白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21(番外編)・二代目タマ’s ライフ203

2023年12月05日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二三年十二月五日(火)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

昨日とは打って変わって午前午後ともたいへんおとなしい。あまりにも冷え込んできたためエアコンを付けるとソファの上で温風に吹かれながらすやすや昼寝するのだが、その寝相がまるで無防備。見ていて思わず笑ってしまいそうだ。無防備すぎる寝相というのは人間の場合、寝相がわるいと言われ行儀がわるいとも言われる。猫の場合、寝相がわるいとも行儀がわるいとも言われない。それにしても見ていて笑ってしまいそうになるのはどうしてだろう。

 

黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。アンドレ3000。ele-king評に「この戦争の年の最後の鎮静剤(レッド・チル・ピル)であり目印」とある。聴くことは見ることでも感じることでもある。フリージャズと呼ぶにせよスピリチュアルジャズと呼ぶにせよ、ジャズやポップの世界でいわゆるレフト・フィールドとされる音の系譜に接する。一九九〇年代半ば、それらはリバイバルのような形で静かな盛り上がりをみせた。CDではなく中古レコード店をひとつひとつ歩いて覗きながら絶盤になったジャズを買い集めていたうちの何枚かがそうだった。ちょうど阪神淡路大震災発生当時。スピリチュアルといっても霊感商法やマルチ商法とはこれっぽっちも関係がない。六十年代アメリカでコルトレーンやドルフィーらが毎日のように手探りで追い求めていたもの。しかしアンドレ3000の今作はあのような畳み掛けるがごとき音作りで聴かせるわけではない。そこが味噌かもしれない。

先行するものを上げるとすればele-king評のひとつにマイルス・デイヴィスのこのアルバム。

個人的にはエリック・ドルフィーのフルートも忘れがたい。


Blog21(ささやかな読書)・短歌の中の「我々」の位置

2023年12月05日 | 日記・エッセイ・コラム

短歌にしたいとおもうことがあっても「我々は」という単語が先に出てくるような場合はまずないとおもう。木下龍也はこんな短歌を取り上げている。

 

「我々はヒートテックの無い冬の乗り越え方を覚えていない/平井まどか

 

《我々は》という大きな主語で断定されると、確かに《覚えていない》と同意したくなる。ユニクロの《ヒートテック》が発売されたのは二〇〇三年だが、それ以前の《冬》を《我々》がどうやって《乗り越え》ていたのか、に対して明確なひとつの回答がないからだ。とにかく厚着していたような気もするが、その詳細は個々人でバラバラだ。靴下を二重に履く人もいれば、腹巻きをする人も、ホッカイロを無数に貼る人もいて、それらは現在でも続けられているはずなのに、《ヒートテック》はそれらを上書きしながら《我々》のひとつの回答として成り立つ。僕は、ではなく、《我々は》、の回答として出せるのは《ヒートテック》くらいしかなく、《ヒートテックの無い冬》を僕が《我々》として思い出そうとするとき、そこに僕個人の回答はあっても、《我々》全体の回答はない。だから《我々》としては《覚えていない》と言わざるを得ない。そんな力がこの短歌にはあって、それは大企業が持つひとつの力でもあろうから、ちょっと怖いなと思いつつ僕は今年も《ヒートテック》を買いにユニクロへ行く」(木下龍也「群像短歌部(第6回)」『群像・2023・12・P.433~434』講談社 二〇二三年)

 

「我々」の使い方としてうまくできた短歌というより「我々」という「大きな主語」を使うからにはそれに誰もがほぼ同意する節で締められていなくては納得感がないため、「ヒートテック」、「覚えていない」、と続いているのを見て始めて腑に落ちるような形の歌。

 

定着してきたヒートテック市場の巨大さが「我々は」の使用を可能にしているのであってその逆ではない。もし逆にしてしまい、例えば「覚醒剤」とした上で「我々は」とすると単なる内輪受けするにはしても一般的な評価を得ることははなはだむずかしい。こうなってしまう。

 

「我々は覚醒剤の無い冬の乗り越え方をいまだ知らない」

 

高齢者女性のあいだではかつてこんなのがあった。

 

「我々はサロンシップの無い冬の乗り越え方をいまだ知らない」

 

釣り愛好家ではこう。

 

「我々はブラックバスの無い冬の乗り越え方をいまだ知らない」

 

ここ二十年ばかりのあいだに新しく市場を形成し一般化もしてきた看板商品であって始めて「我々」と「覚えていない」とを同じ短歌で使える。木下龍也が上げている歌のように。ヒートテックが獲得した市民権がいつまで持つ市民権かどうかまではわからないにせよ。さらに業務形態の変化にともなって定着した短歌(1)はたくさんある。さらに気持ちの上でだけに過ぎないけれども、ややもすれば世界中を手に入れたかのような錯覚に浸っていられるおめでたい短歌(2)のようなものもある。新本格ミステリが普及してきた一九九〇年代後半には(3)のような短歌も見られた。

 

(1)「我々は宅配業者の無い冬の乗り越え方を覚えていない」

 

(2)「我々はスマートフォンの無い冬の乗り越え方を覚えていない」

 

(3)「我々は本格ミステリ無き冬の乗り越え方を覚えていない」

 

また「そんな力がこの短歌にはあって、それは大企業が持つひとつの力でもあろうから、ちょっと怖いなと思いつつ僕は今年も《ヒートテック》を買いにユニクロへ行く」とある。

 

商業路線へ譲りすぎなのではとおもう読者がいるかもしれない。気になるところではある。そこまで書かないと商業誌では書かせてもらえないのかと。「そこまで」というのが「どこまで」なのかよくわからないがともかく、それが嫌なら結社や自費出版という選択があるけれども、それはそれでまたお金がかかりすぎる。スポンサーひとつ付かない。広告ひとつ取れない。

 

ただ多少なりとも個人的事情を付け加えたいと思うばかりだ。

 

「それは大企業が持つひとつの力でもあろうから、ちょっと怖いなと思いつつ僕は今年も《ヒートテック》を買いにユニクロへ行くお金がない」

 

そんなところだろう。


Blog21・カネと患者とジェネリック

2023年12月05日 | 日記・エッセイ・コラム

朝刊(朝日)をぱらぱら。今さら遅いというほかない記事発見。ジェネリック(後発薬)市場の構造矛盾。なぜ構造矛盾なのかは記事を見ても取っかかりになるかならないか。研究したい読者は研究室でしてほしい。そうではなく今回はジェネリックへ変更しても効果が見られない場合について述べたい。

 

ストレス過剰社会で大量供給大量消費されているベンゾジアゼピン(BZD)受容体作動薬。

 

いろいろあるが一例として、主に「睡眠導入剤として」処方される場合ではなく「抗不安薬・安定剤」として処方されることの多いブロマゼパムを取り上げたい。

 

ブロマゼパム(商品名:レキソタン)。ブロマゼパムのジェネリック(商品名:セニラン)。後者はジェネリック。

 

セニランへ変更してもほとんど効果が期待できないケースというのもたまにある。少しへんてこな書き方でしか上手く述べられないところに薬物取扱の厄介さのひとつがある。言い換えれば、正式な学術論文としては採用されない書き方をすると逆にわかりやすくなることが少なくないと思われる。次の(1)と(2)とは同じ意味。

 

(1)「化学構造式は同じでも体内摂取後の作用機序は必ずしも同じだとは限らない」

 

(2)「同一薬物Sを患者Aと患者Bとへ同じ条件下で投与したとしてもAとBとで作用=効果は異なることがある」

 

言語や貨幣とたいへん似ている。言語の場合、見た側聞いた側しだいで意味の受け止め方は違ってくる。同じ言語でも違う意味を生じうる。貨幣の場合、例えば貨幣九百円がどんな商品と交換されるかは貨幣所持者しだいで全然違ってくる。同じ九百円でもまるで異なる別々の商品へ置き換えられうる。

 

個人的経験上でいうとブロマゼパム(商品名:レキソタン)をブロマゼパムのジェネリック(商品名:セニラン)へ置き換えた場合、うまく作用したという患者が身近にいる一方、自身はうまくいかずブロマゼパム(商品名:レキソタン)へ再変更してもらった経緯がある。

 

五年ほど前、父の遺品整理のため滋賀県と京都市とを何度も往復していた頃だった。帰りの電車の中でなぜかわからないが、どうしても気分がわるくなる傾向が出現し出した。セニランを増量したが一向に改善しない。思いきって主治医に申し出、レキソタンへ再変更してもらった。それでようやく父の遺品整理期間を乗りきることができた。

 

しかし再変更は条件付き。アルコール依存症患者ゆえにアルコールへ舞い戻るよりよほど「まし」ということもあってか、すぐに取ってもらえた措置であり、そうでなければ何らかの依存症既往歴のある患者の場合、ただ単によく「効く」クスリを欲しがっているだけではないかという疑問が常にまとわりついてくる。だから例外といえる。

 

いっとき、ベンゾジアゼピン系「抗不安薬・安定剤」としてエチゾラム(商品名:デパス)が薬物依存者のあいだで大流行した時期があった。短時間型薬物ほど「効きがいい」というほとんど根も葉もない、個人差をまったく無視した単なる「噂」とともに大流行した。自身の経験でいえばエチゾラム(商品名:デパス)よりブロマゼパム(商品名:レキソタン)のほうが「抗不安薬・安定剤」としてはよほどいい。安定もする。特に鬱状態がひどい期間は効果的。

 

面白い話がある。アルコール専門病棟入院中。隣接する病棟に覚醒剤依存症者が何人かいた。そのうちのひとりがようやく外泊許可を得て自宅で一泊し、再び病院へ戻ってくることができるかというところまで回復した。外出中の服用薬はジアゼパム。一泊後、無事に病院へ戻ってきた。血液検査も問題なし。

 

ジアゼパム(商品名:セルシン)。

 

その覚醒剤依存症者は「セルシン出してもろた。これで大丈夫や」と胸を張って笑っていた。覚醒剤なしで一泊の外泊を無事に済ませることができた。外泊にあたって患者の側が「セルシンなら大丈夫かと。できましたらセルシンを」と主治医にひと言押してみたら「そうだね」とすぐ処方が決まった結果。

 

ところが主治医が出したのはジアゼパム(商品名:セルシン)ではなくジアゼパム(商品名:セレンジン)。

 

ジアゼパムとしては同じ薬剤に分類される。しかし「商品名:セルシン」は「武田製薬」のもの。「商品名:セレンジン」は「住友製薬」のもの。その覚醒剤依存症者が「ゲットしたった」と高笑いで勝利宣言していたのは同じジアゼパムでも「商品名:セレンジン」(住友製薬)だった。セルシンは「効く」という単なる「噂」がジャンキーたちのあいだでたいそう流通していた頃の魔法のような本当の話。

 

もっとも、ジェネリックに置き換える場合、主治医なり薬剤師が患者に断りを入れるのがマナー。ところが相手が芝居の上手いジャンキーの場合、そう簡単に行かない。主治医は患者を騙すわけにはいかない。一度「騙された」とおもった患者は二度と同じ医師のもとへ行かない。そこで主治医はジアゼパムとしては同じであり、さらに患者がリクエストした「セルシン」という希望にも沿った薬剤でただ単に製薬会社が違うというに過ぎない「商品名:セレンジン」(住友製薬)を選択した。結果的にその覚醒剤依存症者にとって社会復帰への過程を一歩進めたことになった。

 

その主治医はほどなくその病院の医院長になった。だからといってどこの病院でも医院長の手腕が最もすぐれているとは限らない。

 

しかし「噂」というのは罪深い。というより「噂」もまた言語であり、繰り返し交換されない限り流通しない。とすれば疑うべきはそんな「噂」を流しているのは誰か、なのであり、それもまた大いに問題とされなくては話にならないとおもうである。


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて628

2023年12月05日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

末期癌の母の朝食の支度。今朝は母が準備できそうなのでその見守り。

 

午前六時。

 

前夜に炊いておいた固めの粥をレンジで適温へ温め直す。今日の豆腐は藤野「京の鍋とうふ」。1パックの四分の一を椀に盛り、水を椀の三分の一程度入れ、白だしを入れ、レンジで温める。温まったらレンジから出して豆腐の温度が偏らずまんべんなく行き渡るよう豆腐を裏返し出汁を浸み込ませておく。おかずは白菜の漬物。

 

漬物は浅漬けよりさらに塩分をきった程度。タッパーに移して冷蔵庫で保存しておいたもの。

 

昨日昼食。トマト(一個)。茶碗蒸し(半分)。

 

昼寝。

 

テレビ「その男、副所長」を見る。昼寝に戻る。

 

昨日夕食。パック寿司の寿司ネタを七個。ナスのおすまし。

 

夕食後にひと眠り。

 

テレビ「ONE DAY」を見る。

 

午後十時。就寝はスムーズ。

 

参考になれば幸いです。

 

今朝の音楽はスタン・ゲッツ「PENNY」。