題「雨あがり」
1997年秋、津川町のギャラリーで購入。 絵は津川町出身、埼玉県在住の「清田博義」さん。
阿賀野川の紅葉を描いた絵です。清田博義さんは「行動展」の出品されていた男性。
時々、出生地である津川町で個展を開催されていました。2011年には行動美術協会の会員推挙されています。
(上)は、第51回行動展(1996年)に清田博義さんが出品した「Poster(猫のいる)」のポストカード
絵を購入した時に頂きました。購入したギャラリーは現在、閉店しています。
あだち充の漫画「MIX」の20巻が発売されました。19巻の発売は2022年7月17日の発行。20巻は2023年2月15日発行。
「MIX」は小学館の「ゲッサン」という漫画本の掲載作品。あの「タッチ」の続編のような作品です。私はあだち充さんの絵と間合いが好きで読んでいます。 4月1日からテレビアニメ第2期が放送されるようです。新潟県で放送されるでしょうか?
ビクター SーVHSビデオデッキ「HR-S6000」 1988年製 198,000円(消費税無し)
34年前の製品です
個展・新潟市中央区で2000年
小山まさえ 長岡市出身、新潟市在住。 1988年 新潟県「芸展」入選。1990年 新潟光風会入選。1992年 新潟二科展特選。1993年 現代童画展奨励賞。1996年 サロン・ド・メ・フィナール国際美術展選考委員会賞など入賞入選多数。2000年 長岡市ギャラリーZenから個展での発表を始め、新潟市Kaede Gallery、横浜市art Truthなどで個展。現在(2021年12月)、無所属にて制作活動をおこなっている。
2021年12月9日~2022年2月13日長岡市今朝白のラ・ボントーン店内でガラス絵の作品展示をした。 以上、「アート日和 from Niigata-アトリエZen」のHPから紹介。
新潟市での個展開催時、新潟日報で個展案内の記事が載りました。その記事をみて個展に行きました。欲しい絵があったのですが、お金が無くて購入しませんでした。上の絵は個展会場に置いてあった絵葉書から投稿しました。
新発田市月岡温泉内にある「美肌の湯 美人の泉」 2023年1月26日 雪の降った日の午後に行きました。
大人 600円です 大正4年(1915年)開湯
この温泉の湯の色は、天然の美しい「エメラルド グリーン」
この温泉は地下で眠っている時は無色透明。この湯が地表の空気中の酸素に触れると、自然に「天然の美しく透明なグリーンの色に変わる」 その日の天気や季節によっても、色が微妙に変化する。 100%純正の「源泉」。硫黄成分の含有量は全国有数。
(上と下)この温泉は毎週火曜日が定休日。午前10時から午後9時30分まで営業。 駐車場は2か所あります。
月岡温泉は「美人になれる温泉」として有名。硫黄成分が多く、美肌になるそうです。
2020年、温泉大賞を受賞
赤矢印先に月岡温泉
10年前の2月16日から当ブログの投稿を始め、今日で満10年。
今まで訪問していただき、ありがとうございました。 最初は1年続くか不安でしたが、なんとか10年継続できました。
いままで訪問して頂いた皆様に、心から感謝いたします。
これから先、何年続くかわかりませんが、これからも時々 当ブログに訪問して頂きたく お願いいたします。
2023年2月16日 阿賀野市ブログ応援隊 管理人
2023年2月16日現在 閲覧総数 2,862,235 訪問者数 954,442人
昨日2月15日の閲覧数 1,526 訪問者数 452人
2008年2月 宮崎県宮崎市にある 「青島」 宮崎駅から車で約30分の場場所にあります。島の中には青島神社があり、パワースポットと呼ばれています。 島の周囲には、1000年前~800年前の地層が浸食してできた「鬼の洗濯板」と呼ばれる波状岩で囲まれています。
(上)宮崎県宮崎市・・といえば、目に浮かぶのが「ヤシの木」。 道路の端に植えられており、南国に来たと感じます。
2月15日の撮影。 2月なのにパンジーとチューリップが咲いていました。「南国」なんですね。帰宅したら家の周りは雪。同じ日本なのに気温が違いすぎました。
カラスの絵の名手といわれた長井一禾(ながい いっか)は、阿賀野市・旧水原町の生まれ
長井一禾(1869~1940年)旧水原町外城町・佐藤家で生まれる。9歳の時に長井家の養子になった。
39歳でアメリカから帰国後、「カラスの一禾」として多くのカラス画を残した・昭和15年病没。享年71歳。
会場でカラスの絵を見ましたが、カラスの眼が鋭く、「生きている」感覚になりました。2023年2月26日まで阿賀野市保田・吉田東俉記念博物館で展示しています。入場料は大人300円。 2階に展示しています。 ネット検索し、ウイキペディアを見ても前記会場でもらったパンフレットの略年譜の方が詳しいので、阿賀野市出身の画家・長井一禾を今以上に世の中の人に知ってもらいたく、パンフレットの表裏のの記事一部を投稿しました。パンフレットの略年譜の文字は1文字が1.6mm。拡大鏡が無いと目の悪い人には読めません。スキャナーで拡大し投稿しました。
展示会のポスター
テレビ「開運!なんでも鑑定団」の番組でも何度か「長井一禾」の作品が出品されています。阿賀野市出身の画家とは知りませんでした。
1889年に東京麻布歩兵第三聯隊に入隊。1891年に満期除隊。「越後に帰り、資本金10万円で石油会社を創設、その社長となったが1年ほどで撤退。また描きだした」と伝えられる。1895年(明治28年)、新潟新聞新年初刊に長井一禾「第16聯隊補充大隊下士」の絵画(石版画)が載る。1900年 日本美術院内の絵画研究会に出品。岡倉天心・横山大観・川合玉堂らと互評。7月 水原町天朝山公園内の市島別邸7で画会頒布会。余剰金をを前年焼失した水原尋常小学校建築費の一部にと13円50銭を寄付。
1901年 陸軍軍曹だった長井一禾が旧笹神村の大日ケ原で秋季陸軍大演習巡視のために来越中の閑院宮載仁王殿下を水原・越後府跡の天朝山に案内。予定にはなかった松の苗の植樹を言上「お手植え」が実現。 1905年 アメリカのクラーク百年記念万国博覧会にカラス図を出品、銀牌受賞。
(下)明治41年(1908年) 2月にアメリカから帰国後の4月17日撮影の写真●長井一禾(39歳) 東京市下谷区上野桜木町に転居。
8月に帰省し、新潟市に滞在。
1914年 大正天皇即位記念に「八咫鴉図」を謹製献上
1917年 兵庫県須磨に転居 1920年 一禾・大有親子、大連で絵画頒布会。 1929年 息子・大有死す、29歳。1931年 樺太からの帰途、郷里水原に立ち寄る。1932年 7月神戸で水害。須磨の住居流失。郷里水原の有志、家屋復興資金調達のための画会を計画。作品頒布(水原町の人で一禾の絵を所持している人が多くいるのは、その為なんですね) 1937年 京都楞厳寺に滞在。4座敷に翌年までかけて四季の鴉襖絵を描く。1938年 楞厳寺の襖絵完成。筆塚を建立。断筆。 1940年 71歳で死去。
長井一禾の子・大有(ながい たいゆう。1900~1929年)
長井大有の絵
29歳で夭折
長井大有 帝展入選作家(4回) 才能の非凡さを周囲に認められつつも、昭和4年(1929年)に29歳で死去
なお、父・一禾は、大有を失ったことに力をおとし、その晩年は社会の一切から脱却し禅僧の如き枯淡な日々を過ごしたという。「笠原軔を中心とする阿賀野市ゆかりの文人集Ⅲ 2009年発行」から ネット検索すると、長井一禾の作品は安価で購入できそうです。