阿賀野市ブログ応援隊

個人・サークル・行事・歴史・頑張っている人などの阿賀野市の情報と、人生の楽しみ(?)をお伝えします。

「大地主・市島邸の物語 49」 明治10年、新築した市島邸、映画・11人の賊軍

2025年01月07日 | 大地主・市島邸の物語

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「大地主・市島邸の物語 47」 第四銀行の初代頭取は市島徳次郎、市島が豊栄に転居

2024年12月27日 | 大地主・市島邸の物語

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「大地主・市島邸の物語 46」 戸長・第四銀行設立・別邸跡地を市島に返却・水原初代戸長は斎藤

2024年12月20日 | 大地主・市島邸の物語

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「大地主・市島邸の物語 45」 水原県→新潟県・市島宗家が新潟県一の地主に

2024年12月14日 | 大地主・市島邸の物語

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「大地主・市島邸の物語 44」 越後府の矢倉と門・越後府庁舎の復元模型

2024年12月06日 | 大地主・市島邸の物語

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「大地主・市島邸の物語 48」 明治8年~ 前原一誠が萩の乱・市島が天王へ移住

2024年12月05日 | 大地主・市島邸の物語

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「大地主・市島邸の物語 43」 明治2年・越後府・市島別邸献上・水原県

2024年11月29日 | 大地主・市島邸の物語

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2024年12月25日追記  市島別邸は、戊辰戦争で茶室以外の建物が焼失した・・ということになっているが、これは誤りの可能性がある。誤りというか、故意に嘘の情報を流したと思われる。市島別邸については、先(大地主・市島邸の物語 40)に載せた会津藩の少年兵が描いたスケッチ絵しか存在していないことになっているが、新潟県立文書館に市島別邸敷地配置図(下)が存在していた。  明治2年(1869年)8月 市島徳次郎 献上地麁絵図。官軍に土地建物を献上(寄贈)した

(下)黄色矢印先は3軒長屋。 緑矢印先は蔵。 赤矢印先は居宅が建っていた場所。火事で全焼したのでなく、建物の一部が焼けたが、他の部分は焼けずに残っていたのだろう。その為に「居宅」と表示していないが、四角い線で囲っている。この図面から推測すると居宅の坪数は150~200坪かと思われる。青矢印先は池。現在の池とは別の場所にある。 焼け残ったとされる「茶室」は描かれていない。茶室は別邸敷地内でなく、本宅敷地内に建っていたかもしれない。 この図面は2018年、東京大学資料編さん所の先生が発見。2023年に運よく私が気付き、2024年12月に某氏から管理番号を聞き、県立文書館で閲覧確認。個人の資格では、この後の行動がしにくいので某役所の資格を持っている人に今後の対応を依頼した。1年以内に行動確定を依頼。うまくいけば新しい歴史的発見になるかもしれない。その時は詳しく報告します。

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「大地主・市島邸の物語 42」 越後戊辰戦争の意義、市島宗家の耕地は1,600町歩

2024年11月22日 | 大地主・市島邸の物語

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「大地主・市島邸の物語 41」 会津等同盟軍を撃退・明治と改元・水原に前原一誠

2024年11月17日 | 大地主・市島邸の物語

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「大地主・市島邸の物語 40」 市島別邸は戊辰戦争で焼失。奥羽同盟軍敗退。

2024年11月12日 | 大地主・市島邸の物語

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「大地主・市島邸の物語 39」 大政奉還、江戸幕府滅亡、戊辰戦争始まる

2024年11月08日 | 大地主・市島邸の物語

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「大地主・市島邸の物語 38」 水原の米、江戸廻米へ・会津藩、水原に福岡代官所を創設

2024年10月28日 | 大地主・市島邸の物語

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「大地主・市島邸の物語 37」 黒船騒動・鎖国制度終了・角市、廻船業を廃業

2024年10月24日 | 大地主・市島邸の物語

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「大地主・市島邸の物語 36」 長岡藩財政建直し、大船絵馬、角市の千石船と転覆・廃業

2024年10月19日 | 大地主・市島邸の物語

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「大地主・市島邸の物語 35」 水原代官所の温古堂と白洲、水原首切り場、新潟奉行所完成

2024年10月13日 | 大地主・市島邸の物語

(下)新潟市中央区にある「みなとぴあ」の展示物から。 

天保14年(1843)年 初代新潟奉行は川村修就(ながたか)。弘化2年(1845年)に新潟奉行所が完成。敷地は2,157坪(約7,118㎡)

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