ネット上での乱闘はある種の「ガス抜き」としては許されていいと思っている。
一方。
ともすればイデオロギー的「全体主義」に陥ってしまわないと誰に言えよう。気にかかることがしばしば。ここ数日、対立する二小陣営があると聞かされ呼ばれたので両者のホームページへ日参していた。どちらがどうというわけではない。気になった書き込みに少しばかり触れたいとおもう。二箇所。
(1)「私は年齢はおばあさんなんですが、心の中は永遠の少女ですから、人からおばあさんとか、まして、『おばあ』などと蔑まれると、とても傷つきます。私だけでなく女性は皆そうだと思います」
(2)「日本の伝説や昔話は人に対する戒めが込められています。男の場合は『嘘を付くな、約束を守れ』。女の場合は『嫉妬をするな』です。この戒めで日本は成り立っている部分があります。日本は他国に比べて約束を守る国ですし、日本女性はおしとやか??ですし」
(1)について。「年齢はおばあさん」。一般論としてはそうなのかも知れないが基準が極めてあやふや。基準設定をはなから認めない女性はわんさといる。「永遠の少女」。個人的主張としては大いに結構。もっとあってもいいくらいだとおもう。しかしそれがすべての女性に妥当するかどうかという点で普遍性への依存は道を塞がれる。疑問として残ってしまう。例えば「永遠の少女」と言われた場合「馬鹿にすんな」と切って捨てるレズビアンは一杯いる。とはいえ「おばあさん」にしろ「おばあ」にしろ「蔑み」として感じれば「差別・偏見」であると十分主張できる。なおしかし「女性は皆そう」かどうかは最も疑問。おぞましい「全体主義」をおもわせる。「皆そう」という言葉を「全体主義」だと感じた人々は怖れる。「女性は皆そう」だろうか。男性の中にも「そう」な人々はたくさんいるのではないだろうか。そして読者が「男性」の場合、「永遠の少女」というスピリットが社会的レベルでどんな反応を巻き起こしているかといった現状認識、例えば「LGBT等」への無理解、に関する心構えが著しく欠損して映ってしまう印象は、「女性は皆そう」と明記されている点で、否定できない。とはいえ矛盾だらけだとも受け取られる箇所が随所に見られることははなはだ「人間的」であり、是非善悪の判断能力において考慮すべき事情は大いに認められねばならない、という感じ。
(2)について。「戒め」に関して「男の場合」と「女の場合」との区別がまず問題。男は「嘘・約束」、女は「嫉妬」。とすれば、男は常に社会的(理性)であり女は常に感情的(非=理性)でしかないという偏見をあらかじめ前提し肯定する態度が目につく。文化人類学や民俗学研究の専門機関なら取り扱ってはいるものの、そこでもこれほど古い区別は「ない」。かつて「あった」もの、研究対象としてしか、存在し「ない」。「この戒めで日本は成り立っている部分」。確かにあるとおもう。そのため、今なお打ち続く男尊女卑的かつ不可視化しつつある巧妙狡猾な家父長制度にがんじがらめにされている現状がまだまだ認められる。様々な日常活動における女性の言動に関する不均衡が是正されたとはとうてい言えない。社会的地位は常に不安定、社会的訴えは一度受理されるも二度目は破棄され差し戻され、職場・教育現場・家庭内など、どこで何をしていていようがいまいが不意をついて行使される暴力に対してほとんど非力な点はこれまた認めるとしか考えにくい。「日本は他国に比べて約束を守る国」かどうか。近隣諸国のトップに訊ねてみたいと言うほかない。しかし(2)が引用した文章は(1)の側が日頃より好き好んで用いてきた類種の文章からの演繹でもある。ということは(2)自身のイデオロギーではなく(2)があらためて(1)によるこれまでの矛盾点を演繹法を用いて証明する態度でもあるといえる。そうであるなら(1)が(2)の演繹を引き受けるかどうかはともかく、演繹に従う限りで(1)はますます矛盾だらけということになってしまい、ニーチェ流にいえば「あまりに人間的」なのであり、虚偽でも詐欺でも共謀でもなく、未遂既遂を問わず、是非善悪の判断能力において考慮すべき事情は大いに認められねばならない、という感じ。
そんなふうにおもった。ふと、そうかすめた、という程度でしかないが。「ともすれば全体主義」、「ともすれば偏見まみれ」。そんなことを感じた。しかし両者とも選挙に行く。行かないよりは結構なことかもしれない。
「そもそも論」は気がすすまないのでテーブルを移動したいとおもう。
言葉はそれを「見せられた側/聞かされた側」がどう感じるかによりけりで、傷ついたり傷つかなかったりするけれども質的濃淡もかなりある。ある種の言葉に触れて「傷つく」ためには受け取る側の受動態と能動態とが同時に働いて始めて何かを感じることができなければ「傷つこう」にも「傷つく」ことはできない。事例をあげよう。
ある障害児の介護に従事していた頃のこと。かれは作業所に時々やってくる障害児だった。といってもひとりではとても無理。歩けない。話せない。聞こえにくい。目は開いているがどんなふうに見えているかよくわからない。ヘレン・ケレーは「三重苦」の「偉人」として有名だが「三重苦」どころか、いわく言いがたい。さらにヘレン・ケラーを「偉人」として褒め称える人々がいるけれども、なぜそこまで「苦労」しなければいけないのか、障害者(児)は。きわめて不均衡ではないか。世の中、特に日本という風土は。その児童が受けていた言葉の暴力。「だるま」。ところが聞こえないし話せもしない。歩いて追いかけることもできない。よく見えない。ところがもし歩いて追いかけることができていたらどうなっていたか。ほぼ間違いなく殺されていた。誰かわからない差別主義者によって。
だからといって「その障害児」と比較してみようと言いたいわけではない。できない。はじめから。
さらにテーブルを移動したい。十二月八日。「太平洋戦争開戦」。つい二日ほど前、それに関する報道を一瞬見かけた気はする。だがそれきり。いつものように「やったふり」。思い出した。全体主義と「皆」について。
「開戦の日の街の光景を、作家伊藤整は日記に次のように描写していた(『太平洋戦争日記』伊藤の日記引用は以下同)。
バスの客少し皆黙りがちなるも、誰一人戦争のこと言わず。<中略>新宿駅の停留場まで来たが、少しも変ったことがない。そのとき車の前で五十ぐらいの男がにやにや笑っているのを見て、変に思った。誰も今日は笑わないのだ。
これら緊張の面持ちは歓喜とはおおよそ相入れない反応であるが、戦争の全期間を通じ民衆の二面性として常に見いだされる表情でもあった。当時、フランスの通信社の特派員として来日していたロベール・ギランの観察は、さらに興味深い。ギランは、当日午前七時、東京・新橋で開戦を告げる号外に接した日本人の姿を、次のように記録している。
人々は号外に目を通すと、『だれもが一言も発せずに遠ざかっていった』、『新聞売子の周りにひしめき合う見知らぬ同国人たちに、進んで自分の感情を打明けようとする者はいなかった』。魚屋の店先に行列を作っていた主婦たちがいた(すでに食糧確保のためにこの時間から行列しなければならなかった)。彼女たちは新聞売り子を呼び止めると、号外に目を通した。しかし、『押し殺した叫びや低声(こごえ)で言葉少なに語り合う光景すら、めったに見られなかった』のである。この大人たちの無表情を、彼は次のように説明する(ギラン『日本人と戦争』)
彼らはなんとか無感動を装おうとしてはいたものの、びっくり仰天した表情を隠しかねていた。この戦争は、《彼らが望んだものではあったが》、それでいて一方では、《彼らはそんなものを欲してはいなかった》。<中略>何だって!またしても戦争だって!このうえ、また戦争だって!というのは、この戦争は、三年半も続いている対中国戦争に加わり、重なる形になったからである。それにこんどの敵は、なんとアメリカなのだ。アメリカといえば、六ヶ月足らず前には、大部分の新聞や指導者層が御機嫌を取結んでいた当の相手ではないか!(傍点筆者)
ギランの『望んだものであったが』『欲してはいなかった』とは矛盾した表現であるが、要するに戦争そのものを『欲していた』わけではなく、『事変』長期化の根本原因の解決を『望んでいた』のであった。この意味で『太平洋戦争』は『日中戦争』を解決するための戦争、つまり、『戦争のための戦争』であった」(川島高峰「流言・投書の太平洋戦争・第一章・『開戦』と日本人・P.25~28」講談社学術文庫 二〇〇四年)
朝日新聞「天声人語」は戦時中「神風賦」。他紙はコラム名こそ違っていても戦争動員する内容は同様だった。
しかしおかしいのは、それほどネットにかじりついている暇があったら逆に欲しいくらいだ、ということなら言いたいのかもしれない。