白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・シャルリュスの言説を追って7

2022年07月06日 | 日記・エッセイ・コラム
しゃべりつづけるシャルリュス。<私>を突き放したかと思えばたちまち<私>に居残るよう慎重な身振りを見せつける二重性。シャルリュスは狂気に陥っているのか?陥っている。バルベックで出会った時もそうだった。シャルリュスの言語の特徴だが、罵倒中傷とともに発せられるために一見するとそうとは思われない形で、要するに言葉の暴力という形式を取って、シャルリュスの狂気は出現している。<私>を誘惑しようと声をかけたシャルリュス。その独占欲は<私>と祖母とを引き離そうとする言葉に見られる。シャルリュスの独占欲は次のように<私>を孤立化させることから始まる。過剰な挑発が露呈する。

「『だけど老いぼれのお祖母さんなんか、どうだっていいじゃないか。どうなんだい?悪い子のくせに!』」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.279」岩波文庫 二〇一二年)

大勢の人々の前で堂々と振る舞う一方、暴力的で挑発的な身振りを繰り返してやまないシャルリュス。それらすべてが絡み合って以前触れた次の文章へ流れ込んだと見ることができる。

「とはいえ氏が自分のありとあらゆる憎悪をどんな美辞麗句で飾ろうとも、氏のことばの裏にはときに傷つけられた誇りがあり、ときに裏切られた恋があり、恨みやサディスムやからかいや、固定観念なども存在していて、この男は人を殺(あや)めかねず、しかも論理と美辞麗句を駆使してそんな殺人行為を正当化しかねず、それでも自分は兄や義姉より格段に優れた人間であると言いくるめかねない人間だと感じられた」(プルースト「失われた時を求めて7・第三篇・三・二・二・P.465」岩波文庫 二〇一四年)

けれども注意しなくてはいけないのは、シャルリュスが男性同性愛者だから二重性を生きている、というわけではない点。同性愛者としての兆候ならもっと前からしばしば触れられているので何も驚くことはない。むしろ「憎悪、傷つけられた誇り、裏切られた恋、恨み、サディスム、からかい、固定観念」など無数の<断片>に分解できるシャルリュスがいるのだ。この多数性がシャルリュスの分裂的傾向の暴力的かつ挑発的言動を容易にしている。

そうかと思えば<私>の帰宅を見送る際、再び「私たちの和解のしるし」としてターナーの絵画を指し示す。さらにベートーヴェンの交響曲第六番第五楽章「嵐のあとの歓喜」を持ち出して「和音」を強調する。にもかかわらずこういう。「だが、あなたには無用の長物でしょう、魚がリンゴに見向きもしないようなものだ。ただ家に帰りたい一念で、ベートーヴェンや私なぞ袖にしても構わんのだから」。

「『ここにあるターナーの虹は、二点のレンブラントに挟まれて、私たちの和解のしるしに輝きはじめている。聞こえますかな、ベートーヴェンがこの虹と共演しているのが』。実際、『田園交響曲』第三楽章『嵐のあとの歓喜』の最初の和音が聞こえてきた。私たちからさほど遠くない、おそらく二階あたりで、演奏家たちが弾いているらしい。私は、ばか正直に、どんな偶然でこれが演奏されているのか、どこの演奏家たちなのかと訊ねた。『さあ!それはわかりませんな。けっしてわからんでしょう。目には見えぬ演奏家たちだ。きれいでしょう』と氏は、いささか失敬な、おまけにいくぶんスワンの影響と抑揚を想わせる口調で言った、『だが、あなたには無用の長物でしょう、魚がリンゴに見向きもしないようなものだ。ただ家に帰りたい一念で、ベートーヴェンや私なぞ袖にしても構わんのだから、あなたはみずから自身に判決と断罪をくだしているようなもんでしょう』」(プルースト「失われた時を求めて7・第三篇・三・二・二・P.480~481」岩波文庫 二〇一四年)

スワンの「影響と抑揚を想わせる口調」だと<私>は感じる。だが影響とか抑揚とかよりも遥かに同じ文章の反復なのだ。かつてスワンは愛人オデットの自由奔放な振る舞いについてこう言っていた。

「『俺の金で、ほかの男のお楽しみの出費を払ってるんだから。といってもあの女も、せいぜい気をつけて図に乗りすぎないようにしたほうがいい。もう一切なにひとつやらんことにするかもしれん。いずれにしても、しばらくは余計な世話を焼くのはやめよう。つい昨日もバイロイトの音楽祭に行きたいと言うものだから、うっかり、ふたりのために近くのバイエルン王の美しい城を借りようかと言ってしまった。それほど喜んでいるようではなかったし、今のところ行くとも行かないとも言ってこない。いっそ断ってくれるとありがたい。魚がリンゴに見向きもしないようにワーグナーなど屁とも思わぬ女と二週間もその音楽を聞くはめになるなんて、とんでもない苦行だ』」(プルースト「失われた時を求めて2・第一篇・二・二・P.258」岩波文庫 二〇一一年)

にもかかわらずスワンはオデットに対してどのような態度を取っていたか。

「ところが恋心に寄りそう影ともいうべき嫉妬心は、ただちにこの想い出と表裏一体をなす分身をつくりだす。その夜、オデットが投げかけてくれた新たな微笑みには、いまや反対の、スワンを嘲笑しつつべつの男への恋心を秘めた微笑みがつけ加わり、あの傾けた顔には、べつの唇へと傾けられた顔が加わり、スワンに示してくれたあらゆる愛情のしるしには、べつの男に献げられた愛情のしるしが加わる。かくしてオデットの家からもち帰る官能的な想い出のひとつひとつは、室内装飾家の提案する下絵や『設計図』と同じような役割を演じることになり、そのおかげでスワンは、女がほかの男といるときにどんな熱烈な姿態やどんな恍惚の仕草をするのかが想像できるようになった。あげくにスワンは、オデットのそばで味わった快楽のひとつひとつ、ふたりで編み出したとはいえ不用意にもその快さを女に教えてしまった愛撫のひとつひとつ、女のうちに発見した魅惑のひとつひとつを後悔するにいたった。いっときするとそうしたものが新たな道具となって、拷問にも等しい責め苦を増大させることになるのを承知していたからである」(プルースト「失われた時を求めて2・第一篇・二・二・P.209」岩波文庫 二〇一一年)

まるでマゾヒストの態度だ。けれどもマゾヒストの態度はドゥルーズのいうように逆説的なユーモアをもたらし、一方的な「責める/責められる」関係を無効化してしまう効果を持つ。

「マゾヒストの服従のうちにひそむ嘲弄、このうわべの従順さのかげにひそむ挑発や批判力が、ときに指摘されてきた。マゾヒストはたんに別の方面から法を攻撃しているだけなのだ。私たちがユーモアと呼ぶのは、法からより高次の原理へと遡行する運動ではなく、法から帰結へと下降する運動のことである。私たちはだれしも、過剰な熱心さによって法の裏をかく手段を知っている。すなわち、きまじめな適用によって法の不条理を示し、法が禁止し祓い除けるとされる秩序壊乱を、法そのものに期待するのだ。人々は法を言葉どおりに、文字どおりに受け取る。それによって、法の究極的で一次的な性格に異議申し立てを行うわけではない。そうではなく、この一次的な性格のおかげで、法がわれわれに禁じた快を、まるで法がおのれ自身のためにとっておいたかのように、人々は行動するのだ。それゆえ法を遵守し、法を受け容れることによって、人々はその快のいくらかを味わうことになるだろう。もはや法は、原理への遡行によって、アイロニーに満ちたしかたで転倒されるのではなく、帰結を深化させることによって、ユーモアに満ちたしかたで斜めから裏をかかれるのである。ところで、マゾヒズムの幻想や儀式が考察されると、そのたびに以下の事実に突きあたることになろう。すなわち、法のもっとも厳格な適用が、通常期待されるものと逆の効果をもたらすのである(たとえば、鞭打ちは、勃起を罰したり予防したりするどころか、勃起を誘発し確実なものとする)。これは背理法による証明である。法を処罰の過程とみなすとき、マゾヒストはじぶんに処罰を適用させることからはじめる。そして受けた処罰のなかに、じぶん自身を正当化してくれる理由、さらには法が禁止するとみなされていた快を味わうよう命ずる理由を、逆説的なしかたで発見する」(ドゥルーズ「ザッヘル=マゾッホ紹介・P.134~136」河出文庫 二〇一八年)

そのオデットが数十年後の「見出された時」ではサロンの花形として君臨しており、一方、ゲルマント公爵夫人はただ単なるシニフィアン(意味するもの)としてしか残されておらず、その席は何人もの女性が次々と置き換えられていくばかりのむなしい空洞でしかなくなっている。そしてまたオデットの場合も「失われた時」と「見出された時」との<あいだ>で共鳴・共振し合うのであり、マドレーヌやマルタンヴィルの鐘塔やヴィヴォンヌ川にうかぶ睡蓮といった観念連合はまるで関係のない空想に過ぎないのだ。

ところでしかし、なぜ<私>はシャルリュスの狂気について懇切丁寧に<暴露>していくのだろうか。それがプルーストの狙いだからだろうか。読者なら明らかに<暴露><監禁><冒瀆>という主題に気づくだろう。だがプルーストはもっと引き延ばされた<狂気>というものへ向けて読者を誘惑しているように思われてならない。<私>というものはそのために準備された話者に過ぎないと考えることはできないだろうか。

なお昨日の選挙結果について。どの政党候補にしてもステレオタイプ(紋切型)の演説しかできないという余りにも低レベルな選挙戦に見えていたが結果も予想通り。金のかかり過ぎる政治とは早く手を切らないといけない。だからともかく二大政党制を打ち立てることが先決だと思っていた。今回の参院選は与党の勝利に映って見えてはいるけれども内実は「ほかにこれといった投票先が見当たらなかった」というのが大抵の有権者の感情だろう。しかし現状の経済政策が不都合な行き詰まりを呈してきていることは紛れもない事実。少子高齢化と景気悪循環への不穏な流れは決して止まってはくれない。財政危機の濁流化を阻止するための早急な対策があるとすればなぜもっと早く手を打たないのだろうか。打つ手がないのなら「ない」とはっきり言わないと有権者に上手く伝わらないというのがわからないのだろうか。与党支持者の中でさえすでに就職困難者や進学困難者をかかえる人々が行列をなしているだけでなく、与党支持に回ったにもかかわらず、次にリストラされるのは与党に投票した「自分たち」なのはなぜなのかという声が早くも聞こえてきそうだ。

BGM1

BGM2

BGM3


Blog21・シャルリュスの言説を追って6

2022年07月06日 | 日記・エッセイ・コラム
シャルリュスの激怒は長々しい言葉の奔流となって騒然と出現した。聞かされている<私>の側もいい加減うんざりしてくる。だが或る程度言いたいことを言ったシャルリュスの言葉はしばらくして緩急の流れを引き寄せる。<私>はこう見る。「ふたりの仲はこれで終わりだと言いながら、私をひきとめ、飲みものを出し、泊まってゆくように言い、私を送らせようとしているのだから。私と別れてひとりきりになる瞬間を怖れているようにも見える」と。

「『ああ、そうだった、真実であれ嘘であれ、告げ口はすでに効果を発揮したんだ。私の共感はいささか時期尚早だったらしい、早く花を咲かせすぎた。あなたがバルベックで詩的に語っておられたあのリンゴの木と同じで、私の共感はどうやら初霜に耐えられなかったようだ』。シャルリュス氏は、そんな共感がたとえ破壊されなかったとしても、やはりこれ以外の振る舞いはできなかったにちがいない。ふたりの仲はこれで終わりだと言いながら、私をひきとめ、飲みものを出し、泊まってゆくように言い、私を送らせようとしているのだから。私と別れてひとりきりになる瞬間を怖れているようにも見える」(プルースト「失われた時を求めて7・第三篇・三・二・二・P.477~478」岩波文庫 二〇一四年)

シャルリュスの言語は二重に引き裂かれている。一方で<私>とは絶交だと言いつつもう一方で<私>との時間を引き延ばそうとする。しかし読者はなぜシャルリュスの二重化がわかるのか。シャルリュスの身振りはただ単なる発言だけでなく、発言と肉体の言語の両者によって一挙に現前するものだからこそ、そこに二重化された詩の言語を読み取ることができるからだ。シャルリュスの身振りは極めて詩的であって、むしろ人間の形を取った詩であり、詩として読まれるべき身体として登場している。

シャルリュス自身、自分自身の身について語ろうとヴィクトル・ユゴーから引用する。「《私は男やもめ、ひとりの身、そんな身に夕闇おりる》」と。

「この種のいささか不安げな心配は、氏の義姉であり従姉妹でもあるゲルマント夫人が、一時間前、私にもうすこし残るような無理やりひきとめたときに感じていたであろう心配と同じもので、そのときも夫人は今の氏と同じように私に一時的な好意をいだき、一刻でも会見をひき延ばそうと努めたのだ。『残念なことに私は』と氏はことばを継いだ、『ひとたび破壊されたものをふたたび花咲かせるような才覚など持ち合わせてはいない。あなたにたいする私の共感は、完全に死んでしまった。なにものもそれを甦らせることはできない。それを残念に思っていると告白しても、私の沽券にかかわることはあるまい。私はつねづね自分のことをいささかヴィクトル・ユゴーのボアズのように想っている。《私は男やもめ、ひとりの身、そんな身に夕闇おりる》』」(プルースト「失われた時を求めて7・第三篇・三・二・二・P.478」岩波文庫 二〇一四年)

同時に二つの態度が示される。「あなたにたいする私の共感は、完全に死んでしまった。なにものもそれを甦らせることはできない」というシャルリュス。「《私は男やもめ、ひとりの身、そんな身に夕闇おりる》」と引用して<私>を引き止めようとするシャルリュス。一見すると矛盾に見える。しかし矛盾というより遥かにパラドックスというべき事情である。この構造について始めて精緻に語ったのはヘーゲル「精神現象学」。有名な「こころの法則と自負の狂気」の箇所。

「必然性が、自己意識において、真に何物であるかということは、自己意識のこの新しい形態が意識している。この形態においては、自己意識は自己自身にとって必然的なものである。自己意識は、一般者ないし法則を、《直接》〔無媒介に〕自己のうちにもっていると心得ており、この法則は、意識の自覚存在〔自独存在、対自存在〕のうちに、《直接》〔無媒介に〕存在しているという規定をもっているゆえ、《こころの法則》と呼ばれる。この形態は、前節に述べた形態のように、《自分だけで》の〔対自的、自覚的〕《個別性》という形で実在であるけれども、この《自独存在》〔自覚存在、対自存在〕が、必然的であり、一般的であると見られている規定のため、それだけで前の場合より豊かになっている。

こうして、直接自己意識自身のものであるような法則が、言いかえれば、こころでありながらも、法則を自分にもっているものが、自己意識の実現しようとしている《目的》である。そこで考えるべきことは、自己意識の実現が、その概念に一致するかどうか、またこの実現において、自己意識が、この自らの法則を本質として経験するかどうか、ということである。

このこころには、一つの現実が対立している。というのは、こころのうちでは、法則は、やっと《自分だけ》〔対自的、自覚的、自独的〕のものとなっただけであって、まだ実現されてはいないし、したがって、同時に、概念とは《別の》ものであるからである。このため、この他者は、実現さるべきものに対立するものであり、したがって、《法則と個別性の矛盾》であるところの現実として、規定される。だから、この現実は、一方では、個別の個〔人〕性が抑圧される法則であり、こころの法則に矛盾する世間という、暴力的な秩序である。が他方では、この秩序のもとに悩んでいる人間である。そのとき人間は、こころの法則に従っているのではなく、見知らぬ必然性に従属しているのである。ーーーすでに明らかなように、意識の現在の形態に、《対立して》いるように見えるこの現実は、個〔人〕性とその真実態が、分裂しているという前節の関係に、すなわち個〔人〕性を抑圧している残酷な必然性の関係に、ほかならない。だから、《われわれから見れば》、前の運動は、この新しい形態とよき対照をなしていることになる。というのも、この新しい形態は、自体的には前の運動から発したものであり、新しい形態を由来させる契機は、この形態から見れば、当然のことだからである。けれどもこの契機は、この形態にとっては、《見つけられたもの》という形で現われる。というのは、この形態は、自分の由来した《根源》については、何も意識をもっていないし、この形態が本質だと思っているのは、むしろ《自分自身だけで》〔対自的、自覚的、自独的〕あること、言いかえれば、肯定的自体に対する否定であるからである。

だから、こころの法則に矛盾するこの必然性を、また、この必然性のために現に起っている悩みを、廃棄すること、これがこの場合の個〔人〕性の目指していることである。したがって、この個〔人〕性は、個別的な快を求めている前の形態のように、軽率な態度をもはやとるものではなく、まじめな態度で、高い目的を求めるのである。そのまじめな態度は、個〔人〕性自身の《すぐれた》本質をのべることに、また《人類の幸福》〔シラー『群盗』の主人公カール・モールの言参照〕をつくり出すことに、自らの快を求めている。個〔人〕性が実現するものは、法則ですらあり、したがってその快は、同時に、すべてのこころがあまねく感ずる快である。快と法則は、この個〔人〕性にとっては、《分離》したものでは《ない》。その快は法則にかなっている。あまねく人類の法則を実現することは、個〔人〕性の個別的な快を準備することである。なぜならば、個〔人〕性の内部では、個〔人〕性と必然は《そのまま》一つであり、法則とは、こころの法則のことであるからである。個〔人〕性はまだ自分の立場を脱していないし、個〔人〕性と必然性を媒介する運動によって、さらにまた訓練によって、両者の統一が成しとげられるのでもない。直接的で《不作法な》〔訓練を受けていない〕本質を実現することが、あるすぐれたことをのべることだ、と考えられ、人類の幸福をもたらすことだ、と考えられているのである。

ところが、こころの法則に対立するような法則は、こころから分離しており、自分だけで自由である。この法則に従う人類は、法則とこころとの幸福な統一のうちに、生きているのではなく、おぞましい分裂と悩みのうちに生きているか、もしくは、法則に《従う》ときには、少なくとも《自己自身》のよろこびを欠き、そして、この法則に《背く》ときには、自己がすぐれたものだという意識をもてずに生きているのである。そういう暴力的な神的秩序や人間的秩序は、こころとは離れたものであるから〔『群盗』〕、こころからみれば一つの《仮象》であり、その法則になおまだくっついているもの、つまり暴力と現実とは、当然消さるべきものである。なるほど秩序がその《内容》の点で、たまたまこころの法則と一致することは、あるかもしれない。その場合には、こころがその秩序を認めるかもしれない。だが、こころにとって本質的なものは、純粋にそのままで、合法的なものなのではなく、こころがそこで、《自己自身》を意識することであり、そこで、《自ら》満足したつもりでいるということである。だが、一般的必然性の内容は、こころと一致しないときには、その内容から言っても、それ自体何物でもなく、こころの法則に、席を譲らねばならないことになる。

そういうわけで、個人はこころの法則を《遂行》する。つまり、こころが《一般的秩序》となり、快が、一つの絶対的に合法的な現実となる。だが、こうして実現されるとき、実際には、こころのこの法則は、個人から逃げ去ってしまっており、それはそのまま、本来ならば、廃棄さるべきであったような、当の関係になっているにすぎない。こころの法則は、実現されるというまさにそのことによって、《こころ》の法則であることを止める。なぜならば、そのとき法則は、《存在》という形式をとり、そこで《一般的な》威力にはなる、が、この威力に対し、《この》こころは無関心であるため、個人は、《自分自身の》秩序を《かかげ》ながらも、もはや、それが自分のものであることに、気づかないからである。それゆえ自己の法則を実現することによって個人は、《自らの》法則をもたらすのではない。秩序は、自体的には、個人自身のものであるけれども、自覚的には、個人に縁なきものであるため、そこに起ってくることは、現実の秩序のなかにまきこまれること、しかも自分にとって縁なきものであるだけでなく、敵対的でもある、圧倒的威力でさえあるような秩序のなかに、まきこまれることにほかならない。──個人は、自ら行なうことによって、存在する現実という一般的な場〔境位〕の《なか》に入る、あるいはむしろ、一般的場〔境位〕《として》自らを立てる、そこで個人の行為の結果は、それ自身、個人の気持からすれば、一般的秩序という価値をもっているはずである。だがこのために、個人は自分を自分自身から《解放》してしまったことになり、自分で一般性として成長し、個別性からは純化される。個人は、一般性を、自分の直接的な自独存在〔対自存在、自覚存在〕という形でしか、認めようとしない。だからこの個人は、一般性が自分の行為であるため、同時に自分が一般性のものであるのに、この個人から放たれた一般性のうちに、自分を認めはしない。それゆえ個人の行為は、一般的秩序に《矛盾する》という、逆の意味をもっている。というのは、個人の行為の結果は、《自らの》個別的なこころの行為の結果であるはずであって、個に関わりのない、一般的な現実であるはずではないからである。しかもそれと同時に、行為は実際には現実を《承認》してしまってもいる。なぜなら、行為は、自らの本質を、《自由な現実》として立てるという意味をもっている、すなわち、現実を自らの本質として承認するという意味を、もっているからである。

個人は、自らを帰属させた現実の一般性が、自分に背くという在り方を、自らの行為という概念によって、一層詳しく規定したことになる。個人の行為の結果は、《現実》としては、一般者のものであるけれども、その内容から言えば、個人自身の個別性であり、この個別性は、一般者に対立したこの《個々の》個別性として、自らを保とうとしている。いま問題となっているのは、ある一定の法則をかかげることではない。そうではなく、個々のこころと一般性とが、そのままで一つになることは、高まって法則となり、妥当すべきことであるという、思想なのである。つまり、法則であるもののうちに、《各々のこころ》が《自己》自身を認めねばならない、という思想なのである。とはいえ、この個人のこころだけが、その現実を自らの行為の結果のうちに、立てたのであるから、その行為の結果は、個人からみれば、《自分の自独存在》〔対自存在、自覚存在、自立存在〕、つまり《自分の快》なのである。この行為は、そのままで一般者として通用すべきだという。すなわち、ほんとうのことを言えば、行為の結果は特殊なものであり、ただ一般性という形式をもっているにすぎない。つまり、その《特殊な》内容が、《そのままで》一般的なものと認めらるべきである、というのである。だから、この内容のうちに、他人たちは、自分たちのこころの法則を見つけはしない。むしろ、自分たちとは《別の人の》こころが、実現されていることに気がつく。法則であるもののなかに、各人は自分のこころを見つけるべきである、という一般的法則に従って、他人たちは、その《個人》のかかげた現実を、自分たちのものとは逆であると言い、また個人は、他人の現実を、自分のとは逆だと言うのである。だから個人は、初めは、固定した法則だけが、自分のすぐれた意図に反対のもので、いとうべきものだと気がついたのだが、いまとなっては、人間どもの諸々のこころそのものがそうなのだと、気がついたのである〔『群盗』〕。

これまでのべた意識は、一般性がまだやっと《直接的》なものであり、必然性が《こころ》の必然性であると、知っているにすぎない。そのためこの意識は、そういうものの実現と効果の本性を知っていない。つまり、一般性や必然性が《存在者》であって、その真の姿はむしろ《自体的一般者》であり、そこでは、一般性や必然性に信頼を置いている個別的意識が、《この》直接的な《個別性》で《ある》ためには、むしろ亡びるものだということを、この意識は知っていない。この意識が直接的個別性という存在のなかで手に入れるのは、この《自らの存在》ではなくて、《自己自身》の疎外なのである。だが、意識に自分を認めさせないのは、もはや死んだ必然性ではなく、一般的個人性によって命を与えられた必然性である。意識は、神の秩序と人間の秩序を、妥当なものではあるが、一つの死んだ現実と考えた。意識は自分だけで〔対自的に〕存在し、一般者には対立するこころとして、自分を固定させるのであるが、いま言った現実にあっては、この意識自身も、この現実のものである人々も、ともに自分自身の意識をもっていなかったのである。だがいま意識は、この秩序がむしろ万人の意識によって命を与えられており、万人のこころの法則であることに気がつく。意識は、現実が命のある秩序であることを、経験すると同時に実際には、意識が自分のこころの法則を実現することによってこそ、そうなるのだと経験する。なぜならば、このことは、個〔人性〕が、一般者として、自分の対象となりながらも、そのとき自分を認識しない、ということにほかならないからである。

こうして、自己意識のこの形態に、その経験の結果、真理として生まれるものは、この形態が、《自覚的》にそうあるものとは、《矛盾》している。だが、この形態が自覚的にそうあるものは、それ自身、この形態からみれば、絶対的普遍性という形式をもっており、それは、《自己意識》と無媒介〔直接的に、そのまま〕に一つであるこころの法則である。それと同時に、存立し生きている秩序は、やはり自己意識《自身の本質》であり、仕事である。自己意識の生み出すものは、この秩序にほかならない。だから、秩序もやはり、自己意識と無媒介に統一されている。こういうわけで自己意識は、二重の対立した実在に帰属するため、自己自身で矛盾しており、最も内面的なところで、混乱に陥っている。《この》こころの法則は、自己意識に自分自身を認識させるものにほかならない。だが、一般的な妥当する秩序は、例の法則を実現した結果、自己意識にとっては自分自身の《本質》となり、自分自身の《現実》となったのである。だから、己れの意識のうちでは矛盾しているものも、ともに、自己意識にとっての〔自覚的な〕本質であり、己れ自身の現実であるという、形式をとった姿であることになる。

自己意識は、自分の意識的な没落というこの契機を語り、そこに、自らの経験の結果があることを語る。そのとき自己意識は、自らが自己自身の内的転倒であり、意識の狂乱であることを表わす。この意識にとっては、その本質はそのまま非本質であり、その現実はそのまま非現実である。ーーー狂気と言ったが、それは次のように考えられてはならない。つまり、一般的に言って、本質のないものが本質的だと考えられ、現実的でないものが現実だと考えられ、その結果、ある人にとっては、本質的または現実的であるものが、他人にとっては、そうではないとか、現実の意識と非現実の意識、本質と非本質の意識が、ばらばらになってしまうとか、いうふうであってはならない。ーーーつまり、あることが実際に意識一般にとっては、現実的であり、本質的であるが、私にとってはそうではないとすれば、私は、自ら意識一般なのであるから、そのことの空しさを意識すると同時に、それが現実であることをも意識している。ーーーしかも両者がともに固定しているとすれば、これは、一般に狂気と言われるような統一である。しかし、この狂気において狂っているのは、意識にとっての一つの《対象》だけであって、それ自身における、またそれ自身としての、意識そのものではない。だが、ここに起ってきた経験の結果から言えば、意識は、自らの法則のうちに、この現実的なものとしての《自己自身》を、意識していることになる。そして同時に、意識にとっては、この同じ本質、この現実こそは、《疎外された》ものなのであるから、意識は、自己意識として、絶対的な現実として、自己の非現実を意識している。言いかえれば、両側面は、その矛盾によって、そのままに《意識の本質》と見られることになり、したがってこの本質は、その最も深いところで狂っていることになる。

だから人類の福祉を願って脈うつこころは、狂った自負の狂暴へと、自己の破滅に逆らって、身を保とうとする意識の狂熱へと移って行く。そうなるのは、意識が自分自身の姿である転倒を、自分の外に投げ出して、この転倒をどこまでも自分とは別のものと見なし、言い張るためである。だから、一般的秩序は、こころとこころの幸福との法則を、転倒させるものであるが、それは、狂信的な僧侶や飽食した暴君や、この両方から受けた屈辱を、自分より下のものを辱(はずか)しめ抑圧することによって、つぐなっている両者の僕やなどによって、捏造されたものであり、いつわられた人類の、名づけようもない不幸のために、使われたものであると、意識は言明する。ーーー意識は、このような狂乱状態にいながら、《個人》性がこの狂いをひき起し、転倒しているのだと、言明はするものの、その個人性は《他人》のものであり、《偶然》であるとするのである。しかし、こころ、言いかえれば、《そのままで一般的であろうとする、意識の個別状態》は、このように、狂いをひき起し転倒したものそのものであり、その行為が生み出すものは、この矛盾が《自分の》意識になるということにほかならないのである。なぜならば、このこころにとって真実であるものは、こころの法則であり、ーーーこの法則は、ただ《思いこまれた》だけのものであるが、これは存立している秩序のように、日の光に堪えたものではなく、日の光に出会うときには、むしろ亡びるものだからである。こころのこの法則は、《現実》となるはずであった。この点から言えば、こころにとって法則は、《現実》であり、《妥当する秩序》であるため、同時に目的であり本質である。だがこころにとっては、《現実》すなわち、ほかならぬ《妥当する秩序》としての法則は、むしろそのまま空しいものである。ーーーこれと同じように、こころ《自身の》現実は、つまり意識の個別態である《こころ自身》が、こころにとって本質である。けれども、この個別態を《存在する》ものとして立てることが、こころの目的である。だから、こころにとっては、直接的には、むしろ個別的ならぬものであるこころの自己が、本質である、つまり目的であることになる。が、それは法則として、まさにこの点で、こころがその意識自身に対してあるような一般性としてのことである。ーーーこのようなこころの概念は、自らの行為によって一つの対象となる。こころは己れの自己を、むしろ非現実的なものとして経験する、そして、非現実を、自らの現実として経験する。だから、偶然の見知らぬ個人性がではなく、まさにこのこころこそが、あらゆる側面から、自らのうちで転倒したものであり、転倒して行くものである。

しかし直接的に〔無媒介に〕一般的な個人性は、転倒したものであり、転倒して行くものであるから、この一般的秩序も、それ自体には転倒したものである。というのも、一般的秩序は万人の《こころ》の、すなわち転倒したものの法則だからである。以上のことは、荒れ狂う狂乱が言明したことである。一方では、あるこころの法則が別の個人たちに出会い、抵抗を受けることに気がつくとき、一般的秩序は、万人のこころの《法則》であることがわかる。現に存立している法則が、ある個人の法則に対して護られるのは、それらの法則が、意識されず空しい、死んだ必然性であるからではなく、精神的一般性であり、実体であるからである。この実体においては、この一般性を自らの現実としている人々が、個人として生きており、自己自身を意識している。そのためこの人々は、この秩序が、自分たちの内的法則に、背くかのように言って不平をならし、こころの思いこみを、秩序に対抗させることがあっても、実際には、自分たちの本質としての秩序に、こころからよりかかっており、この秩序が、自分たちから取り去られたり、自分たち自身が、秩序の外に出たりする場合には、すべてを失ってしまう。この点にこそ、公の秩序の現実と威力があるのだから、この秩序は、自己同一的であまねく命を与えられた本質として、また個人性は、その秩序の形式として、現われることになる。ーーーしかしながら、この秩序とても、やはり転倒したものである。

なぜならば、この秩序が万人のこころの法則であり、すべての個人が、そのままでこの一般者であるという点で、秩序は一つの現実ではあるが、ただこの現実は、《自分だけで》〔対自的に〕《存在する》個人性の、つまり、こころの現実であるに止まるからである。だから、自分のこころの法則をかかげる意識は、他人から抵抗される。というのも、この法則は、他人たちのこころの、やはり個別的な諸々の法則に、矛盾するからであり、他人たちが抵抗する場合に行うことは、その人たちが自分の法則をかかげ、それを認めさせることに、ほかならないからである。だから、現存する《一般者》は、一般的な抵抗であり、万人相互の戦い〔ホッブス〕であるにすぎない。この場合各人は、自分自身の個別性を主張するが、また同時に、それを主張しおおせるところまでは行かない。というのは、個別性は、同じように抵抗に出会い、他人によって互いに消されてしまうからである。公の《秩序》と見えるものは、だから、あまねき戦いである。このとき各人は、自分のできることを独占し、他人の個別性に正義を無理おしして、自分の正義を固定させるが、それと同時に、この正義は、他人から消されてしまう。この秩序は《世の中〔の習い〕》であり、永続する行程のように見える。ただしそれは《思いこまれた一般》にすぎないし、その内容は、むしろ個別性を固定させるとともに、解消するような、本質なき遊戯であるにすぎない」」(ヘーゲル「精神現象学・上・理性・5・B・こころの法則と自負の狂気・P.416~428」平凡社ライブラリー 一九九七年)

なおヘーゲルは「主人と奴隷の弁証法」の箇所で、闘争に勝利することで始めて自己意識は「承認される」と言っているけれども、バタイユはヘーゲルのその部分を転倒させてこう語る。

「存在各自の充足性は絶えまなくその近親者たちによって異議に投入される。讃嘆の念を宿した視線さえ、私に対しては疑惑のようにして注がれるのだ〔『天才』という観念は、人を高めるものというより、むしろ人を低めるものなのだ。この観念は単純な人間たることを妨げ、精髄を示してみせよ、人の期待を裏切るようなものは隠してしまえと促すのである。『技巧』をぬきにしては『天才』は考えられない。私は不充足の感情を単純化し、ねじふせてしまいたいと思う。そして、私を包みこんでいるこの暗影の助けを借りなければ、私の『権利要求』を維持できないのである〕。私の不充足性が露呈しているような仕草や言葉、つまり欠如態を、大笑いが、嫌悪の表情が迎えてくれる」(バタイユ「内的体験・第三部・P.189~190」現代思潮社 一九九四年)

闘争に勝利することは必ずしも重要なことではない。ヘーゲルのいう勝者のみに許される「承認」だけが絶対だというわけではなく、勝利した側から「異議提起」される<他者>として、いつもすでに不充足な(否定的な)私として「承認される」様々な存在(小文字の人々)に注目しなくてはならないだろうと。その意味で「こころの法則と自負の狂気」はヘーゲルにならって「徳」へと高められなければならないという絶対的必然性はない。むしろ逆に「こころの法則と自負の狂気」という過程を何度も繰り返し(例えば選挙を通じて)演じ続けていく態度こそが大切だろうというのである。

また「こころの法則と自負の狂気」という記述はたいへん長くて意味もさっぱり、と感じる読者がいるに違いない。しかしヘーゲル全集の中ではほんの一部に過ぎない。さらにヘーゲルはこの箇所で、転倒しつづける「こころの法則」を「徳(道徳)」によって無理やり止揚(揚棄)して次の次元へ話を進めていこうとしているわけだが、現実社会はそう簡単に進行するわけではまるでない。そこでなぜ「こころの法則と自負の狂気」という過程の繰り返しが重要になってくるのかを説明しなくてはならない。

例えば今の日本では長く大胆な金融緩和政策が取られてきたが、当初の目論見を越えてその弊害が出るべくして出てきた。この状況は日本政府による「こころの法則」が政治の舞台で採択されたことで「法則のこころ」へ転倒し、「法則のこころ」が他の政策を押し切る形で無批判的にそのまま推進されてきたことによる一つの結果である。そうなると今度は「法則のこころ」を新しい「こころの法則」へと再転倒させなければブレーキが効かなくなってしまう。資本主義はそもそもそういう性格を持つ。ドゥルーズ=ガタリはいう。

「いまだかつて、軋轢も機能障害も、社会機械の死を告知するものであったことは決してない。それどころか、逆に、社会機械は、みずからが巻き起こす矛盾、みずからが招く危機、みずからが《発生させる》不安、この社会機械自身を再生させる地獄の試練、こうしたものをもって身を養うことを常としているのである。資本主義はこのことを学び知って、自分自身の将来を疑うことをやめてしまったのだ。同時に、社会主義者たちでさえ、摩滅によって資本主義が自然死する可能性を信ずることをやめてしまっている。いまだかつて、なんぴとも矛盾が原因で死んだことはない。資本主義は、調子が狂えば狂うほど、それはますます分裂症化して、アメリカ風にいよいよ調子がよくなるのだ」(ドゥルーズ=ガタリ「アンチ・オイディプス・第三章・P.185~186」河出書房新社 一九八六年)

そこで重要になるのは「こころの法則」から「法則のこころ」への転倒がなされ、それが一定程度の効果を見せた後のこと。気が緩みがちな時間帯だとも言える。だからこそ次はすかさず「法則のこころ」から新しい「こころの法則」へすっぱり再転倒する必要性が出てくる。そうして始めて欧米のような二大政党制の実現へこぎつける機会を手に入れることができる。欧米自身、一方から他方へ、次には他方からもう一方へと、何度も繰り返し反復することで二大政党制を打ち立て保ち得てきた経緯がある。欧米と比較すれば日本の政界は一極集中的な政治体制がもたらす色々な危険性があちこちに溢れていてこれ以上持ちこたえることができるかどうかの瀬戸際に追い詰められていると言わざるを得ない。こう見てくるとヘーゲル「こころの法則と自負の狂気」の記述は抽象的で難解に見えつつも実のところ大変具体的な記述であり、まだまだ学ぶところを多く持つ貴重な記述だろうと思われる。

BGM1

BGM2

BGM3


Blog21・シャルリュスの言説を追って5

2022年07月06日 | 日記・エッセイ・コラム
シャルリュスの怒りは収まらない。読者はプルースト以後の世界の歴史を知っている。第一次世界大戦以後、シャルリュスの属する大貴族の時代はもはや二度と戻ってくることはなく、逆にシャルリュスが果てしなく軽蔑する新興ブルジョア階級が世界を支配する時代へ加速していくからである。ゆえにシャルリュスは二度と訪れない大貴族の時代へ限りないノスタルジーを抱きつつ、ヨーロッパ全土の社交界が次々と新興ブルジョア階級の手に落ちていくのをなすすべもなく手をこまねいて見届けることしかできない。その意味でシャルリュスはいつまでも怒りそのものとして生きていく。しかし怒りであろうとなかろうとそれが生き延びるための原動力として働く限りでいえば、シャルリュスは生きがいがあるぶん、救いを持っていることになる。<私>との次の会話の中でもシャルリュスの原動力たる怒りの感情は嫌味を交えながら存分に発揮される。

「『おことばですが、あなたを傷つけるようなことは誓ってなにひとつ言っておりません』。『私が傷つけられたなんて、だれが言った?』と氏は、それまでは身じろぎもせずにいた長椅子のうえに荒々しく身を起こし、蒼白になった顔を泡立つヘビの群れのように痙攣させ、甲高くなったかと思うと低くなる声で、まるで耳を聾(ろう)する嵐が荒れ狂うかのようにがなりたてた。(ふだんから氏の話し声は大きくて、外にいる見知らぬ人まで振り返らせる勢いがあったが、このときは、あかたも《フォルテ》がピアノで弾かれるのではなくオーケストラで弾かれたうえに《フォルティッシモ》へ変わったかのように何倍にもなった。シャルリュス氏はわめいていたのだ)。『そもそもあなたに私を傷つける力があるなどと思っておるのか?だれに向かって口を利いているのかわからんのか?あなたのお友だちのごとき小童(こわっぱ)が何百人も寄ってたかって毒のあるツバを吐いたって、そんな涎(よだれ)がわが輩のやんごとなき足の指にまで届くとでも思っておるのか?』」(プルースト「失われた時を求めて7・第三篇・三・二・二・P.471~472」岩波文庫 二〇一四年)

シャルリュスは過剰な怒りを抱えているわけだが、ここには逆説がある。というのはこの「怒り」ゆえ自分自身が完全なニヒリストへ陥ってしまうことを無意識のうちに回避するという事情である。ニーチェはいう。

「《完全なニヒリスト》。ーーーニヒリストの眼は、《醜いものへと理想化し》、おのれの追憶に背信をおこなうーーー。すなわち、追憶が転落し凋落するにまかせ、遠いもの過ぎ去ったもののうえへと弱さのそそぐ屍色(かばねいろ)に追憶が色あせてゆくのをふせごうとはしない。そしてニヒリストは、おのれに対してなさぬこと、そのことを人間の全過去に対してもなすことはない、ーーー彼はそれを転落するにまかせる」(ニーチェ「権力への意志・上・二一・P.37」ちくま学芸文庫 一九九三年)

怒ったり喚いたりしているうちはまだ救いがあるのだ。少なくともニーチェに言わせれば。またしかし、こうもいう。

「わたしはかつて、最大の人間と最小の人間の裸身を見た。その二つはあまりにも似かよっていたーーー最大の人間さえ、あまりにも人間的だった。最大の人間も、あまりに小さい。ーーーこれが人間に対するわたしの倦怠だった。そして最小のものも永遠に回帰することーーーこれが生存に対するわたしの倦怠だった。ああ、嘔気(はきけ)、嘔気、嘔気!ーーーそうツァラトゥストラは言って、嘆息し、戦慄(せんりつ)した」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第三部・快癒しつつある者・P.354」中公文庫 一九七三年)

ニーチェは何度も病気を患った経験上、そのような病的陰鬱状態をよく知っていた。だがよく知っていたがゆえにこそ「そこからの快癒」を経て「大いなる健康」へ至るためにはまず自分自身の<病気を肯定>しなくてはならない。あるがままの病的陰鬱状態をそっくりそのまま「大いなる健康」へ接続することが大事なのだ。そして始めて病気へも健康へも瞬時に移動することが可能になる。どちらをも引き受けることができるようになる。だからニーチェの言葉はどちらか一方へ偏ることなくいつも両義的な逆説(パラドックス)として出現するのだ。人間と人間社会が引き受けなくてはならないのは、この種の現実、いつも両義的な様相を呈してしか可視化されることのない日常生活の逆説性にほかならない。

さて次の文章は実に示唆的だ。(1)ゲルマント夫人は早くからシャルリュスの狂気に気づいていたという点。(2)<私>の衝動についての記述は母親宛て書簡で述べているように、プルースト自身が友人の言葉に逆上した時、かつて実際に行った暴力行為の援用である点。

「その未知の感情が何であったかを知らずとも、もしゲルマント夫人のことばを憶えていたら、高慢のほかに若干の狂気をつけ加えることもできたであろう。しかしこのときは私の頭に、狂気という考えなど浮かびもしなかった。私にとって氏には高慢しか存在せず、私には激しい怒りしか存在しなかった。その怒りは(シャルリュス氏がわめくのをやめ、氏を冒瀆する名もない輩に向かって仏頂面で嫌悪の情をあらわしながらも威厳をこめて、自分のやんごとなき足の指のことを語ったとき)、もはや抑えきれなくなった。衝動的になにかをぶん殴りたくなった私は、わずかに残った分別をはたらかせ、私よりずいぶん年上の相手は敬うほかないと考え、そんな人のまわりに置かれたドイツ製磁器もその芸術的品位ゆえに敬遠して、男爵の新しいシルクハットに飛びかかると、それを床に叩きつけ、踏みつけ、無我夢中でばらばらに壊し、裏地をはがし、山の部分(クラウン)をふたつにひき裂き、わめきつづける男爵の怒声には耳を貸さず、出てゆこうと部屋を横切ってドアを開けた」(プルースト「失われた時を求めて7・第三篇・三・二・二・P.472~473」岩波文庫 二〇一四年)

(1)については作品「失われた時を求めて」の中の言葉にこうある。

「『メメったら、なんて隠しごとが好きなんでしょう』と夫人は大声を出した、『私たち、メメにずいぶんあなたのことをお話ししていたんですよ。するとメメは、あなたに一度もお会いしたことがないみたいに、お近づきになれたら非常に嬉しいなんて言ったんです。おかしな人でしょ!大好きな義理の弟ですし、そのたぐいまれな才能には感嘆していますので、こう言うのは悪いのですが、あの人、ときどきちょっと頭が変じゃありませんこと?』」(プルースト「失われた時を求めて7・第三篇・三・二・二・P.92」岩波文庫 二〇一四年)

(2)は或る時プルーストが激怒して、友人の「新しいシルクハットに飛びかかると、それを床に叩きつけ、踏みつけ、無我夢中でばらばらに壊し、裏地をはがし、山の部分(クラウン)をふたつにひき裂」いたという告白から。とはいえそこでプルーストが振るった過去の暴力がどうこうということは問題ではない。一つの完成品として帽子を見るわけではなく、一つの帽子を「ばらばらに壊」すことができるのはなぜかと問わなければならない。プルーストが言わんとしているのは、完成形としての唯一のものなどどこにもなく、あるのは逆に始めは「ばらばら」の<諸断片>なのだという点だろう。

なお昨日、安倍元首相が銃撃され死亡したという報道に接した。選挙中の街頭演説中だったらしい。応援演説で最も注目されるのはそのステレオタイプ(紋切型)な発言だけでなく、むしろ「選挙の顔」と呼ばれるように人物の「顔」である。演説というものは生身の顔を曝け出して自分で自分自身を一種の<神>に祭り上げる作業に喩えられる。その意味で顔の露出はバタイユが「マダム・エドワルダ」で描いた「性器の露出と中身の隠蔽」と変わるところがない。引用しよう。

「茫然自失の状態から、ひとつの声が、あまりに人間くさい声が、おれを引き出した。マダム・エドワルダの声は、きゃしゃな肉体同様、淫らだった。『あたしのぼろぎれが見たい?』。両手でテーブルにすがりついたまま、おれは彼女のほうに向き直った。腰かけたまま、彼女は片脚を高々と持ち上げていた。それをいっそう拡げるために、両手で皮膚を思いきり引っぱり。こんなふうに、エドワルダの《ぼろぎれ》はおれを見つめていた。生命であふれた、桃色の、毛むくじゃらの、いやしい蛸。おれは神妙につぶやいた。『いったいなんのつもりかね?』。『ほらね、あたしは《神様》よーーー』。『おれは気でも狂ったのかーーー』。『いいえ、正気よ。見なくちゃ駄目。見て!』。しゃがれ声は和らぎ、幼児のような態度にかわり、まかせきった無限の微笑をうかべ、ぐったりした様子で、打ち明けた。『ああ、気がいっちゃった!』。ーーーしかし挑発的な姿勢は崩さなかった。言いつけた。『接吻して!』。『だけど』。おれはたじろいだ。『人前でかい?』。『もちろんよ!』。おれはふるえた。彼女は見つめた。平然と、いともやさしく微笑みかけられ、おれの体を戦慄が走った。けっきょく、おれは、ひざまずき、よろめきながら、生なましい傷口に唇をおしあてた。裸の太腿が耳を撫でた。波のうねりが聞こえるようだった。大きな貝殻に耳を寄せると、こんな音がするものだ。淫売屋の場違いな雰囲気のなかで、さらに周囲を取り巻く喧騒のなかで(おれは息づまる思いだった、真っ赤になって、汗をたらし)、おれは奇妙な宙づりの状態におかれていた、さながらエドワルダもおれも、海を前に嵐の闇のなかに踏み迷いでもしたように」(バタイユ「マダム・エドワルダ・P.14~15」角川文庫 一九七六年)

この点についてブランショが鋭い指摘を行っている。

「マダム・エドワルダが私たちの世界あるいはいっさいの世界と絶縁しているのは、彼女が自分の性器をおのれの存在のもっとも神聖な部分としてさらけ出すという、結局はありふれたものでしかないやり方で自分を露出する娼婦だから、というわけではない。それはむしろこの露出行為が逆に彼女を掩蔽し、ある捉え難い特異性にゆだねてしまう(文字通り、彼女はもはや捉えることができない)からであり、そうして彼女は、自分をつかの間限りない情熱をこめて愛する男の黙諾のもとに、最初に出会った男(運転手)に身をゆだねるーーー彼女が供犠を象徴しているというのはこの点においてだーーーのだが、この男は、自分がもっとも神的なものあるいはいっさいの同化を拒ける絶対的なものと関係しているのだということを知らないしまた知るよしもない者だからである」(ブランショ「明かしえぬ共同体・2・P.100~101」ちくま学芸文庫 一九九七年)

候補者も応援者もどちらも娼婦ではない。けれども選挙区において<神>でありたいと願っている点では両者とも共通項として流通する。匿名の人々が群集する解放空間という次元はあたかもバタイユのいう「淫売屋」であり、身体の露出行為は娼婦の特権である。そうすることで娼婦はいっとき<神>として出現する。だが娼婦の露出行為は露出自体によって本人の中身を覆い隠す効果を発揮する。その効果は貨幣に等しい。マルクスはいう。

「商品世界のこの完成形態ーーー貨幣形態ーーーこそは、私的諸労働の社会的性格、したがってまた私的諸労働者の社会的諸関係をあらわに示さないで、かえってそれを物的におおい隠すのである」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第一章・P.141」国民文庫 一九七二年)

バタイユもブランショもその点について今の日本人より遥かに深く理解している。さらにこの「露出すると同時に覆い隠す」という効果は、すべての有権者に向けて二十一世紀前半のネット社会における「共同体」とは何かを改めて問い直さずにはいないに違いない。

BGM1

BGM2

BGM3


Blog21・シャルリュスの言説を追って4

2022年07月06日 | 日記・エッセイ・コラム
逆上した場合のシャルリュス。<私>の祖母を罵ったことはすっかり忘れていて、逆に自分が<私>に向けて与えた「厚情」のことは実によく覚えている。押し付けがましいわけだ。しかしここでシャルリュスが最も問題にしているのは「届けた本のまわりにはどんな飾りがついていたかな?」という点。

「『正直に言えば、私はあなたを買いかぶっていたようだ。共感を寄せていたと言ってはいささかことばの意味を曲げることになるかもしれず、たとえ相手がことばの価値を知らない人間でも、ただの自重の意味でも、そんなことは言うべきではない。しかし<厚情>ということばなら、それがきわめて有効に人を庇護するという意味なら、私の感じていたこと、示そうとしていたことから逸脱することにはならない。私はパリに戻るとすぐに私を当てにしていいとバルベックにいるあなたのもとへまで知らせたはずだ』。バルベックでシャルリュス氏がいかに無礼な仕打ちをして別れたかをよく憶えていた私は、かすかに否定の身振りをした。『なんだと?』と氏は憤慨して大声を出した(実際、ひきつって蒼白となった氏の顔はふだんの顔と違っていて、嵐の朝の海がふだんのにこやかな表面とは打って変わって無数の泡や飛沫がヘビのようにのたうつのに似ていた)、『受けとらなかったと言うのか、私を想い出すべきだというーーー告白とも言うべきーーーあのメッセージを。届けた本のまわりにはどんな飾りがついていたかな?』。『非常にきれいな飾り文字の組み合わせでした』と私は言った」(プルースト「失われた時を求めて7・第三篇・三・二・二・P.463~464」岩波文庫 二〇一四年)

以前触れたように「ワスレナグサ」の模様でありその意味は「<私をお忘れなく>」である。男性同性愛者であり誰よりプライドの高いシャルリュスにすれば、あたかも自分のことをすっかり忘れたかのように振る舞う<私>に我慢がならない。

「『ほほう!』と男爵は軽蔑しきったように答える、『フランスの若者は自分の国の傑作さえろくに知らんらしい。ベルリンの若者が<ワルキューレ>を知らずにいたら、なんと言われるかな?もっともあなたには、目はあっても見えんのだろう。だって、あの傑作の前で二時間もすごしたと言っておられたんだから。どうやら家具の様式をわきまえないばかりか、花にも疎いようですな。様式については、つべこべ言わせん』と男爵は激怒して金切り声をあげた、『なにに腰かけているのかさえ心得ておらん、自分の尻に総裁政府時代様式の暖炉椅子をあてがっておきながら、それがルイ十四世様式の安楽椅子のつもりでいるんだから。そのうちヴィルパリジ夫人の両膝をそれこそ便器だと想いこんで、そこでなにをしでかすか知れたもんじゃない。一事が万事この調子で、ベルゴットの本の装丁を眺めても、バルベックの教会にあるワスレナグサの楣石(まぐさいし)にさえ気づかなかった。これ以上明快に<私をお忘れなく>と伝える方法があっただろうか?』」(プルースト「失われた時を求めて7・第三篇・三・二・二・P.464」岩波文庫 二〇一四年)

<私>はゲルマント家の晩餐会に出席した直後だった。シャルリュスが繰り出す激しい言葉について余り反応する必要性を感じない。というより麻痺してしまっている。どこか「虚しい」ものを感じさせるからだ。なぜ<私>はそう感じるのか。ゲルマント家の晩餐会はどうだったのだろうか。率直な印象が語られている。プルーストはゲルマント公爵夫人の社交界について、それは「虚しい」と<私>に語らせる。

「ところが心の豊かさは、社交界の無為のなかでは使いようがなく、ときにはけ口を求めてあふれ出し、はかないがゆえにそれだけ不安げな真情の吐露となる。ゲルマント夫人の口から出るとそれは、愛情と受けとられかねないものになるのであった。もっとも夫人は、そんな真情を溢れさせるとき、心底から愛情を感じていた。そのときの夫人は、男であれ女であれいっしょにいる友人にたいして、けっして官能的なものではなく音楽がある種の人びとに与えるのにも似た一種の陶酔をおぼえていたのである。夫人は、胴衣から花やメダイヨンをとりはずし、その夜もっといっしょにいたいと思う相手にそれを与えることもあるが、そのように引き延ばしたところで、空しいおしゃべり以外にゆき着くものはなく、そこでは神経の快楽や一時的な昂奮からはなにも生じないのを感じると、はじめて訪れた春の暖かさがけだるくもの悲しい印象を残すだけなのにも似て、憂鬱になるのだ。相手をする友人のほうは、この貴婦人たちが口にした約束、かつて耳にしたことどんな約束よりも陶然とさせられる約束をあまり真に受けてはならない。こうした貴婦人たちは、このいっときをきわめて心地よく感じたので、並の女性なら持ちえない心遣いと気品をこめてこのいっときを優雅な真情でほろりとさせる傑作に仕立てあげるのであるが、べつのいっときが来たら、もはや自分から与えるものなどなにひとつ残っていない。貴婦人たちの愛情は、それを表明させる昂奮が冷めたあとにまで生き残ることはない。そして相手が聞きたいと願うことをことごとく察知し、それを相手に言ってやるのに駆使された鋭い才気は、数日後には、同じように鋭く相手の滑稽な言動をとらえ、それを種にべつの客人をおもしろがらせ、こんどはその相手といとも短い『楽興の時』を満喫することになるのだ」(プルースト「失われた時を求めて7・第三篇・三・二・二・P.446~447」岩波文庫 二〇一四年)

まるで何らの変化もない。無意味な享楽の繰り返し。<私>はもちろんゲルマント夫人にしてからが「空しいおしゃべり以外にゆき着くものはなく、そこでは神経の快楽や一時的な昂奮からはなにも生じないのを感じると、はじめて訪れた春の暖かさがけだるくもの悲しい印象を残すだけなのにも似て、憂鬱になるのだ」。それがフランス最高の上流社交界の内幕だった。<私>はどこか虚脱したような徒労感に包み込まれたままシャルリュスの言葉に耳を傾ける。

「私はじっとシャルリュス氏を見つめていた。その顔は、堂々としてはいても人に嫌悪を催させるところがあったが、たしかに一族のあらゆる人の顔を凌駕しており、老いたるアポロンといった趣があった。しかし氏の邪悪な口からは、いまにも暗褐色の胆汁が出てきそうでもある。知性という点では、氏の知性はきわめて幅広く、ゲルマント公爵なら永久に知るはずのない多くのことがらにまでその視野が及んでいたのは間違いない。とはいえ氏が自分のありとあらゆる憎悪をどんな美辞麗句で飾ろうとも、氏のことばの裏にはときに傷つけられた誇りがあり、ときに裏切られた恋があり、恨みやサディスムやからかいや、固定観念なども存在していて、この男は人を殺(あや)めかねず、しかも論理と美辞麗句を駆使してそんな殺人行為を正当化しかねず、それでも自分は兄や義姉より格段に優れた人間であると言いくるめかねない人間だと感じられた」(プルースト「失われた時を求めて7・第三篇・三・二・二・P.464~465」岩波文庫 二〇一四年)

それにしてもシャルリュスのしつこ過ぎる残酷さは一体どこからやって来るのだろう。ニーチェはいう。

「残酷さは、置きかえられていっそう精神的となった一つの官能である」(ニーチェ「生成の無垢・上・八六〇・P.478」ちくま学芸文庫 一九九四年)

ニーチェにはなぜそれがわかったのか。ドゥルーズはいう。

「思考するということはひとつの能力の自然的な〔生まれつきの〕働きであること、この能力は良き本性〔自然〕と良き意志をもっていること、こうしたことは、《事実においては》理解しえないことである。人間たちは、事実においては、めったに思考せず、思考するにしても、意欲が高まってというよりはむしろ、何かショックを受けて思考するということ、これは、『すべてのひと』のよく知るところである」(ドゥルーズ「差異と反復・上・第三章・P.354」河出文庫 二〇〇七年)

再びニーチェに戻ると、こうある。

「私たちは、後を追って継起する規則的なものに馴れきってしまったので、《そこにある不思議なものを不思議がらないのである》」(ニーチェ「権力への意志・下・六二〇・P.153」ちくま学芸文庫 一九九三年)

ニーチェの生涯を追ってみると「ショックを受けて思考する」体験、思考するよう働きかける「出会い」がいつも待ち構えていただけでなく、世俗的で「規則的なものに馴れきってしま」うことなく「そこにある不思議なものを不思議がら」せずにはおかない衝撃的「出会い」に満ちていたに違いないと考えさせられる。といっても「出会い」が衝撃的であったのはなぜだろう。ニーチェはもともと病弱な体質で子供の頃からずっと病いに悩まされていた。「この人を見よ」に記されているように健康人と重病人のあいだを往還することがしばしばだった。健康になると健康人の立場から物を見て物を考え判断するようになる。逆に病気が悪化すると重病人の立場から物を見て物を考え判断するようになる。両者の見解は決して一致することがない。とすればニーチェという名の人物は一人でもその都度置かれた立場によって思考はまるで違ったものになる。

一つの命題があるとしよう。社会的立場が同じであれば、どれほど様々に角度を変えて検討してみてもただ単に角度を変えて検討した結果しか出てこない。ところが社会的立場自体が異なる場合、例えば健常者と障害者との違いのように違っている場合、或る命題についての見解もまるで異なったものにならざるを得ない。ニーチェは健康な時期と重病な時期を何度も繰り返し経験することで一人の人間の中には一つの人格しかないのではなく、逆に多数の、少なくとも二重の人格があると考えるに立ち至ったのである。ニーチェにおける衝撃的「出会い」とは、自分自身の<多数性>との「出会い」がどれほど衝撃的だったかを物語るものだ。

BGM1

BGM2

BGM3


Blog21・シャルリュスの言説を追って3

2022年07月06日 | 日記・エッセイ・コラム
<私>の友人ブロックはユダヤ人でありその父親もユダヤ人。父親はブロック以上の俗物ぶりを発揮する。普段からユダヤ嫌いを表明しているサズラ夫人を歓迎する。サズラ夫人はカトリック教徒である。

「わが友人の父親は、サズラ夫人を感じのいい人だと思い、とりわけ夫人のユダヤ嫌いを喜んだ。ユダヤ嫌いであれば、夫人の信仰が真摯で、ドレフェス支持の見解が真正である証拠だと考えたからであり、ユダヤ嫌いであれば、夫人の許してくれた自分の訪問がより価値あるものになるからである」(プルースト「失われた時を求めて6・第三篇・二・一・P.262」岩波文庫 二〇一三年)

以前から<私>は友人ブロックには「二重基準」があると感じていた。バルベックの浜辺でユダヤ人の言動を嘲って笑いものにしている声を聞いたとき、その声の主の顔を見るとブロック本人だったエピソードがある。

「ある日、サン=ルーと私が砂浜に座っていると、すぐ横のテントから、バルベックにはイスラエルの民がうじゃうじゃとはびこっているという呪詛(じゅそ)のことばが漏れ聞こえてきた。『一歩あるくだけでヤツらに出くわすんだ』とその声は言っていた、『俺だって原則としてユダヤの民に絶対反対というわけじゃないが、ここは過剰だ。聞こえてくるのは<ねえ、アプラハム、ぽくシャコプにてあったよ>てな声ばかり。まるでアブキール通りにいるみたいだ』。ヤコブの子孫を糾弾していた男がようやくテントから出てきたので、私たちは目をあげてその反ユダヤ主義者を見た。私の友人のブロックだった」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.218」岩波文庫 二〇一二年)

一方、長々とつづくシャルリュスの言説。プルーストは次のフレーズを入れている。

「ラファエル前派の描いた腑抜(ふぬ)け」

後期ラファエル前派の絵画、エドワード・バーン=ジョーンズ「魔法にかけられるマーリン」のことだろうと言われている。魔法使いマーリンは女性ニムエに魅力を感じてストーカーし始める。そして或る時ニムエに魔法をかけようとしたところ逆に振り向いたニムエに魔法をかけられて「腑抜(ふぬ)け」た表情を晒してしまう。またニムエの髪型はメデューサを思わせる蛇が絡みついたスタイルなのでなるほどそうかと見る者を納得させる。魔法使いが逆に魔法にかけられたという転末の絵画。シャルリュスの言動もまた極端な二重性を帯びているため、この絵画への短い言及はその象徴のように思われる。

「『そもそもこのドレフェス事件ってやつは』と男爵は、あいかわらず私の腕をとったまま、つづきを言った、『ひとつだけ不都合がある。それは事件が社交界を破壊するからだ(なにも立派な社交界とは言わん、ずいぶん前から社交界にはもはや立派などという賛辞を冠する値打ちなんてありゃしない)。シャモーだの、シャメルリーだの、シャメリエールだの、そんな紳士や淑女が、つまり、どこの馬の骨ともわからん有象無象(うぞうむぞう)のヤカラがどっと押し寄せてきて、私の従姉妹(いとこ)たちのところでも出くわす始末。なんでも反ユダヤを標榜する<フランス祖国同盟>とかの会員だという触れ込みで、まるで政治的見解さえあれば然るべき社会的身分が授けられるとでも言わんばかりだ』」(プルースト「失われた時を求めて6・第三篇・二・一・P.262~263」岩波文庫 二〇一三年)

シャルリュスはドレフェス事件を巡って親ユダヤとか反ユダヤとかいう主張が世論を大きく席巻していること自体にうさん臭さを感じている。シャルリュスが出入りする社交界の中は往年の大貴族が支配するものではすでになく、急速に台頭してきたユダヤ系大資本家たちが幅を利かせる場へ様変わりしていた。そこで親ユダヤの陣営であろうと反ユダヤの陣営であろうと、ゲルマント家と繋がりのあるシャルリュスに接近しようと露骨に愛想よさを演じる人々の振る舞いが気に食わない。シャルリュスが毛嫌いしているのは、実のところ、プルーストが描き分けたその種の「社交界の言葉」に対してである。

ではプルーストが一貫して描いている「愛の言葉」はどうだろう。社交界のような共同体とはまるで違った共同性が演じられている。ところでこの「愛の共同体」についてブランショの見解を見ておこうと思う。

「六十八年五月は、容認されたあるいは期待された社会的諸形態を根底から揺るがせる祝祭のように、不意に訪れた幸福な出会いの中で、《爆発的なコミュニケーション》が、言いかえれば各人に階級や年齢、性や文化の相違をこえて、初対面の人と彼らがまさしく見なれた-未知の人であるがゆえにすでに仲のいい友人のようにして付き合うことができるような、そんな開域が、企ても謀議もなしに発現しうる(発現の通常の諸形態をはるかにこえて発現する)のだということをはっきりと示して見せた」(ブランショ「明かしえぬ共同体・2・P.64」ちくま学芸文庫 一九九七年)

ブランショは「《爆発的なコミュニケーション》」と書いている。しかもそれは「あえて」そう書いたわけではまるでなく、そうとしか言いようのないものだったからだ。そのため当初は支持を表明した職業作家やジャーナリストたちはたちまち去っていった。なぜ去ったのか。六十八年五月にはどこにも「組織化」という指向性がなかったからである。職業作家もジャーナリストも、さらには弱小政治党派も、「組織化」を目指さない共同体にはあっけなく否定的態度をとる。しかし六十八年五月があくまでも「組織化」を拒否したのは当然の態度であって、というのは、それまであったどんな既成政党も「組織化」を至上命題としており、ゆえにただ単なる利益誘導団体としてしか機能していなかったからだ。六十八年五月が「《爆発的なコミュニケーション》」として出現した理由はそれら一切の既得権益並びに欺瞞的政治体制に対する「ノー」という態度がアナーキーに爆発し、ラカンのいう「現実界」がそのまま露呈した空前の出来事だった。

なお「組織化」の弊害は日本でも起こった。一九七二年、連合赤軍による同志リンチ殺害事件がそうだ。国家という乗り越え難い壁にぶち当たった本能は行き場を失い逆流して内部へと暴力意志を向け換える。

「外へ向けて放出されないすべての本能は《内へ向けられる》ーーー私が人間の《内面化》と呼ぶところのものはこれである。後に人間の『魂』と呼ばれるようになったものは、このようにして初めて人間に生じてくる。当初は二枚の皮の間に張られたみたいに薄いものだったあの内的世界の全体は、人間の外への放(は)け口が《堰き止められて》しまうと、それだけいよいよ分化し拡大して、深さと広さとを得てきた。国家的体制が古い自由の諸本能から自己を防衛するために築いたあの恐るべき防堡ーーーわけても刑罰がこの防堡の一つだーーーは、粗野で自由で漂泊的な人間のあの諸本能に悉く廻れ右をさせ、それらを《人間自身の方へ》向かわせた。敵意・残忍、迫害や襲撃や変革や破壊の悦び、ーーーこれらの本能がすべてその所有者の方へ向きを変えること、《これこそ》『良心の疚しさ』の起源である」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・十六・P.99」岩波文庫 一九四〇年)

だから「組織化」を至上命題とした政治党派は弱小であればあるほど内部粛清を起こしやすい傾向を今なお持つ。反面、六十八年五月はその爆発的エネルギーにもかかわらず「組織化」を拒否し「企ても謀議もなしに」またたく間にフランス全土を揺るがした。ブランショはいう。

「『企てなしに』ということ。その実、無秩序な秩序や曖昧な専門化を装うあまたの『委員会』という形を通して実現されたものではあったが、『企てなしに』というこの点に、存続すべくも定着すべくも運命づけられてはいない捉えようのない比類ないある社会形態の、覚つかなくもあるが幸運に恵まれた特徴があったのである。『伝統的革命』とは逆に、権力を奪取してそれをもうひとつの権力に置き換えることや、バスティーユなり冬宮、エリゼ宮あるいは国会なりを占拠するといったさして重要でもない目標があったわけでもなく、また古い世界を転覆することがねらいだったわけでもなく、各人を昂揚させ決起させる《ことばの自由》によって、友愛の中ですべての者に平等の権利を取り戻させ、あらゆる功利的関心の埒外で《共に在ること》の可能性をおのずから表出させることこそが重要だったのである。誰もが語るべきことを、時には書く(壁の上に)べきことをもっていた。では何を?それはたいして重要ではない。語るということが、語られるものにまさっていたのだ」(ブランショ「明かしえぬ共同体・2・P.64~65」ちくま学芸文庫 一九九七年)

六十八年五月という共同体は共同体でありながら、しかし、どこまで覗き込んでも隅から隅まで<匿名性>で充満している。ブランショはそれを「いかなるイデオロギーもそれを取り込んだり自分のものだと主張したりすることのできない、未だ嘗て生きられたことのなかった《共産主義》の一形態」だと述べる。国家から公認された社会学的な言葉で理論化される以前の感性のレベルで共鳴・共振しうる<友愛>の共同体だった。

「詩が日常となっていた。抑制なしに現われるという意味での『自発的』なコミュニケーションは、闘争や討論、意見の対立があるにもかかわらず、透明で内在的な、コミュニケーションそれ自身とのコミュニケーションなのであり、そこでは計算をこととする知性よりも、ほとんど純粋といっていい(ともかく軽蔑も、高尚さも低劣さもない)沸き立つ情熱が表明されていたのであるーーーだからこそ権威は覆され、あるいはほとんど無視され、いかなるイデオロギーもそれを取り込んだり自分のものだと主張したりすることのできない、未だ嘗て生きられたことのなかった《共産主義》の一形態がここに出現したのだと、人びとは感じとることができたのだ。しかつめらしい改革の試みなど存在せず、あるのはただ(それがために極めて異様な)無辜の現前だけだった。権力者たちの目にはそれが映らず、また彼らの分析の網にもかからなかったため、この事態はシアンリ〔大混乱〕、というような社会学的にみれば典型的な様ざまな表現で中傷されるほかなかった。だがそのような対応は彼ら自身の狼狽、すなわちもはや何の指令も出せずおのれ自身をも統御できなくなって、おのれの説明し難い破産を見るともなく眺めている司令部の狼狽を、グロテスクに上塗りするものにほかならなかった」(ブランショ「明かしえぬ共同体・2・P.65~66」ちくま学芸文庫 一九九七年)

ブランショはハイデガーのいう「共同存在」を換骨奪胎する。とともにレヴィナスのいう<他者>概念について、互いに絶対的な違い(差異)を認め、その上で互いの違い(差異)を互い共に認め合うといった態度のうちに、「共同体をもたない人々の共同体」=「六十八年五月」という出来事を位置付ける。

またヘーゲルのいう主人と奴隷の弁証法における「承認」について、ブランショはバタイユを引用しつつヘーゲルを転倒させる。

「存在各自の充足性は絶えまなくその近親者たちによって異議に投入される。讃嘆の念を宿した視線さえ、私に対しては疑惑のようにして注がれるのだ〔『天才』という観念は、人を高めるものというより、むしろ人を低めるものなのだ。この観念は単純な人間たることを妨げ、精髄を示してみせよ、人の期待を裏切るようなものは隠してしまえと促すのである。『技巧』をぬきにしては『天才』は考えられない。私は不充足の感情を単純化し、ねじふせてしまいたいと思う。そして、私を包みこんでいるこの暗影の助けを借りなければ、私の『権利要求』を維持できないのである〕。私の不充足性が露呈しているような仕草や言葉、つまり欠如態を、大笑いが、嫌悪の表情が迎えてくれる」(バタイユ「内的体験・第三部・P.189~190」現代思潮社 一九九四年)

ブランショは他者から示される「異議提起」という形で「承認」される「不充足性<としての>私」という存在様式に注目している。

BGM1

BGM2

BGM3