<私>の目にふと、シャルリュスの同性愛相手ヴォーグーベールの姿が入った。エリート外務官僚である。シャルリュスと「同様の欠点をいくつか備えていたとしても、それをごく淡く反映していたにすぎない」とある。
シャルリュスの会話は同性愛者だと悟られるのを極度に怖れるがゆえ誰を相手にしても押して押して押してまくることで完全な男であり決して同性愛者ではないと信じ込ませる特徴があるが、ヴォーグーベールの場合、会話中に話し相手に見せる「共感と憎悪の交錯」はずっと穏やかでストイックなため、逆にあわあわとして感傷的に受け取られてしまう。礼儀正しいといえばいえるわけだが、その過剰なほど紳士的過ぎる態度がヴォーグーベールの意に反してヴォーグーベールの心からの本当の性を周囲に漏らしてしまうことになる。
「ヴォーグーベール氏が、若いときのどのようなできごとの結果として、シャルリュス氏とはソドムの国で『昵懇(じっこん)の仲』と社交界で言われる仲間内(もしかすると唯一の人)になったかは、この書物全体のバランスからしてここで説明している余裕はない。しかしテオドシウス王のもとに派遣されたフランス公使が、男爵と同様の欠点をいくつか備えていたとしても、それをごく淡く反映していたにすぎない」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.108~109」岩波文庫 二〇一五年)
この「欠点」というのは通例でいう欠点のうちに入ることはほとんどない。だがシャルリュスと比較した場合に限り「ヴォーグーベール氏のしめす共感と憎悪の交錯は、ずっと穏やかで、感傷的な、間の抜けた形であらわれ」ることになる。プルーストは「氏の知的無能」といってかなり辛辣な言葉を与えている。
「男爵の場合、相手を魅了したいという欲望をいだいても、軽蔑されないまでも正体を見破られるのではないかというーーーこれまた身勝手な想いこみのーーー危惧をおぼえ、それゆえ共感と憎悪が交互におもてに出てしまうが、ヴォーグーベール氏のしめす共感と憎悪の交錯は、ずっと穏やかで、感傷的な、間の抜けた形であらわれた。ヴォーグーベール氏の禁欲と『プラトニックな愛情』ゆえに(大の野心家であった氏は、外交官試験を受ける年齢のときから、あらゆる欲望を犠牲にしてこの二点を守っていた)、とりわけ氏の知的無能ゆえに、そうした共感と憎悪の交錯は滑稽なものになっていたとはいえ、とにかく氏もそんな交錯をあらわにしていた」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.109」岩波文庫 二〇一五年)
ヴォーグーベールの「知的無能」。どんな意味でか。プルーストは述べる。「共感の表明はいかにも下らない人間や上流社交界人士やお役人が言いそうな平々凡々たるもので、不平の表明は(男爵の場合と同じくたいていは完全なでっちあげであったが)才気を欠いた絶えざる悪意から出たもので、その悪意たるや、行使が六ヶ月前に口にし、しばらくするとふたたび口にする可能性のある言い分とつねに食い違うだけに、なおさら人びとの顰蹙を買ってしまう」というのだが、プルーストが強調したがっているのはその直後に続く次の一節に違いない。「このような変化のなかに認められる規則正しさは、ヴォーグーベール氏の生涯のさまざまな局面にほとんど天体の運行にも通じる詩情を与えていたが、それをべつにするとこれほど天体を想わせない人間もいなかった」。アルベルチーヌたち一団のことを「星雲」にたとえたプルーストはヴォーグーベールが「天体」を想わせないことに大層失望していたようだ。
しかし実務面で有能なヴォーグーベールは外務省の高級官僚なので当然外務省が職場である。そこでは次のような評判を得ていた。「この夫婦はスカートをはいているのが旦那で、半ズボンをはいているのが奥さん、と言われていた」。夫が女性で妻が男性というケース。
「外務省では、べつに悪意をこめたわけではないが、この夫婦はスカートをはいているのが旦那で、半ズボンをはいているのが奥さん、と言われていた。ところがこの指摘には、人が思っていた以上の真実が含まれていた。ヴォーグーベール夫人は男だったのである。ずっと以前から男だったのか、それともしだいに今のような男のすがたになったのか、それはどうでもよい。どちらの場合でも、人は自然のきわめて感動的な奇跡のひとつに立ち会っていると言うべきで、とりわけ後者の場合、人間界を植物界と似たものとする奇跡なのである」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.115」岩波文庫 二〇一五年)
プルーストは「自然のきわめて感動的な奇跡」だという。しかしそのどこが「奇跡」なのか。「人間界を植物界と似たものとする奇跡」である。人間は人間の姿のままで植物を横断〔通過〕する。<私>に幽閉・監禁されたアルベルチーヌが「蔓性植物マルバアサガオ」と化したように。
「なにかを取りにゆく口実を設けていっとき部屋を出て、そのあいだアルベルチーヌを私のベッドに横にならせておいた。戻ってみるとアルベルチーヌはもう眠っていて、私が目の当たりにしたのは、本人が完全に正面を向くとそうなるべつの女性であった。といってもアルベルチーヌはたちまちその個性を変えてしまう。私がそのそばに横になって、ふたたび横顔を見るからだ。私がその手をとったり肩や頬のうえに私の手を置いたりするのも自由自在で、アルベルチーヌはあいかわらず眠っている。その顔をかかえて乱暴に向きを変え、その顔を私の唇に押しあてたり、その両腕を私の首に巻きつけたりしても相も変わらず眠っているさまは、まるで止まらずに時を刻みつづける時計のようでも、どんな姿勢をとらせても生きつづける動物のようでも、どんな支柱を与えてもそこに蔓(つる)を伸ばしつづける蔓性植物マルバアサガオのようでもあった」(プルースト「失われた時を求めて10・第五篇・一・P.243~244」岩波文庫 二〇一六年)
夫の女性化とともに逆に男性化したヴォーグーベール夫人。「注意深く私を見つめている」。
「夫人が興味と好奇心をいだいて私をまじまじと見つめているのを感じた。どうやら私のことをヴォーグーベール氏が気に入りそうな若者、夫が歳をとって若者を愛するようになった今では夫人自身がそうなりたいと願わずにはいられない若者のひとりと見ているらしい。夫人は、まるで田舎の婦人たちが、流行のブティックのカタログを見て、そこに描かれた美人(実際にはどのページにも同じ人物が出てくるのだが、ポーズを変えて多様な衣装を着ているとべつの女性がたくさん描かれているように錯覚する)によく似合うテイラードドレスと同じ格好をしたいと夢みるときのように、注意深く私を見つめている」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.118」岩波文庫 二〇一五年)
不意に<私>は<私>の身体から強すぎる「植物的な力」が発散されていることに気づく。もはや男性化している夫人は「私の腕を握って、オレンジエードを飲みに行きましょうと言った」。
「そのときヴォーグーベール夫人を私のほうへ惹きつける植物的な力が強すぎたのか、夫人はついには私の腕を握って、オレンジエードを飲みに行きましょうと言った」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.118」岩波文庫 二〇一五年)
<私>は済まさねばならない挨拶をまだ済ませていないと言い張って夫人から解放してもらった。さてそこで、プルーストの問いかけはもはや明らかだろう。「人間は人間の姿のままで植物を横断〔通過〕することができる」ということに違いない。
BGM1
BGM2
BGM3
シャルリュスの会話は同性愛者だと悟られるのを極度に怖れるがゆえ誰を相手にしても押して押して押してまくることで完全な男であり決して同性愛者ではないと信じ込ませる特徴があるが、ヴォーグーベールの場合、会話中に話し相手に見せる「共感と憎悪の交錯」はずっと穏やかでストイックなため、逆にあわあわとして感傷的に受け取られてしまう。礼儀正しいといえばいえるわけだが、その過剰なほど紳士的過ぎる態度がヴォーグーベールの意に反してヴォーグーベールの心からの本当の性を周囲に漏らしてしまうことになる。
「ヴォーグーベール氏が、若いときのどのようなできごとの結果として、シャルリュス氏とはソドムの国で『昵懇(じっこん)の仲』と社交界で言われる仲間内(もしかすると唯一の人)になったかは、この書物全体のバランスからしてここで説明している余裕はない。しかしテオドシウス王のもとに派遣されたフランス公使が、男爵と同様の欠点をいくつか備えていたとしても、それをごく淡く反映していたにすぎない」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.108~109」岩波文庫 二〇一五年)
この「欠点」というのは通例でいう欠点のうちに入ることはほとんどない。だがシャルリュスと比較した場合に限り「ヴォーグーベール氏のしめす共感と憎悪の交錯は、ずっと穏やかで、感傷的な、間の抜けた形であらわれ」ることになる。プルーストは「氏の知的無能」といってかなり辛辣な言葉を与えている。
「男爵の場合、相手を魅了したいという欲望をいだいても、軽蔑されないまでも正体を見破られるのではないかというーーーこれまた身勝手な想いこみのーーー危惧をおぼえ、それゆえ共感と憎悪が交互におもてに出てしまうが、ヴォーグーベール氏のしめす共感と憎悪の交錯は、ずっと穏やかで、感傷的な、間の抜けた形であらわれた。ヴォーグーベール氏の禁欲と『プラトニックな愛情』ゆえに(大の野心家であった氏は、外交官試験を受ける年齢のときから、あらゆる欲望を犠牲にしてこの二点を守っていた)、とりわけ氏の知的無能ゆえに、そうした共感と憎悪の交錯は滑稽なものになっていたとはいえ、とにかく氏もそんな交錯をあらわにしていた」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.109」岩波文庫 二〇一五年)
ヴォーグーベールの「知的無能」。どんな意味でか。プルーストは述べる。「共感の表明はいかにも下らない人間や上流社交界人士やお役人が言いそうな平々凡々たるもので、不平の表明は(男爵の場合と同じくたいていは完全なでっちあげであったが)才気を欠いた絶えざる悪意から出たもので、その悪意たるや、行使が六ヶ月前に口にし、しばらくするとふたたび口にする可能性のある言い分とつねに食い違うだけに、なおさら人びとの顰蹙を買ってしまう」というのだが、プルーストが強調したがっているのはその直後に続く次の一節に違いない。「このような変化のなかに認められる規則正しさは、ヴォーグーベール氏の生涯のさまざまな局面にほとんど天体の運行にも通じる詩情を与えていたが、それをべつにするとこれほど天体を想わせない人間もいなかった」。アルベルチーヌたち一団のことを「星雲」にたとえたプルーストはヴォーグーベールが「天体」を想わせないことに大層失望していたようだ。
しかし実務面で有能なヴォーグーベールは外務省の高級官僚なので当然外務省が職場である。そこでは次のような評判を得ていた。「この夫婦はスカートをはいているのが旦那で、半ズボンをはいているのが奥さん、と言われていた」。夫が女性で妻が男性というケース。
「外務省では、べつに悪意をこめたわけではないが、この夫婦はスカートをはいているのが旦那で、半ズボンをはいているのが奥さん、と言われていた。ところがこの指摘には、人が思っていた以上の真実が含まれていた。ヴォーグーベール夫人は男だったのである。ずっと以前から男だったのか、それともしだいに今のような男のすがたになったのか、それはどうでもよい。どちらの場合でも、人は自然のきわめて感動的な奇跡のひとつに立ち会っていると言うべきで、とりわけ後者の場合、人間界を植物界と似たものとする奇跡なのである」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.115」岩波文庫 二〇一五年)
プルーストは「自然のきわめて感動的な奇跡」だという。しかしそのどこが「奇跡」なのか。「人間界を植物界と似たものとする奇跡」である。人間は人間の姿のままで植物を横断〔通過〕する。<私>に幽閉・監禁されたアルベルチーヌが「蔓性植物マルバアサガオ」と化したように。
「なにかを取りにゆく口実を設けていっとき部屋を出て、そのあいだアルベルチーヌを私のベッドに横にならせておいた。戻ってみるとアルベルチーヌはもう眠っていて、私が目の当たりにしたのは、本人が完全に正面を向くとそうなるべつの女性であった。といってもアルベルチーヌはたちまちその個性を変えてしまう。私がそのそばに横になって、ふたたび横顔を見るからだ。私がその手をとったり肩や頬のうえに私の手を置いたりするのも自由自在で、アルベルチーヌはあいかわらず眠っている。その顔をかかえて乱暴に向きを変え、その顔を私の唇に押しあてたり、その両腕を私の首に巻きつけたりしても相も変わらず眠っているさまは、まるで止まらずに時を刻みつづける時計のようでも、どんな姿勢をとらせても生きつづける動物のようでも、どんな支柱を与えてもそこに蔓(つる)を伸ばしつづける蔓性植物マルバアサガオのようでもあった」(プルースト「失われた時を求めて10・第五篇・一・P.243~244」岩波文庫 二〇一六年)
夫の女性化とともに逆に男性化したヴォーグーベール夫人。「注意深く私を見つめている」。
「夫人が興味と好奇心をいだいて私をまじまじと見つめているのを感じた。どうやら私のことをヴォーグーベール氏が気に入りそうな若者、夫が歳をとって若者を愛するようになった今では夫人自身がそうなりたいと願わずにはいられない若者のひとりと見ているらしい。夫人は、まるで田舎の婦人たちが、流行のブティックのカタログを見て、そこに描かれた美人(実際にはどのページにも同じ人物が出てくるのだが、ポーズを変えて多様な衣装を着ているとべつの女性がたくさん描かれているように錯覚する)によく似合うテイラードドレスと同じ格好をしたいと夢みるときのように、注意深く私を見つめている」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.118」岩波文庫 二〇一五年)
不意に<私>は<私>の身体から強すぎる「植物的な力」が発散されていることに気づく。もはや男性化している夫人は「私の腕を握って、オレンジエードを飲みに行きましょうと言った」。
「そのときヴォーグーベール夫人を私のほうへ惹きつける植物的な力が強すぎたのか、夫人はついには私の腕を握って、オレンジエードを飲みに行きましょうと言った」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.118」岩波文庫 二〇一五年)
<私>は済まさねばならない挨拶をまだ済ませていないと言い張って夫人から解放してもらった。さてそこで、プルーストの問いかけはもはや明らかだろう。「人間は人間の姿のままで植物を横断〔通過〕することができる」ということに違いない。
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