年末年始に合わせてあれこれ買い揃えるということはここ数年やっていない。そもそも大げさはことはしない性格なのでいつもはそうだ。しかし今年は母の容態に合わせて後から忘れ物が出てこないかと調べていたところ、はたと気づいたものがあり、今日になってスーパーへ買い物に行くことになった。
処方箋薬は数日前に薬局で確かめてもらっていて問題ないのだが、それ以外のもので不足してきそうな商品を医療品コーナーで買い足しておく。今週の中頃にあった診察では主治医から終末期医療のための予約をあらかじめ取ってある病院へそろそろ入院する気持ちがあるかどうかの問いかけを受けた。右足がますます腫れ上がり硬直してきて風呂に入るのも極めて困難。ベッドの乗り降りも両手で足を持ち上げながらでないと上手くできない。そこで時期的に入院の意志をたずねられたわけである。
母はあくまで在宅にこだわりたいという。ここ半年ばかりの闘病生活でようやく介護する家族の側にも細かな要領がつかめてきたし、母は死が近いにもかかわらず介護する側もされる側も症状の変化に即して徐々に食事と睡眠をはじめとする日常生活の細かな配慮に慣れてきた点が多々あり、それに満足しているということが大きい。
決して無理を言わない主治医で、診察の都度患者本人の意志確認に留めるタイプなのでその点は助かる。診察時に考えられる最小限の対応で微調整を図っていく。介護する側と主治医との間で無用な摩擦が起きないのが何より。
むくみ(浮腫)は膨らんできたというだけでなくすでに固い。足の関節をゆっくり曲げるだけでもひと苦労。身近な人間がそれを助けようとして下手に触ると逆に足の関節が悲鳴をあげる。介護というのはもう三十五年ほども前から変わっていないところはほとんど変わっていないのではと首を傾げたくなることがしばしばある。終末期医療というのは先端的技術開発の導入で劇的に変わった点が見られる反面、どれほど先端的技術開発が進められていてもなお困難な箇所は相変わらず困難なまま。どうしようもないところが残るものだとやっていて思わないではない。
母の場合、もうそろそろ癌の疼痛が一段と激しさを増してきてもおかしくない時期。ところがなぜかモルヒネ製剤増量の必要はないようだ。一日一錠のナルサス(2mg)で間に合っている。夜間はすやすや眠れている。そこで何が必要になったきたかというと実は便秘用浣腸の追加分。癌発症以前から何十年も悩んでいた便秘薬だったというのはちょっと拍子抜けした。「早く楽に死にたい」と口にしがちなここ数ヶ月。それでも今日最も必要だと言いうので買いに行ったのは浣腸。家の中の会話はどこかとぼけた風味が漂ってもいる。