白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

延長される民主主義28

2020年04月15日 | 日記・エッセイ・コラム
アルトーはゴッホを社会の偏見から擁護するために何度も「彼は狂人ではなかった」と繰り返す。なるほど精神病院入院はただちにゴッホが狂人だったことを証明しはしない。むしろ一人の画家が絵画に対してどれほど生真面目だったかを証明することにはなるとしても。ゴッホの一筆一筆。タッチの唯一無二にして空前絶後の正確さ。その「稀少性に達することのできるような宝石など存在しない」とアルトーはいう。

「ひそかに、そして悲壮に適用されたタッチの唯一のためらい、これこそまさにヴァン・ゴッホのすべてであるからだ。諸事物のもつ庶民の色彩、だがそれがあまりに正確で、あまりにほれぼれとするほど正確なので、その稀少性に達することのできるような宝石など存在しない」」(アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.150』河出文庫)

どんな「宝石」であっても新価値を創造する力を持つ宝石はない。ところがゴッホの絵画は新価値を創造する《欲望》として働きかける。絵画としては死物である。にもかかわらずそれは世界中をめぐることで貨幣交換され、新価値を実現し、資本へ利子を見せつけ、元の保管庫である美術館へ回帰してくる。宝石は不況になるとただ単に叩き売られてどこかへ行く極めて不安定な現代社会の写し鏡に過ぎない。ただジュネのような小説家の場合、いつも貧乏人であったがゆえ、下宿部屋や衣服の中で繁茂する虱(しらみ)の増殖こそただちにジュネ的生活の繁栄を演出する貴重な宝石だったわけだが。

「というのも、ヴァン・ゴッホはまさにすべての画家たちのなかで最もほんとうの意味での画家であり、その仕事の厳密な手段としての、そしてその諸々の手段の必要最低限の枠組みとしての絵画を越えようと思ったことなどなかった唯一の画家となるであろうからだ」(アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.150』河出文庫)

画家として「必要最低限の枠組み」を越えないというのは何度か言及されているように、どこにでもあるごく普通のカンヴァス、絵具、筆、画布しか用いていないという意味でそうである。戦後になって出現したポストモダンな馬鹿馬鹿しいほど巨大なものや忌まわしいほど何の意味もないオブジェに等しいものなど一つも制作していない。もっとも、何の意味もないオブジェの意味のなさを制作するのはまた逆に極めて困難な作業なのではあるが。たとえば、ポップなレゲエは音楽の一つだが、それは音楽でしか他の人間の身体へ伝達できない。小説とか映像とかいうジャンルでは言語化できない。言語化できないという無意味性をあえて何らかのオブジェで置き換えてみよという課題が出されたとしよう。もし本当に完成できたとすればそれはすでにオブジェというジャンルを越えた何かである。アルトーはゴッホの絵画に関し、そのような「乗り越え」を果たした唯一性についてこう述べている。

「他方では、この自然の独占的表象のなかに、曲がりくねったひとつの力を、心臓のどまんなかからもぎ取られたひとつの要素を迸らせるために自然を表象するという、この不活性な行為である絵画を絶対的に乗り越えた、絶対的に唯一である、ただひとりの画家なのである」(アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.150』河出文庫)

だがアルトー=ゴッホという《欲望》を生産する創作はいつもとはいえないまでも、少なくとも当時は、悲劇的な目に遭うのが常だった。それは社会規範への問いとして受け取られてしまうからである。彼らの作品は市民社会の前へ実におずおずと差し出されるだけであるにもかかわらず、あるまじき何かを公然と暴露するからである。フーコーはいう。

(1)「狂人は人間の究極的な真理を明るみに出すのである。つまり、情熱、社交界生活、狂気を体験しない原始人の自然から人間をへだてるすべての事態、それらが人間をどこへ追いやってしまうことができたか、を示している。狂気は文明およびその不快感とにつねに結びついている。『旅行者たちの証言によると、未開人は知的機能の混乱におちいることはない』。狂気は世界が老境に入るにつれて始まるのであり、時間の変化につれて狂気がおびる相貌は、この堕落の形態ならびに真実をしめす」(フーコー「狂気の歴史・P.541」新潮社)

(2)「狂気は、身体の病には現われない真理を明示する点で、その病とは区別される。すなわち狂気のせいで、悪しき本能・邪悪・苦悩・狂暴といった内面的世界、それまではずっと眠ったままであった世界が、突如として現われるのである」(フーコー「狂気の歴史・P.541」新潮社)

(3)「一つの行為の狂気性は、まさしく、どんな理由によってもその行為をきわめつくせないという事実によって判定される。狂気の真理は脈略のない一種の自動作用(オートマティスム)のなかに存在しているのであり、ある行為が理性〔=理由〕を欠いていればいるほど、ますますこの行為は唯一の狂気にもとづく決定論のなかで生れる機会が多いであろう。狂気の真理は、理由を欠く事柄についての、ピネル流にいうと、『関心と動機とももたない無分別な決定によって』のみ生みだされる事柄についての、人間における真理なのだから」(フーコー「狂気の歴史・P.542」新潮社)

(4)「狂気が暴露する人間的な真理は、人間の道徳的で社会的な真実であるところのものの無媒介な矛盾である」(フーコー「狂気の歴史・P.542」新潮社)

ところがこれらはどれも第一の措定に対する反措定としての対概念なのだ。たとえば(1)の場合、最初に措定される概念はこうだ。

(1)「狂人は人間の基礎的な真理を明るみに出す。つまり、その真理は人間を、もっとも原初的な欲望や、単純な機構や、身体のもっとも切実な諸規定などに還元する。狂気は年代記的で社会的な、心理的で生理的な角度からみた、人間の一種の幼児期である。『錯乱者を指導する秘訣と子供を育てる秘訣とのあいだには、なんと多くの類似があるだろう』とピネルは確認していた」(フーコー「狂気の歴史・P.541」新潮社)

だから(1)の裏側は(1’)とでもすべきなのかもしれない。けれども事態は同時に出現する。「結婚」できないはずのコインの表側と裏側とが狂気経験の中ではなぜか共に溶け合うのである。これらの狂気にはダブルバインド(二律背反)があるのだ。ゴッホ、ニーチェ、アルトーといった一群の人々。彼らはその創作活動の合間に何度か精神病院入退院の反復があったにもかかわらず、それぞれ画家、哲学者、演劇家として、後にではあっても有名になる。それぞれの得意分野で活動している。自由な時間があった。特にゴッホとニーチェとは活動時期が重なっている。十九世紀末。それまでの百年間、狂人を取り巻く「自由」とはどのようなものだったのか。ゴッホやアルトーが経験した「自由」な環境。精神病院内での監禁ではなく、社会空間内部に創設されることになった「《彼ら》の自由」とはどのようなものだったのか。それを参照しておく必要性がある。

まず大前提として。一七八九年フランス革命によって樹立された「道徳的総合」。その観点から見た「自由」は「狂人たち」においてどのような意味を持ったか、あるいは与え直されたか。

「十八世紀末に問題になっているのは狂人たちの《自由解放》ではなく、《彼らの自由という概念の客観化》である」(フーコー「狂気の歴史・P.536」新潮社)

永続的監禁の中へではなく、解き放たれた空間への自由。社会に出た。目に見える古い鎖は解かれたのだが、それは狂人を目に見えない新しい鎖に繋ぐことになった。差し当たり「三重の結果」が生まれたとフーコーはいう。

「第一に、狂気について今後問題になるのは、まさしくこの自由ということである。可能性の地平において人々が認めるような自由について、ではもはやなく、具体的な機構を通して、しかもさまざまの事物のなかに人々が追いつめようと努める自由について、である。狂気にかんする考察のなかで、しかも狂気にかんする医学的分析のなかでさえも今後問題にされるのは、錯誤や非存在ではなく、さまざまな現実的限定、つまり、欲望と意志、決定論と責任能力、自動的なものと自発的なもの、そうしたもののなかでの自由である。エスキロールからジャネにいたる、またライルからフロイトへ、テュークからジャクソンへいたるあいだに、十九世紀の狂気は倦むことなく自由にかんするさまざまの変転を物語るようになろう。近代の狂人の夜は、さまざまのイマージュのいつわりの真実がたち昇り燃えあがる夢幻的な夜ではもはやない。それは存在不可能な欲望を、そして自然本性からもっとも自由ではない野性的な意志をもっている夜である」(フーコー「狂気の歴史・P.536~537」新潮社)

問い自体が変化したこと。「欲望/意志」、「決定論/責任能力」、「自動的なもの/自発的なもの」。このような対立構造に置かれる。たとえば狂気的な行動が「自動的」に出現してしまう場合、それは各人の狂気によってあらかじめ「決定論的に」出現してくる「欲望」であってその範囲を越えるものではない。逆に各人の狂気が「意志」として加わり「自発的なもの」として出現してきたとすればその行為には「責任能力」が認められる、といったふうに。

「つぎに、客観的であるとはいえこの自由は、それを完全に否定する決定論と、それを高揚する明確な罪過とに、事実および観察の次元では正確に区分される。古典主義的な思考は罪と狂気の関連については多義的であったが、その多義性は今後はばらばらになるだろう。そして十九世紀の精神分析的な思考は、この決定論の全体をさぐる努力と同時に罪過をどこに組み入れるべきかを定める努力をするであろう。犯罪性の狂気についての議論、進行性麻痺のもつ影響力、変質〔=退化〕の大きな主題、ヒステリー現象への批判、それらすべての事項は、エスキロールからフロイトへいたる医学研究を一貫して流れ、この二重の努力のなかに入っている。十九世紀の狂人は決定論によって定められ、罪ある者とされるだろう。その非自由は、古典主義時代の狂人が自分から逃れるおりに用いていた自由にくらべると、いっそう罪の色合いが深い」(フーコー「狂気の歴史・P.537」新潮社)

古典主義時代の狂気の定義は不透明な部分が多かった反面、その解釈はたいへん多義的であった。だから一概に狂人はいつもすでに犯罪者だとは言えなかったし言うことはできなかった。ところが十九世紀一杯を通して「罪と罰」の概念が露骨に導入される。狂人の自由な行為は与えられた環境によって左右されるという決定論の立場と別々にではなく、決定論の中に「罪過」の観念が組み込まれるのである。どこかで罪過が組み込まれなければならないという意味でこの「自由」はたちまち「非自由」となる。さらに。

「解き放たれたとはいえ、狂人は今や自分自身のと同一平面にいる。つまり狂人はもはや自分自身の真理を逃れるわけにはいかず、それになかに投げこまれていて、それは狂人を完全に占有している。かつて古典主義時代の自由は狂人をその狂気との関係で位置づけていた。そしてこの関係はあいまいで、不安定で、つねに壊されていたが、彼がその狂気と一体になるのを妨げていた関係であった。だがピネルとテュークが狂人に押しつけた自由は、彼を狂気の一種の真理のなかに閉じ込めるのであって、自分の狂気から解放されても、彼はこの真理を受身的な仕方でしか逃れるわけにはいかない。この時以後、狂気はもはや《一般的な》真理にたいする人間のある種の関係をーーーすくなくともひっそりと自由をいつも含んでいる関係を示さない。狂気はただ単に人間の、《彼の》真実にたいする関係だけを示すのである。狂気において、人間は自分の真理のなかに落ちこむ。つまりそれは、自分が完全に自分の真理である、あり方と、やはりまた、自分の真理を失う、失い方である。もはや狂気は人間の非存在については語らず、人間の現在の姿の内容の点での、またこの内容の忘却の点での、人間の存在について語るだろう。かつては人間は<存在>との関係での<無縁な者>ーーー虚無と幻想とに生きる、愚カナル人間(非存在の空虚とこの空虚の逆説的な顕現)であったが、今や人間は彼自身の真理のなかに引きとめられ、そのことによっても、その真理から遠ざかる。自己との関係での<無縁者>、つまり疎外〔=錯乱〕者なのである。今や狂気は人間論の用いる言語活動を手に入れる。すなわち、狂気が近代世界にたいして不安な力をもつ、その根源にある多義性のなかで、狂気は人間の真理、その真理の喪失、したがって、《その真理の真理》、それらを同時に目標にする」(フーコー「狂気の歴史・P.537~538」新潮社)

これまで与えられてきた閉鎖的監禁空間からの《解放》は、「狂人たち」にとって、逆に最も広い空間での《絶対的非自由》として出現したのである。
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なお、「感染=パンデミック」についてさらに。国家化した医学=医学的国家体系の樹立。中央集権化と情報の統制的集中管理体制。そしてそれは国家が個人の身体の隅々まで侵入し、「個人《としての》人間」という概念が創設されるようになったことを意味する、というところまで述べた。ところで古典主義時代との大きな違いは、死の意味がすっかり変わったことと関係している。一七八九年フランス革命以前、「ルネサンスの頃」、人々はその死によって各自の差異は「かき消された」。「運命や、富や、身分の差」にもかかわらず、死は否応なしにすべての人々に降りかかることで、それぞれに特有のでこぼこした差異を一斉に平均して地ならししてしまい消滅させるよう働いていた。ところが十九世紀になると、国家化された医学-国家の管理下に入った「個人《としての》人間」は個々別々の死を国家の側から与えられるようになる。

「生における死の知覚は、十九世紀においては、ルネサンス時代と同じ機能を持っているわけではない。ルネサンスの頃は、死は還元的な意味を担っていた。つまり、死の普遍的なはたらきによって、運命や、富や、身分の差はかき消された。死は否応なしに、各人をすべての人のもとに、引きよせた。骸骨の乱舞は、生の裏側で、一種の平等主義的な無礼講をかたどっていた。死は、まちがいなく、運命のうめあわせをしたのである。ところが今や、死は反対に、独自性をつくるものであった。個人が単調な生活や、その平均化からのがれて、自分自身に再びむすびつくのは、まさに死においてのことなのであった。死のゆっくりとした近づきは、半ば地下のものではあるが、すでに可視的なものであって、その近づきの中で、共同の、音もなき生は、ついに個性となる」(フーコー「臨床医学の誕生・P.284」みすず書房)

それが「個性」として呼ばれ賞賛されるようになったことは皮肉でもある。国家の側は各個人の「個性」の名において「健康的/病的」、「健常者/障害者」、「理性/狂気」という二極対立的分割構造を創設したからだ。前に引いた。

「集団や社会の生活、民族の生活、あるいは『心理的生活』について語るときにさえ、ひとがまず思い浮かべるのは《組織化された存在》の内部的構造のことではなく、《正常性と異常性との医学的両極》のことなのである」(フーコー「臨床医学の誕生・P.76」みすず書房)

さらに同じことだが。

「その考察は統一の作業よりは区分の問題にむけられており、ポジティヴなものとネガティヴなものの対立ということに、完全に対応している」(フーコー「臨床医学の誕生・P.76」みすず書房)

ルイ王朝を打倒するとともに医学の国家化=医学をモデルとした新しい体系的国家を樹立したブルジョワ社会は差し当たり社会全体の「道徳的統合化」=「社会的倫理の再編」に着手しなければならない。この間、臨床医学を規範とした国家再編の作業にとって、十八世紀末(フランス革命前後)に狂気経験が置かれ、そして変遷した経過が参考になるだろう。フーコーのいう「道徳的総合化」とはなんだったのか。先に三つの方法が上げられる。

「第一に沈黙。ピネルが鎖をといた五番目の男は、狂気が理由でカトリック教会から追放された元聖職者であった。誇大妄想にかかって自分をキリストと思っている男で、それは『人間の極端な僭越さを妄想で表わしている姿』だった。一七八二年にビセートルへ入れられ、鎖につながれてから十二年になる。ーーーこの場合は、鎖をといてやることは逆説的な意味をおびている。以前には、独房、鎖、他人の不断の注目の的、嘲笑、それらがこの病者の妄想にとっては自分の自由の構成要素を形づくっていた。そうした事態そのものによって認知され、また多くの共謀関係によって外部から呪縛されていた彼は、自分の無媒介な真実から遠ざけられるということはありえなかった。ところが、鎖がとかれ、皆がこちらに関心をしめさず黙りこんでしまうと、そうした事態のせいで彼は、うつろな自由をきりつめて用いざるをえない。沈黙のなかで彼は、人々に容認してもらえない真実に夢中になっているのであるが、人々がもはやこの真実を眺めてくれないのであるから、彼がこの真実を表明しても無益であろうし、さらにまた、この真実は侮辱されてさえいないのであるから、彼はこの真実から熱狂をひきだすことはできないだろう。今や侮辱を加えられるようになるのは、この男自身のほうであって、妄想へ投影されている彼の姿ではないのである。すなわち、以前に課せられた身体的拘束のかわりに、今では、たえず孤独の限界に出会う自由があり、彼の妄想と〔他人からの〕侮辱とのあいだの対話のかわりに、今では、ほかの連中の沈黙のなかで使いはたされる一つの言語の独白があり、彼の思いあがりと恥辱とをすっかり誇示するかわりに、今では無関心がある。独房のなかでよりも、また鎖につながれているときよりも、いっそう現実には監禁されていて、自分自身によるほか他の何ものによっても捕えられていないこの病者は、罰の次元に属する、自己のとの関係のなかで、また恥の次元に属する他人との関係の欠如のなかで把握される。他の人々は罪なき者とされ、彼らはもはや迫害者ではないのである。狂人の罪過は内部へと移動させられ、もっぱら自分自身の傲慢さによって彼が呪縛されていたことを明らかにする。敵意にみちた人々の顔は消えてしまい、狂人はそれらの現存を、もはや視線としてではなく、注目の拒否として、そむけられた視線として感じる。彼にとって他の人々はもはや一つの境界、彼が前へ進めば進むほど後退しつづける境界にすぎない。鎖をとかれたにもかかわらず、今や彼は沈黙の力によって、罪と恥とにしばりつけられている。鎖につながれていたときには、彼は自分が罰せられていると感じていたし、そこに自分の無罪のしるしを見ていたが、あらゆる身体的な懲罰から自由になると、今や彼は自分が罪人であると感じざるをえない」(フーコー「狂気の歴史・P.516~517」新潮社)

逆説的なのは「鎖を解くこと」である。この場合は次のように言える。

「《ルター》はたしかに《献身》による隷従を克服したが、それは《確信》による隷従をもってそれに代えたからであった。彼は権威への信仰を打破したが、それは信仰の権威を回復させたからであった。彼は僧侶を俗人に変えたが、それは俗人を僧侶に変えたからであった。彼は人間を外面的な信心深さから解放したが、それは信心を内面的な人間のものとしたからであった。彼は肉体を鎖から解放したが、それは心を鎖につないだからであった」(マルクス「ヘーゲル法哲学批判序説」『ユダヤ人問題によせて・ヘーゲル法哲学批判序説・P.86』岩波文庫)

次に鏡の「効果/逆説」について。

「第二に、鏡における認知。ーーー今度は、思いあがりをくじくという局面が出てきたわけである。つまり、横柄にも自分の妄想の対象と自分が同一であると思っていたのに、狂人は自分がその滑稽な思いあがりをあばきだしてしまった狂気において、鏡のなかで自分自身を認知するのである。そして、主体が自分のものと信じこんでいる確固たる王権は、主体が客体を容認しつつもその正体を暴露する、当の客体において崩れおちる。今こそ、狂人は冷やかに自分自身に見つめられる。しかも、危険な鏡をこちらに差し出してばかりいた、理性の代表者たちの沈黙のなかで、狂人は客観的に狂っている者として認知される。ーーー狂人保護院は狂人共同体のなかで、一種の鏡を人々に配列していたのであるから、最後には必ず狂人は自分が狂人であることを自分の意に反して不意に見つけだすのである。かつては、つながれている鎖のせいで狂気は見られている純粋な客体であったのだが、こうした鎖から解き放たれた狂気は、逆説的にではあるが、自分の自由の、自分一人による賞賛の自由の根本を失っている。それは自分が知っている自分の真実に責任を負うようになる。それは、はてしなく自分に送りかえされる自分の視線のなかに閉じこめられる。そして最後には、自分が自分にたいして客体であることの恥辱にしばりつけられる」(フーコー「狂気の歴史・P.518~520」新潮社)

ラカン参照。

「鏡像段階というのは、精神分析がこの用語にあたえる全き意味で《同一化のひとつとして》理解するだけで十分です。すなわち、主体が或る像〔を自分のものとして〕引き受ける時みずからに生ずる変形ということで、ーーーそれがこの時相の作用として予定されていることは、精神分析における《イマーゴ》という古い用語の慣用によって十分に示されています。

この、自由に動くこともできなければ、栄養も人に頼っているような、まだ《口のきけない》状態にある小さな子供が、自分の鏡像をこおどりしながらそれとして引き受けるということは、《わたし》というものが原初的な形態へと急転換していくあの象徴的母体を範例的な状況のなかで明らかにするようにみえるのですが、その後になって初めて《わたし》は他者との同一化の弁証法のなかで自分を客観化したり、言語活動が《わたし》にその主体的機能を普遍性のなかでとりもどさせたりします。

重要な点は、この形態が《自我》という審級を、社会的に決定される以前から、単なる個人にとってはいつまでも還元できないような虚像の系列のなかへ位置づけるということであり、ーーーあるいはむしろそれは、主体が《わたし》として自分自身の現実との不調和を解消しなければならないための弁証法的総合がうまく成功していようとも、主体の生成に漸近的にしか合致しないのです。

このように、主体が幻影のなかでその能力を先取りするのは身体の全体的形態によってなのですが、この形態は《ゲシュタルト》としてのみ、すなわち、外在性においてのみ主体に与えられるものであって、そこではたしかにこの形態は構成されるものというより構成するものではありながら、とりわけこの形態は、主体が自分でそれを生気づけていると体験するところの騒々しい動きとは反対に、それを凝固させるような等身の浮彫りとしてまたそれを逆転させる対称性のもとであらわれるのです。したがって、この《ゲシュタルト》について言えば、そのプレグナンツは、たとえその運動様式が無視できるにしても、種に関連していると考えなければならないわけで、ーーーその出現のこれら二つの局面によってこのゲシュタルトは、《わたし》の精神的恒常性を象徴すると同時にそれがのちに自己疎外する運命をも予示するものです。さらにその《ゲシュタルト》はさまざまの対応をはらんでいますが、これによって、《わたし》は、いわば人間が彼を支配する幻影にみずからを投影する立像と一体化するわけであり、結局は、曖昧な関係のなかで世界がみずからを完成させようとする自動人形と一体化するわけなのです。

じじつ、《イマーゴ》についていえば、そのヴェールに覆われた顔がわれわれの日常経験や象徴的有効性の半影のなかで輪郭をあらわすのを見てとるというのはわれわれの特権ですし、ーーー個人的特徴であれさらには弱点とか対象的投影であれ、要するに《自己身体のイマーゴ》が幻覚や夢のなかで呈する鏡像的配置をわれわれが信用している以上、あるいは、鏡という装置の役割を心的現実、しかも異質なそれの現われる《分身》の出現に認めている以上、鏡像は可視的世界への戸口であるようにみえます。

鏡像段階の明らかにする空間的な騙取のなかに、人間の自然的現実が有機体として不十分であることの結果を認めさせますーーー。けれども自然とのこうした関係は人間では生体内部の或る種の裂開によって、つまり生まれてから数ヶ月の違和感の徴候と共働運動の不能があわらにする<原初的不調和>によって変化させられます。

《鏡像段階》はその内的進行が不十分さから先取りへと急転するドラマなのですがーーーこのドラマは空間的同一化の罠にとらえられた主体にとってはさまざまの幻像を道具立てに使い、これら幻像はばらばらに寸断された身体像から整形外科的とでも呼びたいその全体性の形態へとつぎつぎに現われ、ーーーそしてついに自己疎外する同一性という鎧をつけるにいたり、これは精神発達の全体に硬直した構造を押しつけることになります」(ラカン「<わたし>の機能を形成するものとしての鏡像段階」『エクリ1・P.126~129』弘文堂)

主導権は鏡の側にあって自分にない。終わりのない自己点検という対象化作業へおちいってしまうほかないのである。さらに「永久に開廷されている目に見えざる一種の裁判所によって裁かれる」ということ。

「第三に、永遠なる裁定。〔第一の〕沈黙によってとおなじく〔第二の〕鏡のはたらきによって、狂気は自分自身を休みなく裁くように促されている。だが、そのほかにも狂気は外部からいつも裁かれるのである。道徳的または学問的な意識によってではなく、永久に開廷されている目に見えざる一種の裁判所によって裁かれるのである。ーーー効果をあげるためには、この裁判所は見かけが恐ろしくなければならない。想像のうえでだけ、身なりをととのえた裁判官と体刑執行人が精神錯乱者の精神に目を光らせていて、彼がどんな判決の領域にいま身をゆだねているかを彼にはっきり理解させるようにしなければならない。裁判の恐ろしさと非情さに力点をおいて裁判を芝居にしたてることは、したがって狂人治療の一部分になるだろう。ーーー狂人が彼をいたるところで包む裁定の世界のなかで自分を認知するように、すべては組織されている。彼は自分が監視され裁かれ罪の宣告をくだされていることを知っていなければならない。罪から罰へのつながりは、万人が認知する罪過のように明白でなければならない。ーーーかつて非理性は裁判のそとにおかれ、理性の力に意のままにゆだねられていた。だが今や非理性は裁かれるのである。ただし、狂人保護院へ入るときに一度だけ、また認知され分類され永久に無罪の扱いをうけるように裁かれるのではない。たえずその裁定は非理性を告訴し、罰を課し、罪を言い渡し、おおやけに謝罪するように求め、要するに、その罪が良き社会秩序を長いあいだ乱すおそれのあるような人間を排除しつづける。狂気が理性の専横さをまぬかれたのは、一種の際限なき訴訟、つまり、狂人保護院が警官・予審判事・判事・体刑執行人を同時に提供している訴訟をうけるようになったからにほかならない。保護院の生活に特有な美徳によって、人生におけるどんな罪も、監視され有罪宣告をうけ罰せられる、社会的な犯罪となる訴訟。悔恨という内在化された形式で永久にやり直すこと以外には出口のない訴訟。ピネルによって《解放された》狂人、しかもピネル以後の、現代の監禁を課せられている狂人とは、告訴されている人物なのである。ーーー仮に外部の世界では無罪の扱いをうけるとしても、狂気は狂人保護院では罰せられるだろう。長いあいだ、しかも現在にいたるまで、狂気はすくなくとも道徳の世界のなかに閉じ込められる」(フーコー「狂気の歴史・P.520~524」新潮社)

カフカはほとんどそっくりというべき似通った事態を小説で描いている。

「『引延しというのはですね』、と画家は言って、ぴったりした言葉を捜すように一瞬宙に目を浮かせた、『引延しとは、訴訟がいつまでも一番低い段階に引きとめられていることによって成立つのです。これをやりとげるためには、被告と援助者、とくに援助者が絶えず裁判所と個人的な接触を保つことが必要です。もう一度言うと、この場合は見せかけの無罪判決を獲得するときのような苦労はいりませんが、そのかわりはるかに大きな注意が必要です。訴訟から目を離してはならないし、担当の裁判官のもとに、特別な機会に行くのはむろんとして、たえず定期的に出かけていかねばならず、いろんな方法で彼の好意をつなぎとめておかねばならない。もしその裁判官を個人的に知らないんだったら、知人の裁判官を通して働きかけねばならないが、その場合でも直接の話し合いを断念してしまってはいけない。これらの点で努力を怠りさえしなければ、かなりの確かさで、訴訟は最初の段階から先へ進まないと信じていいのです。むろん訴訟が中止されたわけではない、しかし被告は自由の身と言ってもいいくらいに、有罪判決されるおそれがありません。見せかけの無罪にたいしこの引延しには、被告の将来が前者の場合ほど不安定でないという利点があります。突然に逮捕される驚きからは守られているし、たとえそのほかの情勢がきわめて思わしくない時期でも、あの見せかけの無罪獲得につきものの努力や緊張感を引き受けなくてはならぬのか、などと怖(おそ)れることもありません。もちろん引延しにも被告にとって決して過小評価できないある種の弱点があります。といってわたしはなにも、この場合は被告が自由になることは決してない、ということを考えているのではありません。本来の意味ではそれは見せかけの無罪の場合だって同じことですからね。それとは違う弱点です。というのは、少くとも見せかけでもその理由がなければ、訴訟は停止するわけにはいかないということです。従って、外にたいしては訴訟の中でいつも何かが起っていなければならない。つまりときおりさまざまな命令が出されなければならず、被告が訊問(じんもん)されたり、審理が行われたり、等々がなされていなければならぬわけです。そこで訴訟は絶えず、わざと人為的に局限された小さな範囲のなかで回転させられていくことになります。これはむろん被告にとってある種の不快感をともなうことですが、しかしあなたはそれではひどすぎると想像してはならんでしょう。すべては外面的なことにすぎないんですから。たとえば訊問はごく短いものですし、出かけてゆく時間や気持がなければ、断ってもかまわない。ある種の裁判官の場合には、長期にわたっての命令をあらかじめ一緒に決めておくことさえできるんです。本質的にはつまり、とにかく被告は被告なんだから、ときおり裁判官のもとに出頭するというにすぎません』」(カフカ「審判・P.223~225」新潮文庫)

そしてフーコーは第四の方法を指摘している。国家化された医学=医学体系化された国家という政治性について。その中で近代の狂気経験が果たした役割とは何か。

「これまで述べた沈黙、鏡における認知、この永遠なる裁定のほかに、十八世紀末における保護院の世界に特有な第四番目の構造をつけ加える必要があるだろう。それは医学的人間にたいする過度の崇拝である。それらのなかでも多分この第四番目がもっとも重要である。というのはそれは、医師と病者とのあいだの新しい接触のみならず、精神錯乱と医学的思考とのあいだの新しい関係をも許容し、要するに近代の狂気経験のすべてを支配するようになるだろうから。これまでは、人々が狂人保護院のなかに見出したのは、監禁がもっていた構造そのもの、ただし、ずれや変形をともなった構造であった。だが、医学的人間の新たな地位のおかげで消えうせるのは、監禁のもっとも深い意味である。こうして、われわれがいま認識する意味での精神病が存在可能となる。ーーー精神病の認識が実証性の意味あいをおびようと努めているとき、医学面の実務が、ほとんど奇蹟に近いこうした不確かな領域に入っているのが見られることは、興味ぶかい逆説である。一方では狂気は、非理性の威嚇がなくなっている客観的〔=他覚的〕な領域のなかで、一定の距離をおいて遠ざけられているが、他方それと同時に、狂人は分割のない統一性のなかで医師とともに一種の組み合せを、そこではきわめて古い帰属関係によって両者の共謀が生れている組み合せをつくる傾向がある。テュークとピネルが組み立てたような保護院の生活のおかげで、狂気の本質的な細胞となる精巧な構造が生まれたのであったーーーそれはブルジョア社会とその諸価値の、どっしりした主要な構造がそこでは象徴される一種の小宇宙を形づくる構造である。すなわち、父親の権威という主題を中心とする<家族>-<子供>関係、即決裁判という主題を中心とする<罪>-<懲罰>関係、社会的で道徳的な秩序という主題を中心とする<狂気>-<無秩序>関係。それらがもとになって、医師は治療の力を手に入れる」(フーコー「狂気の歴史・P.524~527」新潮社)

ここでも重要なのは、「<家族>-<子供>」、「<罪>-<懲罰>」、「<狂気>-<無秩序>」という二極対立構造があたかも当然のように立てられていることである。二極対立構造がいけないというのではない。そうではなく、二極対立的な形式はややもすればその《あいだ》を覆い隠してしまう、ということに注意を払う必要性がある。一方で、その《あいだ》には何があるのかわからなくさせてしまう。他方で、その《あいだ》には何もないかもしれないにもかかわらず思わせぶりに何かがあるかのように見せかける効果を持つ。いずれにしてもどのような問題であれ、諸要素が二極対立的な形式の中に収められてしまうやいなや、この形式そのものがこの形式の真偽を隠蔽してしまうのである。慎重に進まなくてはならない。脱中心的に。
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さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

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