2023年12月31日 今日で2023年も終わり。皆さま、良いお年でしたか? 来年も当ブログ、よろしくお願いいたします。
2023年12月29日夜、阿賀野市出湯 国道290号脇にある「山清水」へ。1年ぶりに「かも鍋定食 1,520円」を。
美味でした。お昼に来た時は広い駐車場が満車。それで夜に予約し、来ました。
鴨肉は「岩手鴨」です。 お腹一杯に食べました。豆腐は村杉温泉の「川上とうふ」。
〆で「雑炊セット」や「そばセット」や「うどんセット」があります。
(上)赤い矢印先が「山清水」です。
2024年1月14日(日) 新発田市役所や商店街で「第20回 城下町しばた全国雑煮合戦」が開催されます。
12月26日、用があり新発田市へ。商店街に、(上)のポスターが各所に貼っていました。街全体で盛り上げていました。
(下)総合司会は梅津ゆうこさん。 10時~15時まで。
(上)写真右下に「現在地」の文字。この文字の左側に(下)の喫茶「ミント」の店があります。
(上と下)喫茶・ミントの建物外観と「現在地」と書かれている場所に建つ看板。
(下左)店の入り口。 (下右)店の人気商品「水出しコーヒー」 店内には絵も展示しています。
(下)「現在地」とある看板の道路向かいにある戊辰戦争「会津藩戦死碑」。戦死した人の名前も記載されています。
ここで会津軍・官軍合わせて70名が戦死しました。
(下)この日の空は、写真のような青空でした。紅葉後の枯葉も綺麗でした。12時37分撮影。
(下)「景勝清水」この清水場の後ろにある山の山頂に上杉景勝軍が陣を置いて戦っていました。戦士の飲み水場でした。
赤丸印が景勝清水
(下)「景勝清水」の場所に掲げてある説明看板。 「戦国時代末期の天正15年(1587年・今より435年前)、上杉景勝が新発田城主と6年間の戦い。景勝はこの山頂に陣。3日後の8月14日に赤谷城が落城。800余人が討死した。当時、赤谷は会津藩の領地。赤谷地域は、この戦いと戊辰戦争の2回、戦地になりました。私、戊辰戦争の戦いは知っていましたが、この戦いは知りませんでした。
(下)「景勝清水」の道路向かいは、写真のような現場。流れている川は「加治川」です。
(下)帰りは再び、中々山集落の銀杏撮影に。「晩秋」を感じました。これで この日の撮影は終了しました。
2022年11月16日 紅葉になり、晴たので新発田市米倉地域と赤谷地域の写真撮影に行きました。当日朝は寒く米倉から見た山の山頂は雪で少し白くなっていました。(下)最初に行ったのは米倉。集落にある米倉神社。この米倉は地域の中心で、赤谷線の米倉駅や小学校がありました。現在は廃線・廃校になっています。
(下)廃線になった赤谷線敷地を利用した「赤谷線サイクリングロード」の案内板。画面左下に米倉駅にあった看板が写っています。
五十公野~赤谷まで、13.3㎞のサイクリングロードです。米倉駅は、画面中心から少し右付近です。
(下)米倉に「十返舎一九」が来たようで、碑があります。十返舎一九は「東海道中膝栗毛」の本を書いた人で、水原町にも来た・・と水原町編年史に書かれています。
(下)新発田市山内の付近で撮影。左右の写真に「道路」に見えるのは旧赤谷線の敷地。
(下左)内の倉湖・内の倉ダム。 (下右)七滝トンネル手前の景色。川は、ダムから流れる水です。
(下)内の倉湖
(下)中々山集落の銀杏。とても素敵な景色でした。写真中央下右に「赤谷線サイクリングロード」の看板がありました。
(下)戊辰戦争での古戦場(写真中央に看板と碑があります) 「角石原古戦場」
(上と下)戊辰戦争の「角石原古戦場と碑、看板」。明治元年8月14日、薩長連合軍と会津軍が正面衝突。会津軍が敗れた。
以下、次回に続きます。
福島県西会津町野沢にある「大山祇(おおやまづみ)神社」 2015年5月4日に参拝。勧請は778年。奈良時代よりこの地の鎮守。
3年続けてお詣りすれば、一生に一度は なじょも(どんな)願いも聞きなさる山の神・・と言われています。
(上)大山祇神社。「山の神」として阿賀野市では有名です。(下)神社付近の景色
← 「奥の院」の案内図
2017年5月4日 福島県西会津町野沢にある「鳥追観音」。仏都会津の祖・徳一菩薩が807年に開創。会津ころり三観音のひとつ。
収められている像は、行基の作という。
新潟県 北越銀行のポスター モデルは手塚さとみ(手塚理美)
昭和55年(1980年)、42年前のポスターです。当時、銀行のポスターは水着での写真でした。現在は、銀行のポスターで水着は無し・・でしょうか。モデルの手塚さとみさんは、当時19歳でした。その後、理美に改名。北越銀行は現在、第四北越銀行に統合し名称変更しました。
2023年12月28日追記 (上)のポスターは1980年夏(昭和55年。6月頃から店頭に展示していた?)。この年の9月、小学館から「写楽」という写真と記事を主体にした新しいタイプのカメラ雑誌が創刊されました。この創刊号の表紙が手塚さとみ。手塚さんは1961年(昭和36年)6月7日、東京都大田区出身。身長161㎝。この雑誌で手塚さとみさんは、ヌードを披露。話題になりました。翌1981年(昭和56年)ヌード写真集「少女だった」を発売(撮影は沢渡翔)。1982年(昭和57年)NHK朝の連続テレビ小説「ハイカラさん」のヒロインになる。少女のような容姿の手塚さんがヌードに。ただ、当時は現在のようなヌードに対する認識が違っており、北越銀行のモデルとして、NHKの朝ドラのヒロインとしても大きな問題になりませんでした。現在なら、面倒な話になるかも。
← 手塚理美「てづかさとみ」(19歳)
← 小学館が発行した「写楽」。新しい形の写真月刊誌でした。
当時、私は、この表紙の写真、「大きな紫陽花の前で立つ少女」という構図が好きでした。
昭和57年(1982年)11月14日の新聞広告
この新聞広告の翌日、1982年11月15日に上越新幹線が開業しました。 手塚さとみ 21歳でした。
(下)昭和58年(1983年)7月8日の新聞広告。 手塚理美(さとみ)22歳でした。水着の写真が使われています。
2023年12月16日(土)午後3時50分 新発田市にある月岡温泉へ。 この月岡温泉で合同会社ミライズが始動10年目を記念し、10店舗目をオープンさせた。「以下、12月19日付の新潟日報の記事から」 10店舗目は「新潟ドライフルーツ&ベジタブル恵(めぐみ)」。空家だった民家を約800万円で改修し、15日にオープンした。県産のイチジクや柿、梨などを含む果物と野菜のドライフード約50種類を並べている。定額660円のカップ詰め放題の販売もする。ミライズは2014年、温泉街の若手経営者9人が出資して結成。空き店舗や空き地を活用、毎年いろいろな種類の店を開店。各店はミライズ直営で、正社員・パートら約20人を雇用。各専門店を散らばらせ、温泉街を回遊してもらうよう考えた。来年度の出店も決まっている。出資者9人は無収入だが、もうける必要はない。次の出店に投資できる収益があればよい。温泉街というより観光地として認められたい。宿泊しなくても遊びに来てもらえるようになればよい。期待を語る」
確かに、月岡温泉街を車で通ると歩いている人が多いです。それも、若い人が。街に活気を感じます。考え、実践しているのが素晴らしいです。
← 右側が「新潟ドライ恵」の店です。
店に駐車場無し。(上)の写真、左側の店の横に小道があり、10m奥に月岡温泉の無料駐車場があります。そこに駐車して買い物をするといいです。
(上と下)店内の写真。詰め放題の約35種類のドライフルーツがあります。
← 写真下のケースに詰めれるだけ詰めて、会計。 1回660円。
1996年 佐藤達「午後の陽光に映えるニセコ側からの羊蹄山」
羊蹄山(ようていざん)をもう一度見たいと思っていた。 30年ほど前の初夏、職場の県外研修で先輩たち5人と北海道を訪れた帰り、函館本線・倶知安駅付近から見た羊蹄山の風景が、いつまでも心に残っていた。 広大な裾野で畑仕事をする人が見える。畑が山まで続いているのでは、と思ってしまう。北海道らしい、人と自然が溶け合った大きな風景だ。
新潟県弥彦村にある「弥彦神社」 新潟県の、一宮です。
2023年8月4日 弥彦神社へ参拝。(上と下)弥彦神社の拝殿。快晴。気温32度の暑さでした。
(下)弥彦の観光パンフレットの案内図。今回の目的は弥彦山の山頂にある神社参拝です。
(下)山頂へはロープウェーに乗って。 往復1,500円でした。
(下)弥彦山ロープウェーを降りて、しばらく歩いた場所での風景。 夏の風景です。
(下)弥彦山山頂にある神社。「御神廟 ごしんびょう」。奥宮です。詳しくは下記の説明文をお読みください。
← 弥彦山(標高634m)の山頂で頂いた御朱印
(下)山頂にある「弥彦山」の石碑。 歩道脇には紫陽花が咲いていました。
(下)山頂から見た景色。 写真奥は寺泊港 ?
(下)ロープウェーを降り、弥彦神社脇まで無料のバスで送ってもらいました。14時10分、昼食を食べていなかったので、鳥居をでて近くの店へ。「食事処 磴」で「天ざるそば 990円」を食べました。
天ざるそば 990円
20年ほど前に買った絵葉書。 オードリー・ヘプバーン 1929.5.4生~1993.1.20(63歳没)
出生地 ベルギー 身長 170㎝ 映画・ローマの休日(1953年) おしゃれ泥棒(1966年)