次回に続きます
横山蒼鳳 本「越後・笹神 五頭に抱かれて 書とエッセ」(上右)2021年12月27日 阿賀野市笹神支所3階で
この本は1992年7月24日発行 2,500円(税込) 発行 大道出版・新潟市東明1丁目
横山さんは、昭和9年(1934年)7月 三条市(旧下田村で生れる)
阿賀野市役所笹神支所の壁に、横山さんの書が数点展示されています。
(下)2022年1月6日に追記 新潟市「砂丘館」のパンフレットから紹介します
2024年(令和6年)4月10日~5月6日まで、新潟市中央区にある「砂丘館」で「横山蒼鳳さんが書いたことば展」が開催されます
← 横山蒼鳳
会場で横山さんの書を、実物でご覧になるのを お勧めします。
燕市 桜まつり 2024年3月23日~4月14日
桜祭りの会場は燕市(旧分水町) 4月7日は「分水おいらん道中」を開催
3月23日から桜まつりだけれど、今年は寒いから「桜」は開花していないかも? 他で検索・確認してください。
(下)2024年3月25日 新潟県長岡市にある諸橋酒造(株)の「景虎 純米原酒ひやおろし」 美味でした。
新潟市秋葉区にある「(有)酒井商店」で購入 1,435円(税込) 生詰酒
アルコール分17度以上18度未満。精米歩合65%。要冷蔵。
(下)2024年2月1日投稿の記事
「本醸造 越乃
景虎 なまざけ」 2024年1月31日購入 200ml 319円
アルコール分15度以上16度未満・精米歩合65%・しぼりたて生原酒・加熱殺菌無し・要冷蔵 長岡市の諸橋酒造(株)
(下)2021年8月に投稿した記事
長岡市(旧栃尾市)北荷頃 諸橋酒造(株) アルコール分15度以上16度未満 美味でした。
上杉謙信といえば、上越市 春日山城のイメージがあるのですが、春日山城主になるまでの6年間は栃尾を拠点に中越地区平定のために活躍しました。
2024年3月24日(日)暖かい日だったので、新潟市秋葉区にある道の駅・花夢里へ行き、花を買いました。
日曜日のせいか、大勢の人が花を買っていました。
この日、6鉢を購入
← 800円で購入しました。
1999年(平成11年)7月21日、水原町本町商店街に「珈琲倶楽部・夢空間」がオープンしました。この運営には本町商店街の若手後継者グループ16名があたった。そして同年10月、下記の「夢かわら版」を創刊。コーヒーの喫茶店の内部で、色々な催し物を企画しました。
(上と下)「夢かわら版の創刊号」 (上)にある「パソコン教室」に私は参加しました。1999年春にウインドウズ98のデスクトップのパソコンを購入。少し慣れてきたところで、このパソコン教室へ。参加費は8回の授業で24,000円。男女10名で習いました。役所の人や会社の経理の人、趣味で使いたい人等が受講しました。習った部屋は(下)の絵の右側。左側の外は街中の道路。何度か珈琲も飲みに行きました。 今より夢のあった時代でした。 ※かわら版は黄色い紙に黒字で印刷。わかりやすいように今回、管理人が着色して投稿。
新潟中央銀行の隣が「夢空間」の店
今考えると、(上)の絵は、すごいです。この「夢かわら版」の発行の翌日1999年10月2日、新潟中央銀行が経営破綻しました。旧水原町で新潟中央銀行があった「最後の絵」になりました。店では珈琲の豆も売っていました。(下)の絵は、すいばら温故塾メンバーの絵図。
25年前の絵ですが、現在は廃業しているメンバーもいます。世の中、25年でいろんな変化がありました。当時30歳の人は、現在55歳。
(下)1999年当時の存在した新潟ロシア村の写真。新潟中央銀行が破綻し、新潟ロシア村は運営資金に支障。そんな時代でした。
「夢かわら版」創刊4年半後の2004年4月に新潟ロシア村は閉園。笹神村(現阿賀野市)は貴重な観光施設を失くしました。
いよいよ去年、水原公民館の資料展で発表した書類の投稿です。資料展発表後に入手した資料で文章を補正・追記しています。先に投稿した記事と多少相違している部分があるかもしれません。これは「絶対に正解」という資料がないので、いくつかの情報がある・・と考えてください。添付の画像は可能な限り、印刷した用紙をスキャナーするのでなく、画像を直接投稿するよう努力します。150ページくらいになると思います。最後までお付き合い願います。
次回に続きます。
2024年3月19日 阿賀野市の「空き家セミナー」開催 阿賀野市役所本所の隣、保険センター2階で開催。
約120名位参加。熱気でした。皆さん、「空き家」には非常に関心があるようでした。役員と講演をした大渕司法書士さん、ご苦労様でした。
下記は会場でもらった資料の一部。市役所の空き家対策で空き家は少し減少。令和5年3月末(令和4年度)で阿賀野市の空き家は587件。587軒の居宅が「空き家」というのでなく、居宅と車庫・物置・蔵などの空き家の棟数。居宅が「空き家」というのは587件の約7割?(正確な数字を忘れました)。車庫や物置などの、付属家の空き家が多いのは笹神地区だそうです。 令和5年3月末時点で阿賀野市の空き家のうち、適正に管理されている空き家は93棟。 管理不全空き家は431棟。 そして問題の「老朽危険空き家」が63棟。危険な空き家は取り壊した方が良いのですが、「お金」がかかります。お金の無い人はどうすればよいのか。 最低限、不要な物は足腰が丈夫なうちに処分した方が良いでしょう。空き家として売るのなら、庭の雑草は処分。庭木も可能な限り伐採した方が良いでしょう。庭木の伐採は注意しないと脚立が倒れ、怪我をします。誰かに依頼するとお金がかかります。伐採した樹木の処分にもお金がかかります。世の中、やはり「お金」が大事です。 我が家は、庭の樹木の高さを3m以下に伐採・剪定しています。この高さなら脚立がなくても将来、自分で切り倒せるかなぁと思っています。建物の中の不用品などが大量にあると、その処分費用が高くなるそうです。いらない物は少しずつ阿賀野市の無料粗大ごみ集荷に出して、将来の経費削減に努めています。
阿賀野市役所では「空き家・空き地バンク制度」があり、既定の書類を用意して申し込めば、阿賀野市役所のホームページに写真入りで「空き家売ります」の案内を無料でしてくれるそうです。関心のある人は下記に問い合わせてください。
1973年 新発田市にあった「月岡動物園」の園内で、歌手・牧村三枝子さんの野外コンサートがありました。
牧村三枝子さんは北海道三唄市で1953年12月21日に生まれました。 1972年に「少女は大人になりました」という演歌でデビュー。当時はミニスカートが流行っている時代で、演歌歌手も写真のようにミニスカートで歌っていました。 この時代は歌唱中でも写真撮影OKでした。歌手の宣伝になる・・という考えだったのでしょう。ステージの近くで撮影。脚が綺麗でした。
牧村三枝子さんは1978年に「みちづれ」という歌が大ヒット。 NHK紅白歌合戦には1981年から4年連続で出場されました。
(上と下)新潟市北区岡方地域にあった「岡方第一尋常高等小学校」の秋季大運動会の写真。昭和13年(1938年)10月9日開催
尋常高等小学校とは、尋常小学校と高等小学校を併置した小学校。高等小学校は現在の中学1年生と中学2年生。
この2種類の写真は、戦地の兵隊さんへの「慰問」として撮影・印刷し慰問として送られました。
←1枚目の拡大写真
(上)中央の赤い矢印先の男性は校長先生 (下)題・(銃後の健康)トルコ行進曲 尋高女
葉書の大きさは、9×14㎝
← 拡大写真
← 赤い矢印先は片桐義一校長(笹神村の人)
この写真は昭和13年の撮影。 写真の前年、昭和12年(1937年)7月7日に日中戦争が始まる。8月に日華事変。全国で千人針と慰問袋。日本軍が北京に入城。 翌年・昭和13年(1938年)4月1日に国家総動員法公布。10月27日に日本軍が中国・武漢三鎮を占領。11月9日 ドイツのヒットラー政府、ユダヤ人迫害を開始。 そんな時代でした。 (下)新潟市北区の岡方地域の地図(赤線部分に岡方の文字が)