白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

延長される民主主義24

2020年04月11日 | 日記・エッセイ・コラム
ゴッホが、「画家であるのは」と、アルトーは画家の条件について述べる。

「ヴァン・ゴッホが画家であるのは、彼が自然を沈思黙考し、自然をいわば発汗させ、汗びっしょりにさせて、彼の画布の上にビーム状に、いわば色彩の巨大な束状に、一世紀を経た基本要素の粉砕作用を、省略記号や、線条や、コンマや、棒線の恐ろしい基本的圧力を迸らせたからであって、彼の後では、人は自然の諸々の様相がそれらのものでできていないとはもはや信じることができない、と私なら言うだろう」(アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.144~145』河出文庫)

ゴッホが忠実に則りたいと願ったのは、どこにでもあるような眼前に広がく諸々の自然に、である。ゴッホは超越論的=存在論的に行動した。ところが社会規範=倫理的制度はそのような態度を許さない。ゴッホには、一方で自分にはこう見えるだけでなくこうであることをありのままに《欲する》という欲望があり、他方で社会規範=倫理的制度はそれを許しはしないという社会的規模でいつもゴッホに襲いかかる強迫観念がある。この相入れないものの闘争とせめぎ合いの場がゴッホの《身体において》演じられている。ゴッホがカンヴァスの中で、それもどこにでも売っているカンヴァス、他の画家たちもまた同様に使っている何ら特別でないカンヴァスの寸法に合わせて、ゴッホが「一世紀を経た基本要素の粉砕作用を」、「基本的圧力を迸らせた」ことで自然を新しく見出したとしても驚くに当たらない。だがしかし、アルトーのいう「一世紀を経た基本要素」とはなんなのか。十八世紀末のヨーロッパに出現した「基本要素」。それは医学化され中央集権化された国家であり、医学をモデルとした政治の医学化である。フーコーはいう。十八世紀末に起こった歴史的大事件というのは一七八九年のフランス革命を指す。

「何のさまたげもなく、変化もなく、その全体をまなざしで眺めわたされたこの医学的な場は、そこにふくまれる幾何学において、フランス革命が夢みていた社会的空間にふしぎに似ている。少なくともその最初の表現においては似ている」(フーコー「臨床医学の誕生・P.80」みすず書房)

ここで言われている「医学的空間」と「社会的空間」との類似性について。

「つまり、その各領域において同質のゲシタルトがあり、それが同じ価値を持つ諸点を構成し、その諸点はその全体との間に、恒常的な関係を保ちうる、という構想。それすなわち、諸部分と全体との間の関係がつねに置き換え可能であり、可逆的である、自由な交流の空間を意味する」(フーコー「臨床医学の誕生・P.80~81」みすず書房)

自由という言葉にはいつも注意深くなければならない。全方向的な意味を持つ、少なくとも両義的な意味を持たないわけにはいかない自由という意味の国家的イデオロギー化によって「諸部分と全体との間の関係がつねに置き換え可能」になった。たとえば二〇世紀後半になって盛んに行われるようになった臓器移植という「置き換え」という思想はすでにこの頃芽生えていた。またあるいは故障した労働者と新しい労働者との速やかな「置き換え」。それを要請する資本。人間の登場と人間の消滅とが目に見えてきた断層というべき時期に当たっている。というのも、類としての人類は何千年何万年も前から存在してはいたけれども、「人間」(ヒューマン)というものはここ二百年ばかりの間に出現した近代の産物に過ぎないからである。

「ヴァン・ゴッホの絵画のなかには亡霊はいない、ヴィジョンもなければ、幻覚もないそれは午後の太陽の酷熱の真実のうちにある。少しずつ解き明かされたある緩慢な生殖の悪夢。悪夢もなく、そして結果もなしに。だが、そこには生まれる前のものの苦しみがあるのだ」(アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.145』河出文庫)

ゴッホはその誠実さゆえに嘘をつくことができない。一方、「諸部分と全体との間の関係がつねに置き換え可能であり、可逆的である、自由な交流の空間」建設のために自由という言葉を濫用したフランス=ヨーロッパ医学界はどうだったか。

「《政治的イデオロギー》の要請と《医学的工学》の要請との間に、自然発生的な一致、深い根を持った一致がある」(フーコー「臨床医学の誕生・P.81」みすず書房)

ゴッホの絵画がその唯一性を突きつけることで社会の中で、社会に向かって、告白してやまないのはそのことだ。
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なお、「感染=パンデミック」についてさらに。医学の国家化、中央集権化、徹底的情報管理によって、知というものが一極集中性へと変化した時期。自由という言葉の濫用によって行われただけでなく、それが権威の意匠をまとって濫用されたことで医学的国家という形態を整えつつ事態は確実に加速化した。

「医師たちと政治家たちは、使うことばはちがっていても、同じ一つの動きによって、本質的には同じ理由のために、この新しい空間を構成する上で、障礙になりうるすべてのものの除去を要求している」(フーコー「臨床医学の誕生・P.81」みすず書房)

邪魔者には消えてもらうという容赦のない国家的方針が自由という甘味な言葉によって覆い隠される。フーコーはその事例を列挙する。

「たとえば施療院がそれで、これらは病気を支配する特殊な法則を変質させ、所有と富の関係、貧困と労働の関係を決定する厳しい法則を乱(みだ)す。またたとえば医師たちの同業組合(コラボラシオン)もそれで、これは中央集権化した医学的意識の形成をさまたげ、経験に制限を加えさえしなければ、これが自由にはたらいて、自ら普遍的なものに到達するのに、このはたらきをさまたげてしまう。さらにまた、諸医科大学も同じで、大学というものは理論的構造においてのみ真なるものをみとめ、知識というものを一つの社会的特権にしてしまう」(フーコー「臨床医学の誕生・P.81」みすず書房)

注目したい。「知識というものを一つの社会的特権にしてしまう」。マルクスはいっている。

「一般的等価形態は価値一般の一つの形態である。だから、それはどの商品にでも付着することができる。他方、ある商品が一般的等価形態(形態3)にあるのは、ただ、それが他のすべての商品によって等価物として排除されるからであり、また排除されるかぎりでのことである。そして、この排除が最終的に一つの独自な商品種類に限定された瞬間から、はじめて商品世界の統一的な相対的価値形態は客観的な固定性と一般的な社会的妥当性とをかちえたのである。そこで、その現物形態に等価形態が社会的に合生する特殊な商品種類は、貨幣商品になる。言いかえれば、貨幣として機能する。商品世界のなかで一般的等価物の役割を演ずるということが、その商品の独自な社会的機能となり、したがってまたその商品の社会的独占となる。このような特権的な地位を、形態2ではリンネルの特殊的等価物の役を演じ形態3では自分たちの相対的価値を共通にリンネルで表現しているいろいろな商品のなかで、ある一定の商品が歴史的にかちとった。すなわち、金である」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第一章・P.130~131」国民文庫)

フーコーのいう「社会的特権」化された「知識」はマルクスのいう「貨幣」にほかならない。それはただそれだけでは何ら独占されることを欲しない。むしろ加速的に流通することを欲する。が、人間はそれを中央集権的に独占し蓄積することを欲する。貨幣の側から見れば人間は「狂って」いるかのように見える。ところがただ単なる人間でなく資本の人格化としての資本家は独占への意志によって貨幣と商品とを絶え間ない流通過程へ投げ込む。その意味で資本家は「狂って」いない。

しかしなぜ「施療院」は邪魔なものとして取り扱われたのか。微妙なずれが生じている。フランスの王権と新興ブルジョワ階級とのあいだに横たわる<差異>がこのずれをますますずれたものにしていく。そもそも「施療院」は医学的施設ではない。

「機能において、また意図において<一般施療院>は、いかなる医学的な観念とも関連していない。それは秩序、当時フランスにおいて組織化されつつあった君主制的でブルジョア的な秩序の権力機構の一つである。それは国王の権力にじかにつながっていて、王権はそれを唯一の権威たる文民政府の管轄下においた」(フーコー「狂気の歴史・P.70」新潮社)

王権によって与えられた慈善的施設である。さらに富裕層による寄付が加わる。キリスト教会もこぞって施療院を建設し出す。最初は王権によってだが。

「国王は布告している。『当該<一般施療院>の維持者および保護者は、わが王権による創設に属すると了せられたい。にもかかわらず、彼らは、わが<宮廷司祭職>にも、またわがいかなる役人にもなんら所属するものではない。加うるに<一般改良委員会>ならびに<宮廷司祭職>に属する諸役人の、また、どのような仕方であれ、われわれがあらゆる交渉ならびに裁判権を禁じる他のすべての役人の巡察および裁判権という上位権力から完全に除かれなければならない』。この施療院の計画の最初の立案は、高等法院のものだったし、当時任命された二人の最高管理者は、高等法院の首席長官および国王代訴人であった」(フーコー「狂気の歴史・P.70」新潮社)

ところがこの組織は多くのブルジョアジーや富裕な寄付者によってたちまち巨大化し様々な形で建設され、その網目を拡大していく。実質的な支配権は王権からブルジョアジーの手に移っていく。

「実際の運営とほんとうの責任は、最高委員会の推挙によって新たに補充される支配人に託された。彼らこそ、ほんとうの監督官であり、悲惨の世界にたいする王権およびブルジョアジーの富の代理人である。フランス革命のさい、彼らにとって有利なつぎの証言があったほどである。『最良のブルジョアジーのなかから選ばれたーーー彼らは、無私無欲の見解と不純なところのない意図にもとづいて運営監督にあたった』。この構造は、君主制的でブルジョア的な秩序に特有であり、絶対主義の形式をとるその組織とおなじ時代のものであって、やがて、その網目を全フランスに広げるのである」(フーコー「狂気の歴史・P.70」新潮社)

「慈善、寄付、良心」の名のもとに世俗的権力拡大と社会的支配を打ち立てようとする人々がわんさと現れてきた。監禁という言葉はたちまちのうちに無数の意味の担い手となる。

「中世紀が癩者の隔離をつくりだしたのといささか似た仕方で、古典主義は監禁をつくりだした。癩者が居なくなったの場所は、ヨーロッパ世界に新しく出現した人々によって占められた。それが《監禁された人々》である。癩施療院は、医学的な意味しかもたなかったわけではなく、呪われたこれらの空間へ通じるあの追放という行為のなかには、他にも多くの機能がはたらいていた。だが監禁という行為も同じように単純ではないのであって、その行為もまた、政治的、社会的、宗教的、経済的、道徳的な意味作用をになっている」(フーコー「狂気の歴史・P.72」新潮社)

無限に増殖する意味という《病》の発生。結局のところ、最も富裕な人々のみによる中央集権的支配の構造が確立されることになる。それは次のように起源にあった施療院創設の意図を覆い隠してしまう。

「数年のうちに、こうした網目がすっかりヨーロッパにはりめぐらされた。十八世紀末にハワードはそれをひとわたり見てまわる計画をたてて、イギリス、オランダ、ドイツ、フランス、イタリヤ、スペインにある、監禁の著名な施設ーーー『施療院、監獄、収容所』ーーーをすべて巡回する計画をたてるが、彼の博愛精神がひどく傷ついた事柄といえば、一般法による受刑者、家庭の平安をみだし財産を濫費する子弟、放浪・無頼の徒、狂人、これらがひとしく同じ施設内に送りこまれていた点である。こうした証言こそは、すでにこの十八世紀末という時期に、ある種の明白な事実ーーー監禁という古典主義的秩序のこの分野が、全ヨーロッパにきわめて急速に、自然発生的に出現するにいたった、その背景にある事実が見失われた事態をしめすのである。監禁は百五十年のうちに、異質な諸要素からなる、ひとの目をあざむく混合体になったのだ」(フーコー「狂気の歴史・P.73~74」新潮社)

古典主義時代から一七八九年のフランス革命前後の間に起こった「知の枠組み」の断層を見出すことができる。それは「監禁の居住区の建設とその編成にあらわれてくる」。

「監禁の空間を形づくりつつ、その空間に隔離の権能をあたえ、狂気に新しい母国をさししめした行為、どれほど首尾一貫し整合的であろうとも、その行為は単純ではない。その行為によって、複合的な統一体として組織されるのは、悲惨さと救済義務にたいする新たな感受性、無為怠惰と失業の経済的諸問題にたいする新しい反作用の形式、新しい労働倫理、そして、強制という権力本位の形式によってではあるが、道徳上の義務が市民法と一致するような居住区にたいする夢想などである。不鮮明ながらも、これらの主題は、監禁の居住区の建設とその編成にあらわれてくる」(フーコー「狂気の歴史・P.73~74」新潮社)

支配者として君臨する医学-国家のまなざし。それは医学的「真理」のもとで「臣下」として「服従」しなくてはならないが、同時に、中央集権的医学-国家のまなざしとしてはまちがいなく主権者でもなくてはならない。

「自由とは真理のいきいきとした、決してさまたげることのない力である。したがって、あらゆる障害物から解放されたまなざしが、真なるものの直接的な法則にのみ従うような、そういう一つの世界が存在すべきである。まなざしが真なるものに忠実であり、真理をうけることができるためには、同時にこの真理の臣下でなくてはならない。しかし、まさにそのことによって、まなざしは主権者なのである。ものを見るまなざしは、ものを支配するまなざしである。それは服従もできるが、その主人たちを支配もする」(フーコー「臨床医学の誕生・P.81」みすず書房)

この一見複雑で矛盾にも見える課題は、しかし、一体どのような仕方で克服されたか。

「権力についての全く転倒したイメージを抱かない限りは、我々の文明においてあれほど久しい以前から、自分が何者であるのか、自分が何をしたのか、自分が何を覚えているのか、何を忘れたのか、隠しているもの、隠れているもの、考えも及ばないもの、考えなかったと考えるもの、こういうすべてが何かを語れという途方もない要請を執拗に繰り返すあれらすべての声が、我々に自由を語っているなどとは考えられないはずだ。西洋世界が幾世代もの人間をそれに従事させた、産出するための厖大な工事でありーーーその間に、他の形の作業が資本の蓄積を保証していたわけだがーーーそこに産み出されたのは、人間の《assujettissement》〔服従=主体-化〕に他ならなかった。人間を、語の二重の意味において《sujet》〔臣下=服従した者と主体〕として成立させるという意味においてである」(フーコー「性の歴史1・知への意志・P.78~79」新潮社)

さて、国家化され中央集権化された医学は医学-国家としてブルジョワ主義的自由主義を褒め称える。フーコーはボワシー・グンダラ「革命第二年五月二五日における国民議会への演説」を引用している。

「『暗闇を必要とするのは専制主義である。これに反し、自由というものは栄光に輝き、人間たちを照らしうる、あらゆる光にとりかこまれてのみ存続しうる。専制君主制が設立され、人民たちの中に帰化してしまいうるのは、彼らが眠っている間のことである。ーーー他のもろもろの国家を、自分らの政治的権威の属国とせず、自分らの政府の属国ともせず、自分らの才能や学識の属国とせよ。ーーー独裁制の軛(くびき)の下におかれても、人民が不快に感じないような独裁制もある。それは天才による独裁制である』」(フーコー「臨床医学の誕生・P.81~82」みすず書房)

ここで述べられているのは被支配者層がそれと知らないうちに「独裁制の軛(くびき)の下におかれ」続けても何ら「不快に感じないような独裁制」への権力意志である。

王権を打倒し帝国主義への過程を歩み始めたフランス。「知の枠組み」の断層によって現われたその歩み。それは閉鎖的王権的なものを廃絶して自ら自由の名の下に世界各地に帝国の植民地を建設していく過程と一致する。

「一七八九年から共和暦第二年第十一月(テルミドール)に至るまでの、あらゆる構造改革を方向づけるイデオロギーの主題となったのは、真なるものの持つ至高なる自由ということである。知識の堂々たる威光はそれ自らを統治するものであり、特権者のみの持つ知識の暗い王国、《とりで》に囲まれた王国を閉ざし、一切隔壁のない帝国、すなわち、まなざしの帝国を建設する」(フーコー「臨床医学の誕生・P.82」みすず書房)

だから「感染=パンデミック」とその終息までに、多国籍企業ならびに諸国家がこの機会をどのように活用しようとするのか。見ていく必要があるのである。
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さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

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