シュルジ夫人はゲルマント公爵の現在の愛人である。元愛人はアルパジョン夫人。百頁ほど前の箇所で<私>が声をかけられた時、とっさに名前を思い出せなかったのは後者のアルパジョン夫人。ゲルマント公爵の現在の愛人の名は思い出すまでもなくすんなり出てくるのに元愛人の名を忘却し去っていた点は大変興味のあるエピソードではあるものの、名前も言語である以上、いつもは子音や母音などアルファベットの一つ一つにまで解体されていることは以前述べた。
「すなわち、点Sであらわされる感覚-運動メカニズムと、ABに配置される記憶の全体とのあいだにはーーー私たちの心理学的な生における無数の反復の余地があり、そのいずれもが、同一の円錐のA’B’、A”B”などの断面で描きだされる、ということである。私たちがABのうちに拡散する傾向をもつことになるのは、じぶんの感覚的で運動的な状態からはなれてゆき、夢の生を生きるようになる、その程度に応じている。たほう私たちがSに集中する傾向を有するのは、現在のレアリテにより緊密にむすびつけられて、運動性の反応をつうじて感覚性の刺戟に応答する、そのかぎりにおいてのことである。じっさいには正常な自我であれば、この極端な〔ふたつの〕位置のいずれかに固定されることはけっしてない。そうした自我は、両者のあいだを動きながら、中間的な断面があらわす位置をかわるがわる取ってゆくのだ。あるいは、ことばをかえれば、みずからの表象群に対して、ちょうど充分なだけのイマージュと、おなじだけの観念を与えて、それらが現在の行動に有効なかたちで協力しうるようにするのである」(ベルクソン「物質と記憶・P.321図5~322」岩波文庫 二〇一五年)
ベルクソンのいう逆円錐の点Sと断面ABの間で無数に反復を繰り返しながら接続・切断・再接続されているわけだが、「現在の行動に有効なかたちで」断面ABという表層にのぼってきて始めて因果関係は出現し意識されるに至る。意識された途端、言語はまるで貨幣のようにそれまでの過程を覆い隠す。だから因果関係はいつもその時その時で自分に最も有効な形で出現する「でっち上げ」に過ぎず、ただ単に或る種の指標でしかないとニーチェはいう。
「意識にのぼってくるすべてのものは、なんらかの連鎖の最終項であり、一つの結末である。或る思想が直接或る別の思想の原因であるなどということは、見かけ上のことにすぎない。本来的な連結された出来事は私たちの意識の《下方で》起こる。諸感情、諸思想等々の、現われ出てくる諸系列や諸継起は、この本来的な出来事の《徴候》なのだ!ーーーあらゆる思想の下にはなんらかの情動がひそんでいる。あらゆる思想、あらゆる感情、あらゆる意志は、或る特定の衝動から生まれたものでは《なく》て、或る《総体的状態》であり、意識全体の或る全表面であって、私たちを構成している諸衝動《一切の》、ーーーそれゆえ、ちょうどそのとき支配している衝動、ならびにこの衝動に服従あるいは抵抗している諸衝動の、瞬時的な権力確定からその結果として生ずる。すぐ次の思想は、いかに総体的な権力状況がその間に転移したかを示す一つの記号である」(ニーチェ「生成の無垢・下・二五〇・P.148~149」ちくま学芸文庫 一九九四年)
遊戯室に戻ってきたシャルリュスにとって最大の関心はゲルマント公爵の現在の愛人シュルジ夫人である。男性同性愛者シャルリュスの目当てはシュルジ夫人ではまるでなく、その美貌が誰の目にも明らかな二人の息子ゆえ、先に母親のシュルジ夫人を丸め込んでおこうとする。さらにギュスターヴ・ジャケの描いたシュルジ夫人の肖像画はシャルリュスに官能的歓びを与える。なぜだろう。「息子たちの魅力が母親のなかに寄せ集められているのを再発見する歓びで、それ自体はまるで肖像画のようになんら欲望をそそらなくても、肖像画にいだく美的賞讃の念が、肖像画に呼び醒まされた欲望に糧(かて)を与えてくれる」からだ。
「というのも、だれもがシュルジ夫人の目と威風堂々たる物腰とを息子たちのなかに認め、それを好んで賞讃したのにたいして、男爵は、それとは逆向きの、だが同じように強烈な歓びを味わうことができたからである。つまり、息子たちの魅力が母親のなかに寄せ集められているのを再発見する歓びで、それ自体はまるで肖像画のようになんら欲望をそそらなくても、肖像画にいだく美的賞讃の念が、肖像画に呼び醒まされた欲望に糧(かて)を与えてくれるのだ。その欲望が、ジャケの描いた肖像画にあとから官能的魅力を付与してくれたので、男爵はこの瞬間、シュルジ家のふたりの息子の系譜を研究するためにその肖像画を手に入れたいと思ったにちがいない」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.218~219」岩波文庫 二〇一五年)
ここでプルーストは再びシャルリュス(叔父)とサン=ルー(甥)の関係を持ち出してこう述べる。いずれサン=ルーのシャルリュス化(同性愛者化)を見ることになるだろうという予言的文章である。
「遺伝する習性は、たいてい遅かれ早かれ叔父を媒介にして伝わるからだ。それゆえドイツの喜劇『叔父と甥』にタイトルを借りた肖像画集をつくれば、そこでは叔父が、最終的には自分に似てくる甥を、たとえ意識せずとも細心の注意をこめて見守るすがたが見られるだろう。さらに私は、甥の妻の叔父といった実際には血のつながりのない叔父たちもそこに加えるのでなければ、この肖像画集も画竜点睛(がりょうてんせい)を欠くと言いたい。実際、多くのシャルリュス氏の同類は、自分だけがよき夫であり、さらに女を嫉妬させない唯一の夫であると確信しているので、自分の姪を愛する気持から、たいていその姪も一人のシャルリュスと結婚させるからだ。これがさまざまな類似のもつれをいっそう錯綜させる。そして姪を愛する気持は、ときには姪の婚約者にたいする愛情と一体化することもある。このような結婚はなんら珍しいものではなく、しばしば幸せな結婚と呼ばれている」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.220」岩波文庫 二〇一五年)
しかし作品中の予言者はいつもシャルリュスであり、その点でシャルリュスについて再考する必要がある。シュルジ夫人の鈍感さについては次のように軽く流している。
(1)「『あれは私の息子たちです』とシュルジ夫人は言って顔を赤らめたが、夫人がもっと利口で、もっと身持ちの悪い女であったなら、赤面することもなかったであろう。その場合には、シャルリュス氏が若い男に示す完全な無関心や嘲笑の構えが本心から出たものではなく、それと同じく氏が女性に示すうわべの賞讃もまた真の本性ではないことを悟ったはずである。シャルリュス氏から最大級のお世辞をえんえんと聞かされた夫人は、こうして話しながら氏が後ほど気づかなかったふりをする青年にじっと注いでいたまなざしに、嫉妬を感じることもできたはずである」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.224」岩波文庫 二〇一五年)
(2)「そのまなざしは、シャルリュス氏が女性たちに向けるまなざしとはまるで異なるものであったからだ。心の奥底から出てくる特殊なまなざしで、服の仕立屋が他人の着ている服にまっさきに注ぐまなざしでその職業をあらわにするのにも似て、夜会のときでもおのずと若い男へと向かわずにはいられないまなざしである」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.224」岩波文庫 二〇一五年)
シャルリュスに関する再考。それは同時に同性愛に関する考察であり、その身振り言動、社会的に置かれた位置、思想信条に触れることになる。だが考察対象がシャルリュスであるがゆえに、主として男性同性愛者のそれ(プライバシー)に偏ることは避けられない。またプルーストは、同性愛者の生態について「呪われた不幸にとり憑かれ、嘘をつき、偽りのない誓いを立てて生きてゆかざるをえない種族」、「罰せられる恥ずべきもの」、「倒錯者は殺人を犯すもの」、「不治の病い」など色々な書き方をしているが、どれも否定的な言葉で彩られている。というのは「失われた時を求めて」が書かれた一九〇〇年前後、そう表現されるのが常だったことと、現代社会の人権感覚に照らし合わせて用語の置き換えを行うとかえって当時の社会風潮がかき消され、読者にはなんのことだかまるで伝わらなくなってしまう事態を危惧した様子が窺えるからである。五箇所引いておこう。ただし五点目は男性同性愛にのみ限った事情ではなく、アルベルチーヌたちに見られるような女性の同性愛とその自由自在なトランス性愛(異性愛者かつ同性愛者という横断的な性愛)がどれほど活気的な性愛の形であるか、プルーストが気づいていたことを物語る。
(1)「呪われた不幸にとり憑かれ、嘘をつき、偽りのない誓いを立てて生きてゆかざるをえない種族なのだ。なぜなら、あらゆる人間にとって生きる最大の楽しみである自分の欲望が、罰せられる恥ずべきもの、とうてい人には言えぬものとみなされていることを承知しているからである。この種族は、自分の神をも否認せざるをえない。なぜなら、たとえキリスト教徒であっても、被告として法廷の証言台に立つときには、キリストの前でキリストの名において、まるで誹謗中傷から身を守るように、おのが生命にほかならぬものを否認しなければならないからである。母なき息子でもある。臨終の母の目を閉じてやるときでさえ、母に嘘をつかざるをえないからである。友情なき友でもある。自分の魅力をしばしば認めてくれる相手からどんなに友情を捧げられ、また往々にして優しくなる心ゆえ相手にどれほど友情をいだいても、嘘に頼ることでしか育たぬつき合い、ついつい信頼と真情のあふれる想いを打ち明けると相手から嫌われ追い返されてしまうつき合いを、はたして友情と呼べるだろうか?ただし相手が偏見を持たぬ、思いやりのある人であれば話はべつであるが、その場合でも相手は、そんな種族にたいする旧態依然の心理に惑わされて、告白された悪徳とはまるで無縁の愛情でさえその悪徳から生じたものだと考えるだろう。判事によっては、原罪なり人種の宿命なりを根拠として、倒錯者は殺人を犯すもの、ユダヤ人は裏切りをするものと想定し、それを普通よりも大目にみる場合があるのと似ている」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・一・P.50~51」岩波文庫 二〇一五年)
身も蓋もないような文章。ユダヤ人迫害と並べて述べられている。そのためユダヤ人迫害との違いが際立たないところが残念でもある。旧約聖書によると、ユダヤ教徒は自ら進んで「選ばれた民」と呼ぶわけだがそれゆえ迫害されることは避けられない、という論理が浮上する。自ら優れていればいるほど他者から迫害を受ける。迫害されるのは他者の低劣な嫉妬ゆえであり、迫害されればされるほどむしろ逆に自らが優越的民族であることの根拠とされる。ところが同性愛者の場合、自ら優越的種族だと考える材料を一つも持たない。ただひたすら誹謗中傷に晒されるばかりであって、その点でユダヤ人との並列は短絡的過ぎるというほかない。
(2)「同類の者の共感からもーーーときには同類の社会からさえーーー排除されている人たちで、同類の者に、鏡に映されたように自分のすがたを直視する嫌悪感を与える。この鏡は、そんな同類を実物以上に見せることはなく、自分自身のうちに認めるのを避けてきたあらゆる欠陥を際立たせ、自分たちが愛と呼んでいるものが(この同類たちは、愛ということばに広い意味をもたせ、社会の常識に合わせて詩や絵画や音楽や騎士道や禁欲などが愛につけ加えてきたあらゆるものを自分たちの愛にもつけ加えていた)、みずから選んだ美の理想から出てきたものではなく、不治の病いから生じたものと悟らせるのだ」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・一・P.52」岩波文庫 二〇一五年)
鏡像の効果。マルクスがヘーゲルから借りてきた形式では次のようになる。
「価値関係の媒介によって、商品Bの現物形態は商品Aの価値形態になる。言いかえれば、商品Bの身体は商品Aの価値鏡になる(見ようによっては人間も商品と同じことである。人間は鏡をもってこの世に生まれてくるのでもなければ、私は私である、というフィヒテ流の哲学者として生まれてくるのでもないから、人間は最初はまず他の人間のなかに自分を映してみるのである。人間ペテロは、彼と同等なものとしての人間パウロに関係することによって、はじめて人間としての自分自身に関係するのである。しかし、それとともに、またペテロにとっては、パウロの全体が、そのパウロ的な肉体のままで、人間という種属の現象形態として認められるのである)。商品Aが、価値体としての、人間労働の物質化としての商品Bに関係することによって、商品Aは使用価値Bを自分自身の価値表現の材料にする。商品Aの価値は、このように商品Bの使用価値で表現されて、相対的価値の形態をもつのである」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第一章・P.102」国民文庫 一九七二年)
だがマルクスのいう鏡像の構造は「みずから選んだ美の理想」へ押し進めることはできても、ア・プリオリなものとしての「不治の病い」の根拠にはなり得ない。ア・プリオリなのはむしろカントがヒュームから学び、カントを始めて哲学と呼ぶに値する思考へと導いた、ただならぬ事情である。
「ヒュームは、形而上学だけにある唯一の、しかしこの学にとって重要な概念ーーーすなわち《原因と結果との必然的連結》という概念(従ってまたそれから生じる力及び作用の概念等)を、彼の考察の主たる出発点とした。そして彼は、この〔因果的連結の〕概念を自分自身のうちから産出したと称する理性に対して弁明を要求した、つまり理性は、何か或るもの〔原因〕が設定されるとそれによってまた何か他の或るもの〔結果〕が必然的に設定されると言うが、しかし理性はいかなる権利をもって、最初の何か或るものがこのような性質をもち得ると思いなすのか、と問うのである、なぜならーーーこれがすなわち原因の概念だからである。ヒュームの証明はこうである、ーーー概念だけからアプリオリにかかる〔因果的〕結合を考え出すことは、理性にはまったく不可能である、この結合は必然性を含むからである、とにかく何か或るものが存在するからといって、何か他の或るものまでが存在せねばならぬという理由や、それだからまたかかる必然的連結の概念がアプリオリに導入せられるという理由は、まったく理解できないことである。ヒュームのこの証明は、反論の余地のないものであった。ついでヒュームは、このことから次のように推論した、ーーー理性は、〔必然的連結という〕この概念をもって、みずから欺いているのだ、かかる概念は想像力の産んだ私生児にすぎないのに、理性はこれを誤って摘出子と認めているのである、或る種の表象の連想の法則を適用し、そこから生じる主観的必然性すなわち習慣を、〔アプリオリな〕洞察にもとづく客観的必然性とすり換えたのである、と。更にまたヒュームは、こうも推論したのである、ーーー理性は、このような必然的連結を、一般的にすら考える能力をまったく持合わせていないのである、そうだとしたら、かかる事柄に関する理性の概念なるものは、単なる仮構にすぎないであろう。そして理性がアプリオリに存立する認識と称するものは、けっきょく偽印(にせいん)を捺(お)した普通の経験でしかないだろう、と。彼のこの推論はーーーおよそ形而上学なるものは存在しない、またいかなる形而上学も存在し得るものではない、と言うに等しい」(カント「プロレゴメナ・P.14~15」岩波文庫 一九七七年)
ヒュームは、ア・プリオリな次元では何もかもがばらばらに解体されているのが本来的状態であって、因果的連結はあくまで習慣に則る形で事後的に繋ぎ合わされるものに過ぎないという。もっともな理論であり、むしろそうでなければ一つの因果的連結が絶対化していることになり、ほかにどんな組み換えも組み合わせも不可能になってしまう。ところが事実はどうか。例えば裁判所では。幾つかの材料が提出され考えられる限りの因果関係を出現させたかと思えば再び解体して今度は新しい因果関係を出現させたりしている。裁判自体がもてあそばれているように見える。子供がおもちゃのブロックを用いて家を作ったり蛇を作ったりして無邪気かつ夢中で遊んでいるかのようだ。しかし一体なぜ、そうするのか。
(a)「《永遠の子供》。ーーーわれわれは、お伽噺や遊戯は小児時代に属するものと思っている、われら近視眼の者たちは!われわれは、まるで(いつか)どこかの年齢でお伽噺や遊戯なしに生きることを願っているみたいなのだ!もちろんわれわれは、事物の(子供とは)別な呼び方、感じ方をしてはいる。だがまさにこのことこそがかえって、それが同じものであることの証拠である、ーーーなぜなら、子供もまた、遊戯を自分の仕事、お伽噺を自分の真理と感じているからである」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的2・第一部・二七〇・P.192」ちくま学芸文庫 一九九四年)
(b)「少年のときの遊び方と、大人になってからの働き方とは似ているものだ、学校での或る出来事は、或る政治的な大事件で行動するすべての人物をすでに判然と認識させうるのである」(ニーチェ「生成の無垢・上・四九〇・P.328」ちくま学芸文庫 一九九四年)
(3)「同類の者とのつき合いが(正反対の種族にも溶けこんで同化し、見かけはとても倒錯者とは思えぬ者が、なおも倒錯者らしさをとどめる者に浴びせるあらゆる嘲笑にもかかわらず)息抜きになり、また同類との暮らしが支えにさえなり、自分たちがひとつの種族であることを否定しながらも(その種族の名を言われるのは最大の侮辱になる)、その種族であることを隠しおおせた者がいると、好んでその仮面を剥ごうとする。その者を傷つけるためというよりもーーーそれも嫌いではないがーーーむしろ自己弁護のためで、まるで医者が虫垂炎を探りだすように歴史のなかにまで倒錯を探し求め、イスラエルの民がイエスもユダヤ人だったと言うのと同じで、得々としてソクラテスも倒錯者のひとりだったと指摘するが、しかし同性愛が正常な状態であったときには異常な者は存在しなかったこと、キリスト以前には反キリスト教徒など存在しなかったこと、恥辱のみが犯罪をつくることには想い至らない」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・一・P.53~54」岩波文庫 二〇一五年)
ここでわかりにくいのは「恥辱のみが犯罪をつくる」というフレーズだろうと思われる。この事情の構造についてニーチェはいう。
(a)「わたしはかつて、最大の人間と最小の人間の裸身を見た。その二つはあまりにも似かよっていたーーー最大の人間さえ、あまりにも人間的だった。最大の人間も、あまりに小さい。ーーーこれが人間に対するわたしの倦怠だった。そして最小のものも永遠に回帰することーーーこれが生存に対するわたしの倦怠だった。ああ、嘔気(はきけ)、嘔気、嘔気!ーーーそうツァラトゥストラは言って、嘆息し、戦慄(せんりつ)した」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第三部・快癒しつつある者・P.354」中公文庫 一九七三年)
(b)「君が有害なものに接して戦慄を感じたときに、君は言った、『これは悪だ』と。だが君が吐きけを感じたときに、『劣悪なもの』が成立した」(ニーチェ「生成の無垢・下・四六六・P.276」ちくま学芸文庫 一九九四年)
(c)「悪は、それが低劣で吐きけを催させるものと取り違えられるときに初めて、不評を招く。そのときまでは悪は心をひきつけて、模倣するよう刺激する」(ニーチェ「生成の無垢・下・四六七・P.276~277」ちくま学芸文庫 一九九四年)
だがしかし徐々にではあるものの、次の箇所からプルーストは男性同性愛にのみ限らない事情、なおかつ今でいうLGBTいずれにも当てはまるであろう点に気づいていることを明確化している。「世間が不適切にも悪徳と呼ぶもの」と。
(4)「それまでは連中も、自分の暮らしを隠したり、じっと見つめたいところから視線をそらしたり、目をそらしたいところをじっと見つめたり、自分の使うことばでは多くの形容詞の性を変えたりせざるをえないが、そうした社会的な拘束といえども、自分の悪徳ないし世間が不適切にも悪徳と呼ぶものが、他人にたいしてではなく自分自身にたいして、自分の目には悪徳とは見えない形で強制する内心の拘束と比べれば、いずれも大したことはないのである」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・一・P.56」岩波文庫 二〇一五年)
さらにプルーストは述べる。性というものがどのような形態を取ろうと「それは、自然が無意識のうちにおこなう感嘆すべき努力のあらわれにほかならない」と。
(5)「われわれはこの男の顔のなかに、心を打つさまざまな気遣い、ほかの男たちには見られぬ気品ある自然な愛想のよさを見出して感嘆するのだから、この青年が求めているのはボクサーだと知ってどうして嘆くことがあろう?これらは同じひとつの現実の、相異なる局面なのだ。さらに言えば、これらの局面のうちわれわれに嫌悪の情をいだかせる局面こそ、いちばん心を打つ局面であり、どんなに繊細な心遣いよりも感動的なのである。というのもそれは、自然が無意識のうちにおこなう感嘆すべき努力のあらわれにほかならないからだ。性をめぐるさまざまな欺瞞にもかかわらずこうして性がみずから企てる自己認識は、社会の当初の誤謬のせいで遠くに追いやられていたものへと忍び寄ろうとする密かな企てに見える」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・一・P.66」岩波文庫 二〇一五年)
シャルリュスの大声と策略が響き渡る中、一度に百八十頁ほどもさかのぼらなければ見えるものも見えてこない。プルーストを擁護するわけではなくシャルリュスの言説の側に立つわけでもなく、活字化された作品という表層の運動が否応なしにそうさせるのである。
BGM1
BGM2
BGM3
「すなわち、点Sであらわされる感覚-運動メカニズムと、ABに配置される記憶の全体とのあいだにはーーー私たちの心理学的な生における無数の反復の余地があり、そのいずれもが、同一の円錐のA’B’、A”B”などの断面で描きだされる、ということである。私たちがABのうちに拡散する傾向をもつことになるのは、じぶんの感覚的で運動的な状態からはなれてゆき、夢の生を生きるようになる、その程度に応じている。たほう私たちがSに集中する傾向を有するのは、現在のレアリテにより緊密にむすびつけられて、運動性の反応をつうじて感覚性の刺戟に応答する、そのかぎりにおいてのことである。じっさいには正常な自我であれば、この極端な〔ふたつの〕位置のいずれかに固定されることはけっしてない。そうした自我は、両者のあいだを動きながら、中間的な断面があらわす位置をかわるがわる取ってゆくのだ。あるいは、ことばをかえれば、みずからの表象群に対して、ちょうど充分なだけのイマージュと、おなじだけの観念を与えて、それらが現在の行動に有効なかたちで協力しうるようにするのである」(ベルクソン「物質と記憶・P.321図5~322」岩波文庫 二〇一五年)
ベルクソンのいう逆円錐の点Sと断面ABの間で無数に反復を繰り返しながら接続・切断・再接続されているわけだが、「現在の行動に有効なかたちで」断面ABという表層にのぼってきて始めて因果関係は出現し意識されるに至る。意識された途端、言語はまるで貨幣のようにそれまでの過程を覆い隠す。だから因果関係はいつもその時その時で自分に最も有効な形で出現する「でっち上げ」に過ぎず、ただ単に或る種の指標でしかないとニーチェはいう。
「意識にのぼってくるすべてのものは、なんらかの連鎖の最終項であり、一つの結末である。或る思想が直接或る別の思想の原因であるなどということは、見かけ上のことにすぎない。本来的な連結された出来事は私たちの意識の《下方で》起こる。諸感情、諸思想等々の、現われ出てくる諸系列や諸継起は、この本来的な出来事の《徴候》なのだ!ーーーあらゆる思想の下にはなんらかの情動がひそんでいる。あらゆる思想、あらゆる感情、あらゆる意志は、或る特定の衝動から生まれたものでは《なく》て、或る《総体的状態》であり、意識全体の或る全表面であって、私たちを構成している諸衝動《一切の》、ーーーそれゆえ、ちょうどそのとき支配している衝動、ならびにこの衝動に服従あるいは抵抗している諸衝動の、瞬時的な権力確定からその結果として生ずる。すぐ次の思想は、いかに総体的な権力状況がその間に転移したかを示す一つの記号である」(ニーチェ「生成の無垢・下・二五〇・P.148~149」ちくま学芸文庫 一九九四年)
遊戯室に戻ってきたシャルリュスにとって最大の関心はゲルマント公爵の現在の愛人シュルジ夫人である。男性同性愛者シャルリュスの目当てはシュルジ夫人ではまるでなく、その美貌が誰の目にも明らかな二人の息子ゆえ、先に母親のシュルジ夫人を丸め込んでおこうとする。さらにギュスターヴ・ジャケの描いたシュルジ夫人の肖像画はシャルリュスに官能的歓びを与える。なぜだろう。「息子たちの魅力が母親のなかに寄せ集められているのを再発見する歓びで、それ自体はまるで肖像画のようになんら欲望をそそらなくても、肖像画にいだく美的賞讃の念が、肖像画に呼び醒まされた欲望に糧(かて)を与えてくれる」からだ。
「というのも、だれもがシュルジ夫人の目と威風堂々たる物腰とを息子たちのなかに認め、それを好んで賞讃したのにたいして、男爵は、それとは逆向きの、だが同じように強烈な歓びを味わうことができたからである。つまり、息子たちの魅力が母親のなかに寄せ集められているのを再発見する歓びで、それ自体はまるで肖像画のようになんら欲望をそそらなくても、肖像画にいだく美的賞讃の念が、肖像画に呼び醒まされた欲望に糧(かて)を与えてくれるのだ。その欲望が、ジャケの描いた肖像画にあとから官能的魅力を付与してくれたので、男爵はこの瞬間、シュルジ家のふたりの息子の系譜を研究するためにその肖像画を手に入れたいと思ったにちがいない」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.218~219」岩波文庫 二〇一五年)
ここでプルーストは再びシャルリュス(叔父)とサン=ルー(甥)の関係を持ち出してこう述べる。いずれサン=ルーのシャルリュス化(同性愛者化)を見ることになるだろうという予言的文章である。
「遺伝する習性は、たいてい遅かれ早かれ叔父を媒介にして伝わるからだ。それゆえドイツの喜劇『叔父と甥』にタイトルを借りた肖像画集をつくれば、そこでは叔父が、最終的には自分に似てくる甥を、たとえ意識せずとも細心の注意をこめて見守るすがたが見られるだろう。さらに私は、甥の妻の叔父といった実際には血のつながりのない叔父たちもそこに加えるのでなければ、この肖像画集も画竜点睛(がりょうてんせい)を欠くと言いたい。実際、多くのシャルリュス氏の同類は、自分だけがよき夫であり、さらに女を嫉妬させない唯一の夫であると確信しているので、自分の姪を愛する気持から、たいていその姪も一人のシャルリュスと結婚させるからだ。これがさまざまな類似のもつれをいっそう錯綜させる。そして姪を愛する気持は、ときには姪の婚約者にたいする愛情と一体化することもある。このような結婚はなんら珍しいものではなく、しばしば幸せな結婚と呼ばれている」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.220」岩波文庫 二〇一五年)
しかし作品中の予言者はいつもシャルリュスであり、その点でシャルリュスについて再考する必要がある。シュルジ夫人の鈍感さについては次のように軽く流している。
(1)「『あれは私の息子たちです』とシュルジ夫人は言って顔を赤らめたが、夫人がもっと利口で、もっと身持ちの悪い女であったなら、赤面することもなかったであろう。その場合には、シャルリュス氏が若い男に示す完全な無関心や嘲笑の構えが本心から出たものではなく、それと同じく氏が女性に示すうわべの賞讃もまた真の本性ではないことを悟ったはずである。シャルリュス氏から最大級のお世辞をえんえんと聞かされた夫人は、こうして話しながら氏が後ほど気づかなかったふりをする青年にじっと注いでいたまなざしに、嫉妬を感じることもできたはずである」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.224」岩波文庫 二〇一五年)
(2)「そのまなざしは、シャルリュス氏が女性たちに向けるまなざしとはまるで異なるものであったからだ。心の奥底から出てくる特殊なまなざしで、服の仕立屋が他人の着ている服にまっさきに注ぐまなざしでその職業をあらわにするのにも似て、夜会のときでもおのずと若い男へと向かわずにはいられないまなざしである」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.224」岩波文庫 二〇一五年)
シャルリュスに関する再考。それは同時に同性愛に関する考察であり、その身振り言動、社会的に置かれた位置、思想信条に触れることになる。だが考察対象がシャルリュスであるがゆえに、主として男性同性愛者のそれ(プライバシー)に偏ることは避けられない。またプルーストは、同性愛者の生態について「呪われた不幸にとり憑かれ、嘘をつき、偽りのない誓いを立てて生きてゆかざるをえない種族」、「罰せられる恥ずべきもの」、「倒錯者は殺人を犯すもの」、「不治の病い」など色々な書き方をしているが、どれも否定的な言葉で彩られている。というのは「失われた時を求めて」が書かれた一九〇〇年前後、そう表現されるのが常だったことと、現代社会の人権感覚に照らし合わせて用語の置き換えを行うとかえって当時の社会風潮がかき消され、読者にはなんのことだかまるで伝わらなくなってしまう事態を危惧した様子が窺えるからである。五箇所引いておこう。ただし五点目は男性同性愛にのみ限った事情ではなく、アルベルチーヌたちに見られるような女性の同性愛とその自由自在なトランス性愛(異性愛者かつ同性愛者という横断的な性愛)がどれほど活気的な性愛の形であるか、プルーストが気づいていたことを物語る。
(1)「呪われた不幸にとり憑かれ、嘘をつき、偽りのない誓いを立てて生きてゆかざるをえない種族なのだ。なぜなら、あらゆる人間にとって生きる最大の楽しみである自分の欲望が、罰せられる恥ずべきもの、とうてい人には言えぬものとみなされていることを承知しているからである。この種族は、自分の神をも否認せざるをえない。なぜなら、たとえキリスト教徒であっても、被告として法廷の証言台に立つときには、キリストの前でキリストの名において、まるで誹謗中傷から身を守るように、おのが生命にほかならぬものを否認しなければならないからである。母なき息子でもある。臨終の母の目を閉じてやるときでさえ、母に嘘をつかざるをえないからである。友情なき友でもある。自分の魅力をしばしば認めてくれる相手からどんなに友情を捧げられ、また往々にして優しくなる心ゆえ相手にどれほど友情をいだいても、嘘に頼ることでしか育たぬつき合い、ついつい信頼と真情のあふれる想いを打ち明けると相手から嫌われ追い返されてしまうつき合いを、はたして友情と呼べるだろうか?ただし相手が偏見を持たぬ、思いやりのある人であれば話はべつであるが、その場合でも相手は、そんな種族にたいする旧態依然の心理に惑わされて、告白された悪徳とはまるで無縁の愛情でさえその悪徳から生じたものだと考えるだろう。判事によっては、原罪なり人種の宿命なりを根拠として、倒錯者は殺人を犯すもの、ユダヤ人は裏切りをするものと想定し、それを普通よりも大目にみる場合があるのと似ている」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・一・P.50~51」岩波文庫 二〇一五年)
身も蓋もないような文章。ユダヤ人迫害と並べて述べられている。そのためユダヤ人迫害との違いが際立たないところが残念でもある。旧約聖書によると、ユダヤ教徒は自ら進んで「選ばれた民」と呼ぶわけだがそれゆえ迫害されることは避けられない、という論理が浮上する。自ら優れていればいるほど他者から迫害を受ける。迫害されるのは他者の低劣な嫉妬ゆえであり、迫害されればされるほどむしろ逆に自らが優越的民族であることの根拠とされる。ところが同性愛者の場合、自ら優越的種族だと考える材料を一つも持たない。ただひたすら誹謗中傷に晒されるばかりであって、その点でユダヤ人との並列は短絡的過ぎるというほかない。
(2)「同類の者の共感からもーーーときには同類の社会からさえーーー排除されている人たちで、同類の者に、鏡に映されたように自分のすがたを直視する嫌悪感を与える。この鏡は、そんな同類を実物以上に見せることはなく、自分自身のうちに認めるのを避けてきたあらゆる欠陥を際立たせ、自分たちが愛と呼んでいるものが(この同類たちは、愛ということばに広い意味をもたせ、社会の常識に合わせて詩や絵画や音楽や騎士道や禁欲などが愛につけ加えてきたあらゆるものを自分たちの愛にもつけ加えていた)、みずから選んだ美の理想から出てきたものではなく、不治の病いから生じたものと悟らせるのだ」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・一・P.52」岩波文庫 二〇一五年)
鏡像の効果。マルクスがヘーゲルから借りてきた形式では次のようになる。
「価値関係の媒介によって、商品Bの現物形態は商品Aの価値形態になる。言いかえれば、商品Bの身体は商品Aの価値鏡になる(見ようによっては人間も商品と同じことである。人間は鏡をもってこの世に生まれてくるのでもなければ、私は私である、というフィヒテ流の哲学者として生まれてくるのでもないから、人間は最初はまず他の人間のなかに自分を映してみるのである。人間ペテロは、彼と同等なものとしての人間パウロに関係することによって、はじめて人間としての自分自身に関係するのである。しかし、それとともに、またペテロにとっては、パウロの全体が、そのパウロ的な肉体のままで、人間という種属の現象形態として認められるのである)。商品Aが、価値体としての、人間労働の物質化としての商品Bに関係することによって、商品Aは使用価値Bを自分自身の価値表現の材料にする。商品Aの価値は、このように商品Bの使用価値で表現されて、相対的価値の形態をもつのである」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第一章・P.102」国民文庫 一九七二年)
だがマルクスのいう鏡像の構造は「みずから選んだ美の理想」へ押し進めることはできても、ア・プリオリなものとしての「不治の病い」の根拠にはなり得ない。ア・プリオリなのはむしろカントがヒュームから学び、カントを始めて哲学と呼ぶに値する思考へと導いた、ただならぬ事情である。
「ヒュームは、形而上学だけにある唯一の、しかしこの学にとって重要な概念ーーーすなわち《原因と結果との必然的連結》という概念(従ってまたそれから生じる力及び作用の概念等)を、彼の考察の主たる出発点とした。そして彼は、この〔因果的連結の〕概念を自分自身のうちから産出したと称する理性に対して弁明を要求した、つまり理性は、何か或るもの〔原因〕が設定されるとそれによってまた何か他の或るもの〔結果〕が必然的に設定されると言うが、しかし理性はいかなる権利をもって、最初の何か或るものがこのような性質をもち得ると思いなすのか、と問うのである、なぜならーーーこれがすなわち原因の概念だからである。ヒュームの証明はこうである、ーーー概念だけからアプリオリにかかる〔因果的〕結合を考え出すことは、理性にはまったく不可能である、この結合は必然性を含むからである、とにかく何か或るものが存在するからといって、何か他の或るものまでが存在せねばならぬという理由や、それだからまたかかる必然的連結の概念がアプリオリに導入せられるという理由は、まったく理解できないことである。ヒュームのこの証明は、反論の余地のないものであった。ついでヒュームは、このことから次のように推論した、ーーー理性は、〔必然的連結という〕この概念をもって、みずから欺いているのだ、かかる概念は想像力の産んだ私生児にすぎないのに、理性はこれを誤って摘出子と認めているのである、或る種の表象の連想の法則を適用し、そこから生じる主観的必然性すなわち習慣を、〔アプリオリな〕洞察にもとづく客観的必然性とすり換えたのである、と。更にまたヒュームは、こうも推論したのである、ーーー理性は、このような必然的連結を、一般的にすら考える能力をまったく持合わせていないのである、そうだとしたら、かかる事柄に関する理性の概念なるものは、単なる仮構にすぎないであろう。そして理性がアプリオリに存立する認識と称するものは、けっきょく偽印(にせいん)を捺(お)した普通の経験でしかないだろう、と。彼のこの推論はーーーおよそ形而上学なるものは存在しない、またいかなる形而上学も存在し得るものではない、と言うに等しい」(カント「プロレゴメナ・P.14~15」岩波文庫 一九七七年)
ヒュームは、ア・プリオリな次元では何もかもがばらばらに解体されているのが本来的状態であって、因果的連結はあくまで習慣に則る形で事後的に繋ぎ合わされるものに過ぎないという。もっともな理論であり、むしろそうでなければ一つの因果的連結が絶対化していることになり、ほかにどんな組み換えも組み合わせも不可能になってしまう。ところが事実はどうか。例えば裁判所では。幾つかの材料が提出され考えられる限りの因果関係を出現させたかと思えば再び解体して今度は新しい因果関係を出現させたりしている。裁判自体がもてあそばれているように見える。子供がおもちゃのブロックを用いて家を作ったり蛇を作ったりして無邪気かつ夢中で遊んでいるかのようだ。しかし一体なぜ、そうするのか。
(a)「《永遠の子供》。ーーーわれわれは、お伽噺や遊戯は小児時代に属するものと思っている、われら近視眼の者たちは!われわれは、まるで(いつか)どこかの年齢でお伽噺や遊戯なしに生きることを願っているみたいなのだ!もちろんわれわれは、事物の(子供とは)別な呼び方、感じ方をしてはいる。だがまさにこのことこそがかえって、それが同じものであることの証拠である、ーーーなぜなら、子供もまた、遊戯を自分の仕事、お伽噺を自分の真理と感じているからである」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的2・第一部・二七〇・P.192」ちくま学芸文庫 一九九四年)
(b)「少年のときの遊び方と、大人になってからの働き方とは似ているものだ、学校での或る出来事は、或る政治的な大事件で行動するすべての人物をすでに判然と認識させうるのである」(ニーチェ「生成の無垢・上・四九〇・P.328」ちくま学芸文庫 一九九四年)
(3)「同類の者とのつき合いが(正反対の種族にも溶けこんで同化し、見かけはとても倒錯者とは思えぬ者が、なおも倒錯者らしさをとどめる者に浴びせるあらゆる嘲笑にもかかわらず)息抜きになり、また同類との暮らしが支えにさえなり、自分たちがひとつの種族であることを否定しながらも(その種族の名を言われるのは最大の侮辱になる)、その種族であることを隠しおおせた者がいると、好んでその仮面を剥ごうとする。その者を傷つけるためというよりもーーーそれも嫌いではないがーーーむしろ自己弁護のためで、まるで医者が虫垂炎を探りだすように歴史のなかにまで倒錯を探し求め、イスラエルの民がイエスもユダヤ人だったと言うのと同じで、得々としてソクラテスも倒錯者のひとりだったと指摘するが、しかし同性愛が正常な状態であったときには異常な者は存在しなかったこと、キリスト以前には反キリスト教徒など存在しなかったこと、恥辱のみが犯罪をつくることには想い至らない」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・一・P.53~54」岩波文庫 二〇一五年)
ここでわかりにくいのは「恥辱のみが犯罪をつくる」というフレーズだろうと思われる。この事情の構造についてニーチェはいう。
(a)「わたしはかつて、最大の人間と最小の人間の裸身を見た。その二つはあまりにも似かよっていたーーー最大の人間さえ、あまりにも人間的だった。最大の人間も、あまりに小さい。ーーーこれが人間に対するわたしの倦怠だった。そして最小のものも永遠に回帰することーーーこれが生存に対するわたしの倦怠だった。ああ、嘔気(はきけ)、嘔気、嘔気!ーーーそうツァラトゥストラは言って、嘆息し、戦慄(せんりつ)した」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第三部・快癒しつつある者・P.354」中公文庫 一九七三年)
(b)「君が有害なものに接して戦慄を感じたときに、君は言った、『これは悪だ』と。だが君が吐きけを感じたときに、『劣悪なもの』が成立した」(ニーチェ「生成の無垢・下・四六六・P.276」ちくま学芸文庫 一九九四年)
(c)「悪は、それが低劣で吐きけを催させるものと取り違えられるときに初めて、不評を招く。そのときまでは悪は心をひきつけて、模倣するよう刺激する」(ニーチェ「生成の無垢・下・四六七・P.276~277」ちくま学芸文庫 一九九四年)
だがしかし徐々にではあるものの、次の箇所からプルーストは男性同性愛にのみ限らない事情、なおかつ今でいうLGBTいずれにも当てはまるであろう点に気づいていることを明確化している。「世間が不適切にも悪徳と呼ぶもの」と。
(4)「それまでは連中も、自分の暮らしを隠したり、じっと見つめたいところから視線をそらしたり、目をそらしたいところをじっと見つめたり、自分の使うことばでは多くの形容詞の性を変えたりせざるをえないが、そうした社会的な拘束といえども、自分の悪徳ないし世間が不適切にも悪徳と呼ぶものが、他人にたいしてではなく自分自身にたいして、自分の目には悪徳とは見えない形で強制する内心の拘束と比べれば、いずれも大したことはないのである」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・一・P.56」岩波文庫 二〇一五年)
さらにプルーストは述べる。性というものがどのような形態を取ろうと「それは、自然が無意識のうちにおこなう感嘆すべき努力のあらわれにほかならない」と。
(5)「われわれはこの男の顔のなかに、心を打つさまざまな気遣い、ほかの男たちには見られぬ気品ある自然な愛想のよさを見出して感嘆するのだから、この青年が求めているのはボクサーだと知ってどうして嘆くことがあろう?これらは同じひとつの現実の、相異なる局面なのだ。さらに言えば、これらの局面のうちわれわれに嫌悪の情をいだかせる局面こそ、いちばん心を打つ局面であり、どんなに繊細な心遣いよりも感動的なのである。というのもそれは、自然が無意識のうちにおこなう感嘆すべき努力のあらわれにほかならないからだ。性をめぐるさまざまな欺瞞にもかかわらずこうして性がみずから企てる自己認識は、社会の当初の誤謬のせいで遠くに追いやられていたものへと忍び寄ろうとする密かな企てに見える」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・一・P.66」岩波文庫 二〇一五年)
シャルリュスの大声と策略が響き渡る中、一度に百八十頁ほどもさかのぼらなければ見えるものも見えてこない。プルーストを擁護するわけではなくシャルリュスの言説の側に立つわけでもなく、活字化された作品という表層の運動が否応なしにそうさせるのである。
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