前に「女性向け」雑誌について触れたことと重なる。バルト「モードの体系」(みすず書房 一九七二年)にあるようにヴィジュアルに何らかの「ナラティブ/ナレーション」が貼り付けられるやそれはただちに同調圧力として作用する。雑誌媒体しかなかった頃でさえ途方もなく多くの痩せた女性を「美」として取り扱ってきた名残りだが、いまやSNSを介してその猛威は留まるところを知らない。痩せていなければ「人間でない」とでも言いたいかのような論調があちこちに見られる。それは市販薬か闇ルートかを問わずずいぶん「儲かる」お安い方法のひとつだ。これまでにさんざん指摘されてきたことでもある。
ところで「やせ薬」依存者といえばただ単に、いわゆる「美人」志願者ばかりだとも限らない。かつて覚醒剤がそうであったように常に空腹状態であることが多くなると身体は何を欲するようになるかという点に目を止めない限り、もうひとつ、あるいはそれ以上の重大問題がともすれば見えなくなってしまう。薬物を用いてもたらされる空腹状態というのは、次に服用する薬物の「味」を格段に「美味しい」ものへ次元移動させる効果をもつ。
「痩せ方」がへんてこ。だけではない。実にシュールな現代アートのような体型へどんどん「畸形化」していく。本人が止めようと思っても遅い。「やせ薬」がもたらす特異な空腹状態が呼び寄せるさらなる薬物の「うまみ」を手放すことがもはや無理になっていることからやって来るべくしてやって来た完全な薬物依存にほかならない。
返還前の香港。増改築を重ねに重ねた「九龍城」と呼ばれる巨大住宅があった。内部のあちこちに「阿片窟」があった。そこを訪れる阿片依存者はこれでもかといわんばかりに痩せていた。とことん痩せて空腹状態であること。最も「美味しい」阿片吸引方法の前提条件がまずもって自分の身体をそのような「畸形」状態に置くことだった。フランスのヘロイン常習者たちも同様。とにかく痩せること、そして食事を摂らないこと。ヘヴィ級の薬物を「至高の美味」として味わうための礼儀作法のようなものだ。
とはいえ、日本ではタバコ、アルコール、その他の医薬品市場が巨大な既得権益として長年立ちはだかってきたため、今回の市販薬問題にしても結局は既得権益の圧倒的勝利を確認するにとどまった。しかし海外に目を向けると、日本では違法とされているドラッグ(アムステルダムのマリファナ・カフェの類種、ハワイの観光名所を一日中行ったり来たりしている各種ドラック販売人の商品の類種など)で、ある種の加工を施せば日本でも今後医療用薬物として解禁される見込みのものが候補として幾つか研究中ではある。
アメリカの場合はもっと複雑であって、これまでの違法薬物を少しずつ解禁していくことでちょっとでも税収を上げていかないと国が持たないという側面もあるといえる。