絵は旧京ヶ瀬村役場の正面玄関(改修工事前)
山崎藤廣さんは阿賀野市(旧京ヶ瀬村)の方。新潟県の県展や芸展、東京都の作品展に何度か入選。
山崎さんは昭和19年生。平成20年(2008年)64歳で亡くなられました。相続人の了解を貰ったので絵を投稿いたします。 最初は、平成9年(1997年)7月 京ヶ瀬村図書館内ギャラリーで開催した個展の案内ハガキです。
絵は旧京ヶ瀬村役場の正面玄関(改修工事前)
山崎藤廣さんは阿賀野市(旧京ヶ瀬村)の方。新潟県の県展や芸展、東京都の作品展に何度か入選。
山崎さんは昭和19年生。平成20年(2008年)64歳で亡くなられました。相続人の了解を貰ったので絵を投稿いたします。 最初は、平成9年(1997年)7月 京ヶ瀬村図書館内ギャラリーで開催した個展の案内ハガキです。
知人から教えてもらい、ホタルを見に行きました。場所は村杉温泉の近く、「魚岩」の付近です。村杉温泉の五泉市方面行きの国道290線から阿賀野市水原地区方面へ約1㎞先に魚岩があります。橋の付近にホタルが。6月20日ぐらいから7月半ばくらいまでホタルが見れるそうです。見る時間は、午後8時から8時半くらいが良いそうです。
私は昨日6月28日(日)午後8時10分くらいに到着。若い男女が「わぁー、綺麗!」とホタルをみて歓声を上げていました。 ホタルの飛んでいる写真を撮りたかったのですが、フラッシュ撮影はダメ(ホタルの飛んでいる線が写りません)。私の持っている押せば写る簡単小型デジカメでは、無理。上の写真がやっとです。黒い背景に黄色いギザギザの線。カメラを手持撮影、スローシャッターなので、ホタルの飛んでいる黄色い線が写りません。三脚を立て、デジタル一眼でないと綺麗には写らないようです。 良いカメラと良い撮影能力のある方は、ぜひ撮影に挑戦してください。週末に行けば、旅館の人が案内をしてつれてくる宿泊客がいるので、ホタルの撮影場所がわかると思います。雨の日は、ホタルは飛ばないそうです。
2016年4月9日 AM9:00撮影。阿賀野市の瓢湖には、数が少ないのですが 「水芭蕉」がアヤメ園で咲いています。
瓢湖の堤、桜満開です。
タンポポも咲いています。
「桜、満開」
昭和61年(1986年)秋の結婚式の費用。
三和銀行の調査によると、結婚式にかかる費用は平均734万円。10年前(1976年)に比べ、ほぼ2倍。資金の調達は夫婦の預金が380万円。親からの援助308万円。
最もかかる費用は、挙式披露宴が211万円。家具・電気製品など世帯道具180万円。新婚旅行102万円。
ちなみに今年2020年3月号の「Komache こまち」の記事では、挙式披露宴は200~300万円がボリュームゾーン。今も昔も結婚式の費用負担が大変です。
2016年1月7日投稿
阿賀野市 瓢湖脇の売店で、白鳥の絵葉書と版画虹の会(片桐正英)の版画絵葉書が売られています。 1枚150円です。 2020年6月25日追記 (現在も販売されているか、確認していません。白鳥の写真葉書は、観光客 外人さんが買って、その場で手紙を書いていたそうです。木版画の葉書は、好きな人がいて4種類全部を購入する人もいるそうです)
伊勢神宮の帰り、2019年9月26日午後8時5分、阿賀野川・新潟市の大阿賀橋の中央付近で撮影。
伊勢神宮では、外宮と内宮で各1回しかオーブが撮影できませんでした。何故? 私の撮影能力が低いせいもありますが、ほとんどのオーブが白色なので、空が曇って灰色のような状態だとオーブが写りません(写っても肉眼で確認できません)。背景が青空だったり、緑色の樹木、茶色の建物だと 写るとわかります。夜間だと空が暗いのでオーブが写ると見つけることができます。
一番上の写真の拡大。青色がオーブです。オレンジ色の輪は、橋の照明の色です。
水原八幡宮の境内にある石碑。三寶大荒神。建立は文政11年(1827年)2月。江戸時代、水原代官所の時代。 吉川氏の銘が刻まれている。
上左、三寶大荒神の横に「猿田彦大神」の碑(建立年不詳)。 次回に続きます。
昭和61年(1986年)笹神村 五頭高原村民スキー場だより 新年号
笹神村民証の交付を受けると、駐車場料金が半額に。貸スキーは50~25%の割引。
スキー学校の講習は、村民割引で1,200円が1,000円に。
寛政元年(1789年) 「神輿 みこし」を、水原八幡宮が購入。
この神輿は、江口栄右エ門・市島又蔵・市島茂八が代表で大阪に行き、購入しました(新潟県には売っていなかったようです)。この神輿は現在も8月の例大祭には氏子中を渡御。 この神輿は、新発田藩の時代に購入。購入した翌年、水原八幡宮のある外城村は、代官所の管理地になりました。現代で言えば、「市」の管理から「国」の管理になりました。
寛政2年(1790年)外城村は、幕府の管理地になりました。 次回に続きます。
大正15年(1926年)4月創刊の写真月刊誌「アサヒカメラ」が、2020年6月19日発行の今月号で休刊となりました。創刊から94年間、ご苦労様でした。ありがとうございました。
私が生まれて初めて買った写真月刊誌が「アサヒカメラ」。高校1年生の時でした。一眼レフカメラも持っていないのに、掲載されている写真の撮影データを熱心に見ていました。構図も勉強しました。 この本の休刊には、驚きません。なにしろ写真月刊誌の発売日に阿賀野市の一番大きい本屋に行っても、数誌とも3~5冊ぐらいしか店にないのです。以前なら平積で10冊以上なったのに、今は棚に数冊。皆さん、本を読まなくなったのか、無料で見れるネット画像に流れたのか。本が売れなければ休刊もしかたないです。 休刊(廃刊)でショックを受けたのが、毎日カメラの廃刊。ずいぶん前の話ですが、有名な本でも売れず採算がとれなければ廃刊する・・という事実は、当時 若かった私には考えるものがありました。 これからの写真家は、どうやって世間に知られるようになるのでしょう。「プロ」になるのは、大変な時代だと思います。
「郷土史 外城物語」から → 水原八幡宮の神官 佐藤源大夫祖先当村草分けせしより数十代血統連綿たり。領主之を賞して更に田5反歩を賜はり、合計1町歩なり(1639年)。 明治15年(1882年)6月23日村社に列せられる。 明治16年2月田1町歩を売却して金300円を得、その利子にて祭祀料とす。 ※これによると、水原八幡宮は田5反を持っていたが、数十代(何年間?)も佐藤家が神主を続けているので、領主が褒美にもう5反の田をくれ、合計1町歩(3000坪)の田を所有した。くれた領主は新発田藩の領主・溝口家。 明治15年(1882年)に八幡宮は「村社」に格上げされた。翌明治16年、村社になった祝の祭りをするために、所有していた田全部(3000坪)を売却し金300円を得た(現在の金額にすると何円?)、この300円の預金利息(何パーセント?)で村社になった祝の祭りをした。 溝口家から御神田5反歩を貰ってから243年後の話です。村社 八幡宮(外城)は、平成20年(2008年)に「水原八幡宮」に改称した。
管理人の考え → 水原八幡宮が新発田藩の溝口家から神田5反をもらった年に、瓢湖の工事が完了しました。神主を代々継続しているからと褒美に田(神田)をもらったとありますが、貰った理由の一つに瓢湖の造成工事に水原八幡宮が協力したから・・と考えます。工事着工時の神主のお祓いは勿論、工事中、工事に携わった人達の休憩所に水原八幡宮の境内や拝殿を使用したのではないでしょうか。隣にお寺がありますが、休憩所と考えると神社の方が使いやすいと考えます。その お礼も兼ねている・・かなと考えます。 次回に続きます。
2020年6月14日(日)朝、庭木の剪定。自分で剪定するようになって、3年め。写真のようの腕は まだ下手です。来週の日曜日に直さなければ。
午後、予報どおり雨。夕方、村杉温泉♨️へ。剪定作業の疲れがとれ、いい湯でした。