対談で川上弘美はいう。
「わたしは『どくとるマンボウ』シリーズに憧れるあまり、医者になりたいと思ったほど北さんの作品が本当に好きで」(川上弘美/宮田毬栄「小説、この不確かなもの」『群像・2024・1・P.55』講談社 二〇二三年)
「どくとるマンボウ」シリーズを読んで「医者になりたい」と思ったことは一度もないが、高校時代に読んだ「幽霊」は好きで誰にもそれを言わないでいたところ、どこかで「幽霊」は「暗い」などと平気で書いている文芸評論家の文章をみて気が遠くなるほどげんなりさせられたことはある。意味不明な評論が大手をふって堂々とまかり通っている時代に十代半ばを過ごしたことは取り返しのつかない精神の傷として深く刻み込まれることになった。
「明るい/暗い」という小学生でも眉をひそめて走り去るほど殺人的な評論が評論として流通し、それで原稿料を手にしている人間がいた。十代半ばにそんな暴力的世相をまともに被りながら生きていくことを強要されたというのは、これはもう生涯にわたって決して癒えることのない大打撃でありどんな医者にも治すことができず、どんな薬物治療も無益にしてしまう活字の暴力だった。
それにしても文学はもとより音楽も絵画も動植物のことにも想いおよぶことができない人間が文芸評論家として生きていける時代があったという事実に照らせば、今ふたたびどうしようもない過去の遺物で評論活動を続けていこうという人間が出てきたとしても、ある意味不可解ではないのかもしれない。