白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

夜の居場所3

2020年04月21日 | 日記・エッセイ・コラム
以下のことはすでにたいへん多くの研究者によって論じられており、今さらの感は拭い切れない。しかしこの部分を避けて通るわけにはいかない。よく読解するための準備、それは読解しないことでもある、という不可避的事情ゆえに。「読解しない」というのは、第一に、近現代の目に見えない社会的文法によって根底から規定されることから逃れるための逃走線が必要だからである。第二に、近現代の目に見えない社会的文法に従っている限り、近現代の《視線しか》持つことができないからである。だから近現代の社会的文法を用いて主題とかテーマとかを整理整頓することはかえって禁物であり危険な行為でさえある。

「激烈な激動の、たけり狂った心理的外傷の風景、正しい健康にそれを導くために熱に苦しめられる身体のそれのような」(アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.161』河出文庫)

ゴッホの「苦しめられる身体」。なぜ「苦しめられる」なのか。たとえば一人の人間。しかしそれはすでに一つの身体へと統一された器官としての身体であり《人間はこうでなければならない》という有機体への閉じ込めだからだ。世界もまた同様、有機体として動いている以上、世界という統一はいつも有機体の内部へ戻ることを命じる。だからゴッホは、そしてアルトーもまた、有機体として承認されているだけでなくその統一性を誰も疑おうとしない世界に対して愛想を尽かしたのである。解離したいと《欲した》。しかし当時それはただちに狂気への突入を意味した。としても、ゴッホは、そしてアルトーもまた、世界的規模でのしかかってくる理想という名の権力に耐え続けることはこれ以上できないという認識に立ち至った。《統一された有機体としての世界》という《幻想》はニーチェのいう「重さの霊」のことだ。

「かれは、大地と生を重いものと考える。重さの霊がそう《望む》のだ。だが、重さに抗して軽くなり鳥になろうと望む者は、おのれみずからを愛さなければならない」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第三部・重さの霊・P.307~308」中公文庫)

なぜ《幻想》なのか。歴史教科書を開いてみる。するとそこには「一本の線だけで統一された歴史」というあり得ない事態が刻印されている。それは違うだろうとニーチェはいう。

「わたしの目は、目のとどくかぎりの遠方へと遊ぶが、ここまで至りついたのは、かぎられたただ《一本》の梯子をよじのぼって来たのではない」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第三部・重さの霊・P.312」中公文庫)

事実としては、世界は多様性に満ちている。ニーチェはただ単にありふれた事実を述べたに過ぎない。それが世界を震撼させたのは余りといえば余りにも皮肉な現象だというほかない。一人の人間の身体にせよ、それら多数の統一として考えられた有機体としての世界にせよ、いずれにせよそれは「《一つ》の意味をもった多様体」でしかない。

「肉体はひとつの大きい理性である。《一つ》の意味をもった多様体、戦争であり、平和であり、畜群であり、牧人である」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第一部・肉体の軽侮者・P.50」中公文庫)

それはまた別の言葉で「多くの霊魂の共同体」と言い現わされる。

「多くの『霊魂』の共同体を基礎とした命令と服従ということが絶対に重要なことである」(ニーチェ「善悪の彼岸・十九・P.37」岩波文庫)

この「命令と服従」というフレーズについて。中心的なものの絶えざる移動ということに注目しなければならない。それらは絶え間なく回転しつつ依存し合っているということ。

「人間は諸力の一個の数多性なのであって、それらの諸力が一つの位階を成しているということ、したがって、命令者たちが存在するのだが、命令者も、服従者たちに、彼らの保存に役立つ一切のものを調達してやらなくてはならず、かくして命令者自身が彼らの生存によって《制約されて》いるということ。これらの生命体はすべて類縁のたぐいのものでなくてはならない、さもなければそれらはこのようにたがいに奉仕し合い服従し合うことはできないことだろう。奉仕者たちは、なんらかの意味において、服従者でもあるのでなくてはならず、そしていっそう洗練された場合にはそれらの間の役割が一時的に交替し、かくて、いつもは命令する者がひとたびは服従するのでなくてはならない。『個体』という概念は誤りである。これらの生命体は孤立しては全く現存しない。中心的な重点が何か可変的なものなのだ。細胞等々の絶えざる《産出》がこれらの生命体の数を絶えず変化させる」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・七三四・P.361~362」ちくま学芸文庫)

さらにニーチェは十九世紀の人間として、すでに世界には絶対的なものはなく、逆に、あるのは「絶対的な中心の消滅」であり「中心的なものの絶え間ない移動」であり「変動相場制」であるということに敏感だった。もっとも、ニーチェが敏感であり得た理由は世間の「道徳」とその変化に対して極めて敏感だったからなのだが。というのも、「道徳」は呪縛するだけでなく卑劣でもあるからである。よく知られているようにニーチェは幼少期の頃から生涯を通して様々な病気に繰り返し悩まされた人間だった。健康な人々が病人を見下ろすときの目。同時に病人が健康な人々を見上げるときの目。それらはまったく別のものだ。道徳もまたそれに連れて狡猾に内実を置き換える。にもかかわらず唯一絶対的な「道徳」があるかのように世界は振る舞う。その欺瞞。自分で自分自身を偽る自己瞞着。それを許すばかりか誘導しさえする「道徳」という名の卑劣。ニーチェはこの呪縛ーーー近代化とともに出現した新しい呪縛ーーーに気づかないわけにはいかなかった。さらに目に見える鎖からの解放は同時に目に見えない鎖への呪縛だからである。そしてまた、何もニーチェやアルトーだけが特権的にそう感じ取っていたわけではない。

「《ルター》はたしかに《献身》による隷従を克服したが、それは《確信》による隷従をもってそれに代えたからであった。彼は権威への信仰を打破したが、それは信仰の権威を回復させたからであった。彼は僧侶を俗人に変えたが、それは俗人を僧侶に変えたからであった。彼は人間を外面的な信心深さから解放したが、それは信心を内面的な人間のものとしたからであった。彼は肉体を鎖から解放したが、それは心を鎖につないだからであった」(マルクス「ヘーゲル法哲学批判序説」『ユダヤ人問題によせて・ヘーゲル法哲学批判序説・P.86』岩波文庫)

マルクス、ニーチェ、フロイトへ繋がるこの発見。新しい世界が出現しているということを発見したことが、まさしくそのことが逆説的に、何度も繰り返しニーチェを苦しめることになる。

「わたしはかつて、最大の人間と最小の人間の裸身を見た。その二つはあまりにも似かよっていたーーー最大の人間さえ、あまりにも人間的だった。最大の人間も、あまりに小さい。ーーーこれが人間に対するわたしの倦怠だった。そして最小のものも永遠に回帰することーーーこれが生存に対するわたしの倦怠だった。ああ、嘔気(はきけ)、嘔気、嘔気!ーーーそうツァラトゥストラは言って、嘆息し、戦慄(せんりつ)した」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第三部・快癒しつつある者・P.354」中公文庫)

というふうに。さらにアルトーは有機体としての世界-身体に縛り付けられたゴッホについてこう述べる。

「皮膚の下の身体は、過熱したひとつの工場である、そして、外で、病人は輝いて見える」(アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.161』河出文庫)

それは身体諸器官という監禁からの脱出の呼びかけである。

「私は強調する、その身体構造を作り直すため、と。人間は病んでいる、人間は誤って作られているからだ。決心して、彼を裸にし、彼を死ぬほどかゆがらせるあの極微動物を掻きむしってやらねばならぬ、

神、
そして神とともに
その器官ども。

私を監禁したいなら監禁するがいい、しかし器官ほどに無用なものはないのだ。

人間に器官なき身体を作ってやるなら、人間をそのあらゆる自動性から解放して真の自由にもどしてやることになるだろう」(アルトー「神の裁きと訣別するため」『神の裁きと訣別するため・P.44~45』河出文庫)

有機体という身体からの逃走。そしてまったく別様の身体に《なる》こと。それのみがよりよく生きるための方法だとアルトーはいう。しかしゴッホにせよアルトーにせよ「自殺」はその失敗例なのだ。二人は失敗を選んでしまった。その手前で留まることはできず、かといってその向こうへ飛躍することもできないまま。ところでこのような事例は、フーコーのいう「知の枠組み」の転換点ではしばしば起きる事例でもある。むしろ少なくない。かつてのように専制主義的王権が権力の頂点にあった時期では「血」が現実的だった。死刑執行は「血」をもって国家を統制する唯一絶対的方法として採用され有効活用されていた。それは「血を《通して》語る」のを常とした。だからこう言えるわけだ。

「血は《象徴的機能をもつ現実》である」(フーコー「知への意志・P.186」新潮社)

ところが近代社会の特徴として、「殺戮」ではなく「管理」という形で行われるよりいっそう有効活用可能な社会形態というものは、押し進めれば押し進めるほどその限度を知らぬ諸力の運動を加速的に実現させていく。だから専制主義的王権というかび臭く非合理的な「血による支配体系」は葬り去られるほかなく、フランスではルイ王朝の公開処刑において実際にも葬り去られた。しかし古典主義時代から十九世紀いっぱいを通して変化したのは、そのような華々しい歴史的事件においてではなく、たとえば国家化された医学=医学体系的国家において感染症が発生したような場合、病者あるいは狂人の「客観化=客体化」というまったく新しい認識方法の出現において見られる。

「解剖学的知覚においては、病気は必ず、ある程度の『動いたもの』を伴ってあらわれる。それは初めから、起始点、歩み、強さ、速度などの点で、ある自由なゆとりを持っていて、それがこの病気の個別的形態を描く。この形態は、病理的逸脱に加えられた逸脱ではない。病気とは本質的に逸脱的なものだが、その本性の内部において、それ自体、たえず逸脱するものなのである。病気には個別的な病気しかない。それは個人が自己の病気に反応するからというわけではなく、病気の作用が、当然のこととして、個性のかたちの中で、くりひろげられるからである」(フーコー「臨床医学の誕生・P.280」みすず書房)

同時に。

「狂気は恐怖の一主題、あるいは、懐疑論によっていつまでも新たにされる一題目とは別のものである。狂気は客体となっているのだ。しかも、特異な地位を与えられて。狂気を客体化する動きそのもののなかで、狂気は客体化をおこなう諸形態のなかの最初のものとなる、つまり、人間がそれによって自己自身を客体的に把握しうるもの、となる。かつては狂気は人間のなかに、まばゆい光にともなう目のくらみを、ぎらぎら光るために光が暗くなる契機を示していた。ところが今や、認識にとっての事象ーーー人間のなかにある最も内面的な、だが同時に人間の視線に最もさらされているものーーーとなった狂気は、透明な大いなる構造として作用する。そのことは、認識作用によって狂気が知にとって完全に明らかになってしまっている、という意味ではない。狂気をもとにして、人間はすくなくとも理論的には、客観的な認識にとって完全に透明になることができなければならない、という意味である」(フーコー「狂気の歴史・P.482」新潮社)

一方に「狂気あるいは病気」があり、他方に「理性あるいは健康」があると言っているわけではない。単純な二極対立的構造になっているわけではない。そうではなく、「理性あるいは健康」というものはその内部に「狂気あるいは病気」を《所有する》ことと、それを客体化し(取り出し)て《鏡として》立ち働かせることで始めて自分は「理性あるいは健康」であると証拠立てるように活用することを覚えた、というわけだ。そしていったん「客体化」された(取り出された)狂気は、以後、「狂人」という《他者》の地位を与えられた個々人として出現することになる。

「客体という地位は、精神錯乱であると認知された個々人それぞれに一挙に押しつけられる」(フーコー「狂気の歴史・P.483」新潮社)

狂人保護院の誕生がそれを可能にした。同時に近代的な意味での「模範的人間」という観念が始めて出現した。国家によって医学は国家化されたのである。すると次のような認識が国家から生じ、今度は国家によって《模範的人間》という抽象的造形物が市民社会の隅々へと蔓延させられ規範化する。

「医学はもはや単なる治療技術と、それが必要とする知識の合成物であってはならない。それは《健康な人間》についての認識をも包含することになる。ということは、《病気でない人間》の経験と同時に《模範的人間》の定義をふくむということである」(フーコー「臨床医学の誕生・P.74~75」みすず書房)

医学の欲望がありさらに国家の欲望があり、両者は様々に錯綜しつつ、結果的に国家は医学を吸収し医学の上に立ったのである。第一に、国家による医学のモデル化。第二に、医学体系的国家の出現ならびに国家のための医学の従属。この二重の転倒。一七八九年フランス革命は「人間」という新しい観念を掲げて専制主義的王権を打倒した。ところがそうするやいなや自分たちのための専制主義を始めた。それは資本の脱コード化運動とともに押しすすめられ、またたく間に全世界を巻き込んだ帝国主義戦争へと発展する。しかしこの事情は性的欲望が病気あるいは狂気として取り扱われなくなっていく過程と緊密に関連している。前回も、性的欲望は抑圧されるものではなくなったと述べた。逆にそれは性的欲望を生産する方向へ価値転換される。十九世紀になって、社会体としての国家が「性的欲望《について》語り」、また「性的欲望《に対して》語りかける」ようになったとフーコーがいうのはその意味においてである。

「性的欲望は《意味の価値をもつ作用》なのである」(フーコー「知への意志・P.186」新潮社)

国家の管理欲望というものが認められる。それは一方で、性的欲望の意味はどんどん増殖することを《欲する》し増殖させられねばならない。それが「作用」だ。しかし他方、増殖する意味を常に管理しておく《欲望》をも生産する。それも「作用」である。

「古典主義時代の時代に準備され十九世紀に実行された権力の新しい仕組みこそが、我々の社会の《血の象徴論》から《性的欲望の分析学》へ移行させたのである」(フーコー「知への意志・P.186~187」新潮社)

とはいえ、この「移行」は十九世紀に入ってますます加速化したわけだが、加速化に伴う反動が生じてきた。「血」の特権化という復古主義的運動である。近現代の国家は市民社会の中へ不断に介入する。身体に狙いをつけて絶え間なく身体を計測し調整し管理する。それに耐えられない人々は国家が持つそのような合理性を半ば取り込みながら半ば否定するというダブルバインド(相反傾向、板挟み)に置かれる。そのとき「血の象徴論」か「性的欲望の分析学」か、ではなく、両者を結合させて新しい国家を樹立しようという第三の権力意志が出現した。ナチスのドイツがそうだ。王権時代の「血と法による支配」と近代的な「管理と経営による支配」とのどちらをも欲する第三勢力が。しかしこの「第三項」というのは市民社会の上に立つとき、いつも厄介なものとして登場してくる。貨幣がそうであるように。

「商品世界のこの完成形態ーーー貨幣形態ーーーこそは、私的諸労働の社会的性格、したがってまた私的諸労働者の社会的諸関係をあらわに示さないで、かえってそれを物的におおい隠す」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第一章・P.141」国民文庫)

そうなるやいなや起源はたちまち覆い隠され忘れ去られてしまう。ところが起源とはなんだろうか。「接続あるいは連結」という言葉の用い方と極めて深い関係にある。

「人間は、十九世紀のはじめに、この歴史性との相関関係において、あのすべての物、すなわち、自身に巻きつき、みずからの並列をとおし、しかもその固有の諸法則にしたがって、自身の起源の近づきがたい同一性を指示する、あのすべての物との相関関係において、成立したのであった。とはいえ、人間がみずからの起源と関係をもつのは、物の場合とおなじような様態にもとづいてではない。つまり、実際のところ、人間は、すでにつくられている歴史性と結びついてはじめて姿を見せたのにほかならない。ーーー人間が労働する存在としてみずからをとらえなおそうとこころみるとき、人間が労働のもっとも初歩的な諸形態をあきらかにするのは、すでに制度化され、社会によってすでに制御されている、人間の時間と空間との内部においてにすぎない。ーーー人間がみずからにとって起源としての価値をもつものを思考することができるのは、つねにすでにはじめられたものを下地としてなのである。したがって起源とは、人間にとって、はじまりーーーそこから出発してその後の獲得物がつみかさねられていくような、いわゆる歴史の夜明けではまったくない。起源とは、それよりずっとさきに、人間一般が、あるいはどのようなものであれ任意の人間が、労働や生命や言語というすでにはじめられているものとみずからを連結させる、その仕方にほかならない」(フーコー「言葉と物・P.350~351」新潮社)

ニーチェのいう「別様の感じ方」への生成変化は、思いも寄らぬところ、かくも身近なところにあったのである。
ーーーーー
さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

BGM1

BGM2

BGM3

BGM4

BGM5

BGM6

BGM7

BGM8

BGM9

BGM10