二〇一七年三月十三日作。
(1)いたましい記憶を坂道
(2)避難するしか西行
(3)絵の具になったゴッホのまごころ
(4)米軍だけが悪いのか沖縄の正直
(5)裁判員激怒させて静かに死ねそうな独房
(6)月に一度月に痛む人間
☞「『弁証法的』な《死》は外部から課せられた単なる終末や限界以上のものである。《死》が《否定性》の『現われ』の一つであるならば、周知のように、《自由》もまたその一つである。したがって、《死》と《自由》とは唯一にして同一のものの(『現象学的』な)二つの側面であるにすぎず、そうである以上、『死すべき』と述べることは『自由な』と述べることであり、その逆もまた真であることになる。ヘーゲル自身現にこの点を繰り返し主張しており、ことに『自然法論』(一八〇二年)の一節においてそれは顕著である」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.331」国文社)
「彼は次のように述べている。──†この否定的な或いは否定する《絶対者》、純粋な自由は、その現われにおいては死であり、死の能力によって《主体》〔=《人間》〕は自由にしてすべての束縛の上に絶対的に高められたものとして自己を証示する†──『形而上学的』次元においてこれがまったく正鵠を得ていることは容易に見て取れる。所与《存在》がその全体において限定されているならば(さもなければどのような《学》も《真理》もないであろう)、この所与存在は、その全体によって、その部分となっているものすべてを限定している。したがって、《存在》から逃れえぬような存在者はそれ自身の宿命を逃れえぬであろうし、それが《コスモス》の中に占めている場において、そしてその場により決定的に固定されているであろう。或いは換言するならば、死ぬことができず永遠に生き続けねばならないのであるならば、《人間》は神の全能の支配を免れることができないであろう。だが、もしみずから自己に死を与えうるならば、人間は自己に課せられたどのような運命といえども拒否することができるようになる。なぜならば、そのとき人間は現存在することをやめることによって運命を耐え忍ばなくてすむからである」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.332」国文社)
「『現象学的』次元に移行すると、自殺、すなわち『生命的必然性』のない自発的な死は、《否定性》や《自由》を最も明白に『顕在化せしめるもの』となる。なぜならば、《生物的に》適応している所与の状況を免れるために自殺すること、これは(今度もそこで《生きる》ことができる以上)、この状況に対する自己の独立性、すなわち自立性や自由を顕在化せしめることだからである。自殺により所与の《どのような》状況からも逃れることができる以上、我々はヘーゲルとともに、『死の能力』は(少なくとも潜在的には)所与一般に対する『純粋な自由』或いは絶対的な『自由』の『現われ』であると言うことができる」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.332」国文社)
さて、ヘーゲル読解の中でコジェーヴもまた「自由」について論じる上で避けて通ることのできない「自殺の自由」について述べた。たった今上げた部分がそれに相当すると見てよい。さらにコジェーヴは原注を付して、このヘーゲルが課した問題についてドストエフフキーは「悪霊」で再び取り上げていると記している。
「ヘーゲルのこの主題はドストエフスキーにより『悪霊』の中で再び取り上げられている。キリーロフはただ『どのような必然性もなく』、すなわち《自由に》自殺する可能性を証明するためにのみ自殺しようとする。彼の自殺は人間の絶対的な自由、すなわち人間の《神》からの独立を証明するはずのものである。ドストエフスキーの有神論的反論の主旨は、人間はそれができず死に直面すると否応なくたじろぐ、というものである。キリーロフはそれができぬ恥のために自殺する。だが、『恥による』自殺もまた《自由》な行為である(どのような動物もこれはできない)わけで、この反論は有効ではない。自殺することでキリーロフが無化するならば、彼はみずから望んだように『時期尚早に』、死期が『書かれる』前に死ぬことで(『超越者』という)外的なものの全権能を廃棄したことになり、《神》或いは、無限性を制限したことになる」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.356~357」国文社)
以下、ドストエフスキー「悪霊」から次の部分を集中的に引用しておこう。
「彼はまず自分の下宿に寄って、急(せ)く様子もなく、几帳面(きちょうめん)にトランクの荷造りをした。朝の六時に急行列車が出るはずだった。この朝の急行列車は週に一度出るだけで、ごく最近、さしあたりは試運転の形で増発されることになったのだった。ピョートルは《同志たち》には、ちょっとの間、郡部のほうへ行ってくるからと言ったけれど、後に判明したところによると、彼の意図はまったく別であった。トランクの荷造りをすますと、彼は、あらかじめ予告しておいたとおり下宿の主婦に勘定を払い、駅の近くに住んでいるエルケリのもとへ辻馬車(つじばしゃ)を走らせた。そうしておいてから、もう深夜の一時に近いころ、キリーロフのもとへ向い、今度もまたフェージカの秘密の通路の中に忍びこんだ」(ドストエフスキー「悪霊・下・P.423~424」新潮文庫)
「ピョートルの精神状態は最低だった。いろいろと重大な不満は別としても(彼はいまだにスタヴローギンの消息を何ひとつ探り出せなかった)、彼は、どうやら、──というのは確言できないからだが、──その日のうちにある方面から(おそらくペテルブルグからだろう)、自分の身に迫りつつある何かの危険について秘密の通知を受けたらしい。むろん、このころのことについては、町ではいまだに伝説めいた噂(うわさ)がいろいろと伝わっている。そして、何か確実な情報といったものがあるとすれば、それに通じているのは、その筋の者だけであろう。しかし、私自身の考えを言わせてもらうなら、ピョートルはこの町以外でも何かの事件に関係していたはずであるし、その手づるから何かの情報を入手できる立場にいたことはたしかだと思う。私は、リプーチンのシニカルな、絶望的な疑念にもかかわらず、彼はこの町以外にも、たとえば両首都などに、二、三の五人組をもっていたに相違ないと確信しているくらいである。五人組とまでいかなくても、ある種の連絡、情報網を、──それも、おそらくは、きわめて常識はずれなものをもっていただろうことは疑いない。彼が出発して三日とたたないうちに、この町には、即刻彼を逮捕せよという命令が首都から届いた、──いかなる容疑によってであったか、つまりこの町の事件のためか、ほかの件でか──それは私にはわからない。この命令が届いたのは、おりから、神秘的で意味深長な大学生シャートフ殺害事件──この町のでたらめな事件のクライマックスをなした殺人事件と、この事件にともなう数々の謎(なぞ)めいた諸事情が発覚した直後のことで、それだけに、町の当局者や、それまでいっこうに軽薄な態度を改めようとしなかった社交界を一挙に愕然(がくぜん)とさせた、ほとんど神秘的ともいえる恐怖感をひとしお強める結果になったのはいうまでもない。しかし命令は手おくれだった。ピョートルはもうそのころには、早くも変名を使ってペテルブルグに来ており、事態を嗅(か)ぎつけると、たちまち外国へ逃げだしてしまった──もっとも、私はひどく先まわりしたようである」(ドストエフスキー「悪霊・下・P.424~425」新潮文庫)
「彼は、いどみかからんばかりの憎々しげな顔つきでキリーロフのところへはいっていた。肝心の用件以外のことでも、キリーロフに対して個人的な鬱憤(うっぷん)をぶちまけ、癇癪(かんしゃく)を破裂させようとしている観があった。キリーロフは彼の訪問にほっとしたらしかった。ずいぶん長いこと、病的なくらいじりじりしながら、彼を待ち受けていた節が見えた。彼の顔はいつもより青白く、黒い目は妙に重く据わっていた。『もう来ないと思ってました』彼はソファの端にすわったまま、重々しく声をかけたが、出迎えに立つ気配は見せなかった。ピョートルは彼の前に立って、ひと言も言わぬ先から、じっと彼の顔に見入った。『つまり、万事順調、ぼくらの決意にはなんの変りもないというわけですね、立派なもんだ!』彼は相手を小ばかにしたような保護者然とした微笑を浮べた。『まあ、いいでしょう』彼はいやらしい冗談めかした口調でつけ加えた。『来るのが遅かったからって、きみが不平をこぼす筋合いでもないでしょう。きみに三時間進呈したわけだから』『きみから余分な時間の贈物、ぼくはほしくないですね、いや、きさまにそんな贈物はできないぞ──ばか!』『なんだって?』ピョートルはびくりと体をふるわせたが、すぐさま自分を抑えた。『たいした怒りんぼですね!いや、ぼくらはかっとなってやるわけじゃないでしょうが?』あいかわらず無礼に人を見くだすような顔つきで、彼は一語一語を区切って言った。『こういう際にはむしろ冷静さのほうが必要ですね。何よりいいのはこの際、自分をコロンブスに擬して、ぼくなんぞは鼠(ねずみ)同然と考える、で、腹を立てないことですよ。このことはきのう勧めておいたでしょう』『きさまを鼠と見ることをしたくない』『おや、それはお世辞ですか?もっとも、お茶も冷えているし、つまり、何もかもさかだちなんだな。いや、どうも心もとないことになっているみたいですね。あれ!あの窓のところに何かある、皿の中に(彼は窓ぎわに近寄った)。ほう、ライスつきのボイルド・チキンか!──それにしても、どうしてまだ手もつけてないんです?してみると、ぼくらの精神状態は、このチキンすら──』『ぼくは食べた、きみの知ったことでない、黙りたまえ!』『おお、もちろん、それにどっちでもいいことだし。しかし、ぼくにとっちゃ、いまのところ、どっちでもいいとはいかないんですね。だって、どうです、ぼくはほとんど飯を食っていないんでね。そこで、このチキンが、見たところ、きみにはもう必要でないとしたら──どうです?』『できるなら、食べたまえ』『それはありがとう、ついでにお茶も』彼はさっそくソファの別の端にすわりこんで、がつがつと料理をぱくついた。しかし同時に自分のいけにえからは片時も目を離さなかった。キリーロフは憎々しげな嫌悪(けんお)感をむきだしにして、まるで吸いこまれるようにじっと相手を見つめていた」(ドストエフスキー「悪霊・下・P.425~426」新潮文庫)
「『それにしても』食事をつづけていたピョートルがふいに顔をあげた。『それにしても用件のほうは?つまり、ぼくらの決意は変らないわけですね、え?で、紙は?』『今夜はっきりと決めた、どちらでも同じことと。書く。檄文(げきぶん)のことだね?』『そう、檄文のこともだが、ぼくが公述しますよ。だってきみには、どちらでも同じなんでしょう。いまさらその内容をきみが気にすることもないはずでしょう?』『きさまの知ったことでない』『むろん、ぼくの知ったことじゃない。もっとも、ほんの数行ですよ。きみとシャートフが檄文を捲(ま)いていて、それから、きみの部屋にひそんでいたフェージカにも手伝わせていたこと。このフェージカと隠れ家に関する点は重要で、いちばん重要なところかもしれない。どうです、ぼくは何もきみに包み隠したりしていないでしょう』『シャートフ?どうしてシャートフのことを?シャートフのことは絶対だめだ』『またはじまった。それがいみにどうだって言うんです?どうせ彼には不利もくそもないんだから』『彼の細君が帰ってきたんだ。さっき目をさまして、彼がどこにいるか、聞きによこした』『きみのところへ、彼がどこにいるか、聞きによこしたって?ふむ、そいつはまずいな。また、人をよこすかもしれない。ぼくがここにいることは、だれにも知られないようにしないと──』ピョートルは気をもみだした。『知れやしない、また眠ったから。産婆がアリーナ・ヴィルギンスカヤだ』『ほほう──立ち聞きされないですかね?玄関をしめたほうがよくないかな』『何も聞かれない。もしシャートフが来たら、向うの部屋にかくす』『シャートフはこないさ。で、きみにはこう書いてもらいたいんです。きみらは裏切り、密告のことでいさかいになって──今夜──彼の死の原因となった』『彼が死んだ?』キリーロフはソファから踊(おど)りあがって叫んだ。『きょうの七時過ぎ、というより、きのうの七時過ぎだな、もう十二時過ぎだから』『きさまが殺したな!──きのうからもう見抜いていた!』『見抜けなくてどうします?ほら、このピストルでね(彼はピストルを取出した。どうやらそれは見せびらかすためらしかったが、それきりしまおうとはせず、いつでも射てるぞといわんばかりに、ずっと右手に持ちつづけていた)。それにしても、きみも奇妙な人だな、キリーロフ君、あのばかな男がこういう最後になるしかないことは、きみ自身承知していたでしょう。見抜くも何もありやしない。ぼくだって何度かきみに噛(か)んで含めるように説明したことですよ。シャートフは密告を準備していてね。ほうっておくわけにはいかなかったんです。きみにだって、監視せよという指令が出ていたでしょう、きみ自身、三週間前にぼくに通報してくれたでしょうが──』『黙れ!きさまが彼を殺(や)ったのは、ジュネーヴで彼から唾(つば)を吐きかけられたからだ!』『それもあるし、ほかのこともある。ほかにもいろいろとね。もっとも、感情抜きでやったことですよ。なんだってそうとびあがるんです?なんだってそう身構えるんです?ははん?そいういうことですか!──』彼は跳(は)ね起きて、ピストルを前にかまえた。ほかでもない、キリーロフがだしぬけに窓のところから、もう朝のうちから用意して装填(そうてん)しておいた自分のピストルを取りあげたのである。ピョートルは身構えて、自分の銃口をキリーロフに向けた。こちらは毒々しく笑いだした」(ドストエフスキー「悪霊・下・P.427~429」新潮文庫)
「『白状したまえ、悪党め、きさまがピストルを手にしたのは、ぼくがきさまを射つと思ってだろう──しかし、ぼくはきさまを射ちはしない──もっとも──もっとも──』そう言うと、彼はふたたび狙(ねら)いをつけるような格好で、ピョートルに銃口を向けた。自分が彼を射ち殺す情景を想像する快感をどうにもあきらめかねてでもいるようだった。ピョートルは、やはり身構えたまま、待ちかまえていた。自分が最初に額に弾丸を射ちこまれる危険を冒しながら、引き金を引こうとはせず、最後の瞬間まで待ち受けていた、──相手が<偏執狂>では、そんな恐れもないではなかった。しかし<偏執狂>は、とうとう手をおろした。息を切らし、がたがた体をふるわせ、もう口もきけないような様子だった。『もうふざけっこはやめようや』ピョートルもピストルをおろした。『きみがふざけていることは、わかっていましたよ、ただね、きみも危ない真似(まね)をする、ぼくは引き金を引くことだってできたんだから』そう言うと、彼はかなり落ちついた様子でソファに腰をおろし、自分で茶を注(つ)いだが、その手はさすがにいくらかふるえていた。キリーロフはテーブルの上にピストルを置いて、前へ後へ歩きはじめた。『ぼくは、シャートフを殺したとは書かない、いや──いまは何も書かない。遺書なんか書かない!』『書かない?』『書かない』『なんて卑劣なことだ、なんてばかげたことだ!』ピョートルは怒りに真(ま)っ青(さお)になった。『もっとも、どうせそんなことだろうとは思ってましたよ。べつに不意打ちでもなんでもない。しかし、まあご随意に。もし力づくできみに強制できるものなら、無理にもそうさせますがね。ともかく、きみは卑劣漢だよ』ピョートルはしだいにじれてきた。『きみはあのとき、ぼくらに金を無心して、やたらと約束したもんじゃないですか──でも、ぼくは空手(からて)では出ていきませんよ、すくなくとも、きみが自分で額を打割るところを見ていかなくちゃ』『きさまには、すぐ出ていってもらいたい』キリーロフは彼の前にぴたりと足を止めた。『いや、そうはいかない』ピョートルはふたたびピストルを手にした。『いまのきみは、おおかた、怒りと臆病風(おくびょうかぜ)から何もかも延期して、あすにでも、またぞろ目くされ金ほしさに密告に行く気になっているでしょうからね。これは金になるんだなあ。きみみたいな小人物は、ほんとに、何をはじめるかわかったものじゃない!ただ、心配はご無用、ぼくはあらゆる場合を予想しておいたのでね。もしきみが臆病風を吹かして、あの決意を延ばしたりするようだったら、あのシャートフの悪党と同じように、このピストルできみの脳天をぶち割るまでは、ここから出ていきゃしないですよ、畜生!』『どうしてもぼくの血を見たい?』」(ドストエフスキー「悪霊・下・P.429~430」新潮文庫)
「『ぼくは遺恨があって言うのじゃない、わかってもらいたいけど、ぼくには同じことなんですよ。ぼくが言うのは、ただわれわれの事業の安全を思えばこそでね。人間を当てにできないことは、きみも承知のとおり、ぼくには、きみの自殺の妄想(もうそう)がどういうことなのか、さっぱりわからない。これはぼくがきみのために考え出したことじゃなくて、きみがぼくより先に考えて、最初はぼくにではなく、外国の会員たちに話したことですからね。それに、注意してもらいたいけど、その会員たちは一人として自分からきみに問いただしたわけじゃないし、それどころかだれひとりきみを知りもしなかった、きみが自分からやってきて、感傷にかられて打明けたことなんです。そこで、それを基礎にして、きみの同意ときみの提案によって(いいですか、提案ですよ!)、この町でのある種の行動計画が作られた以上、いまさらそれを変えるわけにはいかないし、どうしようもないでしょう。きみは、自分から選んだ立場上、いまではもうあまりにも多くを知りすぎているんですね。だから、もしきみがばかな気を起して、あすにも密告になんぞ行かれたら、これはですね、おそらく、ぼくらにとってはきわめて不利なことになるわけでね、どう思います?いや、きみには義務があるんですね。きみは約束をして金を受取ったんだから。このことはきみにも否定できるはずがない──』」(ドストエフスキー「悪霊・下・P.430~431」新潮文庫)
「ピョートルはひどく興奮していたが、キリーロフはもうだいぶ前から聞いていなかった。彼はふたたび物思いに沈んで部屋の中を歩きはじめた。『ぼくはシャートフがかわいそうだ』またピョートルの前に立ちどまって、彼は言った。『いや、ぼくだってかわいそうさ、しかしね──』『黙れ、悪党!』キリーロフは恐ろしい、決然として身ぶりを見せて叫んだ。『殺すぞ』『まあ、まあ、嘘(うそ)ですよ、たしかに、かわいそうだなんて思っちゃいない。でも、いいじゃないですか、いいじゃないですか!』片手を前に差しのべて、ピョートルは警戒気味に腰を浮かせた。キリーロフは急におとなしくなって、また歩きはじめた。『ぼくは延ばさない。ぼくは、ほかでもないいま自殺したい。だれもかれも卑劣漢だから!』『それは見識ですね。たしかに、だれもかれも卑劣漢だし、この世界ではちゃんとした人間は生きるのもいとわしい、となると──』『ばか、ぼくだって、きさま同様、みんな同様、卑劣漢で、ちゃんとした人間じゃない。ちゃんとした人間なんぞどこにもいない』『ようやく気がついたですね。きみほどの頭がありながら、キリーロフ君、どうしてこれまでわからなかったのかな、みんなどうせ同じことで、いいも悪いもない、賢い人間と愚かな人間がいるだけで、もしみなが卑劣漢なら(もっとも、くだらないことだけれど)、当然、卑劣漢でない人間などいるわけがないことがね』『ほう!ほんとにきみは笑っているのじゃないのか?』キリーロフはいささか驚いた様子で相手を見やった。『きみは熱をこめて、率直に──いったいきみみたいな男にも信念がある?』『キリーロフ、ぼくにはきみがなぜ自殺しようとするのか、どうしてもわからなかった。ぼくが知っていたのは、ただ、それが信念に──確固たる信念にもとづいたものだということだけだった。しかし、もしきみが、なんと言うか、信念を吐露したい気持があるのなら、ぼくは喜んで聞かせてもらいますよ──ただ時間のことも考えなくちゃならないが──』『何時です?』『おや、ちょうど二時だ』ピョートルは時計をのぞいて、口付煙草に火をつけた。<まだ話がつけられるかもしれないぞ>彼は肚(はら)の中で考えた。『きみに話すことは何もない』とキリーロフがつぶやいた。『ぼくの記憶では、何か神のことがからんでえいたようでしたね──たしか一度説明してくれたでしょう、二度だったかな。きみは自殺したら、神になるんだとか、なんとか?』『そう、ぼくは神になる』ピョートルはにこりともしなかった。彼は待っていた。キリーロフは微妙な目つきで彼を見やった。『きみは政治的詐欺師で陰謀家ですね。きみはぼくを哲学と歓喜の境地におびき出して、和解を成立させ、怒りを散らして、仲直りのできたところで、ぼくがシャートフを殺したという書置きを書かせる魂胆でいる』ピョートルは、ほとんど地のままのような率直さで答えた。『まあ、ぼくがそんな卑劣漢だとしても、最後の瞬間になれば、きみにとっちゃそんなことはどうでもいいことでしょう、キリーロフ君?だいたい、ぼくらは何がもとで口論しているんです、聞きたいですね、きみがそういう人間で、ぼくがこういう人間だとしてみても、べつにはじまらないでしょう。しかも二人ともおまけに』『卑劣漢です』」(ドストエフスキー「悪霊・下・P.431~433」新潮文庫)
コジェーヴによるヘーゲル読解入門。「主と奴の闘争」における「労働」の意義と社会的変革。
「だが、《闘争》と《危険を冒すこと》だけが《自然的世界》における《否定性》や《自由》、つまりは《人間性》の唯一の『現われ』なのではない。《労働》もまたその一つである」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.310」国文社)
「本来的な言い方では、どのような動物も労働しない。なぜならば、動物は自己が現実に現存在する世界において自己に与えられた所与条件によって解明されぬ『企図』に基づき、自己の生きる世界を変貌させることが決してないからである。この地上に生きる動物は、例えば水中とか空中とか、自己の自然的環境とは異なった環境に生きることを可能とするような道具を決して作らない。ところが、《人間》は自己の労働によって潜水艦や飛行機を作ってきた。実際、《労働》は所与の《自然的世界》を本質的に変貌せしめ、労働する者をこの《世界》における彼の『自然的な場』から放逐せしめ、かくして彼自身を本質的に変化せしめるが、それは当の行動が真に否定的である限りで、すなわちこの行動が或る何らかの『本能』や所与的、生得的な『傾向』に由来するのではなく、遺伝的な本能を否定し、生得的な『本性』を廃棄する限りのことである。そのとき、このような行動に《対立する》ことによって、このような本性は『怠惰』としてみずからを『現わす』。自由な状態にある動物は決して怠惰ではない。なぜならば、動物は飢えて死んでしまうか、或いは地上に広まらないだろうからである。《人間》のみが怠惰でありうる。しかも、本来の労働がどのような《生命の》必然性にも呼応していない以上、人間はただ《労働において》のみ怠惰でありうる」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.310~311」国文社)
「《否定性》の実現であり『顕在化』である以上、《労働》はつねに『強制された』労働でありうる。すなわち、《人間》は自己を労働へと強制せざるをえず、自己の『本性』に暴力を加えねばならない。少なくともその発端において労働を強制し、かくして暴力を揮う者は《他者》である。《聖書》においては、堕落した人間に《労働》を課すのは《神》である(が、しかしそれは『自由』な行為であった堕落の『必然的』な帰結でしかない。したがって、ここでもまた労働は自由な行為の帰結であり、《人間》が自己の生得的で『完全』な本性を否定した否定的行動を顕在化するものである)。ヘーゲルにおいて《労働》は最初に《主》となった者が最初に自己の《奴》となった者に課す奴の労働という形で初めて《自然》の中に『現われる』。(加えて、奴は戦闘において死を受け容れることによって、或いは敗北の後に自殺することによって奴であることと労働とを逃れることができたはずだから、この奴はみずからの意志で主に服したのであった)」 (コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.311」国文社)
「《主》は《奴》に労働を強制し、その労働によって自己自身の欲望を充足せしめようとするが、この欲望はそのままでは『自然的』、動物的な欲望でしかない。(《主》が自己の欲望を充足せしめるときに動物と異なっているのは、必要な努力が《奴》によって為されるわけだから、ただ主が努力せずにそれを充足せしめるという点でのことである。このようなわけで、《主》は動物と異なりもっぱら『享受者』として生きることができる)」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.311」国文社)
「だが、このような《主》の欲望を充足せしめるために、《奴》は(自分で食べたいにもかかわらず食べられない食物を用意するなど)自己自身の本能を抑圧せねばならなかったし、自己の『本性』に暴力を加え、したがって《所与》としての自己すなわち動物としての自己を否定し『廃棄』せねばならなかった。したがって、《労働》は自己を否定する《活動》であり、それによって自己を創造する活動である。すなわち、労働は《自由》を実現し顕在化せしめる、つまりは所与一般及び所与としての自己に対立する自立を実現し顕在化せしめ、労働する者の人間性を創造し顕在化せしめるのである。《闘争》において、そして《闘争》により《人間》は動物としての自己を否定したが、それとまったく同じように、《労働》において、そして《労働》により、人間は動物としての自己を否定する。労働する《奴》が自己の生きている《自然的世界》の中に技術の世界という人間特有の《世界》を創造し、それによってこの《自然的世界》を本質的に変貌させることができるのはそのためである。労働する奴は自己の生得的『本性』から必然的に結果として生ずるわけではない『企図』に基づいて労働し、(いまだ)自己の許には《現存在》していない何物かを労働によって実現する。自己の労働によって生み出した《世界》を除いては他のどこにも現存在しないもの、すなわち橋やトンネルや芸術作品など《自然》が決して生み出さないもろもろのものを労働する奴が創造しうるのはそのためである」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.311~312」国文社)
「労働する《奴》の行動的な自己-否定により創造され『制作されたもの』は《自然的世界》の中に繰り入れられ、それによりこの世界を《現実に》変貌させる。このようにして変貌せしめられた(すなわち人間化された)《世界》の現実の中で自己を維持しうるためには、《奴》は自己自身を変えねばならない。だが、所与の《世界》の中で労働することによってこの世界を変貌させたのが《奴》である以上、翻って奴が《蒙むる》ように見える変化は実は《自己-創造》にほかならない。すなわち、自己を変化させ、《所与》であった自己とは異なったものに自己を《創造する》のは奴自身である。《奴であること》から《自由》(しかし無為の《主》のそれとは異なった自由)へと《労働》が奴を高めることができるのはそのためである」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.312」国文社)
「このようなわけで、外観とは裏腹に、《奴》は《自己のため》に(も)労働している。たしかに、《主》は奴の労働から利益を得る。《承認》のための《闘争》において《危険》を冒すことを受け容れたことによって自己の動物的な本性を否定した以上、《主》は自己の人間性を実現している。したがって、動物とは対照的に、《人間》がするように、主は、必ずしもそのすべてを作るように『命令』したわけでもないのに、《奴》の労働によって得られる人間特有の所産を我が物とすることができる。すなわち、主は、当初は『欲し』ていなかったにもかかわらず、もろもろの技術的な所産を利用し芸術作品を享受することができる。《奴》の《労働》により所与の《世界》にもたらされるもろもろの変革に基づいて主もまた変化するのはそのためである」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.312」国文社)
「だが、みずからは労働しない以上、自己の外に、したがって自己自身の内にこれらの変化を生み出す者は主ではない。《主》が発展するのは《奴》の労働の所産を費消するからである。だが、《奴》は主が欲し命じた以上のもの、欲し命じたものとは異なったものを主に提供する。したがって、主は意図せずに、あたかも強制されたかのように、この(真に人間的、非『自然的』な)余剰物を費消する。すなわち、奴により提供されるものを費消するために主は自己の本性に暴力を加えねばならぬわけであり、そうであるならば、主は《奴》による一種の訓育(或いは教育)を蒙むっていることになる。したがって、主は《歴史》を受動的に受け止めるだけであり、それを創造しない。すなわち、主が『発展して行く』としても、主は《自然》や動物が進化して行くように受動的に発展して行くにすぎない」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.312~313」国文社)
「それに反し、《奴》は人間的に発展して行く、すなわち(みずから承知の上で自己自身を否定しながら)意志的、意識的に、さらには行動的、自由に変化して行く。《労働》により自己自身の所与の本性を否定することによって奴は自己の本性の上に自己を高め、それに対し(否定する)《関係》に立つ。これはつまり、奴が自己を意識し、その意識化によって自己にあらざるものを意識する、という意味である。労働を通じ奴により《創造された》ものであり、そのため《自然的》実在性をもたぬものは、《観念的な》ものとして奴に己れ自身を映し出す、すなわち彼が遂行する労働の『範型』や『企図』となって彼に現われる『観念』となって奴に己れ自身を映し出す。労働する《人間》は(《自然》を思惟しそれを自己の労働の『素材』として語るように)自己の労働の対象を《思惟し》それについて《語り》、そして思惟し語ることによってのみ、《人間》は真に《労働する》ことができるようになる。このようなわけで、労働する《奴》は自己の行動とその結果とを意識している。すなわち、彼はみずから変貌させた《世界》を《把握》し、その世界に自己を適合させるためには否応なく自己自身を変えねばならぬということを自己自身で《理解する》。このようにして、《奴》は自己自身が実現し自己の言説により開示する『進歩について行く』ことを《望む》のである」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.313」国文社)
この箇所にはコジェーヴによる次の原注がある。原注でもまた「労働を媒介とした承認への欲望」、「労働を通して世界を把握する」ということ、さらにここでは「義務」の観念について論じられている。
「人間が真に自己を意識しているならば、技術の《世界》を創造した《人間》は、労働者としても(また)生きるのでなければこの世界の中で生きることができない、ということを《知っている》。人間が《奴》であることをやめた後でさえも労働し続けようと《望むこと》ができるのは、そのためである。すなわち、人間は自由な《労働者》となることができるのである。──事実、《労働》は(《闘争》を媒介とした)《承認》への《欲望》から生まれ、この《欲望》に基づき維持され展開されてゆく。技術的進歩を実現するためには、人類はより多く或いはより良く労働しなければならない。すなわち『自然に対立し』より多くの努力を供しなければならない。なるほど、自分が『栄光のために』労働していると知っている人間はつねに存在していた(所与を認識しようという欲望はそれだけでもその科学的な『観察』に至るが、この《欲望》による所与の変貌に至ることはなく、ギリシャ人の例が示すように『実験的』操作に至ることはさらにない)。だが、ほとんどの人々は自分がより多くの金を得るため、或いは生活をより『安楽』にするためにより労働していると思っている。しかしながら、すぐ見て取れることだが、余剰に得られたものは純粋に対面を保つために費消されてしまい、いわゆる『安楽』は、とくに、隣人よりもより良い生活、或いは他者よりもより悪くはない生活をするということにある。このようなわけで、余剰な労働は、したがって技術的進歩もまた、実は、『承認』への欲望に基づいている。なるほど『貧者』もまた技術的進歩の恩恵を被るが、この進歩を創り出すものは彼らではなく、彼らの欲求や欲望でもない。進歩は『富者』あるいは『権力者』により準備され刺激され、実現される(《社会主義国家》においてさえ然りである)。しかも彼らは『物質的に』充足している。したがって、彼らは自己の『尊厳』や自己の権力を増そうという欲望に基づいてのみ行動する。場合によっては──義務によってと言ってもよい(なぜならば、隣人愛や『慈悲』がこれまで技術的進歩をまったく生み出したことがなく、したがって現実に貧困を撲滅したこともないのに対し、義務はこうした隣人愛や『慈悲』とはまったく異なったものだからである。隣人愛や慈悲にそれが不可能だったのは、まさしくこれらが否定する行動ではなく生得的な『他を思いやる本性』の本能的な溢出であり、所与の《世界》の『不完全な姿』に『悩まされ』ながらも実はそれと完全に両立しているからである。カントは『本能的傾向』から結果的に生ずる行動に『徳』すなわち人間特有の発露を観ることをみずからに禁じていた)」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.353~354」国文社)
宗教者の「隣人愛」「慈悲」が技術的進歩をまったく生んだことがなく、現実の貧困を撲滅したこともないのはなぜか。義務の観念が実現されていないからである。「隣人愛」「慈悲」をスローガンに掲げる宗教者は現実社会の歪みや矛盾に対して「憐れみ」や「同情」で答える。それだけである。それだけで奴隷は自らの置かれた隷属状態から救われるだろうか。待っていれば解放されるだろうか。そんなことは金輪際まったく一切ない。そこでカントは「義務」の観念を強調した。カントによって宗教家は自らの義務の観念に目覚めさせられた。もしそれがなければ世界中のどんな宗教ももはや生き残ってはいられなかったであろう。なぜなら、「隣人愛」「慈悲」「同情」「憐れみ」だけでは、現実社会はびくともしない。むしろ逆であって、これら「隣人愛」「慈悲」「同情」「憐れみ」の感情は、「所与の《世界》の『不完全な姿』に『悩まされ』ながらも実はそれと完全に両立しているから」にほかならない。「所与の《世界》の『不完全な姿』に『悩まされ』ながらも実はそれ」を「完全に」容認するばかりではない。さらにこの「容認」という態度は、現実社会で増大する一方の悲惨この上ない『不完全な姿』をそのまま増殖させる方向性を取りがちな安易な政治体制を宗教者の立場から批判するのではなくて、逆に擁護する補完勢力として機能してしまう。
半殺しの目に合わされている人間が宗教者の目の前にいるとしよう。そのような時、宗教者がどれほど「隣人愛」「慈悲」「同情」「憐れみ」の感情で一杯になり一心不乱に聖書の一節をわめき散らしたとしても、ただ単にそれだけで、半殺しの目に合わされている人間を救い出すことはできず、もっぱら不十分でしかない。事態を悪化させないためには、まず、目前の暴力的な現場へ介入しなければならない。間髪入れず、迷うことなく、行動へ移らなければならない。単純に言えば、110番したり救急車を呼んだり近くの歩行者に呼び掛けたり、しなければならない。そのあいだにも半殺しの目に合わされている人間は急速に死に近づいていく。古い時代の宗教者は被害者を見かけるとただ単に「運命」だとか「宿命」だとか、わかったような重々しい態度で述べて去るのが常であった。周囲の一般大衆もそういうものだと思い込んでいた。ところが、「110番したり救急車を呼んだり近くの歩行者に呼び掛けたり」すれば、加害者の側の勢力から逆襲されるのではないか、もしかしたら後日、逆に半殺しにされてしまったり家族が行方不明になったり記憶にない罪を負わされて冤罪で死刑判決を受けたりするのでは、という懸念はいつもある。いわゆる「泣寝入り」。宗教家は「泣寝入り」を推奨してきたか、少なくとも「容認」する側として機能してきた。しかも近代以降の社会では、動くはずのない「境界線」が、カフカの示唆する通り、実は「可動的」になっている。その意味で、カントの導入した「義務」の観念は何度も繰り返し改めて深く吟味されてしかるべき重要性をいよいよ増したと言えるだろう。
「したがって、《否定性》や《自由》の真正なる『現われ』は《労働》である。なぜならば、永遠に同一のままに留まるのではなく、所与において、そして所与として、現にある自己とは絶えず異なったものになって行く弁証法的存在者へと《人間》を作り変えるのは労働だからである。《闘争》と闘争を体現する《主》とは、言わば、《歴史》或いは人間的現存在の弁証法的『運動』の触媒でしかない。すなわち、両者はこの運動を生み出すのだが、みずからはそれによって影響を受けない」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.313~314」国文社)
「(真実の)《主》は《主》としては誰も同じであり、(《主》である限り)誰一人《主》としての自己の本性を『廃棄』し自己と異なったものにはなりはしなかった(彼らが《奴》になることは不可能であったろう)。《主》が発展して行ったとしても、彼らの発展は純粋に外的或いは『物質的』でしかなく、真に人間的なもの、すなわち意志によって欲せられたものではなかった。そして、程度の差はあれともかく奴として労働する者が闘争する者につねに新たな武器を提供して来たにもかかわらず、《闘争》の人間的な意味あい、すなわち生命を《危険に晒すこと》は時代を経ても変化しなかった。ただ《奴》のみが在るがままの自己(すなわち《奴》)であることをやめようと《欲する》ことができるのであり、奴が《労働》により、さまざまの労働により自己を『廃棄』するならば、奴は絶えず他のものになり、遂には真に自由な存在、すなわち在るがままの自己にあますところなく充足せる存在になることができる。したがって、《否定性》が《闘争》として『顕在化』するのは、それが《労働》として『現われる』ことができるようになるためでしかない、と言うことができる(さもなくば労働は生まれなかったであろう)」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.314」国文社)
「たしかに、終局においては、決定的に自己を解放するために、或いは真に《他のもの》になるために、《奴》或いは労働する者となったかつての《奴》は、《主》或いはかつての《主》に対し尊厳を求める《闘争》を再び開始せねばならない。なぜならば、この地上に無為な《主であること》が少しでも残っている限り、《労働する者》の中にもつねにいくばくか《奴であること》が残っているであろうからである。だが、《労働》だけが《人間》を平和裡に教化・変貌せしめるものである以上、無為の《主》が教化されることはそもそも不可能である。《人間》のこの最期の変貌ないし『回心』が生死を賭しての《闘争》の形を取るのはただそのためである。自己自身との(人間的な)同一性に固執する《主》を非-弁証法的に廃棄することによって、すなわち主を排除し主を死に至らしめることによって、《奴は主であること》を廃棄せざるをえない。《承認》のための最期の《闘争》において、そしてそれにより顕在化されるのは、このような排除であり、そのとき解放される《奴》は否応なく自己の生命を《危険》に晒さざるをえない。加えて、《労働》を端緒とする奴の解放を完遂し、奴に欠けていた《主であること》という契機を奴に導入するものはこの《危険を冒すこと》である」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.314」国文社)
「普遍的で等質な《国家》の自由な《公民》が創造されるのは、労働する者となったかつての《奴》がただ一つの栄光のために闘争する者として行動する最期の《闘争》において、そしてそれによってであり、その暁、この公民は《主》でもあり《奴》でもある以上もはやいずれでもなく、『綜合的』、『総体的』な唯一の《人間》となる。このような人間においては《主であること》という定立と《奴であること》という反定立とは弁証法的に揚棄されている、すなわちその一面的、不完全な側面においては《廃棄》され、本質的、真に人間的な側面においては《保存》され、かくしてその本質及び存在において《昇華》されているのである」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.314~315」国文社)
「したがって、《人間》が弁証法的でありそのようなものとして『現われる』と述べること、これは人間が同一のままに留まらずに自己自身に留まる存在者である、との意味である。なぜならば、人間は《闘争》と《労働》により《所与》としての自己を《否定する》が、すなわち動物として、或いは社会的、歴史的な環境の中に生まれそれにより《限定された》人間としての自己を《否定する》が、しかしまた、この自己否定にもかかわらず、現存在において或いは望むならば自己自身との人間的同一性において自己を維持するからである。したがってこれは、《人間》は単に《同一性》でも《否定性》でもなく《総体性》或いは《総合》であるとか、人間は自己を保存しつつ昇華しながら自己を『廃棄』するとか、人間は自己の現存在そのものにおいて、そしてそれにより自己を『媒介する』、という意味である。だがまた、このように語ることは──人間が本質的に《歴史的な》存在者であると語ることでもある」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.315」国文社)
さてここ数日、大阪府豊中市にある学校法人問題が連日報道されている。主にテレビが報じているようだが、何を報道したいのかさっぱり、という気がしなくもない。だからといって、報道する価値がないと言うわけではまったくないのだが。同時進行している諸問題はどうするつもりなのか、と考えさせられないわけにはいかない。キーワードは「嘘」かも知れない。特定の報道にばかり集中して大幅に時間が割かれれば割かれるほど、ついこのあいだまでは緊迫感で充満していた沖縄の米軍基地問題が急速に画面から消えていく。なんと不可解なことか。
「嘘をつくことが不道徳なのは、神聖にしておかすべからざる真理がそれによって傷つけられるからではない。この社会はその強制メンバーを唆して腹蔵なく物を言わせておきながら、あとでそれを言質にいきなり彼らを逮捕するというようなことをやりかねないわけで、真理を口にする権利などすこしも持っていないのである。社会全体が嘘の塊りであるときにあくまで個別的な真理を要求するいわれはないのであって、事実、個別的真理は一般的な嘘のためにたちまちその反対物に変えられてしまうのだ。にもかかわらず嘘をつくことがなんとなく忌まわしいのは、一つには子供の頃に笞(むち)とともにその感じをたたき込まれたためであるが、いくぶんかは笞をふるった牢番たちの有り様(よう)にも関係している。ともかくあまりに率直であることは身を誤つもとになる。しかしそのために嘘をつく人間は恥ずかしい思いをしなければならない。なぜなら嘘をつく度に、生きていくためにはいやでも嘘をつかざるを得ないようにひとを仕向けながら、他方では、『つねに誠心誠意を心がけよ』という空念仏を歌って聞かせるこの世のしくみのあさましさを思い知らなければならないからである。こうした羞恥は神経の繊細な人間のつく嘘から効力を奪ってしまう。彼らはへたな嘘をつくことになるのだが、それによって虚言はそれこそ本当に相手に対する不道徳的行為となる。なぜならへたな嘘というのは相手の馬鹿さ加減を見込んでおり、相手を無視していることの現われだからである。嘘は現代の海千山千の実際家の間では事実をいつわるという本来のまともな機能を失っている。誰ひとり相手の言い分を信じない、お互いに相手の嘘が見すかしなのである。こうなると嘘を言うのは、相手の存在が自分にとって何ものでもないこと、自分が相手を必要としていないこと、またこちらのことを相手がどう思っていようが自分としてはどうでもよいこと、そういったことを相手に分らせる方法でしかない。かつては意思疎通(コミュニケーション)の自由な方便であった嘘が、今日では厚顔無恥のあやつる技巧の一つとなったのであり、それによってめいめいが自分のまわりに冷ややかな雰囲気を作りあげ、それを保護膜としてわが身の栄達をはかっているのである」(アドルノ「ミニマ・モラリア・P.26~27」法政大学出版局)
二〇一七年三月十一日作。
(1)足音が廃人
(2)深く沈めた思い出が違う
(3)歩けそうですか脈がない
(4)わざとだろうか忘れる
(5)一度でいいから駄目です
(6)春のベンチで別人
☞「『里見さん』と呼んだ時に、美穪子は青竹の手欄に手を突いて、心持首を戻して、三四郎を見た。何とも云わない。手欄のなかは養老の滝である。丸い顔の、腰の斧(おの)を指した男が、瓢簞(ひょうたん)を持って、滝壺の側(そば)に跼(かが)んでいる。三四郎が美穪子の顔を見た時には、青竹のなかに何があるか殆ど気が付かなかった。『どうかしましたか』と思わず云った。美穪子はまだ何とも答えない。黒い眼をさも物憂そうに三四郎の額の上に据えた。その時三四郎は美穪子の二重瞼(ふたえまぶた)に不可思議なある意味を認めた。その意味のうちには、霊の疲れがある。肉の弛(ゆる)みがある。苦痛に近き訴えがある。三四郎は、美穪子の答えを予期しつつある今の場合を忘れて、この眸(ひとみ)の間に凡てを遣却した。すると、美穪子は云った。『もう出ましょう』眸と瞼の距離が次第に近づく様に見えた。近づくに従って三四郎の心には女の為に出なければ済まない気が萌(きざ)して来た。それが頂点に達した頃、女は首を投げる様に向うをむいた。手を青竹の手欄から離して、出口の方へ歩いて行く。三四郎はすぐ後から跟(つ)いて出た」(夏目漱石「三四郎・P.117~118」新潮文庫)
苦痛。疲労に充ちた苦悶。徒労に終わりそうなどす黒い憂鬱。ともすれば途切れてしまいそうになる緊張感。鬱病者の苦痛の描写に大変似ている。だが美穪子が鬱病者だというわけではまったくない。美穪子にその種の苦痛を与えているのは、直接的には三四郎の態度であり、しかし間接的に関係があるのは何だろうか。「これ」と特定できない何かだ。差し当たり美穪子を取り巻くすべての社会環境を精査してみる必要がある。漱石は、或る種の女性の中にも、近代日本の知識階級の中から生じてきた特有の苦悩をわざわざと分け与えている。漱石の嫌がらせではなく、漱石にとって女性は常に「他者」(価値観/振る舞い/思想/生き方などが異質に思える存在。知り得ない部分を常に持つ存在)だった。その限りで、作品中の女性の中でもひと際目立つ登場人物に、明確にそれと分かる「他者としての女性」を据えており、「近代知識人」が必然的に帯びざるを得なかった役割り=「苦悶/苦痛」を配している。
「二人が表てで並んだ時、美穪子は俯向(うつむ)いて右の手を額に当てた。周囲は人が渦を捲いている。三四郎は女の耳へ口を寄せた。『どうかしましたか』女は人込の中を谷中(やなか)の方へ歩き出した。三四郎も無論一所に歩き出した。半町ばかり来た時、女は人の中で留った。『此処(ここ)は何処(どこ)でしょう』『此方(こっち)へ行くと谷中の天王寺の方へ出てしまいます。帰り路とはまるで反対です』『そう。私心持が悪くって──』三四郎は往来の真中で扶(たすけ)なき苦痛を感じた。立って考えていた。『何処か静かな所はないでしょうか』と女が聞いた。谷中と千駄木が谷で出逢うと、一番低い所に小川が流れている。この小川を沿うて、町を左へ切れるとすぐ野に出る。河は真直に北へ通(かよ)っている。三四郎は東京へ来てから何遍この小川の向側を歩いて、何遍此方側を歩いたか善く覚えている。美穪子の立っている所は、この小川が、丁度谷中の町を横切って根津へ抜ける石橋の傍(そば)である。『もう一町ばかり歩けますか』と美穪子に聞いてみた。『歩きます』」(夏目漱石「三四郎・P.118~119」新潮文庫)
「橋」を渡る。「水」を介して空気が転回するシーン。さて、三四郎と美穪子の出会いは「池」を介してであった。その意味で美穪子は漱石作品に多く登場する「水の女」の一人であることは確かだ。
「二人はすぐ石橋を渡って、左へ折れた。人の家の路次の様な所を十間程行(い)き尽して、門の手前から板橋を此方(こちら)側へ渡り返して、しばらく河の縁を上ると、もう人は通らない。広い野である。三四郎はこの静かな秋のなかへ出たら、急に饒舌(しゃべ)り出した。『どうです具合は。頭痛でもしますか。あんまり人が大勢いた所為(せい)でしょう。あの人形を見ている連中のうちには随分下等なのがいた様だから──何か失礼でもしましたか』女は黙っている。やがて河の流れから、眼を上げて、三四郎を見た。二重瞼にはっきりと張りがあった。三四郎はその眼付で半ば安心した。『有難(ありが)とう。大分好くなりました』と云う。『休みましょうか』『ええ』『もう少し歩けますか』『ええ』『歩けば、もう少しお歩きなさい。此処は汚ない。彼処(あすこ)まで行くと丁度休むに好い場所があるから』『ええ』一丁ばかり来た。又橋がある。一尺に足らない古板を造作なく渡した上を、三四郎は大股(おおまた)に歩いた。女もつづいて通った。待ち合わせた三四郎の眼には、女の足が常の大地を踏むと同じ様に軽く見えた。この女は素直な足を真直に前へ運ぶ。わざと女らしく甘えた歩き方をしない。従って無暗に此方(こっち)から手を貸す訳に行かない」(夏目漱石「三四郎・P.119~120」新潮文庫)
「向うに藁屋根がある。屋根の下が一面に赤い。近寄って見ると、唐辛子を干したのであった。女はこの赤いものが、唐辛子であると見分けのつく処まで来て留った。『美しい事』と云いながら、草の上に腰を卸した。草は小川の縁に僅かな幅を生えているのみである。それすら夏の半(なかば)の様に青くはない。美穪子は派手な着物の汚れるのをまるで苦にしていない。『もう少し歩けませんか』と三四郎は立ちながら、促す様に云ってみた。『有難う。これで沢山』『やっぱり心持が悪いですか』『あんまり疲れたから』三四郎もとうとう汚ない草の上に坐った。美穪子と三四郎の間は四尺ばかり離れている。二人の足の下には小さな河が流れている。秋になって水が落ちたから浅い。角の出た石の上に鶺鴒(せきれい)が一羽とまった位である。三四郎は水の中を眺めていた。水が次第に濁って来る。見ると河上で百姓が大根を洗っていた。美穪子の視線は遠くの向うにある。向うは広い畠(はたけ)で、畠の先が森で森の上が空になる。空の色が段々変わって来る。ただ単調に澄んでいたものの中(うち)に、色が幾通りも出来てきた。透き徹(とお)る藍(あい)の地が消える様に次第に薄くなる。その上に白い雲が鈍く重なりかかる。重なったものが溶けて流れ出す。何処で地が尽きて、何処で雲が始まるか分らない程に嬾(ものう)い上を、心持黄な色がふうと一面にかかっている。『空の色が濁りました』と美穪子が云った。三四郎は流れから眼を放して、上を見た。こう云う空の模様を見たのは始めてではない。けれども空が濁ったという言葉を聞いたのはこの時が始めてである」(夏目漱石「三四郎・P.120~121」新潮文庫)
「向うは広い畠(はたけ)で、畠の先が森で森の上が空になる。空の色が段々変わって来る。ただ単調に澄んでいたものの中(うち)に、色が幾通りも出来てきた。透き徹(とお)る藍(あい)の地が消える様に次第に薄くなる。その上に白い雲が鈍く重なりかかる。重なったものが溶けて流れ出す。何処で地が尽きて、何処で雲が始まるか分らない程に嬾(ものう)い上を、心持黄な色がふうと一面にかかっている。『空の色が濁りました』と美穪子が云った」、とある。或る世界からまた別の世界への移動。移動にはしばらく時間がかかっている。境界線は思いのほか幅が広い。カフカの場合、登場人物が境界線を越える時、もっと自由自在に一挙に場面を変えてみたり、逆に長々と引き延ばしてみたりしていて、より一層モダンな資本主義社会に近い。が、とりあえず漱石作品からそっくりのケースを引いておこう。
地上から地下への移動。
「不安に追い懸けられ、不安に引っ張られて、已(やむ)を得ず動いては、いくら歩いてもいくら歩いても埒(らち)が明く筈がない。生涯片付かない不安の中を歩いて行くんだ。とてもの事に曇ったものが、一層(いっそ)段々暗くなってくれればいい。暗くなった所を又暗い方へと踏み出して行ったら、遠からず世界が闇暗くなって、自分の眼で自分の身体が見えなくなるだろう。そうなれば気楽なものだ。意地の悪い事に自分の行く路は明るくなってもくれず、と云って暗くもなってくれない」(夏目漱石「坑夫・P.8」新潮文庫)
「前に云った通り自分の魂は二日酔(ふつかえい)の体(てい)たらくで、何処までもとろんとしていた。ところへ停車場(ステーション)を出るや否や断りなしにこの明瞭な──盲目(めくら)にさえ明瞭なこの景色にばったり打(ぶ)つかったのである。魂の方では驚かなくっちゃならない。又実際驚いた。驚いたには違いないが、今まであやふやに不精々々に徘徊(はいかい)していた堕性を一変して屹(きっ)となるには、多少の時間がかかる。自分の前(さき)に云った一種妙な心持ちと云うのは、魂が寝返りを打たないさき、景色が如何(いか)にも明瞭であるなと心附いたあと、──その際(きわ)どい中間に起った心持ちである。この景色は斯様(かよう)に暢達(のびのび)して、斯様に明白で、今までの自分の情緒(じょうちょ)とは、まるで似つかない、景色のいいものであったが、自身の魂がおやと思って、本気にこの外界(げかい)に対(むか)い出したが最後、いくら明かでも、いくら暢(のん)びりしていても、全く実世界の事実となってしまう。実世界の事実となると如何な後光(ごこう)でも有難味(ありがたみ)が薄くなる。仕合せな事に、自分は自分の魂が、ある特殊の状態に居た為──明かなりと感受する程の能力は持ちながら、これは実感であると自覚する程作用が鋭くなかった為──この真直な道、この真直な軒を、事実に等しい明らかな夢と見たのである。この世でなければ見る事の出来ない明瞭な程度と、これに伴う爽涼(はっきり)した快感を以て、他界の幻影(まぼろし)に接したと同様の心持になったのである。自分は大きな往来(おうらい)の真中に立っている。その往来は飽くまでも長くって、飽くまでも一本筋に通っている。歩いて行けばその外(はずれ)まで行かれる。慥(たしか)にこの宿(しゅく)を通り抜ける事は出来る。左右の家は触(さわ)れば触る事が出来る。二階へ上(のぼ)れば上る事が出来る。出来ると云う事はちゃんと心得ていながらも、出来ると云う観念を全く遺失して、単に切実なる感能(かんのう)の印象だけを眸(ひとみ)のなかに受けながら立っていた」(夏目漱石「坑夫・P.49~50」新潮文庫)
「その山は距離から云うと大分(だいぶん)ある様に思われた。高さも決して低くはない。色は真蒼(まっさお)で、横から日の差す所だけが光る所為(せい)か、陰の方は蒼(あお)い底が黒ずんで見えた。尤もこれは日の加減と云うよりも杉檜(すぎひのき)の多い為かも知れない。ともかくも蓊鬱(こんもり)として、奥深い様子であった。自分は傾(かたぶ)きかけた太陽から、眼を移してこの蒼い山を眺めた時、あの山は一本立(いっぽんだち)だろうか、又は続きが奥の方にあるんだろうかと考えた。長蔵さんと並んで、段々山の方へ歩いて行くと、どうあっても、向うに見える山の奥の又その奥が果しもなく続いていて、そうしてその山々は悉(ことごと)く北へ北へと連なっているとしか思われなかった。これは自分達が山の方へ歩いて行くけれど、只行くだけで中々麓(ふもと)へ足が届かないから、山の方で奥へ奥へと引き込んでいく様な気がする結果とも云われるし、日が段々傾(かたぶい)て陰の方は蒼い山の上皮(うわかわ)と、蒼い空の下層(したがわ)とが、双方で本分を忘れて、好い加減に他(ひと)の領分を犯し合ってるんで、眺める自分の眼にも、山と空の区画が判然(はんぜん)しないものだから、山から空へ眼が移る時、つい山を離れたと云う意識を忘却して、やはり山の続きとして空を見るからだとも云われる。そうしてその空は大変広い。そうして際限なく北へ延びている。そうして自分と長蔵さんは北へ行くんである」(夏目漱石「坑夫・P.51」新潮文庫)
男女二人だけでの移動。地理的な場所は変わらない。変わるのは空気だ。従ってその場で用いられる言葉の「意味/価値」が変化する時点に注目したい。そこだけが「切り離され」る。
「雨は依然として、長く、密に、物に音を立てて降った。二人は雨の為に、雨の持ち来す音の為に、世間から切り離された。同じ家に住む門野からも婆さんからも切り離された。二人は孤立のまま、白百合の香(か)の中に封じ込められた」(夏目漱石「それから・P.231」新潮文庫)
三四郎に戻ろう。
「気が付いて見ると、濁ったと形容するより外に形容のしかたのない色であった。三四郎が何か答えようとする前に、女は又言った。『重い事。大理石(マーブル)の様に見えます』美穪子は二重瞼を細くして高い所を眺めていた。それから、その細くなったままの眼を静かに三四郎の方に向けた。そうして、『大理石(マーブル)の様に見えるでしょう』と聞いた。三四郎は、『ええ、大理石(マーブル)の様に見えます』と答えるより外はなかった。女はそれで黙った。しばらくしてから、今度は三四郎が云った。『こう云う空の下にいると、心が重くなるが気は軽くなる』『どう云う訳ですか』と美穪子が問い返した。三四郎には、どう云う訳もなかった。返事はせずに、又こう云った。『安心して夢を見ている様な空模様だ』『動く様で、なかなか動きませんね』と美穪子は又遠くの雲を眺め出した。菊人形で客を呼ぶ声が、折々二人の坐っている所まで聞える。『随分大きな声ね』『朝から晩までああ云う声を出しているんでしょうか。豪(えら)いもんだな』と云ったが、三四郎は急に置き去りにした三人の事を思い出した。何か云おうとしているうちに、美穪子は答えた。『商売ですもの、丁度大観音の乞食と同じ事なんですよ』『場所が悪くないですか』三四郎は珍しく冗談を云って、そうして一人で面白そうに笑った。乞食に就て下した広田の言葉を余程可笑しく受けたからである。『広田先生は、よく、ああ云う事を仰(おっし)ゃる方なんですよ』と比較的活溌(かっぱつ)に付け加えた。そうして、今度は自分の方で面白そうに笑った。『なるほど野々宮さんの云った通り、何時(いつ)まで待っていても誰も通りそうもありませんね』『丁度好いじゃありませんか』と早口に云ったが、後で『御貰をしない乞食なんだから』と結んだ。これは前句の解釈の為めに付けた様に聞えた」(夏目漱石「三四郎・P.121~123」新潮文庫)
「場所が悪」かった。大勢の物見客でごった返すような場所ではいけないのだ。こうして「橋」を渡って「水」をまたいで別の場所へ、差し当たり何らこれといった雑音のない白紙の場を準備してから改めて、でなければならない。そして美穪子の愉快な皮肉が炸裂する。「御貰をしない乞食」。世話がやける。手間がかかる。面倒くさい。しかし本音のところではまだその気がよく知れない。知らせないふりをしても見せる。要するにずるい。三四郎のことだ。
「ところへ知らん人が突然あらわれた。唐辛子の干してある家の影から出て、何時の間にか河を向うへ渡ったものと見える。二人の坐っている方へ段々近付いて来る。洋服を着て髯(ひげ)を生やして、年輩から云うと広田先生位な男である。この男が二人の前へ来た時、顔をぐるりと向け直して、正面から三四郎と美穪子を睨(にら)め付けた。その眼のうちには明かに憎悪の色がある。三四郎は凝(じっ)と坐っていにくい程な束縛を感じた。男はやがて行過ぎた。その後影(うしろかげ)を見送りながら、三四郎は、『広田先生や野々宮さんはさぞ後で僕等を探したでしょう』と始めて気が付いた様に云った。美穪子は寧ろ冷(ひやや)かである。『なに大丈夫よ。大きな迷子ですもの』『迷子だから探したでしょう』と三四郎はやはり前節を主張した。すると美穪子は、なお冷やかな調子で、『責任を逃れたがる人だから、丁度好いでしょう』『誰が?広田先生がですか』美穪子は答えなかった。『野々宮さんがですか』美穪子はやっぱり答えなかった。『もう気分は宜くなりましたか。宜くなったら、そろそろ帰りましょうか』美穪子は三四郎を見た。三四郎は上げかけた腰を又草の上に卸した。その時三四郎はこの女にはとても叶(かな)わない様な気が何処かでした。同時に自分の腹を見抜かれたという自覚に伴う一種の屈辱をかすかに感じた」(夏目漱石「三四郎・P.121~123」新潮文庫)
「洋服を着て髯(ひげ)を生やして、年輩から云うと広田先生位な男」から見て、明らかに異質な存在と化している三四郎と美穪子。たった今上げた「それから」では、「二人は孤立のまま、白百合の香(か)の中に封じ込められた」、という構造を取る。しかし美穪子から見て、「責任を逃れたがる人」、とは誰か。「三四郎はこの女にはとても叶(かな)わない様な気が何処かでした」。
美穪子は三四郎をよく見抜いている。例えばこんなふうに。次の文章は「代助」による自己分析である。
「彼は元来が何方(どっち)付かずの男であった。誰の命令も文字通りに拝承した事のない代りには、誰の意見にも露(むき)に抵抗した試(ためし)がなかった。解釈のしようでは、策士の態度とも取れ、優柔の生れ付とも思われる遣口(やりくち)であった。彼自身さえ、この二つの非難の何(いず)れかを聞いた時、そうかも知れないと、腹の中で首を捩(ひね)らぬ訳には行かなかった。然しその原因の大部分は策略でもなく、優柔でもなく、寧ろ彼に融通の利く両(ふた)つの眼が付いていて、双方を一時に見る便宜を有していたからであった。かれはこの能力の為(ため)に、今日まで一図に物に向って突進する勇気を挫(くじ)かれた。即(つ)かず離れず現状に立ち竦(すく)んでいる事が屢(しばしば)あった。この現状維持の外観が、思慮の欠乏から生ずるのではなくて、却(かえ)って明白な判断に本(もとづ)いて起ると云う事実は、彼が犯すべからざる敢為(かんい)の気象を以て、彼の信ずる所を断行した時に、彼自身にも始めて解ったのである」(夏目漱石「それから・P.251~252」新潮文庫)
だから三四郎は、「自分の腹を見抜かれたという自覚に伴う一種の屈辱をかすかに感じた」のだ。
戦争を経済政策へと転化させた歴史的経緯について。ドゥルーズ&ガタリから。
「国家の基本的任務の一つは、支配の及ぶかぎり空間を条里化すること、すなわち条里空間のための交通手段として平滑空間を利用することである。単に遊牧民を征服するだけでなく、移民を管理すること、より一般的に言えば、『外部』全体に、世界空間を貫くもろもろの流れの総体に、法の支配する地帯を君臨させること、──これらは各国家にとって死活問題である。なぜなら国家はあらゆる種類の流れを、人口の、商品すなわち商業の、そして金ないし資本などの流れを、可能なかぎりどこでも捕獲する過程と切り離せないものだからである。さらにそのためには、速度を制限し、流通を規制し、運動を相対化し、もろもろの主体と客体の相対的運動を細部にわたって加減するような、規定された方向をもつ固定した行程が必要である。この点に関してポール・ヴィリリオの主張は重要である。彼によれば、『国家の政治的権力は《ポリス》すなわち道路行政であり』、『都市の城門と納税所や税関は、人であれ家畜であれ財貨であれ、集団の流動性や侵入してくる群れの力に対する堤防でありフィルターなのだ』。重力、《重厚さ》は国家の本質であるが、国家は速度を知らないというわけではない。ただ国家にとっては、最も速い運動ですら平滑空間を占める動体の絶対的状態であることをやめて、条里空間のなかで一点から他の一点へ移動する『動かされるもの』の相対的性格になることが必要なのである。この意味では国家は運動を分解しては再構成して変容させる、つまり速度を規制することをやめないのである。それは道路管理者としての国家、方向変換器ないしインターチェンジとしての国家である。この点でエンジニアの役割は重要である」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・下・P.80~81」河出文庫)
「公理系」としての国家の黎明期。「方向変換器ないしインターチェンジとしての国家」。水路調整器あるいは「インターチェンジ」または「プラットフォーム」としての国家。国家の黎明期としての初歩的「公理系」の採用。この機能を持たない国家は国家としては認められないということ。
「絶対速度ないし運動は法則をもたないわけではないが、それは《ノモス》の法則、つまりノモスを繰り広げる平滑空間の、ノモスに住む戦争機械の法則である。遊牧民が戦争機械を形成しえたのは、彼らが絶対速度を発明し速度の『同義語』になったからである。不服従行為、蜂起、ゲリラ、あるいは行動としての革命といった反国家的企てが生起するたびに、戦争機械が復活し、新しい遊牧的潜勢力が出現し、平滑空間が再構成される、あるいはあたかも平滑空間があるかのように空間に存在する仕方が再構成される、と言えよう(『街路を占拠する』という蜂起や革命のテーマの重要性をヴィリリオは指摘している)。そのためにこそ国家の反撃は、国家の支配をはみ出す危険のあるものすべてに対抗して空間を条里化することなのだ。国家は戦争機械をわが物にするにあたってそれに相対的運動の形式を与えねばならなかった。運動の相対化はたとえば運動の制御装置としての《城塞》のようなモデルによって行なわれた。城塞はまさしく遊牧民の躓きの石であり、渦巻状の絶対運動が寄せては砕ける暗礁であり防壁であった。逆に、国家が自己の内部の空間、あるいは隣接する空間を条里化しえない場合には、その空間を貫くもろもろの流れは必然的にその空間に反逆する戦争機械の姿をとり、その空間に敵対ないし反抗する平滑空間の中に繰り広げられることになる(たとえ他の国家が、そこにみずからの線条〔条里〕をしのびこませることになっても)。それは十四世紀末頃の中国が経験した出来事である。非常に高度な造船や航海の技術をもっていたにもかかわらず、中国は壮大な海洋空間に背を向けたために、商業の流れが海賊と同盟を結んで中国に反逆したのであった。中国は商業の大規模な制限という不動の政策によってこれに応えただけで、そのことがまた商業と戦争機械の関係を強化することになったのである」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・下・P.81~82」河出文庫)
海へ出た。にしてもなお初歩的次元に留まっている。が、じわじわと歩を進めていくことになる。
「なるほど海は主要な平滑空間であり、すぐれて水力学的モデルである。しかし海はまたすべての平滑空間のなかで最も早くから人間が条里化しようと努めたものであり、固定した航路、一定の方向、相対的運動、そして水路や運河といった反水力学的企てによって陸に従属させようと努めたものなのである。西洋が覇権を握った理由の一つは、西洋の国家装置が北欧と地中海の航海技術を結びつけ大西洋を併合することによって、海を条里化する力を獲得したことである。ところがそれはまったく意外な結果をもたらしたのだ。つまり条里空間における相対運動の増加と相対速度の強度化は、平滑空間と絶対運動を再構成する結果になったのである。ヴィリリオが強調しているように、海は《現存艦隊》fleet in beingの場となったのであり、それはある一点から他の一点へと移動するのではなく、任意の一点からすべての空間を保持するのである。空間を条里化するのではなく、たえまなく運動する脱領土化のベクトルによって空間を占拠するのである」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・下・P.82~83」河出文庫)
さらに空へ。
「こうした現代的戦略は、海から新しい平滑空間としての空へ、そしてまた砂漠あるいは海と見なされた地球全体へと及ぼされる。方向転換器にして捕獲器である国家は運動を相対化するだけでなく、再び絶対運動を与えるのである。国家は平滑から条里にいたるだけでなく、平滑空間を再構成し、条里空間の果てに平滑空間を再び与える。まさにこの新しい遊牧性は、世界的規模の戦争機械をともなうのである。それは国家装置を越える組織をもち、多国籍的、エネルギー的、軍事・産業的複合体に取り込まれる。このような事実は次のことを示している。すなわち、平滑空間と外部性形式は必ず革命的使命をもつというわけではなく、どんな相互作用の場に取り込まれるか、どんな具体的条件の下で実行され成立するかによって、極端に意味を変えてしまうということである(たとえば総力戦や人民戦争あるいはゲリラでさえも、おたがいに戦争の仕方を学び合っているという事実がある)」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・下・P.83」河出文庫)
「陸・海・空」。ここで一旦、基本は押さえたことになる。とはいえ、どれほど巨大な軍事大国であっても逃れられない条件は余りにも皮肉であって、笑おうにも笑えない。
──「おたがいに戦争の仕方を学び合っているという事実」。
さて、この数日間で急速にスポットライトを浴びた印象のあるテーマに関する。「武器」と「道具」の間の境界線の不透明化。いまに始まった議論ではまったくない。日本ですら八〇年代後半には大学を先頭とする多くの学術機関で、その内部/外部を問わず、議論になっていた。ドゥルーズ&ガタリはここで改めて「速度」という言葉を持ち込んで読者を瞠目させた。「武器と速度」は「相互補足関係」あるいは「相互依存関係」、少し言葉を簡単にすれば「相互補完関係」にある。その意味では武器と道具の間の境界線はどこまでも消滅していくばかりである。
「武器と道具が、運動や速度と結ぶ関係は『傾向として』(近似的に)同じではないということである。武器と速度の次のような相互補足関係を強調したこともまたポール・ヴィリリオの本質的な貢献の一つである──すなわち、武器が速度を発明する、あるいは速度の発見が武器を発明するということである(武器の投射的性格はこれに由来する)」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・下・P.99」河出文庫)
次の論考は極めて重要。たった一撃で敵を撃破してしまえばそれで戦争は終わってしまう。軍事産業は破滅する。それを避けて世界的な規模で軍事的相互依存体制を永遠に延長させるためにはどうすればよいのか。
「戦争機械は特有の速度ベクトルを出現させるからであり、単に破壊力ではないのだから、これには何か特別な名称を与えなければならない──すなわち『走行主義』dromocratie(=《ノモス》)という名称である。この名称の利点の一つは、狩猟と戦争の新しい区別の仕方を提案していることである。というのも、確かに戦争は狩猟から派生するわけではなく、また狩猟そのものも特に武器を発達させるわけではないからである。狩猟は、武器と道具が未分化で相互転換が可能な次元で行なわれるか、それともすでに道具から区別され武器として構成されたものを自分流に使用するかのどちらかである。ヴィリリオが言うように、戦争が出現するのは、人間が人間に対して《狩猟者》と動物の関係を適用するときではなく、逆に、人間が《狩猟される》動物の力を補捉して、まったく別の対人関係つまり戦争の関係(もはや獲物ではなく敵)に入るときなのである。したがって戦争機械を発明したのが放浪する牧畜民すなわち遊牧民であることは驚くにあたらない──牧畜と調教は、原始的狩猟とも定住的牧畜とも異なるものであり、まさしく投射するものとされるものが作るシステムの発見なのである。一撃の暴力で倒す、言い換えれば『一度だけ』の暴力を構成する代わりに、戦争機械は牧畜と調教によって暴力の経済を、つまり暴力を持続させ無制限にさえする手段を樹立したのである」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・下・P.99~100」河出文庫)
こうある。「一撃の暴力で倒す、言い換えれば『一度だけ』の暴力を構成する代わりに、戦争機械は牧畜と調教によって暴力の経済を、つまり暴力を持続させ無制限にさえする手段を樹立した」。人間はこういう才能に長けている。この才能を用いて考えたり行動したりすること。そしてそのような言動から開発される概念、宗教、イデオロギー、機械、さらに様々な技術をひっくるめて「戦争機械」と呼ばれている。要するに人間のやること為すこと考えること等々、「戦争機械」と関連しないものなど何一つない、というより、むしろ逆に人間の頭脳なしに「戦争機械」は出現し得ないという意味で用いられている。また差し当たり、人間と動物の違いがくっきりと鮮明に映し出されるのはこういうシーンにおいてだ。ただ単なる「狩猟」と戦争は始めから関係があるわけではない。そうではなく人間による資本主義的生産様式の獲得以後、人間はいついかなる時にでも「戦争機械」たり得るようになった。だから動物が「戦争機械」であったためしはかつてなかったのだが、しかし特定の動物の特徴を活かした活用方法で一部の動物は「戦争機械」としても準備・動員されるようになった。
動力機械=エンジンの発見と戦争のためのその適用。「即死」させる「狩猟」ではなく、保存・調教・蓄積・増殖・応用という「牧畜」的方向性への社会的転換。
「『流血や即時の殺害は暴力の無制限の使用すなわち暴力の経済に反するものである。(──)《暴力の経済は牧畜民における狩猟者の経済ではなく、狩猟される動物の経済なのである》。乗用馬において保存されるのは馬の運動エネルギーと速度であって、もはや蛋白質ではない(発動機であって、もはや食肉ではない)。(──)狩猟において猟師は野獣の運動を組織立ったによって停止しようと目指すのに対し、牧畜民は野獣の運動を保存し始める。調教によって、騎乗者はその運動に合体して方向を与えつつ加速させようとするのである』。機械の発動機はこの傾向を発達させたものであるが、『乗用馬は戦士の最初の投射機であり、彼の最初の武器システムである』。戦争機械における<動物になること>はこれに由来する。そうすると戦争機械は乗用馬と騎兵以前には存在しないということになるだろうか?この質問は的はずれである。問題は、戦争機械は自由な独立した変数となった<速度>ベクトルの発見をともなうのに、狩猟においてはその発見はなされないということである。この場合、速度は、まず狩猟される動物に関係する。この走行ベクトルは乗用馬に頼らずに歩兵隊によっても発見されうるし、さらに、乗用馬といっても、自由ベクトルをともなわない交通手段あるいは運送手段として存在することもありうる。しかし、いずれにしても、戦士は、動物から獲物というモデルではなく、発動機という発想を借りるのだ。戦士は、獲物というモデルを一般化して敵に適用するのではなく、発動機という発想を取り出して自分自身にそれを適用するのである」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・下・P.100~101」河出文庫)
「ただちに二つの反論が予想される。第一の反論は、戦争機械には、速度と同じ程度に重さと重力があるのではないか、というのである(重と軽の区別、攻撃と防御の非対称性、休止と緊張の対立)。しかし、戦争において非常に重要な現象である『待機』、あるいは停止と緊張症(カタトニー)でさえ、ある場合には、純粋な速度の成分に由来するということを示すのは容易であろう。そしてその他の場合、これらは、国家装置がとりわけ条理空間を設け、敵対する力同士を均衡させることによって戦争機械を自分のものにする諸条件に由来する。速度が弾丸や砲弾という投射されるものの特性として抽出された結果、武器そのものと兵士に停止を強いることがある(たとえば、一九一四年の大戦での停止状態)。しかし力の均衡は抵抗による現象であるが、反撃は均衡を破る速度の変化ないし加速をともなう現象である──戦車は<速度ベクトル>に作戦のすべてを再び集中し、運動に平滑空間を与えて人間と武器を停止状態から引っ張りだしたのだ」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・下・P.101」河出文庫)
「一九一四年の大戦」、とある。次の原注を引いておこう。
「一九一四年の戦争は最初から砲兵を中心とする攻撃的かつ機動的な戦争として構想されたのであった。しかし砲兵戦術は逆の結果をもたらし、膠着状態を余儀なくした。大砲の数を増やして戦争を膠着状態から脱却させることは不可能であった。なぜなら砲弾でできた穴でますます戦場は動きにくくなったからである。主としてイギリス人となかんずくフラー将軍によって画策された解決策とは、戦車の採用であった──『陸の船』である戦車は陸上に一種の海洋空間すなわち平滑空間を再構成し、『陸戦のなかに海戦戦術を導入させることになった』。一般的に言って、反撃は決して同じレベルではなされえない──大砲に反撃するのは戦車であり、戦車に反撃するのはミサイルを搭載したヘリコプターである、というように。戦争機械の技術革新はこうした反撃によるものであり、労働機械の技術革新とは非常に異なったものである」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・下・P.339~340」河出文庫)
労働の概念が導入される。消滅しかけていた「武器と道具の境界線」が再び浮上してくる。「労働モデル」。
「第二の反論は、第一の逆で、より複雑である──速度は武器に劣らず道具にも属していて、決して戦争機械の専売特許ではないのではないか、という反論である。発動機の歴史は単に軍事的な歴史ではないことも確かである。しかし、質的モデルを探す代わりに、運動量だけを問題にしすぎる傾向があるのではないだろうか。理想的な発動機のモデルには、労働モデルと《自由活動》モデルの二つがあると考えられる。労働とは、抵抗に会いながら外部に働きかけ、結果を産み出すために消費ないし消尽される動力因であり、絶えず更新されねばならない。自由活動もまた動力因であるが、克服すべき抵抗に会うこともなく、動体それ自身に働きかけることもなく、結果を産み出すために消尽することなく連続する動力因である。速度の高低にかかわらず、労働の場合、速度は相対的であり、自由活動の場合は、絶対的である(自由活動は《永久運動体》といってもよい)。労働で重要なのは、『一つ』と見なされた物体(重心)の上にかかる重力の作用点であり、この作用点の相対的移動である。自由活動において重要なのは、いかに物体を構成する諸要素が重力から脱出して、点をもたない空間を絶対的に占拠するかということである。武器とその扱いが自由活動モデルにしたがうように、道具は労働モデルにしたがうように思われる。一点から他の一点への線的な移動は道具の相対的運動を構成するが、空間を渦状に占拠することは武器の絶対的運動を構成する。あたかも武器は動くものであり自己運動なのに、道具はあくまで動かされるものであるというふうに」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・下・P.102」河出文庫)
「道具と労働のこのつながりは、以上のような動力的定義すなわち実在的定義を労働に与えないかぎり、決して明白にはならない。労働を定義するのは道具ではなく、その逆なのだ。道具は労働を前提にしているのである。それでもやはり武器もまた、動力因の更新、結果を産み出すための消費ないし消滅、外的抵抗との直面、力の移動などをともなうことは否定できない。武器に道具の制約に対立しうるような魔術的力を与えようとしても無駄であろう──武器も道具も同じ法則にしたがっているのであり、これらの法則はまさしく共通の次元を定義するものである。しかしすべてのテクノロジーの原則は、ある技術的要素は、それが前提にしている《アレンジメント》に関係づけられないかぎり、抽象的であり、まったく無規定なものにとどまるということを示すことである。技術的要素よりも優先するのは機械である。機械といっても、それ自体技術的要素の集合である技術的機械ではなく、社会的ないし集団的機械、つまり、機械状アレンジメントであって、これが、ある時期に何を技術的要素として取り上げるか、それをいかに使用するか、その外延、内包をどうするか、こういったことを決めるのである」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・下・P.102~103」河出文庫)
アレンジメント次第である。アレンジメントによって「どうにでもなる」。この困難。アポリア。この課題に突き当たって苦悩しなかった人間がかつていただろうか。いた。それも大量に。むしろ自ら進んで歓喜の渦に巻き込まれていった時代があった。その余地はいまなお十分残されている。たった今引用したように「戦争は延長されなければならない」。戦争のための経済政策が必要とされているからである。核爆弾投下ではいけないのだ。一撃で事態が終わってしまう。被害の大きさや収拾に費やされる時間も未知数な場合が余りにも多い。軍事産業の安定的継続性が危うくなる。だから総力戦に取って代わって「継続的局地戦/新冷戦地域」が台頭する。「宗教紛争/民族紛争/地域紛争」が政治的過程を通して要請されてくる。なかでも宗教紛争は紀元前からの歴史を持つ。軍事産業から得られる収入源としては最も有力な無視できない要素である。政治評論家が「宗教の時代」と口にする裏の意味は恐らくそういうことでなければほとんど無意味に等しい。しかし宗教家が戦争賛美することは表面上許されていない。その点、地域紛争は限定的なので表面上はおおっぴらに非難されるが、戦争経済再延長のためにはこっそりとではあるが賞讃される。直接的な関係からそれを要請するのは財界にほかならない。しかしその財界を支持するために有力な政治勢力を支持しないとたちまち経済的困窮に陥ってしまうのはいつも決まって一般大衆である。戦争経済に依存しないと生活していけない一般大衆。戦争経済のために続々と故障していくのもまた一般大衆である。
「《系統流》が、技術的要素を選択したり、性格を決めたり、発明したりさえするのは、さまざまなアレンジメントを媒介にしてなのである。それゆえ、技術的要素がその中に組み込まれ、かつ前提にもしているアレンジメントを定義しなければ、武器についても道具についても、語ることはできない。この意味で、われわれは、武器と道具は単に外的に区別されるわけではないが、だからといって本質的な弁別特徴をもつわけでもない、と言っておいたのである。つまり、武器と道具は、何らかのアレンジメントに組み入れられるのであり、それぞれのアレンジメントに由来する内的特徴(本質的ではなく)があるのだ。したがって、自由活動モデルを実現するのは、武器それ自体あるいは武器の物理的存在ではなく、武器の形相因としての『戦争機械』というアレンジメントなのである。他方、労働モデルを実現するのは、道具ではなく、道具の形相因としての『労働機械』というアレンジメントである。武器は速度ベクトルと不可分であるのに対し、道具は重力の諸条件に結び付けられている、とわれわれが言ったとき、われわれはただ二つのタイプのアレンジメントの差異を指摘したかったのである。たとえ道具がそれ自身のアレンジメントにおいて、抽象的にみてより『速く』、武器は抽象的にみてより『重い』としてもこのことに変わりはない。道具は本質的に力の発生と移動と消費に結びついており、労働の法則によって規定されているのに対し、武器は自由活動にしたがって時空において力を実行し、あるいは表出することにかかわる」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・下・P.103~104」河出文庫)
「道具は本質的に力の発生と移動と消費に結びついており」、というだけでは「武器と道具」の違いの説明としてはまだ不十分だろう。こう続く。
「武器は空から落ちてくるわけではないから、当然、生産、移動、消費や抵抗を前提にしている。しかし武器のこの側面は、武器と道具に共通の次元に属するもので、武器の特殊性にはまだ関係していない。武器の特殊性が現われてくるのは、ただ、力がそれ自体において把握され、数と運動と時空のみに関係づけられるとき、あるいは、《速度が移動に付け加わるとき》である。このようなものとして武器は、たとえ労働の諸条件を満たしていると見なされても具体的に<労働>モデルではなく、<自由活動>モデルに関係づけられる。要するに、力の観点からは、道具は<重力と移動>、<重量と高度>のシステムに、武器は<速度と《永久運動体》>のシステムに結びついている(速度それ自身が『武器のシステム』であると言えるのは、こういう意味である)」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・下・P.104~105」河出文庫)
武器は完成品として「空から」手元に届けられるものではない。メルヘンではない。現実的に「生産、移動、消費や抵抗を前提にしている」。だが道具もまたそうだ。自然の素材と労働力と貨幣を介して始めて社会に出回ることができる。重要なのは、「力がそれ自体において把握され、数と運動と時空のみに関係づけられるとき、あるいは、《速度が移動に付け加わるとき》」に限れば限るほど、「武器の特殊性が」際だつ。例えば、インターネット。スマートフォン。常時接続。全体が常に繋がっている状態=「新型」ファシズム、旧ソ連、ナチス・ドイツ、北朝鮮政府、米軍基地、等々。
二〇一七年三月八日作。
(1)福島から何とか生きてはいるらしい
(2)物騒な話であくびが出た
(3)見えない壁の痛い
(4)夜学が仕事が友だちがない自由
(5)賀状の返事が利子生んで来た春
(6)すれ違いざま人相がずるい
☞「影の半分は薄黒い。半分は花野の如く明かである。そうして三四郎の頭のなかではこの両方が渾然(こんぜん)として調和されている。のみならず、自分も何時の間にか、自然とこの経緯(よこたて)のなかに織り込まれている。ただそのうちの何処かに落ち付かない所がある。それが不安である。歩きながら考えると、今さき庭のうちで、野々宮と美穪子が話していた談柄(だんぺい)が近因である。三四郎はこの不安の念を驅(か)る為めに、二人の談柄を再び剔抉(ほじくり)出してみたい気がした」(夏目漱石「三四郎・P.112~113」新潮文庫)
「今さき庭のうちで、野々宮と美穪子が話していた談柄(だんぺい)」が「近因」で「不安」に陥る三四郎。読者もなぜか、「そんなにまで」も「不安」なのかという意識へ持って行かれそうになる。「談柄(だんぺい)」とは何か。
「話しは野々宮と美穪子の間に起りつつある。『そんな事をすれば、地面の上へ落ちて死ぬばかりだ』これは男の声である。『死んでも、その方が可いと思います』これは女の答である。『尤もそんな無謀な人間は、高い所から落ちて死ぬだけの価値は充分ある』『残酷な事を仰(おっ)しゃる』」(夏目漱石「三四郎・P.111」新潮文庫)
「飛行機」はなぜ飛ぶのか、という話題。それを知って三四郎は「落語のおち」でも聞かされたようなつまらない気持ちになる。不安は解消された。しかし不安の解消とともに三四郎の意識には或る種の物足りなさが生じている。テーマについて見当を付けられないこと。その時点では怖いほどスリリングな境地に放り出されている。やがてテーマが何であるか知らされる。怖いほどスリリングな不安の境地から、また別の位置への移動がある。移動先は、しかし決して安心ではない。逆に何か「物足りない」境地である。
三四郎は二度と同じ位置へ戻ってくることができない。時間を稼いでしまったからなのだが、しかしそもそも、そういう時間とは一体なんなのか。作者=漱石にしてからが、その正体については学識上の知識しか持ち得ていない。しかも当時の。とはいえ、時間を与える、あるいは「猶予」を与えるという問題意識から見ると、ただごとではない事案だということを、漱石は熟知していたし、熟知していなければ務めようにも務まらない社会的地位にいた。明治日本における資本主義は、西欧から取り込んだものではあるという意味では最先端だが、西欧から取り込んだものであると同時に最先端であるがゆえに、国家的にまだまだ心細いばかりの島国=日本にとっては、まず耐えられないに違いない暴力的改造力を要請するに至った。日本政府はその要請をむしろ積極的にどんどん受け入れた。受け入れるに足るだけの余力がないまま暴力的国家改造に臨んだ。様々なところで、様々な形態で、様々な矛盾が暴露されることになるが、日本政府はその矛盾の群れをさらなる矛盾で押し切った。そうするほか、どんな方法があったか。漱石の場合、むろん新聞くらいは読んでいる。立場上、新聞に載っていないことや、新聞には載らないことまでしばしば知っている。「大逆事件」なども見知っている。が、直接発言したり関係したりはしない。横目で見て通り過ぎていく。それが漱石の流儀である。作品「それから」の中では幸徳秋水の名が出てくる。事件の顛末がどうしたこうしたと登場人物の口を借りて、情報を伝える。それは危険だと思う人々もいれば逆にそれだけでは不十分この上ないと批判する人々もいる。しかし留学経験のある漱石にはそのような社会の中で生きていくことになるのは百も承知である。
三四郎はまた少し放っておいて、次の文章を見ておこう。
「もし時間があると思わなければ、また時間を計る数というものがなければ、土曜に演説を受け合って日曜に来るかも知れない。御互(おたがい)の損になります。空間があると心得なければ、また空間を計る数というものがなければ、電車を避ける事も出来ず、二階から下りる事も出来ず、交番へ突き当ったり、犬の尾を踏んだり、はたはだ嬉しくない結果になります。普通に知れ渡った因果の法則もこの通りであります。だからすべてこれらに存在の権利を与えないとわが身が危ういのであります。わが身が危うければどんな無理な事でもしなければなりません。そんな無法があるものかとりきんでいる人は死ぬばかりであります。だから現今ぴんぴん生息している人間は皆不正直者で、律儀(りちぎ)な連中はとくの昔に、汽車に引かれたり、川へ落ちたり、巡査につかまったりして、悉(ことごと)く死んでしまったと御承知になれば大した間違はありません」(「文芸の哲学的基礎」・「漱石文芸論集・P.50~51」岩波文庫)
時間とは何か。思考とは。存在とは。コジェーヴから。
「彼は次のように述べる。──†〔人間的〕個体は即自かつ対自的に存在する。個体が《対自的に》存在するとは、すなわち個体が自由な行動であることである。だが、このような個体はまた《即自的》でもある、すなわち独特に限定せられた個体性の《身体》は、個体性が生まれながらにしてもっている《生得性》であり、彼が為さなかったところのものである。だが個体は同時にみずから為したかぎりのものであるから、彼の身体も彼が生み出した彼自身の表現である。かくして〔彼の身体は〕個体が自己の生得的本性を働かせるという意味で、直接的なものに留まらず、同時にただそれによって個体が自己の何《である》かを認識させることのできる《印》ででもある†──《人間》は存在し現存在する、そして『即自かつ対自的に』存在し現存在するものとして『現われる』と述べること──これはつまり人間が《即自》かつ《対自的存在》である、すなわち《総体的》もしくは《総合》であるとの意味であり、したがって人間が弁証法的(或いは『精神的』)なものであり、その実在的かつ『現象的』な現存在が『運動』であるとの意味である。ところで、《弁証法的総体性》はどのようなものであれ、まず第一に、《同一性》すなわち《即自存在》或いは《定立》である。存在論的に語るならば、この《同一性》は《存在》すなわち所与《存在》であり、形而上学的に語るならばそれは《自然》である。『現象する』《人間》においては、《同一性》や《存在》や《自然》という側面ないし、契機が人間の『身体』或いは一般にその『生得的本性』である」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.301~302」国文社)
「自己の存在の中に、自己の現存在の中に、そして自己の『現われ』の中に《否定性》という契機を含む限りで、《人間》は『総体的』、『総合的』、さらには『弁証法的』であるにすぎず、その限りで『対自的』、意識的かつ言葉を話す存在として現存在するのであり、したがってその限りで『精神的』、真に人間的なのである。それ自体として捉えるならば、《否定性》は純粋の無でしかない。すなわち、否定性は《存在》せず、現存在せず、現われない。それは《同一性》《の否定》として、すなわち《差異》としてしか《存在》しない。したがって、否定性は《自然》《を》現実に否定するものとしてしか《現存在》しえない。ところで、この《否定性》が現存在するということこそはまさしく人間特有の現存在であり、だからこそ、動物として死ぬときに《人間》は無に帰してしまう、つまり、そのとき、言わば《自然》の外に移行し、したがってもはや自然を《現実に》否定できなくなるのである。《否定性》が自然の自己同一的な所与を現実に否定するものという形で《現存在》する限りで否定性は《現われる》ことができる。このような《現われ》が、ヘーゲルが引用節において語っているように、《人間》の『自由な行動』にほかならない。したがって、(人間的)『現象的』な次元において、《否定性》は《行動》として実現され顕在化され開示される実在する《自由》である」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.303~304」国文社)
次の箇所はヘーゲルのいう「否定性」とは何かを、大変わかりやすく解説したものになっている。これ以上わかりやすく説明することはおそらく不可能。
「引用節において、ヘーゲルはさらに『〔人間〕個体はみずから《為した》かぎりのもの《である》』とも言っている。そして彼は少し先で次のように述べる。──†《人間》の《真の存在》は実はその《行動》であり、この行動においてこそ《個体性》は《客観的に実在するもの》となる──。《個体性》は実際の行動においては、所与《存在》を弁証法的に揚棄する限りで《存在する否定的な》本質的実在として提示される〔或いは顕在化する、或いは現われる〕†──《所与》-《存在》が存在論的次元において《自然》に対応するならば、この次元において《人間》としての《人間》を代表するものは、《活動》である。《人間》としての《人間》は所与-《存在》ではなく創造的-《行動》である。《自然》の『客観的実在』がその実在する《現存在》であるならば、本来の《人間》のそれは彼の実際の《行動》である。動物は単に《生きている》だけであるが、生きている《人間》は《行動し》、その実際の行為によって自己の人間性を『顕在化』し、真に人間的な存在者として『現われる』。たしかに、《人間》は所与-《存在》や《自然》でもある。すなわち、動物や事物が現存在するように、人間も『即自的』に現存在する。だが、人間が特有の在りかたで人間《であり》、そのようなものとして、すなわち《対自存在》として或いは自己を意識し、自己自身及び自己以外の者に関し、『人間は《対自的》である、つまり自由な行動である』と語る存在者として《現存在し現われる》のは、ただ《行動》において、そしてそれによってのことである。行動することによって、人間は《否定性》を或いは自然的所与-《存在》と自己との《差異》を実現し顕在化するのである」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.304~305」国文社)
続くセンテンスは一気に読むのが正しい。が、余りにも長い。とりあえず二つに分けて引用してみた。意味は同じなので二つに分けて読んでも、あるいは便利かも知れないと思われる。
「したがって、『現象学的』次元において、《否定性》は《人間的》《自由》以外の何物でもない、すなわち《人間》が動物から異なる所以のもの以外の何物でもない。だが、《自由》が存在論的に《否定性》であるのも、それは自由が《否定》としてしか《存在し現存在》しえないからである。ところで、否定することができるためには、何か否定すべきもの、すなわち現存在する《所与》であり、したがって自己同一的な所与《存在》がなければならない。所与の《自然的世界》において動物として生きなければ人間が自由に、つまりは人間的に現存在できないのはそのためである。だが、人間がその中で《人間的に》生きるのも、この自然的もしくは動物的な所与を《否定する》限りでのことである。そもそも、否定は思惟や単なる欲望としてではなく、現に遂行された《行動》として《実現される》。したがって、《人間》が真に自由であるのは、すなわち現実に人間的であるのは、何ほどか『高められた』彼の『観念』(や彼の想像)においてではなく、何ほどか『崇高な』或いは『昇華された』彼の『希求』によってでもなく、ただ所与の実在するものを実際につまりは行動によって否定することにおいて、そしてそれによってである」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.305」国文社)
「《自由》は二つの《所与》の間の《選択》にあるのではなく、所与の《否定》であり、(動物として或いは『体現された伝統』として)自己自身がそれである所与、並びに自己にあらざる(すなわち《自然的、社会的》な《世界》である)所与の《否定》である。加えて、この二つの否定は実は一つのものである。《自然的、社会的》な《世界》を弁証法的に否定すること、すなわちそれを保存しながら否定すること、それはこの世界を変貌させることであり、そうである以上、自己自身を変えてこの世界に自己を適合させるか、それとも滅びるかのいずれかとならざるをえない。逆に言うならば、現存在において自己を保持しながら自己自身を否定すること、これは、その場合この《世界》に改変された契機が含まれることになり、したがって《世界》の相貌を変えることになる。このようなわけで、《人間》が人間的に現存在するのは、自己の否定的行動によってその《自然的、社会的世界》を現実に変貌させ、この変貌に基づき自己自身を変化させる限りでのことである。或いは同じことであるが、自己の動物的もしくは社会的な『生得的本性』を自己の行動によって否定し、それによって《世界》を変貌させる限りでのことである」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.305」国文社)
覚えておこう。「時間」は止められない以上、時間は常に「否定性」として存在していく。とともにこの「否定性」は意識的にも、また行動面においても同時に「《世界》を変貌させる限りで」の「時間」でありまた「人間的現存在」であるのだ。とはいえ、政治的スローガンの意味での「行動」とか「自己否定」を意味するわけではない。もっと根本的な部分で人間という存在は自然に対して働き掛けないでは生きていくことができないという次元においてそもそも暴力的存在として生きている。そういう人間の生の地層の奥深くから論じている。
「弁証法的ないし《否定する》《行動》として実現され顕在化される《自由》はこの行動自体によって本質的に一つの《創造》となる。なぜならば、無に至らずに所与を拒否すること、これはそれまで現存在していなかった何物かを生み出すことだからであり、これこそは〔創造する〕と呼ばれるものだからである。逆に言うならば、所与の実在するものを《否定》しなければ、真に創造することはできない。なぜならば、この実在するものの外には何も存在しない(《無》しか存在しない)か、或いはこの実在するもの以外のものが存在するのである以上、この実在するものは言わば遍在しそれ自体において充実しているからである。したがって、言うならば《世界》の中に新しいものに対しての場は存在していない。《無》から浮かび上がりながらも、この新しいものは所与-《存在》の場を奪わなければ、すなわちそれを否定しなければ《存在》の中に入り込むことができず現存在することもできない」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.306」国文社)
「否定性」なしに人間は生きていくことができず、したがってまた死ぬこともできない、ということについて。
「加えて、《人間》を弁証法的に解釈するとき、すなわち《自由》や《行動》を弁証法的に解釈するとき、『否定』と『創造』という用語は、その強義の意味において捉えられねばならない。或る所与を他の《所与》によって置き換えることではなく、その所与を(いまだ)《存在》していないもののために廃棄し、それによってこれまで《与えられて》いなかったものを実現することが問題だからである。これはつまり、《人間》は(神によって課されたものであろうと単に『生得の』ものであろうと)自己に《与えられた》或る『理想』との一致を実現するために自己自身を変え自己のために《世界》を変貌させるのではない、との意味である。『何の先立つ観念もなしに』否定し自己を否定するから人間は創造し自己を創造する。すなわち、人間はただ同一のままに留まろうとはしないから他のものになる。もはや現在《ある》自己であろうとはしないから、将来の自己或いは将来なりうるであろう自己が人間にとり一つの『理想』となるのであり、その『理想』が人間の否定的、創造的な行動、つまりは彼の変化を『正当化』し、それに一つの『意味』を与えるのである。一般に、《否定》や《自由》や《行動》は思惟から生まれるのではなく、自己の意識や外界の意識から生まれるのでもない。逆にそれらが実際の自由な行動として実現され(思惟により《意識》に)『開示』される《否定性》から生まれるのである」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.306」国文社)