白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21(ささやかな読書)・文芸評論家から受けた暴力の記憶

2023年12月16日 | 日記・エッセイ・コラム

対談で川上弘美はいう。

 

「わたしは『どくとるマンボウ』シリーズに憧れるあまり、医者になりたいと思ったほど北さんの作品が本当に好きで」(川上弘美/宮田毬栄「小説、この不確かなもの」『群像・2024・1・P.55』講談社 二〇二三年)

 

「どくとるマンボウ」シリーズを読んで「医者になりたい」と思ったことは一度もないが、高校時代に読んだ「幽霊」は好きで誰にもそれを言わないでいたところ、どこかで「幽霊」は「暗い」などと平気で書いている文芸評論家の文章をみて気が遠くなるほどげんなりさせられたことはある。意味不明な評論が大手をふって堂々とまかり通っている時代に十代半ばを過ごしたことは取り返しのつかない精神の傷として深く刻み込まれることになった。

 

「明るい/暗い」という小学生でも眉をひそめて走り去るほど殺人的な評論が評論として流通し、それで原稿料を手にしている人間がいた。十代半ばにそんな暴力的世相をまともに被りながら生きていくことを強要されたというのは、これはもう生涯にわたって決して癒えることのない大打撃でありどんな医者にも治すことができず、どんな薬物治療も無益にしてしまう活字の暴力だった。

 

それにしても文学はもとより音楽も絵画も動植物のことにも想いおよぶことができない人間が文芸評論家として生きていける時代があったという事実に照らせば、今ふたたびどうしようもない過去の遺物で評論活動を続けていこうという人間が出てきたとしても、ある意味不可解ではないのかもしれない。


Blog21(番外編)・二代目タマ’s ライフ214

2023年12月16日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二三年十二月十六日(土)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

自治体発表の来年のスケジュールを確認したあと猫と遊んでやる。飼い主の顔をみるとすぐさまお腹を見せる癖がついてしまった。懸案のフード。しばしば利用していたペットショップがスーパー撤退に伴い閉店するのかと思っていたら場所を変えて新装開店するらしい。次の機会に見に行く予定。

 

黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。セイ・シー・シー。年末年始にディスコ-ダンスというのも忘れがたい。その3。

後期高齢者が増えてきた日本のプログレ愛好家の年末を締めくくるこの一曲。その11。


Blog21・日本歌謡・芸能界の謎

2023年12月16日 | 日記・エッセイ・コラム

薬物問題でマス-コミに抹殺され無視されつづけたアーティストは数多い。

 

一方。

 

なぜか復帰できた芸能人がふらふら出てきてそこそこメジャーな職を得ている。

 

どこがどう違うのか。

 

いつどこでなのだろうか、そのような差別的取り扱いが横行するようになったのは。


Blog21・蔓延するネオリベと商品「大谷翔平」

2023年12月16日 | 日記・エッセイ・コラム

メジャーリーガー大谷翔平。日本の読者視聴者は大谷翔平を果たして人間として見ているのだろうか。疑問だ。何億円で買われていくかそうでないとか。単なる商品としてしか見ていないようにおもえて仕方がない。

 

マス-コミの取り扱い方からして以前からそうだ。メジャーというのはそういうものだ、で済まされるのだろうか。

 

大学の体育会系スポーツ選手はどうか。高校生はどうか。ステレオタイプな言葉に「唾をつけておく」というものがあった。今はもっとあるのかもしれない。日本の読者視聴者は何億円になるかどうかばかりに興奮しているのだろうか。そうではないというのならなぜとっとと頭を切り換えようとしないのだろう。これまた不可解な事態である。

 

しかもこれ、ネットを少しばかり見るだけで他に何人も「おかしい」と疑問符をつけてのべている人間がいるというのに。マス-コミはしばしば「SNSでは」とか言ってみたりするにもかかわらず、この種のSNS発言は排除してはばからない。

 

労働力とは何か。売買とは何かにもかかわる。


Blog21・ネオリベ御用達「大学」の謎

2023年12月16日 | 日記・エッセイ・コラム

何年か前すでに見た光景と重なる。あれは陰惨だった。

 

全国各地の大病院が次々と「独立行政法人」へ移行。大量解雇。しばらくしてコロナ禍。「人手が足りません」。失敗がありあり。かろうじて大病院に残った勤務医も今やてんてこ舞い。処方箋の出し方ひとつ見ても薬物名違いや数量違いは日常茶飯事。これで死人が出ないわけがない。

 

さらに大学となればどの分野においても基礎研究の場。人員・研究費ともに絶対数の確保がたいへん重要。その予算配分についてなぜ政治的介入を許すのか。みすみす強行採決できてしまえるのか。

 

選挙に行くのがむなしくなる人々は当然出てくる。むしろ日本政府は選挙に行かない人々の大量増殖を望んでいるのではと考えれば逆にもっともな話におもえてくるのが不思議だ。

 

マス-コミはほとんど取り上げないが、どうしてか。不都合なことでもあるのだろうか。あるとすれば何が不都合なのか。知りたいとおもう選挙民は多いに違いない。