小津安二郎監督「晩春」の中に「制度としての顔」を一挙に無効化させてしまう場面がある。娘役の原節子が結婚することを決心し父親役の笠智衆とともに京都へ記念の観光に訪れた際、二人は宿で「性を異にする親子が並んで眠るという状況」へ難なく入っていく。有名なシーンだ。この時、原節子の表情はあたかも無言劇のように転変する。その変幻自在ぶりは諸商品の無限の系列のように置き換えられていくアルベルチーヌそっくりと言わねばならない。蓮実重彦はいう。
「性を異にする親子が並んで眠るという状況は、小津にあってはきわめてまれなのである。しかも、その二人ともが結婚をひかえた身であるという点を考慮してみるなら、原節子をはじめて主演女優に迎えた小津安二郎は、きわめて猥褻な主題に直面していることになる。事実、ここには、性がまぎれもなく露呈されているのだ。放埒な性的衝動を楽しむ姿など想像しがたい笠智衆の表情にもかかわらず、娘の姿態が、性的な欲望の震えをあからさまに伝えているのである。もちろん、卑猥な細部の介入は周到に避けられているが、同じ寝室を共有しえた父に向って、枕にのせた顔を天井に向けて語りかける娘の視線は、この瞬間をいつまでも長引かせたい期待に潤っている」(蓮実重彦「監督 小津安二郎・終章・P.330」ちくま学芸文庫 二〇一六年)
小津映画では異例なシチュエーション。ところがその異例さをとっとと消去して容易な場面へ変換することを可能にし、また観客の側にもそれを異例と感じさせないのは「東京物語」と同じく<場所移動>という「ハレの場面」だからにほかならない。そして蓮見重彦の指摘通り「卑猥な細部の介入は周到に避けられている」。プルーストはシャルリュスの言動をこう描いた。
「氏は、みずから巧妙と信じるこんなことばで、うわさが流れているとはつゆ知らぬ人たちにはそのうわさを否定し(というか、本当らしく見せたいという嗜好や措置や配慮ゆえに、些細なことにすぎないとみずから判断して真実の一端をつい漏らしてしまい)、一部の人たちからは最後の疑念をとりのぞき、いまだなんの疑念もいだいていない人たちには最初の疑念を植えつけたのである。というのも、あらゆる隠匿でいちばん危険なのは、過ちを犯した当人が自分の心中でその過ち自体を隠匿しようとすることである。当人がその過ちをたえず意識するせいで、ふつう他人はそんな過ちには気づかず真っ赤な嘘のほうをたやすく信じてしまうことにはもはや想い至らず、それどころか、自分ではなんの危険もないと信じることばのなかにどの程度の真実をこめれば他人には告白と受けとられるのか見当もつかないのだ」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.264」岩波文庫 二〇一五年)
というふうに「晩春」では「卑猥な細部の介入は周到に避け」ようとせんがため、その代補として、いきなり映し出されるのが「壺の画面」だ。なぜ「壺」でなければならないか。これっぽっちも必然性がないのだが。首を傾げたくなるほどまるで必然性を欠いたまま映像は月明かりに照らし出されてじっとうずくまる「壺の画面」へ切り換えられる。
「だが、『晩春』の宿で父と娘との間に起こったことがらを、父親の悲哀といった文脈で理解することは、『壺の画面』を『風流』だの『もののあわれ』といった言葉で要約するのにおとらず、抽象的な姿勢でしかないだろう。ここで深く悲しんでいるのは、まぎれもなく娘の方だからである。それは心情的な悲しみでもあると同時に、自分でも対処しきれぬ父親への愛を無理に抑圧せざるをえない欲望の死としての痛みでもあるだろう。事実、意識しがたいほどの多くのことを訴えかけようとする原節子の瞳は、笠智衆自身が善意からではあろうが、捉われている父親の悲哀といった『紋切型』そのものへの理不尽な憤りに、あやしいまでの艶を帯びている。そして、結婚による娘の幸福という『神話』によって武装した父親の機械的な反応を前にして、ついに一つの諦念に達する。彼女にとっての結婚とは、『紋切型』の犠牲者としての自分をうけいれ、それを演じてみせることにほかならない」(蓮実重彦「監督 小津安二郎・終章・P.336」ちくま学芸文庫 二〇一六年)
おまけに「壺の画面」では笠智衆のものらしき「いびき」の音がわざとらしく挿入されているため逆にますます「卑猥な細部の介入は周到に避けられている」としか思えなくなる。だがそれはそれとして蓮見重彦はここで「制度としての結婚」が不埒な欲望を押し切ったかのように書いている。なるほどそう考えることはできはする。しかしもう少し突っ込んで考えてみなくては言葉足らずに陥ってしまうだろう。というのは「制度としての結婚」という「法」によって原節子の欲望をきれいさっぱり蹴散らしたと考えるだけでは、ステレオタイプ(紋切型)の暴力を炙り出した映画ではないかという疑問を呈するに留まってしまう危険があるからである。それだけではただ単に「小津映画」=「ホームドラマ<神話>」を解体したに過ぎない。
カフカ「審判」でKを裁く任務を受けた審理官の机の上には何が置かれていただろうか。三文ポルノ雑誌の切り抜きである。
「『なんて汚いんだここじゃ何も彼(か)も』、とKは頭をふりふり言った、女はKが本に手を出すまえに、前掛けで、少くとも上っつらの埃(ほこり)だけははらいのけた。Kが一番上の本を開くと一枚のいかがわしい絵があらわれた。男と女が裸で寝椅子(ねいす)に腰をおろしている絵で、絵描(えか)きの卑(いや)しい意図ははっきりと見てとれたが、絵があまりにも拙劣なので、結局は要するに一人の男と一人の女がーーーあまりにもからだばかり画面からとび出していて、極度にしゃっちょこばって坐(すわ)っていて、誤った遠近法のためにやっとのことで並んで向きあっている男と女が、見てとれるというだけのものであった。Kはそれ以上めくるのをやめて、二冊目の本は扉(とびら)だけ開けてみた、それは『グレーテが夫ハンスより受けし苦しみ』という題名の小説だった。『これがここで学ばれる法律書というわけだ』、とKは言った、『そんな人間どもにぼくは裁かれるってわけだ』」(カフカ「審判・人気のない法廷で・大学生・裁判所事務室・P.84」新潮文庫 一九九二年)
「法-制度」のあるはずのところに実は「欲望」がある。そう知らしめたのはカフカの功績だ。小津映画「晩春」でも「結婚-制度」のあるところに実は世間の常識とはまた<別の価値体系>を持つ「欲望」があったと観客は理解できよう。
そしてとうとう原節子を嫁に出した笠智衆。大学教授という地位であって今後、個人としては老いを迎えることになる。映画はそこで終わる。だが小津が足を踏み入れた「制度(紋切型)」と「欲望」とのただならぬ関係という主題は終わらない。むしろ無造作な終幕とともに観客の側へ丸投げされる。原節子を失った笠智衆は「老境へ参入していく大学教授の顔」として、またしても「顔」として生きていくほかない。淡々とした笠智衆は何一つ語らないが。
蓮実重彦は「小津映画」=「ホームドラマ<神話>」を解体した。しかし淡々とした映像の流れの中で目に見えない「欲望」の<流れ>はどう動きどのような居場所を発見するだろうか。
老境を迎えた「晩春」後の大学教授、とでも言うべき小説がある。川端康成「眠れる美女」がそうだ。登場人物「江口」は六十七歳の老人である。
「江口は目をさますはずのない娘の目をさますのをおそれて、静かにはいった。娘はなにひとつ身につけていないようだった。しかも娘は老人のはいってきたけはいに胸をすくめるとか、腰をちぢめるとかのけぶりもなかった。よく眠っているにしても、若い女にはさとい反射が起きそうなものだが、世の常の眠りではないのだろうと、江口はかえって娘の肌にふれることをさけるように身をのばした。娘は膝(ひざ)がしらを少し前へ折り出しているので、江口のあしは窮屈だった。左下に寝た娘は右膝を左膝の上に前へ重ねるという、守る姿ではなく、右膝をうしろにひらいて、右あしはのびしきっているらしいのだが、江口は見ないでもわかった。左寝の肩の角度と腰の角度とは胴の傾きでちがって来ているようである。娘の身のたけはそう長くないらしかった。さきほど江口老人が握って振ってみた、娘の手のさきにも眠りは深くて、江口が放したままの形でそこに落ちていた。老人が自分の枕をひくと、娘の手はその枕のはしからまた落ちた。江口は枕に片肘(かたひじ)突いて娘の手をながめながら、『まるで生きているようだ』とつぶやいた。生きていることはもとより疑いもなく、それはいかにも愛らしいという意味のつぶやきだったのだが、口に出してしまってから、その言葉が気味悪いひびきを残した。なにもわからなく眠らせられた娘はいのちの時間を停止してはいないまでも喪失して、底のない底に沈められているのではないか。生きた人形などというものはないから、生きた人形になっているのではないが、もう男でなくなった老人に恥ずかしい思いをさせないための、生きたおもちゃにつくられている。いや、おもちゃではなく、そういう老人たちにとっては、いのちそのものなのかもしれない」(川端康成「眠れる美女・P.16~17」新潮文庫 一九六七年)
そこで一度立ち止まらねばならない。「眠れる美女」で描かれた会員制クラブのような特別な「家」は、「晩春」後の大学教授向けに用意された、資本主義のための「公理系」〔整流器〕の一つにほかならない。そして原節子は「制度としての結婚」に屈したが、その後、これまた資本主義のための「公理系」〔整流器〕の一つである「家族制度」を再生産することになる。
「家庭は欲望の生産の中に導入されて、最も幼いころから欲望のおきかえを⦅つまり信じられないような欲望の抑圧を⦆操作することになる。家庭は、社会的生産によって、抑圧に派遣されるのである。ところで、家庭がこうして欲望の登録の中にすべりこむことができるのは、先にみたように、この登録が行われる器官なき身体が既に自分自身において欲望する生産に対する《根源的な抑圧》を行使しているからである。この根源的な抑圧を利用してこれに《いわゆる二次的な抑圧》を重ねることが、家庭の仕事なのである。この二次的な抑圧は、家庭に委托されているのだとも、あるいは家庭がこの抑圧に派遣されているのだともいってもいい。(精神分析は、この一次、二次の二つの抑圧の間の相違をいみじくも指摘したが、しかしこの相違の有効範囲とこの両抑圧の体制の区別を示すには至っていない)。したがって、いわゆる抑圧は、実在する欲望する生産を抑圧することに満足せず、この抑圧されたものに、みかけのおきかえられたイマージュを与えて、家庭的登録をもって欲望の登録の代りとしてしまうことになる。欲望する生産の集合が、周知のオイディプス的形象をとることになるのは、この欲望する生産が家庭的に翻訳されている場合でしかないのだ。つまり、<背信の翻訳>の場合でしかない」(ドゥルーズ=ガタリ「アンチ・オイディプス・第二章・P.151~152」河出書房新社 一九八六年)
京都の宿の夜に原節子が見せた謎に満ちた「顔」は、脱領土化された自分固有の欲望にもかかわらず結婚によって「再-領土化」される生贄としての「顔」であるだけでなく、「欲望としての資本主義」が欲望する「公理系」〔整流器〕の一つへ流し込まれる部品として加工=変造される女性の、耐え難い苦痛というもう一つの「顔」だったのではないかと思うのである。ところが原節子の「欲望としての顔」の側は健闘むなしく、いともあっけなく資本主義の濁流の中へ叩き込まれ組み込まれてしまった。蓮実重彦によってようやく脱コード化された「小津映画」=「ホームドラマ<神話>」。と思われた次の瞬間、「晩春」自体が「東京物語」や「秋刀魚の味」同様、「商品-小津」=「ホームドラマ<神話>としての小津映画とその解体」として流通することになり今なお流通している。しかし小津映画の魅力は遥かにほかのところにある。というのは小津映画の場合、映画の中で事件が起こるというより、<映画という事件>のまま流通するからである。
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「性を異にする親子が並んで眠るという状況は、小津にあってはきわめてまれなのである。しかも、その二人ともが結婚をひかえた身であるという点を考慮してみるなら、原節子をはじめて主演女優に迎えた小津安二郎は、きわめて猥褻な主題に直面していることになる。事実、ここには、性がまぎれもなく露呈されているのだ。放埒な性的衝動を楽しむ姿など想像しがたい笠智衆の表情にもかかわらず、娘の姿態が、性的な欲望の震えをあからさまに伝えているのである。もちろん、卑猥な細部の介入は周到に避けられているが、同じ寝室を共有しえた父に向って、枕にのせた顔を天井に向けて語りかける娘の視線は、この瞬間をいつまでも長引かせたい期待に潤っている」(蓮実重彦「監督 小津安二郎・終章・P.330」ちくま学芸文庫 二〇一六年)
小津映画では異例なシチュエーション。ところがその異例さをとっとと消去して容易な場面へ変換することを可能にし、また観客の側にもそれを異例と感じさせないのは「東京物語」と同じく<場所移動>という「ハレの場面」だからにほかならない。そして蓮見重彦の指摘通り「卑猥な細部の介入は周到に避けられている」。プルーストはシャルリュスの言動をこう描いた。
「氏は、みずから巧妙と信じるこんなことばで、うわさが流れているとはつゆ知らぬ人たちにはそのうわさを否定し(というか、本当らしく見せたいという嗜好や措置や配慮ゆえに、些細なことにすぎないとみずから判断して真実の一端をつい漏らしてしまい)、一部の人たちからは最後の疑念をとりのぞき、いまだなんの疑念もいだいていない人たちには最初の疑念を植えつけたのである。というのも、あらゆる隠匿でいちばん危険なのは、過ちを犯した当人が自分の心中でその過ち自体を隠匿しようとすることである。当人がその過ちをたえず意識するせいで、ふつう他人はそんな過ちには気づかず真っ赤な嘘のほうをたやすく信じてしまうことにはもはや想い至らず、それどころか、自分ではなんの危険もないと信じることばのなかにどの程度の真実をこめれば他人には告白と受けとられるのか見当もつかないのだ」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.264」岩波文庫 二〇一五年)
というふうに「晩春」では「卑猥な細部の介入は周到に避け」ようとせんがため、その代補として、いきなり映し出されるのが「壺の画面」だ。なぜ「壺」でなければならないか。これっぽっちも必然性がないのだが。首を傾げたくなるほどまるで必然性を欠いたまま映像は月明かりに照らし出されてじっとうずくまる「壺の画面」へ切り換えられる。
「だが、『晩春』の宿で父と娘との間に起こったことがらを、父親の悲哀といった文脈で理解することは、『壺の画面』を『風流』だの『もののあわれ』といった言葉で要約するのにおとらず、抽象的な姿勢でしかないだろう。ここで深く悲しんでいるのは、まぎれもなく娘の方だからである。それは心情的な悲しみでもあると同時に、自分でも対処しきれぬ父親への愛を無理に抑圧せざるをえない欲望の死としての痛みでもあるだろう。事実、意識しがたいほどの多くのことを訴えかけようとする原節子の瞳は、笠智衆自身が善意からではあろうが、捉われている父親の悲哀といった『紋切型』そのものへの理不尽な憤りに、あやしいまでの艶を帯びている。そして、結婚による娘の幸福という『神話』によって武装した父親の機械的な反応を前にして、ついに一つの諦念に達する。彼女にとっての結婚とは、『紋切型』の犠牲者としての自分をうけいれ、それを演じてみせることにほかならない」(蓮実重彦「監督 小津安二郎・終章・P.336」ちくま学芸文庫 二〇一六年)
おまけに「壺の画面」では笠智衆のものらしき「いびき」の音がわざとらしく挿入されているため逆にますます「卑猥な細部の介入は周到に避けられている」としか思えなくなる。だがそれはそれとして蓮見重彦はここで「制度としての結婚」が不埒な欲望を押し切ったかのように書いている。なるほどそう考えることはできはする。しかしもう少し突っ込んで考えてみなくては言葉足らずに陥ってしまうだろう。というのは「制度としての結婚」という「法」によって原節子の欲望をきれいさっぱり蹴散らしたと考えるだけでは、ステレオタイプ(紋切型)の暴力を炙り出した映画ではないかという疑問を呈するに留まってしまう危険があるからである。それだけではただ単に「小津映画」=「ホームドラマ<神話>」を解体したに過ぎない。
カフカ「審判」でKを裁く任務を受けた審理官の机の上には何が置かれていただろうか。三文ポルノ雑誌の切り抜きである。
「『なんて汚いんだここじゃ何も彼(か)も』、とKは頭をふりふり言った、女はKが本に手を出すまえに、前掛けで、少くとも上っつらの埃(ほこり)だけははらいのけた。Kが一番上の本を開くと一枚のいかがわしい絵があらわれた。男と女が裸で寝椅子(ねいす)に腰をおろしている絵で、絵描(えか)きの卑(いや)しい意図ははっきりと見てとれたが、絵があまりにも拙劣なので、結局は要するに一人の男と一人の女がーーーあまりにもからだばかり画面からとび出していて、極度にしゃっちょこばって坐(すわ)っていて、誤った遠近法のためにやっとのことで並んで向きあっている男と女が、見てとれるというだけのものであった。Kはそれ以上めくるのをやめて、二冊目の本は扉(とびら)だけ開けてみた、それは『グレーテが夫ハンスより受けし苦しみ』という題名の小説だった。『これがここで学ばれる法律書というわけだ』、とKは言った、『そんな人間どもにぼくは裁かれるってわけだ』」(カフカ「審判・人気のない法廷で・大学生・裁判所事務室・P.84」新潮文庫 一九九二年)
「法-制度」のあるはずのところに実は「欲望」がある。そう知らしめたのはカフカの功績だ。小津映画「晩春」でも「結婚-制度」のあるところに実は世間の常識とはまた<別の価値体系>を持つ「欲望」があったと観客は理解できよう。
そしてとうとう原節子を嫁に出した笠智衆。大学教授という地位であって今後、個人としては老いを迎えることになる。映画はそこで終わる。だが小津が足を踏み入れた「制度(紋切型)」と「欲望」とのただならぬ関係という主題は終わらない。むしろ無造作な終幕とともに観客の側へ丸投げされる。原節子を失った笠智衆は「老境へ参入していく大学教授の顔」として、またしても「顔」として生きていくほかない。淡々とした笠智衆は何一つ語らないが。
蓮実重彦は「小津映画」=「ホームドラマ<神話>」を解体した。しかし淡々とした映像の流れの中で目に見えない「欲望」の<流れ>はどう動きどのような居場所を発見するだろうか。
老境を迎えた「晩春」後の大学教授、とでも言うべき小説がある。川端康成「眠れる美女」がそうだ。登場人物「江口」は六十七歳の老人である。
「江口は目をさますはずのない娘の目をさますのをおそれて、静かにはいった。娘はなにひとつ身につけていないようだった。しかも娘は老人のはいってきたけはいに胸をすくめるとか、腰をちぢめるとかのけぶりもなかった。よく眠っているにしても、若い女にはさとい反射が起きそうなものだが、世の常の眠りではないのだろうと、江口はかえって娘の肌にふれることをさけるように身をのばした。娘は膝(ひざ)がしらを少し前へ折り出しているので、江口のあしは窮屈だった。左下に寝た娘は右膝を左膝の上に前へ重ねるという、守る姿ではなく、右膝をうしろにひらいて、右あしはのびしきっているらしいのだが、江口は見ないでもわかった。左寝の肩の角度と腰の角度とは胴の傾きでちがって来ているようである。娘の身のたけはそう長くないらしかった。さきほど江口老人が握って振ってみた、娘の手のさきにも眠りは深くて、江口が放したままの形でそこに落ちていた。老人が自分の枕をひくと、娘の手はその枕のはしからまた落ちた。江口は枕に片肘(かたひじ)突いて娘の手をながめながら、『まるで生きているようだ』とつぶやいた。生きていることはもとより疑いもなく、それはいかにも愛らしいという意味のつぶやきだったのだが、口に出してしまってから、その言葉が気味悪いひびきを残した。なにもわからなく眠らせられた娘はいのちの時間を停止してはいないまでも喪失して、底のない底に沈められているのではないか。生きた人形などというものはないから、生きた人形になっているのではないが、もう男でなくなった老人に恥ずかしい思いをさせないための、生きたおもちゃにつくられている。いや、おもちゃではなく、そういう老人たちにとっては、いのちそのものなのかもしれない」(川端康成「眠れる美女・P.16~17」新潮文庫 一九六七年)
そこで一度立ち止まらねばならない。「眠れる美女」で描かれた会員制クラブのような特別な「家」は、「晩春」後の大学教授向けに用意された、資本主義のための「公理系」〔整流器〕の一つにほかならない。そして原節子は「制度としての結婚」に屈したが、その後、これまた資本主義のための「公理系」〔整流器〕の一つである「家族制度」を再生産することになる。
「家庭は欲望の生産の中に導入されて、最も幼いころから欲望のおきかえを⦅つまり信じられないような欲望の抑圧を⦆操作することになる。家庭は、社会的生産によって、抑圧に派遣されるのである。ところで、家庭がこうして欲望の登録の中にすべりこむことができるのは、先にみたように、この登録が行われる器官なき身体が既に自分自身において欲望する生産に対する《根源的な抑圧》を行使しているからである。この根源的な抑圧を利用してこれに《いわゆる二次的な抑圧》を重ねることが、家庭の仕事なのである。この二次的な抑圧は、家庭に委托されているのだとも、あるいは家庭がこの抑圧に派遣されているのだともいってもいい。(精神分析は、この一次、二次の二つの抑圧の間の相違をいみじくも指摘したが、しかしこの相違の有効範囲とこの両抑圧の体制の区別を示すには至っていない)。したがって、いわゆる抑圧は、実在する欲望する生産を抑圧することに満足せず、この抑圧されたものに、みかけのおきかえられたイマージュを与えて、家庭的登録をもって欲望の登録の代りとしてしまうことになる。欲望する生産の集合が、周知のオイディプス的形象をとることになるのは、この欲望する生産が家庭的に翻訳されている場合でしかないのだ。つまり、<背信の翻訳>の場合でしかない」(ドゥルーズ=ガタリ「アンチ・オイディプス・第二章・P.151~152」河出書房新社 一九八六年)
京都の宿の夜に原節子が見せた謎に満ちた「顔」は、脱領土化された自分固有の欲望にもかかわらず結婚によって「再-領土化」される生贄としての「顔」であるだけでなく、「欲望としての資本主義」が欲望する「公理系」〔整流器〕の一つへ流し込まれる部品として加工=変造される女性の、耐え難い苦痛というもう一つの「顔」だったのではないかと思うのである。ところが原節子の「欲望としての顔」の側は健闘むなしく、いともあっけなく資本主義の濁流の中へ叩き込まれ組み込まれてしまった。蓮実重彦によってようやく脱コード化された「小津映画」=「ホームドラマ<神話>」。と思われた次の瞬間、「晩春」自体が「東京物語」や「秋刀魚の味」同様、「商品-小津」=「ホームドラマ<神話>としての小津映画とその解体」として流通することになり今なお流通している。しかし小津映画の魅力は遥かにほかのところにある。というのは小津映画の場合、映画の中で事件が起こるというより、<映画という事件>のまま流通するからである。
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