酒井隆史「通天閣」の一節で幸徳秋水のアメリカ行きについて触れた箇所がある。
「自由民権運動左派からマルクス主義、それから革命的サンジカリズムないしアナルコ・サンジカリズムへと向かった幸徳秋水の思想的転回についいてはすでにくどくどとふれるまでもない。筆禍事件の責を問われての獄中生活のあいだに、すでに萌芽をみせていたが、決定的な契機が、一九〇五(明治三十八)年十一月二十九日からおよそ半年間にわたるアメリカ訪問であった」(酒井隆史「通天閣・第四章・P.415」青土社 二〇一一年)
その注釈に注目したい。
「この社会の核には『悲しみ、懊悩、神経症、無力感』などを伝染させ、人間を常態として萎縮させつづけるという統治の技法がある。日本近代史のある時点で、統治がうまく活用することを学んだ技法である。左派の側もこの技法をしばしば無批判にみずからのうちに導きいれ、ときには誇張したかたちで同化してしまっていた。もし『古い外皮のなかに新しい社会』というサンジカリズムの標語になにがしかの手がかりを求めるとすれば、この『新しい社会』は、私たちがいまここでさまざまな知恵や工夫によって、決して私たちが逃れることのできぬ『陰性』をたえず遠ざけることから出発しなければならない。これは主要には心がまえとか道徳の問題ではない。これは制度の問題であり、社会を変えることそのものの問題なのである」(酒井隆史「通天閣・第四章・P.541」青土社 二〇一一年)
わけても注目したいのはこの部分。
「この社会の核には『悲しみ、懊悩、神経症、無力感』などを伝染させ、人間を常態として萎縮させつづけるという統治の技法がある」
この統治の技法をいつも巧妙狡猾に用いるのは政府=行政の側だが反対勢力の側もこの技法に繰り返し陥る。原因=結果の因果論を無批判に信じてしまうと「体制/反体制」を問わず誰もがそうなる。その錯覚に。しかしなぜ錯覚だといえるのか。はるか昔にニーチェがいった。
「《『内的世界の現象論』》。《年代記的逆転》がなされ、そのために、原因があとになって結果として意識される。ーーー私たちが意識する一片の外界は、外部から私たちにはたらきかけた作用ののちに産みだされたものであり、あとになってその作用の『原因』として投影されているーーー『内的世界』の現象論においては私たちは原因と結果の年代を逆転している。結果がおこってしまったあとで、原因が空想されるというのが、『内的世界』の根本事実である。ーーー同じことが、順々とあらわれる思想についてもあてはまる、ーーー私たちは、まだそれを意識するにいたらぬまえに、或る思想の根拠を探しもとめ、ついで、まずその根拠が、ひきつづいてその帰結が意識されるにいたるのであるーーー私たちの夢は全部、総体的感情を可能的原因にもとづいて解釈しているのであり、しかもそれは、或る状態のために捏造された因果性の連鎖が意識されるにいたったときはじめて、その状態が意識されるというふうにである」(ニーチェ「権力への意志・下・四七九・P.23~24」ちくま学芸文庫 一九九三年)
当然それは「運命論」としてすべての人間をニヒリズムへ陥らせてしまう。もう何をしても無駄だと。決まってしまっているのだと。このまったくの錯覚を利用してその都度の支配層が巧みに利用するのが酒井隆史のいう新しい統治法である。
「この社会の核には『悲しみ、懊悩、神経症、無力感』などを伝染させ、人間を常態として萎縮させつづけるという統治の技法がある」
ニーチェ、フーコー、ドゥルーズに目を通したことがあれば今さら騙されるような人間はいないに違いない。ところがニーチェ、フーコー、ドゥルーズに関する参考書が山のようにうず高く書店に並んでいた時代を過ぎて多くの人々が忘れ去ってしまっているであろうと思われるこの時期に立ち至り、なぜか「大阪万博」というありえない大博打が打たれた。
さらにその話の内容はといえば、採算が取れるか取れないかという話にまで早くも突き進んでしまっている。どのみち「中止」はないらしいという「悲しみ、懊悩、神経症、無力感」にばかり日に日に「伝染させ」られ、各種報道を通して「人間を常態として萎縮させつづけるという統治の技法」にまんまと引っかかっている主に大阪人を見かけない日はないくらいだ。
しかしこの「この社会の核には『悲しみ、懊悩、神経症、無力感』などを伝染させ、人間を常態として萎縮させつづけるという統治の技法がある」という一節をもう一度読み返してみる必要があるのでないだろうか。酒井隆史の文章はなるほどこのような「統治方法」がまたしても用いられている、けれども、当事者たる市民は果たしてそれでいいのか?という問いかけでもある。それを見逃してしまってはせっかくの読書もそのために用いた時間も書籍代もまるで無駄になってしまうのでは、とかなり強い危惧を抱かずにはおれない。
「大阪万博」報道がなされているまさにその時、テレビカメラが回っていないそのあいだ、大阪府市民の目の届かないところで吉村維新は何をやらせていたか。釜ヶ崎ノ「あいりん労働福祉センター」のほかに行くところのないたった四、五人の無力かつ高齢なホームレスを機動隊まで動員して徹底的に暴力的強制排除していた。