白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

延長される民主主義19

2020年04月06日 | 日記・エッセイ・コラム
アルトーはゴーギャンとゴッホとを天秤にかけているわけではない。方法の違いを指摘したまでである。その上で「生の最も卑俗な諸事物から神話を」打ち立てたゴッホについてこう語る。

「私としては、ヴァン・ゴッホはとてつもなく正しかったと思う。というのも実在性は、いかなる歴史、いかなる神性、いかなる超現実性よりも遥かに上位にあるものだからである」(アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.127』河出文庫)

シュルレアリズム運動の創始者の一人であるにもかかわらず、超現実的なものではなく「実在性」こそ「遥かに上位にある」とアルトーはいう。

「実在性それ自身が、まさに実在性そのものの神話、神話的実在性それ自身が組み込まれつつある」(アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.128』河出文庫)

この「実在性」は、しかし、ニーチェの言葉に置き換えると「流動性」なのだ。それはいつもすでに流れとしてしかあり得ない。だから固定的存在として捉えることはできない。多種多様な無限の諸要素がせめぎ合い組み換えられ合い延々と反復される流動する共同体としての身体。どのような状態を指していうのか。

「人間は諸力の一個の数多性なのであって、それらの諸力が一つの位階を成しているということ、したがって、命令者たちが存在するのだが、命令者も、服従者たちに、彼らの保存に役立つ一切のものを調達してやらなくてはならず、かくして命令者自身が彼らの生存によって《制約されて》いるということ。これらの生命体はすべて類縁のたぐいのものでなくてはならない、さもなければそれらはこのようにたがいに奉仕し合い服従し合うことはできないことだろう。奉仕者たちは、なんらかの意味において、服従者でもあるのでなくてはならず、そしていっそう洗練された場合にはそれらの間の役割が一時的に交替し、かくて、いつもは命令する者がひとたびは服従するのでなくてはならない。『個体』という概念は誤りである。これらの生命体は孤立しては全く現存しない。中心的な重点が何か可変的なものなのだ。細胞等々の絶えざる《産出》がこれらの生命体の数を絶えず変化させる」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・七三四・P.361~362」ちくま学芸文庫)

というふうに「中心的な重点が何か可変的なものなのだ」。世界という共同体もまたその通りであって、そのような身体として捉えることができる。強度は移動する。いつも移動しつつある。たとえば、強度の移動とともに「感染=パンデミック」発生の中心的地域も同時に移動していくように。ゴッホは自分から手を切った社会規範によって「侵入され」自殺へ追い込まれたとアルトーは書いているが、その意味でゴッホの身体は当時の社会規範という汚辱まみれの「神の黴菌」によって「感染=パンデミック」されたということができる。

「だからヴァン・ゴッホ以来何ぴとも、大きなシンバルや超人間的な鐘を、抑圧された秩序に従う《永遠に》超人間的な鐘をかき鳴らすことはできないであろうし、その鐘によって現実の生の諸事物が鳴り響くのは、諸事物の海嘯のうねりを理解できるほど充分開いた耳をもつことができたときである」(アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.128』河出文庫)

アルトーはゴッホの絵画が打ち鳴らした「《永遠に》超人間的な鐘」の音を聴くための条件として「充分開いた耳をもつこと」の大切さを述べる。ともすれば社会規範あるいは社会の同調圧力に屈服してしまいがちな人間は、自分で自分自身の根底から自分の<他者>として自分を立ち働かせ思考させている社会的文法という目に見えない桎梏(しっこく)と手を切らねばならないというわけだ。フーコーはそれをやってのけた文学者としてレーモン・ルーセルとアルトーとの二人を上げている。

「言語の問題がこのように強力な重層的決定とともにふたたび浮かびあがり、それがあらゆるところから人間という形象(かつてまさしく古典主義時代の<言説>の場所を奪ったその形象)を攻囲するように見えるその点において、現代文化は、その現在とおそらくはその将来のかなり大きな部分のために働いているのである。一方では、いかにも突然とでもいうように、あのすべての経験的領域にひじょうに間近く、それまでそこからすっかり遠ざかっているかに見えていた諸問題があらわれてくる。その諸問題こそ、思考と認識との一般的形式化のそれだ。そして、論理学と数学との関係だけになお捧げられていると信じられていたにもかかわらず、それら諸問題は、古い経験的理性を形式的言語の成立により純化し、数学的アプリオリの新しい諸形態から出発して第二の純粋理性批判をおこなおうとする、可能性とまた任務にむかっているのである。とはいえ、われわれの文化のもうひとつの極限において、言語の問題は、たぶんそれを提起しつづけてきたにちがいないが、それを自身につきつけるのははじめてである、そのような言葉の形態に委ねられている。今日の文学が言語の存在によって魅惑されているということーーーそれは、終焉のしるしでも、根源化の証拠でもないーーー。それこそ、その必然性を、われわれの思考とわれわれの知のすべての脈網の描かれている、ひじょうに広大な布置のなかに根づかせている一現象にほかならない。しかし、形式的言語の問題が、実定的諸内容を構造化する可能性もしくは不可能性をきわだたせるとすれば、言語に捧げられた文学は、有限性の基本的諸形態を、その経験的活潑さのうちできわだたせるものであろう。言語として経験され踏破される言語の内部から、その極点にまで伸ばされたその可能性のたわむれのなかで告示されるもの、それは、人間が『有限なもの』であり、ありうべきあらゆる言葉の頂点にいたるとき、人間が到達するのは彼自身の中心にではなく、彼を制限するところのものの縁、すなわち、死がさまよい、思考が消滅し、起源の約束が無際限に後退していくあの領域にである、ということだ。文学のこの新しい存在様態は、アルトーやルーセルのそれのような作品のなかでーーーしかもアルトーやルーセルのような人々によってーーー解明されなければならなかった。アルトーにあっては、言説としては拒まれ、衝撃の造形的暴力のなかに奪回された言語は、叫び、拷問にかけられた身体、思考の物質性、肉体に送りかえされる」(フーコー「言葉と物・P.405~406」新潮社)

ルーセルについては言語における「二重化=ドゥブル」/「分身=ドゥブル」に着目したい。

「反復と差異とはおたがいの中になんとも深く食いこみ、実に精確に合わさっているので、どちらが最初であるか、どちらが派生的であるかを言うことは不可能なほどである。この細密な連鎖はこれらすべての滑らかなテクストに一個の忽如たる深みを与えており、そこにおいてそれらの表面の平板さが必然的なものであることが明らかになる。純粋に形式的な深みであって、それは物語の下にもろもろの同一性と差異との大いなる戯れを開き、それら同一性と差異とはまるで鏡の中でのように反復され、絶えず事物から言葉へとおもむいており、地平線に姿を消しはしても、つねにまたそれら自体に立ち戻っているのだーーーそれは誘導語とは軽度に異なる同一性、同一(そっくり)で隣接した語という仮面に隠されている差異だ。意味の差異をおおい隠す同一性、物語がその説述(ディスクール)の連続性のうちに廃棄することを引きうけている差異だ。物語をこうしたやや不精確な再生、その疵が同一(そっくり)な文に地すべりすることを可能ならしめるような再生に導く連続性、同一だが軽度に異なる文だーーーそしておよそ最も単純な言語、毎日の、そしてあらゆるならわしの言語ーーー厳密に平板であり、過去と事物とを精確に、かつ万人のために反復する役割を引きうけている言語は、ゲームのそもそものはじめからして、分身(ドゥブル)のこの無際限な二分化(デドゥブルマン)に囚えられてしまっている有様で、この分身は言語を、一種の鏡の潜在的だが出口のない厚みによって幽閉しているのだ。回帰それ自体も、迷宮的でかつ空しい空間の中に埋没してしまう、それが行方を失ってしまうゆえに空しいのだし、さらには、それがふたたび自己にめぐり会う瞬間に、同じものはもはや同じものではなく、ここにあるわけでもなくて、他であり、他処(よそ)に、言語がそこから来た場所にあるということが言いわたされるゆえに空しいのだ。そしてゲームはつねに、再開されうるということが言いわたされるゆえに。このようにして扱われたメタグラムはいささか、言語における日常的で、埋没した、無言のうちに親しみのあるものの遊戯的なーーーしたがって抜きとられた、そして極限に位置させられたーーー用法である。それは、つねに異なる反復、および同じものに帰着する差異というゲームを、一個の取るに足らぬ空間に連れ戻すーーーこれは言語がそれに固有の空間をその中に見出すゲームだ。メタグラムとは言語の真実でありその仮面であるーーー二重化され(デドゥブレ)外側に置かれたその代役(ドゥブリユール)である。そして同時に、言語がそれを通して地すべりし、同じものを二重化し、かつそれを受けとめ、それが反復する顔から仮面を分かつ、そんな裂け目なのである」(フーコー「レーモン・ルーセル・P.33~34」法政大学出版局)

ドゥブルは英語でいう“double”(ダブル)に近い。
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なお、前回フーコーから引いた中に「<回帰>の哲学」とある。

「われわれは、最近あらわれたばかりの人間というものの明白さによってすっかり盲目にされてしまっているので、世界とその秩序と人々が実在し、人間が実存しなかった、それでもそれほど遠くない時代を、もはや思い出のなかにとどめてさえいないのだ。ニーチェが、切迫した出来事、<約束=威嚇>という形態のもとに、人間はやがて存在しなくなるであろうーーー超人のみが存在することになるのだと告げたとき、ニーチェの思考がわれわれにたいして持ちえた、そしてなお持ちつつある震撼力が、いまは理解されるであろう。それこそ、人間はすでにだいぶ以前から消滅してしまい、現に消滅しつづけており、人間についてのわれわれの近代の思考、人間にたいするわれわれの心づかい、われわれの人間主義(ユマニスム)というものは、轟きわたる人間の非在のうえで、のどかに眠りほうけているという一事を、<回帰>の哲学のなかで言おうとしたものにほかならない」(フーコー「言葉と物・P.342」新潮社)

永遠回帰という言葉は世間一般でよく知られている。そしてそれが何度も繰り返し寄せては返す「反復《としての》波」からインスピレーションを得た思想であるということもまたよく知られている。しかしそれがなぜフーコーによって「切迫した出来事、<約束=威嚇>」として、「未来の人間の登場=現代の人間の消滅」として、明確に捉えることができるのか。ニーチェは文体、文章のリズムあるいはテンポということを常々気にしていて、ドイツ人としてドイツ語を批判する。ドイツ語の持つ重厚長大さを鞭打つ。ドイツ的文体とそこに根ざすドイツ人の鼻持ちならない態度に対する批判の一例。

「一つの言語を他の言語に翻訳するのに最も困るのはその文体の《テンポ》である。文体はその種族の性格のうちに、生理学的に言えば、その種族の『新陳代謝』の平均的な《テンポ》のうちに根拠をもつものである。几帳面(きちょうめん)なつもりの翻訳でも、原文の格調を心ならずも俗悪なものにしているために、殆ど偽作に近いものがある。これは単に、事柄や言葉におけるすべての危険なものを跳(と)び越え、逃げ去らせる原文の雄勁(ゆうけい)な快調な《テンポ》が翻訳されえなかったからにすぎない。ドイツ人はその言語において殆ど《快速調(プレスト)》を用いることができない。従って、自由な、自由精神的な思想の最も愉(たの)しく最も大胆な《ニュアンス》の多くを出すこともできない、と言われるのは正鵠(せいこう)を射たものであろう。ドイツ人には、肉体的にも良心的にも、《道化(どうけ)歌手》も半獣神も性(しょう)に合わないように、アリストファネースもペトロニウスも翻訳することができない。すべての威儀正しいもの、重厚なもの、儀式ばった無骨なもの、あらゆる長たらしく退屈な種類の文体が、ドイツ人の間では夥(おびただ)しく多様に発達した。ーーーこれは事実であるから赦(ゆる)していただきたいが、ゲーテの散文でさえも固苦しさと優雅さとの混合であって、決して例外をなすものではない。それは、それが属する『古き良き時代』の反映であり、まだ『ドイツ趣味』が存在した時代におけるドイツ趣味の表現である。すなわち、《様式と技巧において》一つのロココー趣味であった」(ニーチェ「善悪の彼岸・二八・P.51~52」岩波文庫)

とニーチェが考えていたということを頭の中に置いて「<回帰>の哲学」がもたらさずにはおかない「切迫性」を汲み上げる必要性がある。そんなわけでニーチェの言葉にしたがって「悦ばしき知識」から「《テンポ》、《快速調(プレスト)》、大胆な《ニュアンス》」を重視したとおもわれる部分を探してみる。こうある。

「《意志と波》。ーーー何ものかに達せずにはおかぬといわんばかりに、なんと貪欲なすがたでこの波は押し寄せてくることぞ!なんとその波は怖るべき性急さで巍峨(ぎが)たる絶壁の隈間(くまま)の奥まで這い込んでゆくことぞ!それは何者かの先を越そうとするかのようだ。隈間の奥に価値ある、高い価値ある何ものかが匿(かく)されているかのようだ。ーーーそして今度は、いくらかゆっくりと、それでもまだ興奮に真白く泡立ちながら、波は引き返してくるーーー当てが外れたのか?捜し求めたものを見出したのか?当て外れだったように見せかけているのか?ーーーだがもう別の波が、前の波よりさらに貪欲ないっそう荒々しいすがたで、おし寄せてくる。その波の魂もまた、秘密と秘宝発掘の欲情とで一杯になっているように見える。そのように波は生きるーーーそのようにわれわれは生きる、われわれ意志する者は!ーーーこれ以上私は言うまい。ーーーそうか?お前らは私を信じないのか?お前らは私に腹を立てているのか?お前ら美しい怪物は?私がお前らの秘密を何もかも洩らすのを、お前らは恐れるのか?いいとも!私に腹を立てるがいい、お前らの緑色の危険な体軀(からだ)をできるだけ高く伸び上がらせ、私と太陽との間に障壁を造るがいいーーー今現にそうであるようにだ!たしかに、緑色の薄明と緑色の稲妻のほかにあは、もう何ひとつこの世には残っていない。お前らの気の向くままにやるがいい、お前ら倨傲(きょごう)尊大な者どもよ、楽欲(ぎょうよく)と悪意に駆られて吼(ほ)え立てるがいいーーーさもなくば、またぞろ潜り沈んで、お前らのエメラルドを深海の底へとそそぎこみ、お前らの泡立ち沸き立つ白くふさふさした果て知らぬ長髪をその上に投げかけるがいいーーー何もかもみな結構だ、何故といってその何もかもがお前らにいかにもふさわしいし、私もお前らのやる何もかもに大いに好意を寄せているからだ。なんで私が《お前ら》を裏切りなどしよう!なぜならばーーーよく聴くがいい!ーーー私はお前らとお前らの秘密とを知っており、お前らの素姓を知っているからだ!お前らと私、このわれわれは、まこと同一素姓の者たちなのだ!ーーーお前らと私、このわれわれは、まこと同じ一つの秘密を共有しているのだ!」(ニーチェ「悦ばしき知識・三一〇・P.326~327」ちくま学芸文庫)

このときニーチェは作品「ツァラトゥストラ」の最初の想念に「襲われた」と述べている。

「〔一八八一年〕ーーーその年の冬を私はジェノヴァの近くの快く静かなラパロ湾で暮らした。この湾はキアヴァリとポルト・フィーノ岬との間に割り込んで来ている。私の健康状態は必ずしも上々とはいえなかった。その冬は寒く、例年になく雨が多かった。海辺の小さな旅館では荒海が夜の安眠を妨げ、ほとんどすべての点でおよそ気に入ったなどというものではなかった。それにもかかわらず、そして決定的なことはすべて『それにもかかわらず』生ずるのだという私の命題が正しいということを証明するかのように、私の『ツァラトゥストラ』ができあがったのはこの冬であり、この悪条件のもとにおいてであった。ーーー午前中は私は南へ向かってツォアッリに至るすばらしい街道を登って行った。かさ松のそばを通り過ぎ、はるかに海を身おろしながら、午後には、健康の許すかぎり、サンタ・マルゲリータから裏側のポルト・フィーノまで湾を一巡したりした」(ニーチェ「この人を見よ」『この人を見よ/自伝集・P.131~132』ちくま学芸文庫)
ーーーーー
さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

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