白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・一方的な、あまりに一方的な、一九二一年

2023年12月19日 | 日記・エッセイ・コラム

一九二一年二月十四日。中之島中央公会堂「借家人同盟大演説会」。

 

酒井隆史はいう。

 

「騒然とするなか、壇上に立った弁士たちの演説は、かたっぱしから中止命令。会場の空気はますます荒れていき、『凶漢を殺せ』『無能警官』といった不穏な怒号が会場に飛び交う。大杉栄からの電報を読み上げると、ようやく興奮は収まった。すでに、あの大杉栄一派がやって来るということで大阪府警の高等課は神経をとがらし各署の高等刑事があちらこちらでうごめいていたという」(酒井隆史「通天閣・第四章・P.342」青土社 二〇一一年)

 

このとき大杉栄は腸チフスで来阪していない。にもかかわらず大阪府警はそこに「いない」大杉をなぜそれほど警戒する必要があったのだろう。

 

大杉の来阪はその八月のこと。警察は尾行を怠らなかった。しかし報告をみるとこれといった記載はない。

 

「もともと、重大事のさいに決まって大阪にいるといわれる大杉が、この時期にもたまたま大阪に立ち寄っていたことはよく知られている。むろん、警察はピタリと張りつき、九日の来阪から十五日の帰京まで、その一挙手一動をも見逃さずとばかり警戒怠りなかった。その努力の結果、いまにいたるまで残されている尾行巡査の報告によれば、『騒動に関係の有無明らかならず』(『大阪府警察史 第二巻』、七一頁)である。警察によるものだけでなく、運動史においても記述はほとんど変わるところがない」(酒井隆史「通天閣・第四章・P.365~366」青土社 二〇一一年)

 

一方、米騒動その他の諸問題をめぐり大量の労働者が詰めかけた八月十一日天王寺公園公会堂演説会場。

 

大阪府警が重点警戒地区としたのは「新世界」。ここを突破されるとなると大群衆は「郭内」になだれ込むことになってしまう。「郭」というのは「飛田遊郭」。警察は何がしたいのかしたくないのかよくわからない。確かなのは「新世界」から紀州街道をまたぎ「飛田遊郭」まで労働者大衆に占拠されることは絶対に許さないという姿勢である。なぜならそのルートこそ、大阪の大資本が<欲望する下半身>そのものだからである。しっかり包囲しておけばおくほどいくらでも儲けがあがる「利権の温床」をたかだか労働者風情に占拠されるわけにはいかない。一方大杉栄は刑事警察機構の動きよりはるかに冷静沈着だった。

 

「大杉栄はおおよそ事態の展開がみえたとき、おもむろに腰をあげ、武田伝次郎らのほか、二〇名ほどの尾行巡査をぞろぞろ引きつれ、深夜まで難波や日本橋、あるいは釜ヶ崎を歩いてまわったとされる。運動史の光のもとにあらわれた大杉は、ここからの大杉なのであった。事実の詳細は謎である。しかし次のことは確認できる。すでに大杉栄は、それが悪夢であれ幸福な夢であれ、騒然性の時代にあって、生きたまま夢みられる人であったということだ」(酒井隆史「通天閣・第四章・P.368」青土社 二〇一一年)

 

この箇所の注釈にこうある。

 

「逸見吉三は尾行がそのまま家に入ってこようとしたとき、大杉が『お前たち、下がっておれ!』と一喝すると、ハッとして二〇メートルも飛び下がったという。このときの声の威厳が耳を離れないという。この逸話が知られずにいた理由について、吉三の回想は興味深い。『彼(大杉)は、昨日のひるまの活動について、いっさいふれず、誰にもしゃべらなかった。直造は何どかしゃべりかけては、口をつぐんだ。そしてしばらくして大杉の深謀遠慮、その大胆さと細心な心くばりに感謝する以外になかった。/第一に、大杉は直接その現場をみ、具体的な問題をとらえることによって、状況の核心をにぎり、その対応について判断していた。決して思いつきや、紙上で作品をたてたのではなかった。/第三に、この米騒動の発端での自分の活動について、大杉はまったくふれず語らなかった。/一時のヒロイズムや自己満足のために大言壮語したり、または仲間だけにでも洩らしていたらそれは後日きびしい取締りによって、かならず処罰の対象になっただろう。当夜あつまったものすべてにも塁がおよんだかもしれなかった』(逸見吉三『墓標なきアナキスト像』三一書房 一九七六年 八三~八四頁)」(酒井隆史「通天閣・第四章・P.535」青土社 二〇一一年)

 

ニーチェから引こう。日本にとって東京は世界からの筆頭玄関口である。ゆえに都合のよくないものはほとんどすべて「机の下」へ注意深く隠されているのが常だ。

 

「自己観察に対する不信。或る思想が或る別の思想の原因であるということは、確定されえない。私たちの意識という机の上では、あたかも或る思想がそれに後続する思想の原因であるかのように、諸思想が次々と現われる。事実私たちは、この机の下で演じられている闘争を見ないのだ」(ニーチェ「生成の無垢・下・二四七・P.147」ちくま学芸文庫 一九九四年)

 

フーコーやドゥルーズがのべた近現代ヨーロッパの国家的管理技法。「見ない」ように誘導されている。「見たくない」とおもうよう誘導されている。そして誘導されているということに気づかないよう極めて慎重に整理整頓されていく流れの中で常に「監視・管理」されている。

 

フロイトのいうイド。常は可視化されえず見えもしない<欲望>の暗黒世界。ところがそれが場所を大阪へ置き換えるやいきなり転倒を起こして「丸見え」になることがしばしばある。一九〇三(明治三十六)年「第五回内国勧業博覧会」の際、「クリアランス」さらた人々の多くは日雇労働者、ありとあらゆる貧困層、被差別部落民、在日朝鮮人、心身障害者(児)、障害を持つ大衆芸人ら。ここ数年でいえば「大阪万博」を前にどんどん推し進められてきた排除の論理と諸地域の「クリアランス」。政治的クリアランスというのは「浄化政策・ごみ掃除」などを意味する。この場合の「ごみ」は隠語的に用いられて「人間ごみ」と言われる。

 

生きていくに値しない人間、使い道のなくなった日雇労働者、重度心身障害を患い大阪の発展の「害」になると目される人々など。そこで大阪市府政が最初に手をつけたのが「あいりん労働福祉センター」閉鎖と強制排除によって最後の行き場を失った四、五人の中高年ホームレスだった。公権力を用いた「殺人」に等しいにもかかわらずマス-コミは報じていない。何十人もの警察官に取り囲まれそれをさらに遠巻きする機動隊車両。決定権を握っているのは今なお吉村維新にほかならない。


Blog21(番外編)・二代目タマ’s ライフ217

2023年12月19日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二三年十二月十九日(火)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

飼い主が買い物から帰宅するとお腹をみせて「遊んでポーズ」。今日は買い物以外にそれほど忙しくなかったので時間を開けて何度か遊んでやる。生後九ヶ月。ようやくクッションにくっつく「ちゅぱちゅぱ」が減ってきた。だいたい生後八ヶ月くらいから減少するのではと言われていたが二代目タマは初代とくらべていつもどこか過剰な面が多い。わけても行儀のわるさは成猫になってもこのまま持ち越していきそうだ。

 

黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。フランソワ・J・ボネ&スティーブン・オマリー。もう四年になるのかと思った。前作は楽吉左衛門(十五代直入)の茶碗をあしらったジャケットのアートワークが評判にもなった。実験音楽の本場でさらに何が追求されているのかを知る今作。その1。

後期高齢者が増えてきた日本のプログレ愛好家の年末を締めくくるこの一曲。その14。


Blog21(ささやかな読書)・常連たちの二〇二三年

2023年12月19日 | 日記・エッセイ・コラム

どのような選考を経て木下龍也の手へ届くのかわからないが、初回からちらほら見えはじめ常連化してきた名がある。「庄井陽樹」、「サラダビートル」、「おいしいピーマン」、「十条坂」といった投稿者。「十条坂」は大変わかりやすくストレートな趣きで安定的なのだが、そのぶん物足りなさを感じるのは読者がひねくれているからかもしれない。

 

ちなみに面白いと感じたのは庄井陽樹の次のような歌。

 

「ライオンは蝿を殺さずしなくなるそのひまでまばたきをつづけた 庄井陽樹」(木下龍也「群像短歌部(第4回)」『群像・2023・10・P.514』講談社 二〇二三年)

 

安易で感傷的なロマンチズムに流れてしまわない余韻がなかなかいいのではと。芍薬もまた常連のひとり。テーマは毎月違うのにこの手のものは得意というかリアルな面白さが持ち味におもえる。発声練習にもなるところはわざとなのか知らないが知らなくてもいい。

 

「土曜日の耳鼻科はひどく混んでいて右手をソファに噛ませて待った 芍薬」(木下龍也「群像短歌部(第3回)」『群像・2023・9・P.486』講談社 二〇二三年)

 

「かんたんに殺されそうな体勢で歯型のシリコンむぎゅむぎゅと噛む 芍薬」(木下龍也「群像短歌部(第5回)」『群像・2023・11・P.390』講談社 二〇二三年)

 

今月号は解説を読んでもわからない歌に出会った。かなり悩んだ。

 

「自切するトカゲのように捨てた星ぼくが動くと部屋が痛がる 長尾桃子」(木下龍也「群像短歌部(第7回)」『群像・2024・1・P.162』講談社 二〇二三年)

 

木下龍也はこの一首について「詩の度合いが強」いと言っているのだが、詩だとしたら、ではわかるのかといえば必ずしもそうではないだろう。あえて短歌にしたとすればなぜ短歌なのか、それが知りたいとおもった。今なお悩んでいる。


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて643

2023年12月19日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

末期癌の母の朝食の支度。今朝は母が準備できそうなのでその見守り。

 

午前六時。

 

前夜に炊いておいた固めの粥をレンジで適温へ温め直す。今日の豆腐は藤野「京の鍋とうふ」。1パックの四分の一を椀に盛り、水を椀の三分の一程度入れ、白だしを入れ、レンジで温める。温まったらレンジから出して豆腐の温度が偏らずまんべんなく行き渡るよう豆腐を裏返し出汁を浸み込ませておく。おかずは白菜の漬物。

 

漬物は浅漬けよりさらに塩分をきった程度。タッパーに移して冷蔵庫で保存しておいたもの。

 

昨日昼食。トマト(一個)。茶碗蒸し。

 

昼寝。

 

テレビ「家族法定」を見る。

 

昨日夕食。近くのスーパーの鮮魚コーナーで注文した刺身(七切れ)。意外に食べられた。母はいう。「おいしい」。味覚が失われていく只中のまさかの言葉。ところがなかでも「マグロ(中トロ)」がよかったから「今度からマグロ(中トロ)だけでもいい」とまで言い出す。それでは困る。栄養の偏りは避けないといけない。ほかにサーモン、ブリ、ハマチ、イカ、タイなど、息子の妻の好物ははずせない。とりわけ息子はホタテやいわゆる「ゲテもの」が好きなのだが。息子の好物は家族の中では受けるはずもないのでほぼいつも却下される。

 

テレビ「ONE DAY」を見る。

 

右足の特にふくらはぎのむくみ(浮腫)がただ単に腫れ上がってきただけでなく今度は腫れた状態で固くなってきた。指で押してみると弾力が感じられずむしろひたすら固い。例えば日本人に多く見られる肝機能障害の場合、「肝脂肪」の段階では肝臓が肥満しているような状態でさわるとやわらかい。ところが進行して「肝硬変」になった場合、肝臓の繊維化によりかちこちに固まった状態へ急変する。子供にさわらせてみてもはっきりわかるほど固い。

 

母は一滴もアルコールを口にせずタバコ一本吸わないのだが末期癌患者の場合のむくみ(浮腫)も悪化すると固くなることが多い。もう少し詳しくは「リンパ浮腫」と言われるものだが母のケースでは特に鼠蹊部・膝窩部でリンパの流れが阻害あるいは機能不全に陥っているとおもわれる。

 

参考になれば幸いです。

 

今朝の音楽はバド・シャンク「DO NOTHIN’ TILL YOU HEAR FROM ME」。


Blog21・アルコールも薬物も長生きでいきたい/いける方法

2023年12月19日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール・薬物使用によって著しい数値上昇が見られる「γ-GTP」。血液検査でひと目でわかる。医師でなくともわかるほど明確な数値として出てくる。ところが厚労省基準は実にあいまい。男性50以下。女性30以下。

 

しかし一般的な目安としては男性20~60程度。女性はもっと低く0~40程度。

 

一般的目安で見てみると、アルコールも薬物も医師の指示に従って摂取している限り、問題が起こることはまずない。

 

ところがアルコールにせよ薬物によγ-GTPが1000を越えた場合は危険。なかには3000を越える患者もいるが、それはまだ二〇代で体力もしっかりしている場合。それでも2000~3000を越えた依存者はたいてい洗濯用のバケツに一杯くらい吐血したことが三度ほどはある。五十代以上でそこまで達した場合、ほぼ即死するのが常。ただγ-GTP「だけ」が異常に上昇している場合はアルコール・薬物絡みとは必ずしもいえない。そもそも酒タバコに関心のない人々では後者のケースが時折見られる。その際は他の病気を疑う。

 

ここで問題にしたいのはあくまでもアルコール・薬物(オーバードーズ含)のケース。中高年ではコロナ禍で覚えた「経済的な家飲み」を典型例として激増した。疲れていてもしゃきしゃき翌日出勤(テレワーク含)を可能にするアルコールと薬物とのコンビネーションも拍車をかけた。「トー横」は問題かもしれないがそれを言うなら「おとなの世界」の常識が非常識へ転化している事態を避けてとおることは決してできない。

 

また、ほとんど外出しない受験生なら大丈夫というのは大いなる錯覚。市販薬の組み合わせ次第でメタアンフェタミン(ドイツ型覚醒剤)の半分くらい強力な集中力を得られるものが大っぴらに出回っている。それで東京大学、京都大学、早稲田大学、慶應義塾大学等へ合格進学する受験生が増えていることをマス-コミはなぜか伝えない。ドーピング検査もない。不可解この上ない。

 

血液検査に戻ろう。自身の症状に照らし合わせ、ここ数年間ずっと維持継続して摂取している薬剤(とんぷく含)。

 

日中。うつ病治療薬「トリンテリックス」(10m g)二錠。レキソタン(2m g)二錠。

 

就寝前。フルニトラゼパム(2m g)一錠。うつ病治療薬「トリンテリックス」(10m g)二錠。レキソタン(2m g)四錠。エバミール(1m g)二錠。

 

それでも眠れない場合。オランザピン(5mg)適量。ヒルナミン(5mg)適量。

 

退院以後の結果でγ-GTPの数値が25を越えたことはこれまでに一度もない。たいていは12~17ほど。治療に入る前の最高値は1000前後だったが。

 

ネット検索して出てくる情報はどこまで行っても一般論ばかりであり、さらに周囲が下手に血液検査を薦めるのはたいへん考えもの。不信感を高めてしまうだけ。時間がかかるのである。

 

しかしアルコールの場合、これ以上になれば入院してもらうほかないと判断された場合、それなりの方法はある。そして入院まで何とかこぎつけたとしよう。血液検査というのはアルコールを断つと数値が下がるのは案外早い。するともう退院できそうな気持ちがむくむく湧いてくる。そこで地域医療に繋げることができれば失敗を繰り返しつつもそれなりに回復へ進む患者は少なくない。けれども入院時にやっておきたいのは血液検査や薬物療法、食事療法や認知療法などの心得だけでは不十分であると言わざるをえないがゆえの、少し違った方法だ。

 

無理にとはいわないし言えない。ただ希望者がいればという限りで是非とも薦めたいのは「CTスキャン」である。入院であれ開業医への通院であれ、どちらにしても依存症化してしまっている場合、生涯にわたる長期治療が必要になってくる。そこで一度自身の脳がどのように変形あるいは「畸形化」してしまっているか、よく見て観察してみるのも決してわるくはないとおもう。むしろ薦めたいとおもう。

 

依存症の場合、患者が三十代であれば脳萎縮の程度はCTスキャンですぐ判別できる。あまりに低年齢の場合はたとえアルコール・薬物が疑われたとして、なおかつ脳萎縮が起こっていてもすぐさま原因を特定するのは困難。他の障害や病気の可能性は幅広い。二十代以上になると原因特定率は飛躍的に高まる。

 

実例をひとつ。専門病棟で相部屋になったアルコール依存症者のひとりに五十三歳の患者がいた。ぺらぺらよくしゃべる愛想のいい男性。特に大勢の人前での演説がうまい。中学時代、大阪の弁論大会で第三位を獲得した経歴の持ち主。

 

入院時はよくあるように家庭崩壊、独身。家族はいるが高校生くらいの男子。別居を余儀なくされ、息子のくせにぜんぜん会ってくれないと小声でぼやくことがあった。ぼやくといっても全面的に自身の責任だと承知していたためその思いはいつもどこか切なさを引きずって聞こえた。

 

それはそれとしてこの五十三歳の依存症者のCTスキャン画像を見せてもらえる機会があった。ほかの患者に見られたくない場合は申し出ればプライバシーは守られるのだがその患者は別に構わないというので見ることができたわけである。どんな画像だったか。

 

通例なら頭蓋骨にくっついている脳のほとんどの部位が萎縮を起こして頭蓋骨と離れてしまい、空洞ができ、そこになみなみと水が溜まっている。さらに脳の左右の間に太い稲妻のような亀裂がありありと映っている。趣味のよくないギャグ漫画を唐突に見せられた気がした。もっとも、一番ショックを受けていたのは本人で、瞬間的に唖然としていたが、しばらくすると自分でもわけのわからない笑いがこみ上げてきたようでふるえる両手で画像を握りしめながらげたげた笑っていた。気が狂ったかとおもったが笑い終えたあと、こちらを振り返った顔はいつもの表情に戻っていた。翌日から糖尿病治療のための早朝の散歩を熱心にはじめた。

 

先に無事退院したその男性とはしばらく年賀状のやりとりをしていた。二十六年ほど前の年賀状を最後に音信不通になった。

 

アルコール・薬物の場合、血液検査したとしても検査の時期によりけりでγ-GTPはすでに200以下程度まで減少していることが多々ある。その程度なら入院はもとより通院も必要ないとみなされる。ところがCTスキャン画像の場合、それはその患者の身体の履歴として動かぬ証拠となって残る。一種のショック療法といえる。だから拒否することができる。しかしあえて画像のコピーを取ってもらい、退院時に持って帰る患者もいる。そこにはその患者がどのようにアルコール・薬物とかかわってきたか、動かしようのない生きざまがまざまざと反映されてくるからである。

 

アルコール・薬物の適正摂取量を守っていればそもそもそんなことは起こってこない。適量を越えた摂取をつづけてきた人間に限り、三十代になると急速に脳萎縮しはじめるのはありふれた通例であり何ら不思議とはおもわれていないし過度に心配することもない。ただ、長々とつづく治療が生涯待っているという程度。むしろ脳萎縮しないほうがレアなケースといえる。

 

一度触れたことがある。「ひとり飲み」とは言えないケース。飼い犬を道連れにする患者がいる。犬をアルコール・薬物の席に同伴させる。猫の場合もある。一緒にちろちろ舐めてくれる。犬猫とともに依存症化して死んだ患者は実は少なくないのである。必ずしも「ひとり飲み」におもわれない。むしろ無理心中というのがふさわしいようにおもう。昨今では男性の依存症者より女性やLGBTの依存症者の急増が目立ってきた。専門病院治療が必要であるにもかかわらず、ソ連でもないのに世間体という「鉄のカーテン」があり、これまで場外に追いやられてきた人々。どうしてなのだろう。