ネットをちらほら。
十一月二日の大津地裁。
八十四歳男性(夫)が八十二歳女性(妻)の首を絞めて殺した事件。
問われたのは「承諾殺人」の罪。
殺す以外に方法はなかったのか。ある。複数ある。
ところが地方の惨状というのはーーー。
「周囲になんとかできなかったのか」とか「一方的」とか早くも様々な色合いの主張で埋め尽くされていくネット画面。家族というのは言うほど単純ではない。ひとくくりにどうこう言えるようなケースでない場合が圧倒的多数。「言うほど~ない」というのは「言葉にできないくらい」とか「言語化不可能」とかを指す。
構造的複合性抜きに言語化不可能なのはもっともな話。どんな裁判官が担当するかも大いに問題を左右する。さらに外野の口出しを無制限に許して憚らない悪口雑言の雨あられ。これらの言葉をひとつ残らず懇切丁寧にAIが拾い上げてデータ化していくとすれば、それこそ日本の未来はたいへん暗いとしか言いようがない。東京の真ん中あたりで適当に居眠りしていても「仕事になる」監督官庁の怠慢は言わずもがな。
殺す以外の方法は複数ある。というより、ずいぶん前からメニューは用意されていた。ところが周知徹底されるはずはない。官民ともに嫌がった。すべての官民というにはほど遠いわけだが。なぜ「ほど遠い」か。
例えば、六と五という目が出たとしよう。たちまち六が世界を圧倒するという不可解な「民主主義」がひとつも変わらない以上、何が起こってくるか。当然のことながら、というほかない事態が続けざまに強行される。といえばわかるに違いない。
セーフティ・ネットとして起動しようと準備されていた複数のメニューは次々狙い撃ちされ潰された。それが一九九〇年代以後いわゆる「平成」を通してずっと条件として作用した。そのとき止めに入ってこなかった人々が何をいまさらという気は大いにするものの、周知徹底されたとはとてもではないがいえないことも考慮しないといけないだろうと思う。
社会保障「制度」というものは利用されないとばんばん消去される。当たり前。なんと日本は、驚くほうがどうかしているわけだが、利用しない利用されない状況が打ち続いた。大きな原因の、それがひとつ。さらに何でもかんでも「民営化」という日本型「全体主義」が立ちはだかった。それがふたつめ。結果的にやむなく廃止されるに立ち至った機関やじわじわ「統廃合=実質倒産廃業」へほとんど意図的に追い込まれた機関があまりにも数多い。場所を塞いだのは日本型「民主主義」。
そのあいだ。「あなたたちはいったいどこで何をしていたのでしょう?」。高笑いが聞こえてきそうだ。
少子高齢化の大波が地響き立てて日本全土に襲いかかることは一九七〇年代すでにわかりきっていた。「なのにあなた、どこで何していたの?」。高笑いは限度を忘れる。
ただ、例外的なケースが一方であることも事実だ。「民営化」が速度を忘れ「自分をも忘れ去る」まえのこと。
幾つもあるといえども、これはプライバシーの観点からなかなかupできない。できるとすればさしあたり自分自身のことについてしか見あたりそうにない。ほんのわずか。ごく一例でしかない。それでよかったら、少しのべたい。
舞台:京都。出演:ブログ主とその周辺。
夜間救急というシステムがある。当時の京都市内への搬送先は原則ふたつ。(1)京都府医大。(2)大和病院。
もし夜間に倒れるようなことがあれば(1)「府医大」(ふいだい)と口にするよう常日頃から念押ししていた。(2)はいけないというわけではなく、ただ単に知らなかっただけの話。
ともかく、(1)でアルコール・薬物依存が疑われた場合、何をどうすればいいか、府医大の当直医による指示は決まっていた。伏見区にある開業医への紹介状がすみやかに発行される。休日をはさむ場合、休日に見合う最低限度の薬(主に標準的抗不安薬および睡眠導入剤)が処方される。当時の標準はジアゼパム(抗不安薬)とニトラゼパム(睡眠導入剤)。しかしこれで寝られるとしたら不思議だ。眠れない。眠れないながら休日をはさんで紹介された伏見区の、ある意味有名な、開業医までたどりついた。
あとは順調。よく知られている問いに答えるだけ。「毎日通いますか、それとも入院しますか」。一も二もなく入院を選択。翌日くらいには専門病院へささっと入れた。なんと空いているベッドがあった。しかしもしほかの誰かに相談していたとしたらそう上手くことが運んだかどうかははなはだ疑問。うまく行かなかった可能性のほうが途方もなく大きい。夜間の場合、府医大(ふいだい)というたった四個のひらがらが当時の近畿圏最速かつ最短ルートだった。魔法のような実話。
入院先の病院の名前。近畿一円でなぜか「悪名高」かった。ところが実は「噂」とはまるで違う。全然違う。はるかに違う。「噂」というのは「噂」を垂れ流しつづける人々がいて始めてあたかも事実のように流通する危険この上ない、根も葉もなく、当てにできうる「十分な根拠」一つない「罪深い」ものに過ぎない。これまた「言葉」の問題。「噂」は常にそうだ。ネット上にあふれかえるデマは実現したポストモダン的巨大化のひとつの現象に過ぎないといえよう。
今はかつてより逆にややこしくなった。SNSは一般論ばかり。一般論の山また山。海また海。地方都市の苦悶はその頃すでに始りかけていた。そうでない恵まれた生活環境が今なお残るのは東京都二十三区や大阪市といった大都市のみ。そこでたまたま見られる成功談がマス-コミを通して語り継がれマス-コミを通して流通増殖するような事例ばかり挙げ立ててその気になれるほうがどうかしているというほかない。なおかつインボイスがなんとかしてくれるというのは輪をかけて横着な単なる妄想の域を出ない。
なお、もし万が一の際迷わず「京都府医大」を選ぶよう家族に念押ししていた理由のひとつに、学生時代以来の信頼感がある。一九八〇年代後半。京都府医大の学生サークル「新聞会」と自身が所属する関西大学の学生サークル「新聞会」とは年に二度ほど情報交換の場を設けていた。落ち合う場所は京都大学吉田寮。
関西の主だった大学で統一教会を始めとするカルト団体がどれくらい霊感商法を始めとする悪質きわまりない勧誘活動を展開しているか、常に情報がスムーズに入ってくる体制を維持継続していた。京都府医大の場合、一学年約百名の医学部生が毎年入学してくる。そのうち何人かの学生は早くも統一教会員かその支持者。ところが六年間も顔をあわせていれば百人のうち誰が統一教会系医学部生かそうでないかはひと目でわかるようになってくる。そして統一教会系学生の場合卒業すると、なぜかはわからないのだがほとんどが府医大に残ろうとはせず、いつの間にかどこか他の都道府県の病院へ勤務して医師の立場を狡猾巧妙に利用しつつ重症患者とその家族らをカルト団体支持者へ洗脳することに励んでいた。京大新聞会の医学部学生もそのことは重々承知しており統一教会と繋がりのある医学部生には気をつけるよう医師になってからも怠らず目を光らせていた。
そんなわけでもし自身が夜間に倒れ救急をという事態にもしなればタクシーであれ緊急車両であれ行き先は迷うことなく「府医大」(ふいだい)を指定してくれるよう身近な人間にあらかじめ告知していた。間違っても統一教会と繋がりのある医師やその影響力の強い病院への搬送を避けるため、活かされた知識はすでに学生時代の経験にしたがった。その結果今なおかろうじて生きることができているのは確かである。断言できる。
それにしても思うのはいつものことだがマス-コミの罪。
どす黒すぎる。