個別的な病気しかない。それは個人が自己の病気に反応するからというわけではなく、病気の作用が、当然のこととして、個性のかたちの中で、くりひろげられるからである」(フーコー「臨床医学の誕生・P.280」みすず書房)
だからなお、「ウイルスと人類との戦い」というキャッチフレーズは間違っていると言っておかねばならない。ウイルスは人間の諸活動と切っても切っても切り離せない関係にある。ウイルスは「それ単体」では何もしない。人間の身体に入ると同時に「感染症として」出現するのである。コッホが結核菌を発見したとき何が起こったか。結核菌は「個体」であるという《神話》が生まれた。なるほど個体ではある。だが結核が「感染症として」発生したのは結核ではなく結核菌というものが人間社会の諸活動とともにすでに流通開始していたからである。二〇二〇年の世界で出現した「感染=パンデミック」はとっくの昔に社会化されていた人間の政治経済文化活動のすべてにおいて合流するとともに分岐しつつ大きな流れを描く。もし本当に「長期戦」というのなら、それは暗黙のうちにウイルスと人間社会の諸活動との分離しがたさを前提していると言われねばならない。
さて、これ以上「感染=パンデミック」について、その逆説について、述べることは差し当たりない。そこで、「感染=パンデミック」終息がいつになるかを見据えながら、しかしなぜ「感染=パンデミック」発生の諸条件、とりわけアメリカ型資本主義=新自由主義という無政府主義的キャピタリズムについてはほとんど覆い隠されたままなのかについて考えてみる。まず第一に、本来的悲劇とは何か。
「さまざまな困難が途方もなく増大してしまっているような生涯というものがある、思想家の生涯がそれである。ここでは、その生涯について何かが物語られた場合には、ひとは、注意深く、耳を傾けざるを得ない、というのは、それを聞いただけで幸福と力が溢れて来、しかも後に来たる者の生活に光が照射されるような、そうした《生の諸々の可能性》について、ここでは語られるのを聞き取り得るからである、ここでは、一切のものが、極めて発明的で、熟慮に充ち、大胆で、絶望的で、しかも充ち溢れる希望で一杯であり、あたかもいわば最も偉大なる世界周航者の旅路に似た観があって、また実際に、生の最も辺鄙なかつ最も危険の多い領域の周航と、同じような趣きをもったものだからである。このような生涯において驚嘆すべきことは、異なった方向に向かって突き進む二つの敵対的な衝動が、ここでは、いわば《一つの》軛(くびき)の下で進むように強制されているという事柄のうちにある。つまり、認識を欲する者は、人間生活が成り立っている地盤というものを、何度でも繰り返し離れ去って、不確実なるものの中へと冒険的に突き進んで行かねばならないし、また、生を欲する衝動の方は、その上に立脚できるほぼ確実な立場というものを求めて、何度でも繰り返し探索してゆかねばならない」(ニーチェ「哲学者の書・P.404~405」ちくま学芸文庫)
さらに。一般的に言われる「健康/不健康」、「健常者/障害者」、「理性/狂気」、という恣意的に分割された意味での「健康」ではなく、逆に、まったく違った意味を与えられていた時代の「《大いなる健康》」ということ。それによって本来的な「悲劇」も可能になる。
「《大いなる健康》。ーーーわれら新しい者、名の無い者、理解されがたい者、まだはっきりしていない未来の早生児たるわれわれーーーそのわれわれは、新しい目的のために、新しい手段をも必要とする、すなわち新しい健康を、これまでのあらゆる健康にもまさって強壮な・才気縦横な・しなやかな・大胆な・活(い)きいきした健康を、必要とする。これまでの価値の願望の全域を隈なく体験し、この理想の『地中海』の岸辺という岸辺を残らず航行しようと渇望する魂の持主、また征服者や理想の発見者が、同様芸術家や聖者や立法者や賢者や学者や篤信家や予言者や古い型の教会離脱者が、どんな気持ちであるものかを自己独立の経験上の冒険によって知ろうと欲する者、こうした者はそのために何はおいてまず一つのものを、すなわち《大いなる健康》を、必要とするーーーこういう健康は、ただたんにこれを所有するだけでなく、なおも不断に獲得してゆくもの、獲得せねばならないものである。なぜならそれは繰り返し犠牲に供されるし犠牲にされねばならないものだから!ーーーこうして、われわれ理想のアルゴ号(ギリシア神話のイアソンがコルキスへの冒険旅行のときに乗った船の名ーーー快帆走者という意味を持つ)の隊員は、賢いというよりはむしろ勇敢に、また実にしばしば難破し災難に見舞われながら、それでも前述のごとく信じがたいほど健康で、危険なまでに健康で、くりかえしくりかえし健康で、永い航海をつづけた後に、ーーー今や、われわれには、その報酬として、いまだ何者もその際涯を見究めたことのなかった未発見の国が眼前にひらけたように、見えてくるものだ。すなわち、従前のあらゆる理想の国や理想の奥地の彼方なる世界が、美しいもの・珍しいもの・疑わしいもの・怖るべきもの・神的なものに充ち溢れた世界、それを見てはわれわれの好奇心もわれわれの所有欲も我を忘れてしまうような世界が、ーーーああ、われわれがもはやどんなにしても飽き足りることのないような世界が!こういうものを望見したあとで、良心と知識の点でこうした烈しい渇望を覚えた今になって、どうしてわれわれは《現在の人間》に満足することができようか?まったくもって困ったことだ、さりとて、われわれが現在人の最も尊敬する目標や希望を体裁取りつくろっただけの真面目さで眺めるにすぎないということ、おそらくは眺めさえももはやしないということは、やむをえないところだ。一つの別な理想が、われわれの眼前をよぎる、ーーー奇怪な、誘惑的な、危険に満ちた理想が。われわれはこれを誰に対してにしろ説きつけようなどとは思っていない、なぜといって、誰にしろ《それにふさわしい権利》があるなどとは、そうやすやすとわれわれは認めはしないからだ。それこそは、これまで聖とか善とか不可侵とか神的とか呼ばれてきた一切のものと、天真爛漫(てんしんらんまん)にーーーつまり意欲なく無我に、しかも溢れたぎる豊満と力強さからして、戯れるところの精神の、理想なのだ。こうした精神にとっては、民衆が当然にも彼らの価値尺度の準拠とする至高のものが、すでに危険・頽落・失墜を、あるいは少なくとも休養か失明か一時の自己忘失かの類いかを意味するものであろう。それは、人間的・超人間的な幸福と好意という理想であるが、往々にしてそれは全く《非人間的なもの》と見えるであろう。たとえばそれが在来のあらゆる世間的生真面目とか挙動や言葉や音声や眼差しや道徳や使命等におけるあらゆる種類のもったいぶりとかのそばに、まるでその思い設けぬパロディそのものとして持ち出されると、全く非人間的に見えるであろう、ーーーがそれにもかかわらず、おそらくは、その理想とともにはじめて、《偉大な厳粛さ》が訪れ、真の疑問符がはじめて打ちつけられ、魂の運命が向きを変え、時計の針がすすみ、悲劇が《はじまる》」(ニーチェ「悦ばしき知識・三八二・P.456~458」ちくま学芸文庫)
また、知識について。悲劇的時代ではどのようであったか、あるいはどのようであるべきか。
「悦ばしきーーーそれが《われらの》知識の名であれ!」(ニーチェ「悦ばしき知識・プリンツ・フォーゲルフライの歌・P.485」ちくま学芸文庫)
しかし座礁、蹉跌、難破、災難はいつなんどきでも到来するし、到来しないわけにはいかなかった。そんな古代ギリシアにおける破滅的事態の解消方法について。
「そして、『愚かさ』・『無分別』・少しばかりの『頭の狂い』、これだけは最も強く、最も勇敢な時代のギリシア人といえども、多くの凶事や災厄の原因として《許した》ーーー愚かさであって、罪では《ない》のだ!諸君にはそれがわかるかーーーしかしこの頭の狂いすらも一つの問題であったーーー『そうだ、そんなことが一体どうして可能なのか。それは一体どこから来たのか。《われわれ》高貴な素性(すじょう)の人間、幸福な人間、育ちのよい人間、最もよい社会の人間、貴族的な人間、有徳な人間のもっているような頭に?』ーーー数世紀にわたってあの高貴なギリシア人は、自分の仲間の一人が犯した合点の行かぬような悪虐無道に面する度ごとにそう自問した。『きっと《神》が瞞(だま)したのに違いない』とついに彼は頭を振りながら自分に言ったーーーこの遁辞はギリシア人にとって《典型的なもの》だーーーこのように当時の神々は、人間を凶事においてさえもある程度まで弁護するに役立った。すなわち、神々は悪の原因として役立ったーーー当時の神々は罰を身に引き受けないで、むしろ《より高貴なもの》を、すなわち罪を身に引き受けたのだ」(ニーチェ「道徳の系譜・P.113」岩波文庫)
ひるがえって、近現代の悲劇とは何か。「ニヒリズムという病」の誕生。
「生成でもっては何ものもめざされてはいない、また、すべての生成のしたには、あたかも最高価値のうちでのごとく、個々人がそのなかにすっぽり沈み込んでよいような大いなる統一など支配していないという、これら二つの《洞察》があったとすれば、《逃げ道》としてのこっているのは、この生成の全世界を迷妄と判断して、このものの彼岸にある一つの世界を《真の》世界として捏造(ねつぞう)することでしかない。しかし人間が、こうした世界を組み立てたのは心理学的欲求に過ぎず、人間はそうする権利をまるっきりもってはいないとさとるやいなや、ニヒリズムの最後の形式が生ずる。これは、《形而上学的世界を信じない》ということをそれ自身のうちにふくみ、ーーー《真の》世界を信ずることをおのれに禁ずるものである。この立脚点に立って生成の実在性が《唯一の》実在性としてみとめられ、背後の世界の偽りの神性につうずるあらゆる種類の抜け道が禁ぜられるーーーしかし、《誰も否認しようとは欲しないこの生成の世界が耐えがたいのである》。
ーーーいったい何がおこったのか?『《目的》』という概念をもってしても、『《統一》』という概念をもってしても、『《真理》』という概念をもってしても、生存の総体的性格は解釈されえないとわかったとき、《無価値性》の感情がえられたのである。かくして、何ものもめざされ達成されず、生成という多様性をおおう統一は欠けている。すなわち、生存の性格は《真》ではなく《偽》なのであるーーー《真》の世界があるとおのれを説得する根拠は、もはやまったくなくなるーーー要するに、私たちが世界に価値を置き入れてきた《目的》、《統一》、《存在》という諸範疇(はんちゅう)は、ふたたび私たちによって《引きぬき去られ》ーーーいまや世界は《無価値のものにみえて》くるーーー」(ニーチェ「権力への意志・上巻・十二・P.29~30」ちくま学芸文庫)
その病は今なお続いているということ。むしろますます急速に悪化する傾向が表面化したということ。国家化された医学=医学体系的国家の主導のもとで非理性あるいは狂気経験は「悪いもの」と位置づけられるに立ち至った。そのとき何が起こったか。そのとき始めて「近現代の病としての狂気」が出現した。出現させた側の狂気は問われないまま。永遠回帰する不気味な言葉、その反復とともに。
「精神の上には雲また雲が積み重なり、ついに狂気が次のように説教をしはじめた。『一切は過ぎ去る。それゆえに一切は過ぎ去るに値するのだ』『だから時はおのれの子どもたちを食わざるをえない、この時の法則は、まったく正当なことである』そう狂気は説教した。『世のいっさいのことは、正義と罰とによって道徳的に秩序づけられている。おお、世の事象の流れからの救済、また<生存>という罰からの救済は、どこにもない』そう狂気は説教した。『永遠の正義が存在する以上、救済ということがありえようか。ああ、<かつてそうであった>という大石は、押しころがすことのできないものである。だからすべての罰も、永遠に存在せざるを得ないものである』そう狂気は説教した。『いかなる行為も抹殺(まっさつ)することはできない。罰を受けたからといって、どうして行為が行なわれなかったということになろう。そして<生存>という罰のもっている永遠性とはこうである。生存も、永遠にわたって行為であり罪責であることをくりかえさなければならぬのだ』」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第二部・救済・P.224~225」中公文庫)
出現させた側の狂気というのはこうだ。
「人間はもし気が違っていないとしたら、別の違い方で気が違っていることになりかねないほどに、必然的に気が違っているものである」(パスカル「パンセ・四一四・P.255」中公文庫)
なるほど個性の数だけ病はあるが、病の数以上に患者の個性は抒情化され、その商品化はますます増殖する。一九九〇年代末期のバルカン空爆にせよ、世界的な大手広告代理店が繰り広げてきた商法はここに起源を持つ。だがそのスポンサーは多様性ゆえ、目に見えないという事態が起こってくる。いつもすでに流動し絡み合う資本複合体としてだけ存在しているからだ。ところが、感染症についての悪質な言説の出現は、いつも、悦ばしき快癒への方法と同時に出現するという逆説がある。「近現代の病としての狂気=ニヒリズム」から快癒するための一つの方法。しかし近現代の社会的倫理制度の中に入ると、この方法の側が悲劇的だと勘違いされている始末なのだが。「運命愛」。
「《然りへの私の新しい道》。ーーー私がこれまで理解し生きぬいてきた哲学とは、生存の憎むべき厭(いと)うべき側面をもみずからすすんで探求することである。氷と沙漠をたどったそうした彷徨(ほうこう)が私にあたえた長いあいだの経験から、私は、これまで哲学されてきたすべてのものを、異なった視点からながめることを学んだ、ーーー哲学の《隠された》歴史、哲学史上の偉大なひとびとの心理学が、私には明らかとなったのである。『精神が、いかに多くの真理に《耐えうる》か、いかに多くの真理を《敢行する》か?』ーーーこれが私には本来の価値尺度となった。誤謬は一つの《臆病》であるーーー認識のあらゆる獲得は、気力から、おのれに対する冷酷さから、おのれに対する潔癖さから《結果する》ーーー私の生きぬくがごときそうした《実験哲学》は、最も原則的なニヒリズムの可能性をすら試験的に先取する。こう言ったからとて、この哲学は、否定に、否(いな)に、否への意志に停滞するというのではない。この哲学はむしろ逆のことにまで徹底しようと欲するーーーあるがままの世界に対して、差し引いたり、除外したり、選択したりすることなしに、《ディオニュソス的に然りと断言すること》にまでーーー、それは永遠の円環運動を欲する、ーーーすなわち、まったく同一の事物を、結合のまったく同一の論理と非論理を。哲学者の達しうる最高の状態、すなわち、生存へとディオニュソス的に立ち向かうということーーー、このことにあたえた私の定式が《運命愛》である」(ニーチェ「権力への意志・下巻・一〇四一・P517~518」ちくま学芸文庫)
日本でも同じようなことを言った小説家がいる。
「それならば、生存の孤独とか、我々のふるさとというものは、このようにむごたらしく、救いのないものでありましょうか。私は、いかにも、そのように、むごたらしく、救いのないものだと思います。この暗黒の孤独には、どうしても救いがない。我々の現身(うつしみ)は、道に迷えば救いの家を予期して歩くことができる。けれども、この孤独は、いつも曠野を迷うだけで、救いの家を予期すらもできない。そうして、最後に、むごたらしいこと、救いがないということ、それだけが、唯一の救いなのであります。モラルがないということ自体がモラルであると同じように、救いがないということ自体が救いであります。私は文学のふるさと、或いは人間のふるさとを、ここに見ます。文学はここから始まるーーー私は、そうも思います。アモラルな、この突き放した物語だけが文学だというのではありません。否、私はむしろ、このような物語を、それほど高く評価しません。なぜなら、ふるさとは我々のゆりかごではあるけれども、大人の仕事は、決してふるさとへ帰ることではないから。ーーーだが、このふるさとの意識・自覚のないところに文学があろうとは思われない。文学のモラルも、その社会性も、このふるさとの上に生育したものでなければ、私は決して信用しない。そして、文学の批評も。私はそのように信じています」(坂口安吾「文学のふるさと」『坂口安吾全集14・P.330~331』ちくま文庫)
一九四一年(昭和十六年)七月二十八日発行。一九四一年六月二十七日執筆の署名あり。太平洋戦争開戦の年(一九四一年)に当たる。それ以前すでに安吾は関東大震災を経験しており、なおかつ芥川龍之介の自殺に衝撃を受けるとともに或る違和感を覚えた一人でもあった。後に「生か死か」ではなくフーコーのいうような意味での「非理性」、すなわち「ファルス=道化」という方法を提案するに至る。しかしまた、一九四一年(昭和十六年)十二月八日の真珠湾攻撃がもたらした逆説について触れておかねばならない。日中戦争はとっくに始まっていた。しかしアメリカはまだ国内世論を統一できてはいなかった。そこに降って湧いた真珠湾攻撃。この電撃的攻撃がアメリカによる逆襲という《欲望》を生産したのである。たちまち“Remember Pearl Harbor”(真珠湾を忘れるな)というキャッチコピーが登場した。アメリカ国内の世論統一を果たしたのは警察ではなく政府間交渉の帰趨でもなく、ほかでもないスローガンでありながら同時にキャッチコピーでもある“Remember Pearl Harbor”(真珠湾を忘れるな)という言語の作用だったのである。
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さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。
「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)
ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。
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「われわれ全員がずっと仕事をして、戦い、恐怖と飢えと逆境と憎しみと躓(つまず)きと嫌悪のあまりわめき散らしたのは、われわれ全員が毒を盛られたのは、この世界のためではなく、けっしてこの地上のためなどではない」(アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.155』河出文庫)
社会規範は目に見えない社会的文法によって規定されている。何を見るにせよ語るにせよ描くにせよ、こうでなければならないという遠近法が社会全体に浸透していた。その領域を犯すことは犯罪でありわかりやすい行為だった。しかしその領域からはみ出ていこうとする動きには途轍もなく用心深く嫉妬深い視線を張り巡らせている目に見えない警察国家の網目が社会の隅々まで張り巡らされていた。「挽き臼」というのは目に見えないが誰でも身につけている社会的文法のことだ。目に見える形ではフランス革命前後に更新されたキリスト教道徳だったり新興ブルジョワ階級の倫理規範だったりしていたが。中世の狂人たちは<通過>自体を生きることができた。だからといって狂人たちは尊敬されていたわけではない。厄介払いされる。しかしその象徴性を奪われることはないのであり、事態は次のように進行していた。
「狂人たちの航行に作用し、それに威厳をあたえているにちがいない奇妙な過重な意味が、よりよく理解される。一面では、議論の余地なき実際上の効力がはたす役割を過小評価してはならないのであって、狂人を船頭に託すことは、たしかに狂人が際限なく市域をぶらつかぬようにし、遠方へおもむいたことを確かめて、狂人にその出発を忠実に実行させることだった。だが、この事態に、水はそれじたいの不明確な多くの価値をつけ加えるのである。水は運び出す、だがそれ以上のことをする。浄化するのである。さらにまた航行は人間を運命の定めなさに直面させる。航行中は、各人はみずからの宿運にゆだねられ、いつ船に乗ろうとも、それが最後の命になる可能性が秘められる。狂人が気違い船にのっておもむく先は、あの世である。舟をおりて帰ってくるのは、あの世からである。こうした狂人の船旅は、厳密な分割であると同時に絶対的な<通過・変転>である。ある意味ではこの船旅は、なかば実在していてなかば空想的な地理書にしたがいつつ、たえず中世的人間の関心の地平にまで狂人の《出発点での》状況を展開させつづけているわけである。ーーー都市の《城門》のところで《監禁され》るという、狂人に与えられた特権によって、象徴化されもし現実化されてもいる状況を。つまり、狂人の排除は狂人を囲い込まねばならないのである。狂人は《関門》じたいのほかには《牢獄》をもつことができず、それをもってはならないとしても、狂人は通過する地点で取り押さえられるのである。彼は、外部の内側におかれているし、逆に内部の外側におかれてもいるのだ。これは高度に象徴的な立場であり、もしも、狂人のおかれるこの立場がかつては秩序の明確な要塞だったものが現代では、われわれの意識の城と化してしまったことを認めるとすれば、この象徴的な立場は現代にいたるまで、その姿のまま残っているにちがいない。
水と船旅がこの役割をはたしている。脱出できない船のなかに閉じこめられた狂人は、幾千もの支流をもつ河川、数多くの航路をもつ海、あらゆることと絶縁した大いなる不安にゆだねられる。狂人は自由自在の航路、どこにむかっても開かれている航路の途上で囚人になっている。つまり、果てしない十字路にかたく鎖でつながれているわけである。彼はこの上ない<通過者>、つまり通過の囚人だ。しかも接岸するはずの陸地がいかなるところであるかは不明である。ちょうど出立してきた陸地がどんなところだったかが上陸するおりに不明であるように。狂人は、自分のものとなりえぬ二つの土地(出立地と上陸地)のあいだの、あの不毛の広い空間にしか自分の真実と自分の生れ故郷をもちあわせない。西洋文化の流れにそって人がたどることができるのは、こうした諸価値を媒介として長期にわたる空想上の血族関係の起源にあるあの宗教的慣習なのだろうか?それとも逆に、古来、船旅の慣例を招きよせ固定化したのは、この空想上の血族関係なのだろうか?いずれにしても一つの事柄だけは確かである。つまり、ヨーロッパ人の夢想のなかで、水と狂気は長いあいだ結びあっているという点は」(フーコー「狂気の歴史・P.28~29」新潮社)
ラモーの甥はなぜ道化でしかないのか。自分が道化でしかあり得ず、狂気としてしか認知されない態度をあえて引き受けて生きているのか。自己疎外された存在であることを引き受け、皮肉に満ちた嘲笑を演じ、非理性の奥底から理性的なものを根拠づけるピエロでありパントマイムであること。しかもその嘲笑は他人の偽善的な態度をあばき立てるもう一つの偽善者の態度ではない。逆に偽善的ではありえないことから来る留保なしの切迫性。夜の街路でヴァイオリンを奏でる物乞いの「真実の姿」。「真実」を語るためにはピエロでありパントマイムでしかあり得ない絶体的な虚無性。
「極端な隔たりであると同時に絶対的な混淆である。破壊的な力しかもたないので完全に消極的であるが、自分が打ち消すものにおいて魅惑されるので完全に積極的である。こうした媒介こそ、非理性の妄想である。ーーーわれわれがそこに狂気を認知する、謎にみちた姿である。この妄想は、世界の感覚的陶酔を、困窮と外観との切迫したたわむれを、表現の力によって蘇らせようとする、その企てのなかでは、皮肉にも孤独のままである」(フーコー「狂気の歴史・P.374」新潮社)
自分が確実であるためには常にその逆説を演じ続けるほか方法はないという深い洞察。にもかかわらずその洞察の深さの理解者はどこにもいないという悲劇あるいは喜劇的人物。ところが社会的理性は理性自身が理性であると証明するためにこの種の道化=狂気を必要不可欠なものとしている。その点についてはヘーゲルを引用して述べておいた。ゴッホはそれから約百五十年後にやって来た。事情はますます混濁し異様に分割されている。ゴッホは非理性という位置で言う。この分割は正しくないと。だからといって再び合体させればいいと言っているわけでもない。ただ、世の中の人々の目に映って見えているこの自然の風景は、正しく映って見えていないと言っている。とはいえ、語っているのは絵画なのだが。そしてゴッホの《手》は《欲望する》。世間一般で正しいとされているありふれた風景は瞞着であり、さらによくないことに、自分で自分自身の目を欺くことによって始めて出現し正当性を得ているだけの自己瞞着でしかないと。自然そしてどこにでもある部屋や風景。それらはどれも、もっとねじまがり屈曲しているのだと。
「挽き臼によってわれわれ全員が呪いをかけられ、とうとう最後に自殺してしまったにもかかわらず、というのも、われわれ全員が、哀れなヴァン・ゴッホその人のように、社会による自殺者であるからではないのか!」(アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.155』河出文庫)
ゴッホは否定し、否定されたものを肯定した。画布には騒然と渦を巻き上げ流動する真っ赤な空が、ただし灰色の絵の具を用いて、描き上げられる。しかしそのための道具はどこにでも売っているごく当たり前の画布、絵筆、絵の具、画架。そして《欲望する》ゴッホの《手》である。しかしその態度は社会の側を激怒させた。したがって、ありもしない罪を問われ続け、社会的に葬り去られてしまった。
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なお、「感染=パンデミック」についてさらに。結核という感染症による大量の死者。国家化された医学によって細分化され個性化された死。その死はしかし、古代の悲劇性をもはや持っていない。古代悲劇はもはやなく、「個性」の名において「抒情的なもの」へと置き換えられる。個々人として尊重されはするが、個々別々に細分化され記録され国家的管理下に置かれる。国家化された医学=医学をモデルとした国家は、あらゆる情報の中央集権化とともに様々な「死に方」を分析し組織化し商品化する。
「死はその悲劇的な、古い空を去った。今やそれは人間の抒情的な中核となった」(フーコー「臨床医学の誕生・P.285」みすず書房)
感染症者の生涯は抒情的な詩へ、抒情的な商品へ、と変換された。一七八九年フランス革命の文化的遺産。それは近現代の物語の出現、すなわち《神話》の生産様式の確立と叩き売りの始まりでもあった。事実としての結核の悲惨さは商業主義的物語化の過程ですっかり分離され、だから事実はほとんど反映されず、したがって解離されている。事実としての結核の悲惨さはむしろ物語化のための小道具の位置に貶められ、どこか暗示的な暗雲の影としてのみ取り出され大いに商業利用される。日本では徳富濾過「不如帰」がその種の方法を採用し大ヒットしたことで有名だが。しかし作品は事実としての結核ではなく、そこから抽出された「個性」として、抒情的なものとして、ロマン主義的でヒロイズム的な美貌のヒロインが「肺の病」を患うという「美しい物語」的抒情性においてのみ、大ヒットした。ところが大ヒットしたことで今度は蔓延する結核患者の事実面は忘れ去られてしまうのである。結核を始めとする感染症は人間の身体において主体的に生きられるもの、というより、解剖学的管理体制の樹立によって客体化可能になったことで病者の身体と切り離され、実際、綿密詳細に客体化(対象化/カルテ化)された。客体化(対象化/カルテ化)されるやいなやそれは「個性」として病者の身体を置き去りにしつつ流通網へ派遣される。客体化された患者の生涯は「個性」の名の下に商品として世界各地を駆け巡る。
「色白の細面(ほそおもて)、眉(まゆ)の間(あわい)やや蹙(せま)りて、頰(ほお)のあたりの肉寒げなるが、疵(きず)といわば疵なれど、瘠形(やさがた)のすらりと静淑(しお)らしき人品(ひとがら)。これや北風(ほくふう)に一輪勁(つよ)きを誇る梅花にあらず、また霞(かすみ)の春に蝴蝶(こちょう)と化けて飛ぶ桜の花にもあらで、夏の夕闇にほのかに匂う月見草、と品定めもしつべき婦人」(徳富蘆花「不如帰・P.11」岩波文庫)
特権的「美人」である。さらに軍人の恋人がいる。が、主人公は結核を患い徐々に死の淵へ近づく。このようなステレオタイプな女性の「キャラクター化」は一九〇〇年(明治三十三年)すでに始まっていた。何も昨今の日本のアニメ業界で突如として始まったことではけっしてない。
「個性の宿命は、つねに客観性の中で形をとることになるが、この客観性は個性をあらわしながら、これを隠し、これを否定しながらこれを創る。『ここでもなお、主観的なものと客観的なものとがその姿を交換する』。一見奇妙に思われるやり方で、十九世紀の抒情主義を支える動きは、人間が自分自身についてポジティヴな認識を持つに至った動きと、同一のものにほかならない」(フーコー「臨床医学の誕生・P.326~327」みすず書房)
この「ポジティヴ」という逆説的態度。フーコーは「個性の宿命」と呼ぶ。個性は言語において出現することができるけれども、その同じ言語が常に一般的なものでしかあり得ないことによって個性は覆い隠される。言語は個性を出現させると同時に言語によって個性を覆い隠す。ところで、患者の「個性」はそもそも或る種の「逸脱」から生じた。あたりまえの前提として、病気は「逸脱するもの」だからである。
「解剖学的知覚においては、病気は必ず、ある程度の『動いたもの』を伴ってあらわれる。それは初めから、起始点、歩み、強さ、速度などの点で、ある自由なゆとりを持っていて、それがこの病気の個別的形態を描く。この形態は、病理的逸脱に加えられた逸脱ではない。病気とは本質的に逸脱的なものだが、その本性の内部において、それ自体、たえず逸脱するものなのである。病気には個別的な病気しかない。それは個人が自己の病気に反応するからというわけではなく、病気の作用が、当然のこととして、個性のかたちの中で、くりひろげられるからである」(フーコー「臨床医学の誕生・P.280」みすず書房)
だからなお、「ウイルスと人類との戦い」というキャッチフレーズは間違っていると言っておかねばならない。ウイルスは人間の諸活動と切っても切っても切り離せない関係にある。ウイルスは「それ単体」では何もしない。人間の身体に入ると同時に「感染症として」出現するのである。コッホが結核菌を発見したとき何が起こったか。結核菌は「個体」であるという《神話》が生まれた。なるほど個体ではある。だが結核が「感染症として」発生したのは結核ではなく結核菌というものが人間社会の諸活動とともにすでに流通開始していたからである。二〇二〇年の世界で出現した「感染=パンデミック」はとっくの昔に社会化されていた人間の政治経済文化活動のすべてにおいて合流するとともに分岐しつつ大きな流れを描く。もし本当に「長期戦」というのなら、それは暗黙のうちにウイルスと人間社会の諸活動との分離しがたさを前提していると言われねばならない。
さて、これ以上「感染=パンデミック」について、その逆説について、述べることは差し当たりない。そこで、「感染=パンデミック」終息がいつになるかを見据えながら、しかしなぜ「感染=パンデミック」発生の諸条件、とりわけアメリカ型資本主義=新自由主義という無政府主義的キャピタリズムについてはほとんど覆い隠されたままなのかについて考えてみる。まず第一に、本来的悲劇とは何か。
「さまざまな困難が途方もなく増大してしまっているような生涯というものがある、思想家の生涯がそれである。ここでは、その生涯について何かが物語られた場合には、ひとは、注意深く、耳を傾けざるを得ない、というのは、それを聞いただけで幸福と力が溢れて来、しかも後に来たる者の生活に光が照射されるような、そうした《生の諸々の可能性》について、ここでは語られるのを聞き取り得るからである、ここでは、一切のものが、極めて発明的で、熟慮に充ち、大胆で、絶望的で、しかも充ち溢れる希望で一杯であり、あたかもいわば最も偉大なる世界周航者の旅路に似た観があって、また実際に、生の最も辺鄙なかつ最も危険の多い領域の周航と、同じような趣きをもったものだからである。このような生涯において驚嘆すべきことは、異なった方向に向かって突き進む二つの敵対的な衝動が、ここでは、いわば《一つの》軛(くびき)の下で進むように強制されているという事柄のうちにある。つまり、認識を欲する者は、人間生活が成り立っている地盤というものを、何度でも繰り返し離れ去って、不確実なるものの中へと冒険的に突き進んで行かねばならないし、また、生を欲する衝動の方は、その上に立脚できるほぼ確実な立場というものを求めて、何度でも繰り返し探索してゆかねばならない」(ニーチェ「哲学者の書・P.404~405」ちくま学芸文庫)
さらに。一般的に言われる「健康/不健康」、「健常者/障害者」、「理性/狂気」、という恣意的に分割された意味での「健康」ではなく、逆に、まったく違った意味を与えられていた時代の「《大いなる健康》」ということ。それによって本来的な「悲劇」も可能になる。
「《大いなる健康》。ーーーわれら新しい者、名の無い者、理解されがたい者、まだはっきりしていない未来の早生児たるわれわれーーーそのわれわれは、新しい目的のために、新しい手段をも必要とする、すなわち新しい健康を、これまでのあらゆる健康にもまさって強壮な・才気縦横な・しなやかな・大胆な・活(い)きいきした健康を、必要とする。これまでの価値の願望の全域を隈なく体験し、この理想の『地中海』の岸辺という岸辺を残らず航行しようと渇望する魂の持主、また征服者や理想の発見者が、同様芸術家や聖者や立法者や賢者や学者や篤信家や予言者や古い型の教会離脱者が、どんな気持ちであるものかを自己独立の経験上の冒険によって知ろうと欲する者、こうした者はそのために何はおいてまず一つのものを、すなわち《大いなる健康》を、必要とするーーーこういう健康は、ただたんにこれを所有するだけでなく、なおも不断に獲得してゆくもの、獲得せねばならないものである。なぜならそれは繰り返し犠牲に供されるし犠牲にされねばならないものだから!ーーーこうして、われわれ理想のアルゴ号(ギリシア神話のイアソンがコルキスへの冒険旅行のときに乗った船の名ーーー快帆走者という意味を持つ)の隊員は、賢いというよりはむしろ勇敢に、また実にしばしば難破し災難に見舞われながら、それでも前述のごとく信じがたいほど健康で、危険なまでに健康で、くりかえしくりかえし健康で、永い航海をつづけた後に、ーーー今や、われわれには、その報酬として、いまだ何者もその際涯を見究めたことのなかった未発見の国が眼前にひらけたように、見えてくるものだ。すなわち、従前のあらゆる理想の国や理想の奥地の彼方なる世界が、美しいもの・珍しいもの・疑わしいもの・怖るべきもの・神的なものに充ち溢れた世界、それを見てはわれわれの好奇心もわれわれの所有欲も我を忘れてしまうような世界が、ーーーああ、われわれがもはやどんなにしても飽き足りることのないような世界が!こういうものを望見したあとで、良心と知識の点でこうした烈しい渇望を覚えた今になって、どうしてわれわれは《現在の人間》に満足することができようか?まったくもって困ったことだ、さりとて、われわれが現在人の最も尊敬する目標や希望を体裁取りつくろっただけの真面目さで眺めるにすぎないということ、おそらくは眺めさえももはやしないということは、やむをえないところだ。一つの別な理想が、われわれの眼前をよぎる、ーーー奇怪な、誘惑的な、危険に満ちた理想が。われわれはこれを誰に対してにしろ説きつけようなどとは思っていない、なぜといって、誰にしろ《それにふさわしい権利》があるなどとは、そうやすやすとわれわれは認めはしないからだ。それこそは、これまで聖とか善とか不可侵とか神的とか呼ばれてきた一切のものと、天真爛漫(てんしんらんまん)にーーーつまり意欲なく無我に、しかも溢れたぎる豊満と力強さからして、戯れるところの精神の、理想なのだ。こうした精神にとっては、民衆が当然にも彼らの価値尺度の準拠とする至高のものが、すでに危険・頽落・失墜を、あるいは少なくとも休養か失明か一時の自己忘失かの類いかを意味するものであろう。それは、人間的・超人間的な幸福と好意という理想であるが、往々にしてそれは全く《非人間的なもの》と見えるであろう。たとえばそれが在来のあらゆる世間的生真面目とか挙動や言葉や音声や眼差しや道徳や使命等におけるあらゆる種類のもったいぶりとかのそばに、まるでその思い設けぬパロディそのものとして持ち出されると、全く非人間的に見えるであろう、ーーーがそれにもかかわらず、おそらくは、その理想とともにはじめて、《偉大な厳粛さ》が訪れ、真の疑問符がはじめて打ちつけられ、魂の運命が向きを変え、時計の針がすすみ、悲劇が《はじまる》」(ニーチェ「悦ばしき知識・三八二・P.456~458」ちくま学芸文庫)
また、知識について。悲劇的時代ではどのようであったか、あるいはどのようであるべきか。
「悦ばしきーーーそれが《われらの》知識の名であれ!」(ニーチェ「悦ばしき知識・プリンツ・フォーゲルフライの歌・P.485」ちくま学芸文庫)
しかし座礁、蹉跌、難破、災難はいつなんどきでも到来するし、到来しないわけにはいかなかった。そんな古代ギリシアにおける破滅的事態の解消方法について。
「そして、『愚かさ』・『無分別』・少しばかりの『頭の狂い』、これだけは最も強く、最も勇敢な時代のギリシア人といえども、多くの凶事や災厄の原因として《許した》ーーー愚かさであって、罪では《ない》のだ!諸君にはそれがわかるかーーーしかしこの頭の狂いすらも一つの問題であったーーー『そうだ、そんなことが一体どうして可能なのか。それは一体どこから来たのか。《われわれ》高貴な素性(すじょう)の人間、幸福な人間、育ちのよい人間、最もよい社会の人間、貴族的な人間、有徳な人間のもっているような頭に?』ーーー数世紀にわたってあの高貴なギリシア人は、自分の仲間の一人が犯した合点の行かぬような悪虐無道に面する度ごとにそう自問した。『きっと《神》が瞞(だま)したのに違いない』とついに彼は頭を振りながら自分に言ったーーーこの遁辞はギリシア人にとって《典型的なもの》だーーーこのように当時の神々は、人間を凶事においてさえもある程度まで弁護するに役立った。すなわち、神々は悪の原因として役立ったーーー当時の神々は罰を身に引き受けないで、むしろ《より高貴なもの》を、すなわち罪を身に引き受けたのだ」(ニーチェ「道徳の系譜・P.113」岩波文庫)
ひるがえって、近現代の悲劇とは何か。「ニヒリズムという病」の誕生。
「生成でもっては何ものもめざされてはいない、また、すべての生成のしたには、あたかも最高価値のうちでのごとく、個々人がそのなかにすっぽり沈み込んでよいような大いなる統一など支配していないという、これら二つの《洞察》があったとすれば、《逃げ道》としてのこっているのは、この生成の全世界を迷妄と判断して、このものの彼岸にある一つの世界を《真の》世界として捏造(ねつぞう)することでしかない。しかし人間が、こうした世界を組み立てたのは心理学的欲求に過ぎず、人間はそうする権利をまるっきりもってはいないとさとるやいなや、ニヒリズムの最後の形式が生ずる。これは、《形而上学的世界を信じない》ということをそれ自身のうちにふくみ、ーーー《真の》世界を信ずることをおのれに禁ずるものである。この立脚点に立って生成の実在性が《唯一の》実在性としてみとめられ、背後の世界の偽りの神性につうずるあらゆる種類の抜け道が禁ぜられるーーーしかし、《誰も否認しようとは欲しないこの生成の世界が耐えがたいのである》。
ーーーいったい何がおこったのか?『《目的》』という概念をもってしても、『《統一》』という概念をもってしても、『《真理》』という概念をもってしても、生存の総体的性格は解釈されえないとわかったとき、《無価値性》の感情がえられたのである。かくして、何ものもめざされ達成されず、生成という多様性をおおう統一は欠けている。すなわち、生存の性格は《真》ではなく《偽》なのであるーーー《真》の世界があるとおのれを説得する根拠は、もはやまったくなくなるーーー要するに、私たちが世界に価値を置き入れてきた《目的》、《統一》、《存在》という諸範疇(はんちゅう)は、ふたたび私たちによって《引きぬき去られ》ーーーいまや世界は《無価値のものにみえて》くるーーー」(ニーチェ「権力への意志・上巻・十二・P.29~30」ちくま学芸文庫)
その病は今なお続いているということ。むしろますます急速に悪化する傾向が表面化したということ。国家化された医学=医学体系的国家の主導のもとで非理性あるいは狂気経験は「悪いもの」と位置づけられるに立ち至った。そのとき何が起こったか。そのとき始めて「近現代の病としての狂気」が出現した。出現させた側の狂気は問われないまま。永遠回帰する不気味な言葉、その反復とともに。
「精神の上には雲また雲が積み重なり、ついに狂気が次のように説教をしはじめた。『一切は過ぎ去る。それゆえに一切は過ぎ去るに値するのだ』『だから時はおのれの子どもたちを食わざるをえない、この時の法則は、まったく正当なことである』そう狂気は説教した。『世のいっさいのことは、正義と罰とによって道徳的に秩序づけられている。おお、世の事象の流れからの救済、また<生存>という罰からの救済は、どこにもない』そう狂気は説教した。『永遠の正義が存在する以上、救済ということがありえようか。ああ、<かつてそうであった>という大石は、押しころがすことのできないものである。だからすべての罰も、永遠に存在せざるを得ないものである』そう狂気は説教した。『いかなる行為も抹殺(まっさつ)することはできない。罰を受けたからといって、どうして行為が行なわれなかったということになろう。そして<生存>という罰のもっている永遠性とはこうである。生存も、永遠にわたって行為であり罪責であることをくりかえさなければならぬのだ』」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第二部・救済・P.224~225」中公文庫)
出現させた側の狂気というのはこうだ。
「人間はもし気が違っていないとしたら、別の違い方で気が違っていることになりかねないほどに、必然的に気が違っているものである」(パスカル「パンセ・四一四・P.255」中公文庫)
なるほど個性の数だけ病はあるが、病の数以上に患者の個性は抒情化され、その商品化はますます増殖する。一九九〇年代末期のバルカン空爆にせよ、世界的な大手広告代理店が繰り広げてきた商法はここに起源を持つ。だがそのスポンサーは多様性ゆえ、目に見えないという事態が起こってくる。いつもすでに流動し絡み合う資本複合体としてだけ存在しているからだ。ところが、感染症についての悪質な言説の出現は、いつも、悦ばしき快癒への方法と同時に出現するという逆説がある。「近現代の病としての狂気=ニヒリズム」から快癒するための一つの方法。しかし近現代の社会的倫理制度の中に入ると、この方法の側が悲劇的だと勘違いされている始末なのだが。「運命愛」。
「《然りへの私の新しい道》。ーーー私がこれまで理解し生きぬいてきた哲学とは、生存の憎むべき厭(いと)うべき側面をもみずからすすんで探求することである。氷と沙漠をたどったそうした彷徨(ほうこう)が私にあたえた長いあいだの経験から、私は、これまで哲学されてきたすべてのものを、異なった視点からながめることを学んだ、ーーー哲学の《隠された》歴史、哲学史上の偉大なひとびとの心理学が、私には明らかとなったのである。『精神が、いかに多くの真理に《耐えうる》か、いかに多くの真理を《敢行する》か?』ーーーこれが私には本来の価値尺度となった。誤謬は一つの《臆病》であるーーー認識のあらゆる獲得は、気力から、おのれに対する冷酷さから、おのれに対する潔癖さから《結果する》ーーー私の生きぬくがごときそうした《実験哲学》は、最も原則的なニヒリズムの可能性をすら試験的に先取する。こう言ったからとて、この哲学は、否定に、否(いな)に、否への意志に停滞するというのではない。この哲学はむしろ逆のことにまで徹底しようと欲するーーーあるがままの世界に対して、差し引いたり、除外したり、選択したりすることなしに、《ディオニュソス的に然りと断言すること》にまでーーー、それは永遠の円環運動を欲する、ーーーすなわち、まったく同一の事物を、結合のまったく同一の論理と非論理を。哲学者の達しうる最高の状態、すなわち、生存へとディオニュソス的に立ち向かうということーーー、このことにあたえた私の定式が《運命愛》である」(ニーチェ「権力への意志・下巻・一〇四一・P517~518」ちくま学芸文庫)
日本でも同じようなことを言った小説家がいる。
「それならば、生存の孤独とか、我々のふるさとというものは、このようにむごたらしく、救いのないものでありましょうか。私は、いかにも、そのように、むごたらしく、救いのないものだと思います。この暗黒の孤独には、どうしても救いがない。我々の現身(うつしみ)は、道に迷えば救いの家を予期して歩くことができる。けれども、この孤独は、いつも曠野を迷うだけで、救いの家を予期すらもできない。そうして、最後に、むごたらしいこと、救いがないということ、それだけが、唯一の救いなのであります。モラルがないということ自体がモラルであると同じように、救いがないということ自体が救いであります。私は文学のふるさと、或いは人間のふるさとを、ここに見ます。文学はここから始まるーーー私は、そうも思います。アモラルな、この突き放した物語だけが文学だというのではありません。否、私はむしろ、このような物語を、それほど高く評価しません。なぜなら、ふるさとは我々のゆりかごではあるけれども、大人の仕事は、決してふるさとへ帰ることではないから。ーーーだが、このふるさとの意識・自覚のないところに文学があろうとは思われない。文学のモラルも、その社会性も、このふるさとの上に生育したものでなければ、私は決して信用しない。そして、文学の批評も。私はそのように信じています」(坂口安吾「文学のふるさと」『坂口安吾全集14・P.330~331』ちくま文庫)
一九四一年(昭和十六年)七月二十八日発行。一九四一年六月二十七日執筆の署名あり。太平洋戦争開戦の年(一九四一年)に当たる。それ以前すでに安吾は関東大震災を経験しており、なおかつ芥川龍之介の自殺に衝撃を受けるとともに或る違和感を覚えた一人でもあった。後に「生か死か」ではなくフーコーのいうような意味での「非理性」、すなわち「ファルス=道化」という方法を提案するに至る。しかしまた、一九四一年(昭和十六年)十二月八日の真珠湾攻撃がもたらした逆説について触れておかねばならない。日中戦争はとっくに始まっていた。しかしアメリカはまだ国内世論を統一できてはいなかった。そこに降って湧いた真珠湾攻撃。この電撃的攻撃がアメリカによる逆襲という《欲望》を生産したのである。たちまち“Remember Pearl Harbor”(真珠湾を忘れるな)というキャッチコピーが登場した。アメリカ国内の世論統一を果たしたのは警察ではなく政府間交渉の帰趨でもなく、ほかでもないスローガンでありながら同時にキャッチコピーでもある“Remember Pearl Harbor”(真珠湾を忘れるな)という言語の作用だったのである。
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さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。
「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)
ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。
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