ゲルマント侯爵はドレフェス事件を巡ってドレフェス支持に回ったスワンを長々と非難する。これまで面倒を見てきてやった恩を仇で返すような男だと憤懣やるかたない激怒ぶり。
「『でもスワンについては、率直に言ってあの男どもにたいする振る舞いは言語道断でしたな。社交界でかつて私どもやシャルトル公爵の庇護を受けておきながら、ドレフェス支持を公言していると聞きますからね。あのスワンがこんなことになるとはとうてい信じられんのです、なにしろ美食家だし、現実主義者だし、蒐集家だし、古書の愛好家だし、ジョッキーの会員だし、みなの尊敬を一身に集めていたし、いい店にも通じていてよそでは飲めない最高のポルトを届けてきたし、ディレッタントだし、妻子ある男だし。いやはや、すっかりだまされましたよ。いや、私なんかどうだっていいんです、どうせ愚かな老いぼれで、そんな人間の意見なんぞ相手にしてもらえん、まあ乞食同然の身ですから。しかしオリヤーヌのためだけにでも、あんなことはすべきではなかった、受刑者を信奉する輩とユダヤ人どもを公然と非難すべきだったでしょう』」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.182」岩波文庫 二〇一五年)
妻のオリヤーヌ(ゲルマント侯爵夫人)にも同意を求める。夫人はおとなしく同意の身振りを示す。だが夫人の内面は違っていて、常々、上流社交界のサロンを上手に運営していくためにはいかなるナショナリズムも持ち込むべきではなく、また夫人自身そもそもナショナリズムを軽蔑していた。だからここではただ単に夫の顔を立てておくだけにしている。
「『もちろん家内があの男につねづね示してきた友情からすれば』とことばを継いだ公爵は、その有罪無罪について内心ではどんな意見をいだこうとも、ドレフェスを国家反逆罪で弾劾することが、フォーブール・サン=ジェルマンに受け入れてもらった恩義へのいわば感謝の表明になると考えていたのは明らかだ、『あの男は仲間とたもとを分かつべきでしたな。オリヤーヌに訊いてごらんなさい、そりゃ、あの男に心底から友情をいだいていたんですから』」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.182~183」岩波文庫 二〇一五年)
オリヤーヌ(ゲルマント侯爵夫人)はドレフェス事件をめぐって世相がナショナリズム一辺倒に傾いていることにとても敏感だったから、「自分が危険思想の持主だという烙印を押されるのが目に見えていたので、ナショナリズムには大幅な譲歩をしたうえで」、スワンについてはパーティーの後で別に「内輪で慰撫しよう」と考えていた。一方、ゲルマント侯爵のスワン非難演説は朗々と引き続く。
「『ドレフェス派といえば』と私は言った、『フォン大佐もそうだと聞きましたが』。『おっ!フォンの話をしてくださってよかった』とゲルマント氏は大きな声を出した、『うっかり忘れるところでしたよ、月曜日に晩餐に来てくれと頼まれていたのを。しかしあれがドレフェス派であろうとなかろうと私にはまったくどうでもいいことだ、なにせ外国人ですから。そんなことはちっとも気にならない。だがフランス人となると話はべつだ。たしかにスワンはユダヤ人です。しかしこんにちまで私はーーーフロベルヴィルには申し訳ないがーーーめでたいことにユダヤ人だってフランス人になりうると信じていたんです、ユダヤ人といっても、立派な、社交人士の場合ですよ。で、スワンは、これにぴったり当てはまる男でした。ところがです!私が間違っていたと認めざるをえないようなことをしてくれた。あんなドレフェス(有罪であろうが無罪であろうが、ちっともスワンの交際範囲の人間ではなく、一度も会ったことのない人間)の味方をして、自分を家族のように受け入れて身内同然に扱ってくれた社交界に楯突いたんですから』」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.183~184」岩波文庫 二〇一五年)
この中で「ユダヤ人だってフランス人になりうる」とある。ユダヤ人がヨーロッパへの融和を望んでいるとすればそれは可能だというわけだが、その点についてニーチェはこう述べている。
「ユダヤ人がその気になるならば、ーーー或いは、反ユダヤ主義者たちが欲しているかのように見えるように、ユダヤ人をそうせずにいられないように強(し)いるならば、ーーーいますぐにもヨーロッパに優勢を占め、いな、全く言葉通りにヨーロッパを支配するように《なりうる》であろうことは確実である。彼らがそれを目差して努力したり計画したりして《いない》ということも同様に確実である。当座のところ、彼らは却って、多少の厚かましさをもってしてでも、ヨーロッパのうちへ、ヨーロッパによって吸い込まれ、吸い上げられることを望み願っている。彼らは結局はどこかに定着し、許容され、是認されて、『永遠のユダヤ人』という流浪生活に終止符を打ちたいと熱望しているのだ。ーーーそれで、この動向と渇望(これは恐らくそれ自体すでにユダヤ的本能の軟弱化を示すものであろう)によく注意して、その意を迎えるようにすべきであろう。そのためには恐らく、この国の反ユダヤ主義の絶叫者どもを追放することが有益であり、正当であろう」(ニーチェ「善悪の彼岸・二五一・P.249」岩波文庫 一九七〇年)
世界中を駆け巡ることを止めてしまい逆に定着を欲する意志は、それ自体「ユダヤ的本能の軟弱化を示すもの」だとニーチェはいう。「胃」の機能に喩えられる精神的な「消化力」がもはや衰え軟弱化してきた証拠として。
「異他を同化する精神の力は、新しいものを古いものと相似にし、多様を単純にし、全く矛盾するものを看過し、または押し除(の)ける強い傾向のうちに現われる。同様にまた、精神は異他的なもの、『外界』のあらゆるものの特定の画線を勝手に強調したり、際立(きわだ)たせたり、適当に変造したりする。その際に精神の意図するところは、新しい『経験』を消化し、新しい事物を古い系列に編入すること、ーーー従って成長することにある。更に明確に言えば、成長の《感情》、増大した力の感情にある。この同じ意志に、精神の一見して反対の衝動も奉仕する。無知を求め、勝手に閉じ籠(こ)もろうとする突然に勃発する決意とか、自己の窓の閉鎖とか、この或いはあの事物に対する内的な否定的発言とか、近寄ることの禁止とか、多くの知りうるものに対する一種の防御状態とか、暗黒や閉ざされた地平に対する満足とか、無知に対する肯定と是認など、すべて同然である。これらすべては、精神の同化力の程度に応じて、具象的に言えば、精神の『消化力』の度合いに応じて、それぞれ必要なのである。ーーーそれで、実際『精神』は最もよく胃に似たものなのだ」(ニーチェ「善悪の彼岸・二三〇・P.213~214」岩波文庫 一九七〇年)
この箇所でゲルマント侯爵はドレフェス派を表明したスワンをこっぴどく非難するわけだが、後になって読者はゲルマント侯爵がころりと立場を翻してドレフェス支持にまわることを知っている。ではなぜドレフェス事件をめぐってドレフェス派を表明したスワンを徹底的に弾劾しているのか。ユダヤ系かつ社交界の一員であるスワンの位置とユダヤ系かつ「父親」と激しく対立するプルーストの位置とが重ね合わされている点を見ないわけにはいかない。ゲルマント侯爵の心情について「公爵がこの件で感じていた深い悲しみは」ーーー「尊敬されてきた家名に泥を塗るのを目の当たりにした父親の悲しみである」と。
「『仕方ありません、愛は愛なんですから。ただ私に言わせると愛も然るべき則(のり)を越えてはいけない。そりゃ私だって、若い者、はなたれ小僧が、夢物語に等しいものにのぼせあがるのは、まだ許せますよ。ところがスワンは、頭のいい大のおとなで、確かな気遣いもでき、絵には目利きで、シャルトル公爵やジルベール本人とも親しい人間ですからね!』。もっとも、こう言ったときのゲルマント氏の口調はじつに感じのいいもので、氏に頻繁に見受けられる俗悪なところは微塵もなかった。氏の全身からは、レンブラントの描いたある種の人物、たとえばシックス市長のような人物の、人あたりがよくて気前のいい魅力をつくる威厳あるやさしさが醸し出されていた。ドレフェス事件におけるスワンの振る舞いが同義にもとることを公爵が疑問の余地はないと感じたのは、それほど自明の理だったからである。公爵がこの件で感じていた深い悲しみは、きわめて大きな犠牲を払ってその教育に精魂を傾けた子供のひとりが、お膳立てしてやった立派な地位をみずから踏みにじり、一家の方針や先入観からすればとうてい許容できない無分別な行動で、尊敬されてきた家名に泥を塗るのを目の当たりにした父親の悲しみである」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.185~186」岩波文庫 二〇一五年)
プルーストと父親との対立がいかに深く、もはや和解の余地のない次元に立ち至っていたか。この箇所を見ればよくわかるのである。ところがしかしプルーストはその対立構造をあくまでも作品中のゲルマント侯爵とスワンとの関係として描いている。だから、ここまでそっくりであるにもかかわらずバルトのいう「作者の死」は貫かれている。
「われわれは今や知っているが、テクストとは、一列に並んだ語から成り立ち、唯一のいわば神学的な意味(つまり、『作者=神』の《メッセージ》ということになろう)を出現させるものではない。テクストとは多次元の空間であって、そこではさまざまなエクリチュールが、結びつき、異議をとなえあい、そのどれもが起源となることはない。テクストとは、無数にある文化の中心からやって来た引用の織物である」(バルト「作者の死」『物語の構造分析・P.85~86』みすず書房 一九七九年)
さらにドレフェス裁判の進行とともに、まったく同じ人々が反ドレフェス派になったり逆にドレフェス派になったりころころ立場を変更する。なぜそんなことができてしまえるのか。というより、できてしまえるのである。それを見ないとプルーストの意図を見間違うことになるだろう。
「肉体はひとつの大きい理性である。《一つ》の意味をもった多様体、戦争であり、平和であり、畜群であり、牧人である」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第一部・肉体の軽侮者・P.50」中公文庫 一九七三年)
人間は見た目ばかりが一人の人間として映って見えているに過ぎず、内的には多数性であって、それはあたかも「《一つ》の意味をもった多様体、戦争であり、平和であり、畜群であり、牧人である」と。
BGM1
BGM2
BGM3
「『でもスワンについては、率直に言ってあの男どもにたいする振る舞いは言語道断でしたな。社交界でかつて私どもやシャルトル公爵の庇護を受けておきながら、ドレフェス支持を公言していると聞きますからね。あのスワンがこんなことになるとはとうてい信じられんのです、なにしろ美食家だし、現実主義者だし、蒐集家だし、古書の愛好家だし、ジョッキーの会員だし、みなの尊敬を一身に集めていたし、いい店にも通じていてよそでは飲めない最高のポルトを届けてきたし、ディレッタントだし、妻子ある男だし。いやはや、すっかりだまされましたよ。いや、私なんかどうだっていいんです、どうせ愚かな老いぼれで、そんな人間の意見なんぞ相手にしてもらえん、まあ乞食同然の身ですから。しかしオリヤーヌのためだけにでも、あんなことはすべきではなかった、受刑者を信奉する輩とユダヤ人どもを公然と非難すべきだったでしょう』」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.182」岩波文庫 二〇一五年)
妻のオリヤーヌ(ゲルマント侯爵夫人)にも同意を求める。夫人はおとなしく同意の身振りを示す。だが夫人の内面は違っていて、常々、上流社交界のサロンを上手に運営していくためにはいかなるナショナリズムも持ち込むべきではなく、また夫人自身そもそもナショナリズムを軽蔑していた。だからここではただ単に夫の顔を立てておくだけにしている。
「『もちろん家内があの男につねづね示してきた友情からすれば』とことばを継いだ公爵は、その有罪無罪について内心ではどんな意見をいだこうとも、ドレフェスを国家反逆罪で弾劾することが、フォーブール・サン=ジェルマンに受け入れてもらった恩義へのいわば感謝の表明になると考えていたのは明らかだ、『あの男は仲間とたもとを分かつべきでしたな。オリヤーヌに訊いてごらんなさい、そりゃ、あの男に心底から友情をいだいていたんですから』」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.182~183」岩波文庫 二〇一五年)
オリヤーヌ(ゲルマント侯爵夫人)はドレフェス事件をめぐって世相がナショナリズム一辺倒に傾いていることにとても敏感だったから、「自分が危険思想の持主だという烙印を押されるのが目に見えていたので、ナショナリズムには大幅な譲歩をしたうえで」、スワンについてはパーティーの後で別に「内輪で慰撫しよう」と考えていた。一方、ゲルマント侯爵のスワン非難演説は朗々と引き続く。
「『ドレフェス派といえば』と私は言った、『フォン大佐もそうだと聞きましたが』。『おっ!フォンの話をしてくださってよかった』とゲルマント氏は大きな声を出した、『うっかり忘れるところでしたよ、月曜日に晩餐に来てくれと頼まれていたのを。しかしあれがドレフェス派であろうとなかろうと私にはまったくどうでもいいことだ、なにせ外国人ですから。そんなことはちっとも気にならない。だがフランス人となると話はべつだ。たしかにスワンはユダヤ人です。しかしこんにちまで私はーーーフロベルヴィルには申し訳ないがーーーめでたいことにユダヤ人だってフランス人になりうると信じていたんです、ユダヤ人といっても、立派な、社交人士の場合ですよ。で、スワンは、これにぴったり当てはまる男でした。ところがです!私が間違っていたと認めざるをえないようなことをしてくれた。あんなドレフェス(有罪であろうが無罪であろうが、ちっともスワンの交際範囲の人間ではなく、一度も会ったことのない人間)の味方をして、自分を家族のように受け入れて身内同然に扱ってくれた社交界に楯突いたんですから』」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.183~184」岩波文庫 二〇一五年)
この中で「ユダヤ人だってフランス人になりうる」とある。ユダヤ人がヨーロッパへの融和を望んでいるとすればそれは可能だというわけだが、その点についてニーチェはこう述べている。
「ユダヤ人がその気になるならば、ーーー或いは、反ユダヤ主義者たちが欲しているかのように見えるように、ユダヤ人をそうせずにいられないように強(し)いるならば、ーーーいますぐにもヨーロッパに優勢を占め、いな、全く言葉通りにヨーロッパを支配するように《なりうる》であろうことは確実である。彼らがそれを目差して努力したり計画したりして《いない》ということも同様に確実である。当座のところ、彼らは却って、多少の厚かましさをもってしてでも、ヨーロッパのうちへ、ヨーロッパによって吸い込まれ、吸い上げられることを望み願っている。彼らは結局はどこかに定着し、許容され、是認されて、『永遠のユダヤ人』という流浪生活に終止符を打ちたいと熱望しているのだ。ーーーそれで、この動向と渇望(これは恐らくそれ自体すでにユダヤ的本能の軟弱化を示すものであろう)によく注意して、その意を迎えるようにすべきであろう。そのためには恐らく、この国の反ユダヤ主義の絶叫者どもを追放することが有益であり、正当であろう」(ニーチェ「善悪の彼岸・二五一・P.249」岩波文庫 一九七〇年)
世界中を駆け巡ることを止めてしまい逆に定着を欲する意志は、それ自体「ユダヤ的本能の軟弱化を示すもの」だとニーチェはいう。「胃」の機能に喩えられる精神的な「消化力」がもはや衰え軟弱化してきた証拠として。
「異他を同化する精神の力は、新しいものを古いものと相似にし、多様を単純にし、全く矛盾するものを看過し、または押し除(の)ける強い傾向のうちに現われる。同様にまた、精神は異他的なもの、『外界』のあらゆるものの特定の画線を勝手に強調したり、際立(きわだ)たせたり、適当に変造したりする。その際に精神の意図するところは、新しい『経験』を消化し、新しい事物を古い系列に編入すること、ーーー従って成長することにある。更に明確に言えば、成長の《感情》、増大した力の感情にある。この同じ意志に、精神の一見して反対の衝動も奉仕する。無知を求め、勝手に閉じ籠(こ)もろうとする突然に勃発する決意とか、自己の窓の閉鎖とか、この或いはあの事物に対する内的な否定的発言とか、近寄ることの禁止とか、多くの知りうるものに対する一種の防御状態とか、暗黒や閉ざされた地平に対する満足とか、無知に対する肯定と是認など、すべて同然である。これらすべては、精神の同化力の程度に応じて、具象的に言えば、精神の『消化力』の度合いに応じて、それぞれ必要なのである。ーーーそれで、実際『精神』は最もよく胃に似たものなのだ」(ニーチェ「善悪の彼岸・二三〇・P.213~214」岩波文庫 一九七〇年)
この箇所でゲルマント侯爵はドレフェス派を表明したスワンをこっぴどく非難するわけだが、後になって読者はゲルマント侯爵がころりと立場を翻してドレフェス支持にまわることを知っている。ではなぜドレフェス事件をめぐってドレフェス派を表明したスワンを徹底的に弾劾しているのか。ユダヤ系かつ社交界の一員であるスワンの位置とユダヤ系かつ「父親」と激しく対立するプルーストの位置とが重ね合わされている点を見ないわけにはいかない。ゲルマント侯爵の心情について「公爵がこの件で感じていた深い悲しみは」ーーー「尊敬されてきた家名に泥を塗るのを目の当たりにした父親の悲しみである」と。
「『仕方ありません、愛は愛なんですから。ただ私に言わせると愛も然るべき則(のり)を越えてはいけない。そりゃ私だって、若い者、はなたれ小僧が、夢物語に等しいものにのぼせあがるのは、まだ許せますよ。ところがスワンは、頭のいい大のおとなで、確かな気遣いもでき、絵には目利きで、シャルトル公爵やジルベール本人とも親しい人間ですからね!』。もっとも、こう言ったときのゲルマント氏の口調はじつに感じのいいもので、氏に頻繁に見受けられる俗悪なところは微塵もなかった。氏の全身からは、レンブラントの描いたある種の人物、たとえばシックス市長のような人物の、人あたりがよくて気前のいい魅力をつくる威厳あるやさしさが醸し出されていた。ドレフェス事件におけるスワンの振る舞いが同義にもとることを公爵が疑問の余地はないと感じたのは、それほど自明の理だったからである。公爵がこの件で感じていた深い悲しみは、きわめて大きな犠牲を払ってその教育に精魂を傾けた子供のひとりが、お膳立てしてやった立派な地位をみずから踏みにじり、一家の方針や先入観からすればとうてい許容できない無分別な行動で、尊敬されてきた家名に泥を塗るのを目の当たりにした父親の悲しみである」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.185~186」岩波文庫 二〇一五年)
プルーストと父親との対立がいかに深く、もはや和解の余地のない次元に立ち至っていたか。この箇所を見ればよくわかるのである。ところがしかしプルーストはその対立構造をあくまでも作品中のゲルマント侯爵とスワンとの関係として描いている。だから、ここまでそっくりであるにもかかわらずバルトのいう「作者の死」は貫かれている。
「われわれは今や知っているが、テクストとは、一列に並んだ語から成り立ち、唯一のいわば神学的な意味(つまり、『作者=神』の《メッセージ》ということになろう)を出現させるものではない。テクストとは多次元の空間であって、そこではさまざまなエクリチュールが、結びつき、異議をとなえあい、そのどれもが起源となることはない。テクストとは、無数にある文化の中心からやって来た引用の織物である」(バルト「作者の死」『物語の構造分析・P.85~86』みすず書房 一九七九年)
さらにドレフェス裁判の進行とともに、まったく同じ人々が反ドレフェス派になったり逆にドレフェス派になったりころころ立場を変更する。なぜそんなことができてしまえるのか。というより、できてしまえるのである。それを見ないとプルーストの意図を見間違うことになるだろう。
「肉体はひとつの大きい理性である。《一つ》の意味をもった多様体、戦争であり、平和であり、畜群であり、牧人である」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第一部・肉体の軽侮者・P.50」中公文庫 一九七三年)
人間は見た目ばかりが一人の人間として映って見えているに過ぎず、内的には多数性であって、それはあたかも「《一つ》の意味をもった多様体、戦争であり、平和であり、畜群であり、牧人である」と。
BGM1
BGM2
BGM3