保坂和志の連載から。「評伝」という「フェイク」はなぜ起こる、と言えばいいかもしれない。
「これも間違っている、友人が引いた出典が何か訊いてないが、この書き方はムージル本人でなくムージルの評伝か何かだろう、出典も原文もわからずに言うんだがここで『落ち込みながら』と『とぼとぼと』を自分の意味でとらえてはいけない、あるいはこの文章の書き手が思った意味でとらえてはいけない、この出展がムージルに関する評伝だとして評伝はほぼ間違いなく書かれる対象を自分のサイズに歪める、これはもう評伝での構造的宿命で、評伝は対象である作家や画家たちより評伝作者の方がスケールが小さい、もし仮りに大物の評伝作者がいたとしてもその人の評伝はすでに評判になってないだろう、評伝というのは切り口によってものすごく違って映るひとりの人物を読み手に対してこの人はこういう人だったと日常のレベルに引き下げて説明するものだからそこに文学も芸術もない、評伝は『陸など見えずに海を渡った』人を『陸が見えたから渡った』の基準で解釈してしまうことだ」(保坂和志「鉄の胡蝶は夢の記憶に歳月に彫るか(65)」『群像・2024・1・P.308』講談社 二〇二三年)
「評伝作者」に限った問題ではまるでない。「評伝」を書かない「作者一般」についても妥当するというほかない。なぜだろう。ボルヘスはいう。
「わたしの間違いでなければ、わたしが列挙した異質のテクストは、どれもカフカの作品に似ている。わたしの間違いでなければ、テクストどうしは必ずしも似ていない。この最後の事実はきわめて重要である。程度の違いこそあれ、カフカの特徴はこれらすべての著作に歴然と現われているが、カフカが作品を書いてなかったら、われわれはその事実に気づかないだろう。すなわち、この事実は存在しないことになる。ロバート・ブラウニングの『恐怖と疑念』はカフカの物語の予告篇になっているが、われわれがカフカを読んだことがあれば、この詩のわれわれの読みは著しく洗練され変更される。ブラウニングは自らの詩を、いまわれわれが読むようには読まなかった。『先駆者』ということばは批評の語彙に不可欠であるが、そのことばに含まれている影響関係の論争とか優劣の拮抗といった不純な意味は除去されねばならぬ。ありようを言えば、おのおのの作家は自らの先駆者を《創り出す》のである」(ボルヘス「カフカとその先駆者たち」『続審問・P.191~192』岩波文庫 一九九三年)
次の指摘はなお面白い。ネットに関係がある。
「日本にいまいる外国人というか母語が日本語でなく外見もいわゆる日本人に見えない人たちがどれくらいいるか、その人たちは自国では技術者だったり知的レベルの高い人がごくふつうにいる、ところがその人たちは日本語がちゃんとしゃべれない、日本では日本語をちゃんとしゃべれない、日本では日本語をちゃんとしゃべれない人をアタマが悪いと思う風潮がある、それで外国人労働者とか技能実習生がバカな日本人にバカ扱いされるんだが、チンパンジーがどれだけ言葉を憶えるかという研究はこの偏見が根っこにないか?
とにかく自分の基準を相手にも当てはめる、短歌の基準で英語の短詩を読むとか、『ベトナムで国語の先生をやってたっていうけどやっぱりベトナム人はダメだな、日本に一年もいるのに五七五の俳句ひとつ作れない』。書いている途中で四、五十年前の親戚の叔父たちの会話を再現しているみたいで気持ちが落ち込んだ、ところが今ではこんな例文を書くと、ネットでは、『保坂は、ベトナム人はダメだと群像で書いた』となる」(保坂和志「鉄の胡蝶は夢の記憶に歳月に彫るか(65)」『群像・2024・1・P.315』講談社 二〇二三年)
道元の名を出している。「体感」ということに関して。次の箇所あたりが入口にはなるかもしれない。
(1)「諸仏のまさしく諸仏なるときは、自己は諸仏なりと覚知することをもちゐず。しかあれども証仏なり、仏を証してもてゆく」(「正法眼蔵1・第一・現成公案(げんじやうこうあん)・P.54」岩波文庫 一九九〇年)
(1’)「覚り得た人々がまさしく覚りを得た人々であるとき、その人は自分が覚り得た人であると意識することがない、それは身心が覚りに同一化しているからである。そのようではあるけれども、その人は仏法を知り得た覚者であって、さらに覚りを求めてゆく」(「正法眼蔵1・第一・現成公按(げんじようこうあん)・P.22~23」河出文庫 二〇〇四年)
ところが、ひょいと目に止まったのは(2)。
(2)「口声(くしやう)をひまなくせる、春の田のかへるの、昼夜になくがごとし、つひに又益なし。いはむやふかく名利(みやうり)にまどはさるるやから、これらのことをすてがたし。それ利貪(りとん)のこころはなはだふかきゆゑに。むかしすでにありき、いまのよになからむや。もともあはれむべし」(「正法眼蔵1・辧道話(べんだうわ)・P.22」岩波文庫 一九九〇年)
(2’)「やたらと口うるさく声を上げて読経念仏するのは、春の田の蛙が、昼夜に鳴くのに等しく、まったく何の利益もない。ましてやいわんや、深く名利に惑わされている徒輩は、これらのことを捨て難いのであって、それは利を貪る心がはなはだ深いところからである、昔もこのような徒輩はいたし、今の世にこの同類がいないことはない。最も哀れむべき者たちである」(「正法眼蔵4・辧道話(はんとうわ)・P.299」河出文庫 二〇〇四年)
道元による(2)は法然に始まる専修念仏批判とも取れる。だが道元「正法眼蔵」にある「山水経」で用いられている論理を当てはめようとするとこの批判は逆にきわどい。問題はなぜ、「両者とも」、よりによって「中世」になって始めて発生したのか、ということを念頭に置きつつ改めて読解し直さなくてはほとんど無意味に近くなってきたようにおもう。見るに耐えない差別的解釈の横行という問題を伏せておくことはできないし、二十世紀以後、部落解放同盟の論理が有効性を持ち得ていた頃にずいぶん是正されながらも今だかたくななカルト的あるいはオカルトめいた解釈さえ見られるありさま。
また単なる生き残り作戦ではなく、なかには、現代社会で打ちつづく過剰ストレス状態に寄り添った解釈を試みる人々もたくさん出てきた。道元なら曹洞宗とは必ずしも限らず他の宗教者も宗教者でなくても、ネットではほぼ見られないかもしれないが、日々の暮らしにすぐにでも役立ちそうな新しい読みへ挑戦しつつある。
「やたらと口うるさく声を上げて」
今なら「ネット民」の「民度」あるいはそれに便乗する「マス-コミを含めて」といってもいいだろう。以前は「飲みニュケーション」とか、もっと古くは「井戸端会議」とかを指して言われた。言い換えれば「言葉の暴力」。この指摘はもう何年も前からあった話だが、ことさら今になって復活しているのはどうしてだろう、とおもう。