十二月二日、こう述べた。単なる「bot」。
Blog21・単なる「bot」 - 白鑞金’s 湖庵
ここ数日のあいだでにわかにPV数・UU数が伸びたというブログがある。botの仕業。単なる「bot」。エンジニアから見たら「もはやお笑い」。気にすることはひとつもない。例え...
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さて。
この二十年ほどで激変あるいは新しく登場した研究分野がたんまりある。一方これまでの蓄積がもはや通用せず反故化し逆に「無用の長物」でしかなくなりつつある分野の激増が見られる。とりわけ激変あるいは新しく登場した研究分野の充実ならびに存在価値の世界的承認が急がれるなか、もはや通用せず反故化し逆に「無用の長物」でしかなくなりつつある分野について、なぜか世間を脅迫するかのような暴力主義的こだわりを振りかざしてみせ、多くの専門的研究者の足を引っ張ってやまない一部の文筆家が日本にもいる。
しかしなぜ後者は反故化するほかないのだろう。
偏見だらけ、資料価値消滅、というのは妥当を通り越して実はまだまだ穏健かつ大甘な見解でしかない。日本史ひとつ取り上げてみてもほんの身近なところに不穏な部分が幾つも見られる。未消化な部分が多すぎる。
大阪や京都の場合。古都ということも関係あるのかもしれない。あまりにも不穏な歴史的物証が日の目を見ないまま隠匿されている。
(1)太平洋戦争開戦よりもっと前に始まっていた日中戦争。当時の「戦利品」と呼ばれるものが今なおひっそり隠匿されている場所がある。見ることができれば専門家でなくてもちょっとした歴史ファンならひと目でわかるに違いない。文筆の分野でいえば、例えば司馬遼太郎は知らずにいろいろ書いたとあちこちで指摘されているけれども、さらにいくつかの作品はなるほど読んで面白いと関心しもする反面、「知らずにいろいろ書いた」的な部分や「調べればわかる」ようなことを「調べもせずに」としか考えにくい態度で平然と書かれた部分があることは誠に残念ながら否定できないだろうとおもう。
(2)古代古墳副葬品隠匿。一九七〇年代歴史ブームの渦中すでに濫発され、今はそのあと。当時は全国津々浦々で古代古墳発掘もまたブームの様相を呈していたが、特に大阪などは埋蔵文化財がたいへん多いということもあってか、そこそこ名のある人物が隠匿し(おそらく自宅に)持ち帰っていた。発掘作業はチーム単位で進めるのが基本。それぞれのチームを統率する中心人物は「これ」という副葬品が検出されれば一度は目で見て手で触れ確かめる。現地に設置された仮保管所で重ねて調べてみる。しかしこの「仮保管所」で誰が何をやっているか、発掘作業に参加した一般学生や大学院生らにはまるきりわからない。ときには重要文化財クラスのものも検出されるが「それ」がどのようなルートで表に出るかあるいは出ないか、知らされることはない。出てこない場合「あれ」は重要文化財どころか展示するまでもないどうでもいいようなものでしかなかったと普通はかんがえる。ところが「あれ」が重文級の副葬品でないとは誰が知ろう。現地での最終的な判断はそれぞれのチームを統率する中心人物ただ一人に絞り込まれる。そういうことが多々あったため、当時発掘に参加した人々の多くが口を閉ざしたまま考古学研究・歴史研究の場から立ち去った。
(1)(2)とも太古の昔の神話の話ではまるでなくごく最近。少なくとも高度経済成長期の産物。
新しい研究分野について。医学、薬学、精神医学。社会環境の激変にともないこれらの分野はおそろしい変化の波をかぶりつつある。その第一次資料となる価値ある研究のデータ化と応用が急がれる過程で「bot」が勝手に大量のデータを持ち去り、とてもではないがアップデートされたとは言いがたい玉石混交の混沌たる資料が、その質を無視してネットへ再投下され、ありふれた「常識」として当たり前のように流通する現状はどう考えてもおかしい。
地域紛争、メタバース、ネット時代の軍事、少子高齢化、ジェンダー、新しい社会福祉等々はもはやネットの中で滅茶苦茶になってしまい今なお「泣き寝入り」が解決されていない。「泣き寝入り」するほかない人々のことはデータ化されないまま「常識」として流通する。いいのだろうか。マス-コミとしてはそれがいいという部分もないではないのだろうが。