白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・プルースト文学と<別の価値体系>の多数性並びにその生産

2022年07月29日 | 日記・エッセイ・コラム
会場に入ることが許されなかったのかもしれないと思っていたスワンがやって来た時、<私>は思わず安堵を覚える。だが安堵のうちに或る種の「悲しみも混じっていた」。スワンの病気は思いのほか重篤化していた。「ほかの招待客たちは」スワンの急激な変貌ぶりを見て「間近に迫った死の、俗にいう顔にあらわれた死相の、想いも寄らぬ特異な形にいわば魅入られていた」。午後に見たときは以前と変わらぬスワンだった。ほんの数時間しか経っていない。にもかかわらずその顔面はもう変わり果てていた。そして「間近に迫った死」は周囲の人々たちから言葉を奪い、人々の関心を一身に引き寄せる。

「私がようやく喜んだのは、スワンが部屋にはいってきたからである。ただ部屋が非常に広いせいで、最初スワンは私に気がつかなかった。私の喜びには悲しみも混じっていたが、ほかの招待客たちは、もしかすると私と同様の悲しみを感じることはなく、むしろ間近に迫った死の、俗にいう顔にあらわれた死相の、想いも寄らぬ特異な形にいわば魅入られていたのかもしれない」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.208~209」岩波文庫 二〇一五年)

スワンはドレフェス事件に首を突っ込みすぎたと言える。とはいえスワンがユダヤ支持にせよ反ユダヤにせよドレフェス事件についていずれの陣営に立つのか表明する義務はまるでない。だが大貴族主催の上流社交界に出入りすることを許されていたスワンは社交の場で話題性が最も高いドレフェス事件について無関心を決め込むわけにはいかないと思い込んでいた。ほかの参加者はドレフェス事件そのものにではなくあくまでその話題性に乗っかってあれこれ話のたねにしていたに過ぎないが、スワンは自分がユダヤ人であるだけに身を入れて話題を義務化し立場を表明してしまう。同じユダヤ人にしてもブロックのように「二重基準」を設定し、その場その場を上手くしのいで生きていくという器用な態度を取ることができない。むしろオデットに対する愛と嫉妬で苦痛を延々と延長させて体を痛めつけているように、ドレフェス事件についてもそれと並行して自ら進んでダブルバインド(板挟み)へと突き進む。

この態度はプルースト自身と大変似ている。しかしプルーストはスワンとは逆に反ドレフェスの立場を表明していた。プルーストは「ユダヤ系・上流社交界人士・同性愛者の疑い」という三点セットを身に引き受けていたため世間から誹謗中傷の暴風雨に晒されていたが、作品と作者とは別々であり作品に語らせるという思想信条を持っていたがゆえ、作品の外で発生する場外乱闘はまた位置の異なる問題として対処した。

<私>がスワンに話を聞きにいこうとした時、たまたまそばにいたサン=ルーに呼びかけられた。サン=ルーの話を聞いているとその叔父にあたるシャルリュスとの比較は避けられない。そこで次の命題が出現する。

「遺伝や血筋による類似だけが原因だとしても、説教をする叔父が、頼まれて叱責する対象である甥とほとんど同じ欠点を備えているのは避けられないことである。ただし叔父はその説教になにも偽善をまじえているのではなく、新たな状況が生じるたびにこれは『べつの問題』だと想いこむ人間の能力にだまされているにすぎない。この能力のおかげで人間は、芸術や政治などに関するさまざまな誤謬を正しいものとして受け入れ、それが十年前、自分が糾弾していたべつの流派の絵画や、憎んで当然と信じていたべつの政治の問題などについて、そのときは真実だと想いこんでいたのと同じたぐいの誤謬であるとは気づかず、以前の誤謬は捨て去っているのに、こんどは新たな仮装ゆえにそれが類似の誤謬だとは認識できずに共鳴してしまうのである」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.213~214」岩波文庫 二〇一五年)

何らかの問題についてその内容は本来的に同一のまま変わっていないにもかかわらず「新たな状況が生じるたびにこれは『べつの問題』だと想いこむ人間の能力」。誤謬しないわけにはいかない人間。ニーチェ流にいえば<誤謬への意志>としての人間。「十年前、自分が糾弾していたべつの流派の絵画や、憎んで当然と信じていたべつの政治の問題などについて、そのときは真実だと想いこんでいたのと同じたぐいの誤謬であるとは気づかず、以前の誤謬は捨て去っているのに、こんどは新たな仮装ゆえにそれが類似の誤謬だとは認識できずに共鳴してしまう」どころか、その間、多くは言葉の暴力によってまったくの他人を何人も自殺へ追い込んでおいて平気のへいさな人間。状況は常に変化するものだが、しかし「新たな状況」はいつどこで始まるのか。「新たな仮装(仮面)」として出現するがゆえ、そのたび人間は我先にと<誤謬への意志>を発動させ誤謬と「共鳴して」安心しようとする。そこで、何度か引用してきたが他の様々なプルースト論でも多用されている例を今後も引用しなければならない。

画家ルノワールの代表作のほとんどは十九世紀後半に描かれているが、世間では「十八世紀の大画家だと言」われていた。百年の違いがある。ルノワールによる「創造されたばかりの新たな世界」は同時代人の遠近法的倒錯によって百年前の画家へ押しやられてしまう。人間はややもすればそれくらい徹底的に誤謬の側を愛する。

「ある新進作家が発表しはじめた作品では、ものとものとの関係が、私がそれを結びつける関係とはあまりにも異なるせいか、私には書いていることがほとんど理解できなかった。たとえばその作家はこう書く、『撒水管はみごとに手入れされたもろもろの街道に感嘆していた』(これはさして難しくないので、その街道沿いにすいすい進んでゆくと)『それらの街道は五分ごとにブリアンやクローデルから出てきた』。こうなるともはや私には理解できなかった。町の名が出てくるはずだと思っていたのに、人名が出てきたからである。ただし私は、出来の悪いのはこの文ではなく、私のほうに最後までゆき着くだけの体力も敏捷さも備わっていない気がした。そこでもう一度はずみをつけて、手脚も駆使して、ものとものとの新たな関係が見える地点にまで到達しようとした。そのたびに私は、文の中ほどまで来ると、のちに軍隊で梁木(りょうぼく)と呼ばれる訓練をしたときのように、ふたたび落伍した。それでもやはり私は、その新進作家にたいして、体操の成績にゼロをもらう不器用な子がずっと上手(じょうず)な子に向けるような賞賛の念をいだいた。そのころから私はベルゴットにさほど関心しなくなった。その明快さがもの足りなく思えたのだ。その昔には、フロマンタンが描くありとあらゆるものがだれにもそれとわかり、ルノワールの筆になるとなにを描いたものかわからない、といった時代もあったのである。趣味のいい人たちは、現在、ルノワールは十八世紀の大画家だと言う。しかしそう言うとき、人びとは『時間』の介在を忘れている。ルノワールが、十九世紀のさかなでさえ、大画家として認められるのにどれほど多くの時間を要したかを忘れているのである。そのように認められるのに、独創的な画家や芸術家は、眼科医と同じ方法をとる。絵画や散文によるその療法は、かならずしも快くはないが、治療が終わると、それを施した者は『さあ見てごらんなさい』と言う。すると世界は(一度だけ創造されたのではなく、独創的な芸術家があらわれるたびに何度も創造し直される)、昔の世界とはまるで異なるすがたであらわれ、すっかり明瞭に見える。通りを歩く女たちも昔の女とは違って見えるが、それはルノワールの描く女だからであり、昔はそんなものは女ではないと言われていたルノワールの描いた女だからにほかならない。馬車もルノワールの描いたものだし、水も空も同様である。われわれは、その画を最初に見たときには、どうしても森にだけは思えず、たとえばさまざまな色合いを含んではいるが森に固有の色合いだけは欠いたタピスリーに思えたものだが、そんな森と今やそっくりの森を散歩したい欲求に駆られる。創造されたばかりの新たな世界、しかしやがて滅びる世界とは、このようなものである。この世界は、さらに独創的な新しい画家や作家がつぎの地殻の大変動をひきおこすまでつづくだろう」(プルースト「失われた時を求めて6・第三篇・二・二・一・P.339~342」岩波文庫 二〇一三年)

ゴッホより早く生まれゴッホより長く生きた。第一次世界大戦終結の一九一九年まで生きている。そんなルノワールのことを指してなぜ人間はいとも短絡的に「十八世紀の大画家」だと百年分もの誤謬で置き換えることができるのか。ニーチェはいう。

「何か未知のものを何か既知のものへと還元することは、気楽にさせ、安心させ、満足させ、しかのみならず或る権力の感情をあたえる。未知のものとともに、危険、不安、憂慮があたえられるが、ーーー最初の本能は、こうした苦しい状態を《除去する》ことにつとめる。なんらかの説明は説明しないよりもましである、これが第一原則にほかならない。根本において、問題はただ圧迫する想念から脱れたいということのみにあるのだから、それから脱れる手段のことは、まともに厳密にはとらない。未知のものを既知のものとして説明してくれる最初の思いつきは、それを『真なりとみなす』ほど気持ちよいのである。真理の標識としての《快感》(「力」の証明)。ーーーそれゆえ、原因をもとめる衝動は恐怖の感情によって制約されひきおこされる。『なぜ?』という問いは、できさえすれば、原因自身のために原因をあたえるというよりは、むしろ《一種の原因》をーーー一つの安心させ、満足させ、気楽にさせる原因をあたえるであろう。何かすでに《既知のもの》、体験されたもの、回想のうちへと書きこまれているものが原因として措定されるということは、この欲求の第一の結果である。新しいもの、体験されていないもの、見知らぬものは、原因としては閉めだされる。ーーーそれゆえ、原因として探しもとめられるのは、一種の説明であるのみならず、《選りぬきの優先的な》種類の説明であり、見知らぬもの、新しいもの、体験されていないものの感情が、そこでは最も急速に最も頻繁に除去されてしまっている説明、ーーー《最も習慣的な》説明である。その結果は、一種の原因定立が、ますます優勢となり、体系へと集中化され、最後には、《支配的となりつつ》、言いかえれば、《他の》原因や説明を簡単に閉めだしつつ、立ちあらわれるということになる」(ニーチェ「偶像の黄昏」『偶像の黄昏・反キリスト者・P.62~63』ちくま学芸文庫 一九九四年)

もっと驚くべきは、人間と人間社会は今なおこの種の短絡的かつ欺瞞的操作を大々的に行なっていないかどうかの検証作業から、たびたび逃亡していないとは言い切れないことだろう。しかし誰一人何一つ見当がつかないわけでもない。社会的規模で行われる短絡的かつ欺瞞的操作、わけても政治的操作の場合、際立って目立つという特徴がある。目立つにもかかわらず人間特有の<誤謬への意志>を利用することで出現する諸条件の上にあぐらをかくという余りにも横着な身振りゆえ、その横着さがさらなる横着さを呼び込み、副作用として破竹の勢いでテロリスト育成の地盤を提供することになる。

ニーチェがいうように、本来なら、残酷さの源泉たる官能的欲望を芸術へ置き換えて「醜い原理」に抵抗させ回避させることに希望を求めることができていたし、今なお十分有効性を発揮している。なのになぜ再び三たび、人間の弱点たる<誤謬への意志>を利用して短絡的かつ欺瞞的操作に手を染めようとする人々が後を絶たないのか。

「《宗教上の》悲惨は、現実的な悲惨の《表現》でもあるし、現実的な悲惨にたいする《抗議》でもある。宗教は、抑圧された生きものの嘆息であり、非情な世界の心情であるとともに、精神を失った状態の精神である。それは民衆の《阿片》である。民衆の《幻想的な》幸福である宗教を揚棄することは、民衆の《現実的な》幸福を要求することである。民衆が自分の状態についてもつ幻想を棄てるよう要求することは、《それらの幻想を必要とするような状態を棄てるよう要求すること》である。したがって、宗教の批判は、宗教を《後光》とするこの《涙の谷[現世]への批判の萌し》をはらんでいる」(マルクス「ヘーゲル法哲学批判序説」『ユダヤ人問題によせて/ヘーゲル法哲学批判序説・P.72~73』岩波文庫 一九七四年)

そうマルクスのいうように現実社会の根本的改革がなされない限り、正解を目指して誤謬へ陥るほかないといういつもの病気を何度も繰り返し反復せずにはおかない条件が揃っている。その意味でプルーストの文学は<唯一の価値>という神話を解体し、<別の価値体系>の多数性を見せつけるばかりか生産もしていくことで、重要な「ずれ」(差異)の存在を常に指し示してやまない。

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