白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21(番外編)・二代目タマ’s ライフ204

2023年12月06日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二三年十二月六日(水)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

ピュリナワンに混ぜているカリカリのひとつにヒルズのシニア向け(チキン)がある。初代タマが残したまま逝ってしまったもの。二代目タマにとっては遺品同然でもったいないのでピュリナワン(子猫用)に少量ずつ混ぜて与えている。シニア向けはカロリーが少なく無駄に太らない。腎機能など生活習慣病を悪化させない効果がある。だが子猫にはカロリー豊富なものがいい。この状態を手順よく脱するためヒルズを使いきった後、現時点での候補はロイヤルカナンの成猫用フードを考えている。

 

黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。ローラ・ミッシュ。作曲だけでなくヴォーカル、サックス、ギターその他の楽器も器用にこなす。オーガニックな音楽の定義というのはとにかくアコースティックであることだという偏見が世界中で蔓延中。YouTubeの見過ぎ。環境にやさしいというキャッチコピーにうっかり騙されてはいけない。オーガニックな音楽はどこにでもありそうなカフェの安物BGMに使われていそうな単なるイージーリスニングとはまた違うということを知ってほしいとおもう。SNSで安易な誤解を拡散させないために。その1。

ペリウィンクルズ。日本語訳付き。その2。

https://www.youtube.com/watch?v=CzC0K1npKj4


Blog21・単なる「bot」2

2023年12月06日 | 日記・エッセイ・コラム

十二月二日、こう述べた。単なる「bot」。

Blog21・単なる「bot」 - 白鑞金’s 湖庵

Blog21・単なる「bot」 - 白鑞金’s 湖庵

ここ数日のあいだでにわかにPV数・UU数が伸びたというブログがある。botの仕業。単なる「bot」。エンジニアから見たら「もはやお笑い」。気にすることはひとつもない。例え...

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さて。

 

この二十年ほどで激変あるいは新しく登場した研究分野がたんまりある。一方これまでの蓄積がもはや通用せず反故化し逆に「無用の長物」でしかなくなりつつある分野の激増が見られる。とりわけ激変あるいは新しく登場した研究分野の充実ならびに存在価値の世界的承認が急がれるなか、もはや通用せず反故化し逆に「無用の長物」でしかなくなりつつある分野について、なぜか世間を脅迫するかのような暴力主義的こだわりを振りかざしてみせ、多くの専門的研究者の足を引っ張ってやまない一部の文筆家が日本にもいる。

 

しかしなぜ後者は反故化するほかないのだろう。

 

偏見だらけ、資料価値消滅、というのは妥当を通り越して実はまだまだ穏健かつ大甘な見解でしかない。日本史ひとつ取り上げてみてもほんの身近なところに不穏な部分が幾つも見られる。未消化な部分が多すぎる。

 

大阪や京都の場合。古都ということも関係あるのかもしれない。あまりにも不穏な歴史的物証が日の目を見ないまま隠匿されている。

 

(1)太平洋戦争開戦よりもっと前に始まっていた日中戦争。当時の「戦利品」と呼ばれるものが今なおひっそり隠匿されている場所がある。見ることができれば専門家でなくてもちょっとした歴史ファンならひと目でわかるに違いない。文筆の分野でいえば、例えば司馬遼太郎は知らずにいろいろ書いたとあちこちで指摘されているけれども、さらにいくつかの作品はなるほど読んで面白いと関心しもする反面、「知らずにいろいろ書いた」的な部分や「調べればわかる」ようなことを「調べもせずに」としか考えにくい態度で平然と書かれた部分があることは誠に残念ながら否定できないだろうとおもう。

 

(2)古代古墳副葬品隠匿。一九七〇年代歴史ブームの渦中すでに濫発され、今はそのあと。当時は全国津々浦々で古代古墳発掘もまたブームの様相を呈していたが、特に大阪などは埋蔵文化財がたいへん多いということもあってか、そこそこ名のある人物が隠匿し(おそらく自宅に)持ち帰っていた。発掘作業はチーム単位で進めるのが基本。それぞれのチームを統率する中心人物は「これ」という副葬品が検出されれば一度は目で見て手で触れ確かめる。現地に設置された仮保管所で重ねて調べてみる。しかしこの「仮保管所」で誰が何をやっているか、発掘作業に参加した一般学生や大学院生らにはまるきりわからない。ときには重要文化財クラスのものも検出されるが「それ」がどのようなルートで表に出るかあるいは出ないか、知らされることはない。出てこない場合「あれ」は重要文化財どころか展示するまでもないどうでもいいようなものでしかなかったと普通はかんがえる。ところが「あれ」が重文級の副葬品でないとは誰が知ろう。現地での最終的な判断はそれぞれのチームを統率する中心人物ただ一人に絞り込まれる。そういうことが多々あったため、当時発掘に参加した人々の多くが口を閉ざしたまま考古学研究・歴史研究の場から立ち去った。

 

(1)(2)とも太古の昔の神話の話ではまるでなくごく最近。少なくとも高度経済成長期の産物。

 

新しい研究分野について。医学、薬学、精神医学。社会環境の激変にともないこれらの分野はおそろしい変化の波をかぶりつつある。その第一次資料となる価値ある研究のデータ化と応用が急がれる過程で「bot」が勝手に大量のデータを持ち去り、とてもではないがアップデートされたとは言いがたい玉石混交の混沌たる資料が、その質を無視してネットへ再投下され、ありふれた「常識」として当たり前のように流通する現状はどう考えてもおかしい。

 

地域紛争、メタバース、ネット時代の軍事、少子高齢化、ジェンダー、新しい社会福祉等々はもはやネットの中で滅茶苦茶になってしまい今なお「泣き寝入り」が解決されていない。「泣き寝入り」するほかない人々のことはデータ化されないまま「常識」として流通する。いいのだろうか。マス-コミとしてはそれがいいという部分もないではないのだろうが。


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて629

2023年12月06日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

末期癌の母の朝食の支度。今朝は母が準備できそうなのでその見守り。

 

午前六時。

 

前夜に炊いておいた固めの粥をレンジで適温へ温め直す。今日の豆腐は藤野「京の鍋とうふ」。1パックの四分の一を椀に盛り、水を椀の三分の一程度入れ、白だしを入れ、レンジで温める。温まったらレンジから出して豆腐の温度が偏らずまんべんなく行き渡るよう豆腐を裏返し出汁を浸み込ませておく。おかずは白菜の漬物。

 

漬物は浅漬けよりさらに塩分をきった程度。タッパーに移して冷蔵庫で保存しておいたもの。

 

昨日昼食。鍋焼きうどん。具は食べられない。うどんを三分の一ほど。

 

昼寝。

 

テレビ「その男、副所長」を見る。昼寝に戻る。

 

昨日夕食。ホウレンソウの胡麻和えを半分ほど。ウインナーを出したが香辛料が体にキツいらしくほとんど無理。

 

夕食後にひと眠り。

 

テレビ「家政夫のミタゾノ」を見る。

 

午後十時。就寝はスムーズ。

 

しかし食欲不振はまた一段と進んだ。十二月五日は診察日だったのだが母は主治医にいう。「こんなにしんどいんやったらもう早く死なせてほしい」。

 

息子は思い出す。「強い気持ちを持て」とか「気持ちで負ける奴は出ていけ」とか大声でさんざん威張りちらしていた体育会系右翼暴力学生の何人もが今や五〜七十代を迎えているわけだがーーー。末期癌の痛みに耐えきれず、モルヒネ製剤をどれほど増量されても耐えきれず、ベッドから床へ這い出してきてのたうちまわりながらもなお「モヒ、モヒ」と薬ばかり欲しがり、「気持ちで負け」、「薬物にはとっくに負け」、「癌の痛みにははるか以前から負けていた」、あの光景。

 

さらには。一九九〇年代後半。アルコール病棟入院患者のうち、国体出場経験者(ありとあらゆる部門含む)、高校野球エース、各都道府県水泳競技指導者など、体育会出身者のあまりにも多いこと。入院しても退院すれば「気持ちで敗北」、ほどなく飲酒しすぐ死んだ人々。体育会系アルコール・薬物依存症者の末路は死屍累々というほかない。いまなお相撲の優勝インタビューを聞くと「強い気持ちで」と殺人的な言葉をだらだら並べている力士がいるわけだが。

 

参考になれば幸いです。

 

今朝の音楽はスタン・ゲッツ「SWEETIE PIE」。