1925年(大正14年) 旧水原町東外城の石工・大竹金作氏により八幡宮拝殿前に「狛犬」建立
狛犬と言っても日本の狛犬は、一体は獅子(右側。口を開けている)。もう一体はユニコーン(左側。一角獣。口を閉めている)。平安時代には両者は明確に区別されていた。獅子はライオン。平安時代に日本にライオンはいなかったのに、何故 獅子? 又、ユニコーンは架空の動物。 不思議です。
1925年(大正14年) 旧水原町東外城の石工・大竹金作氏により八幡宮拝殿前に「狛犬」建立
狛犬と言っても日本の狛犬は、一体は獅子(右側。口を開けている)。もう一体はユニコーン(左側。一角獣。口を閉めている)。平安時代には両者は明確に区別されていた。獅子はライオン。平安時代に日本にライオンはいなかったのに、何故 獅子? 又、ユニコーンは架空の動物。 不思議です。
プリペイドのカード使用の携帯電話。お金のなかった時(現在も)、この携帯電話を使いました。コンビニのセブンイレブンでプリペイドカードを買って使用。毎月の使用金額は現在のスマホより少額でした。
「J-PHONE]って、若い人は知らないでしょうね。左側がKENWOOD。右側がMITSUBISHI製。
2017年6月3日投稿 一度行ってみたいと思っていた阿賀野市村杉温泉入り口にある洋菓子店「森のお菓子屋さん グラン」へ行きました。
3日(土)PM1:10分、小さな店内ですが、2組の先客がいて混んでいました。 私はチーズケーキを買いました。濃厚な味で美味でした。
こちらの店は9:00~18:00の営業、定休日は毎週火曜日だそうです。 何度かテレビや雑誌で紹介されています。
2020年9月21日 ひさしぶりに「グラン」へ。今回はプリンを買いました。美味でした。店の外に数個の石像が。聞けば「グラン」の店主のお父さんが、店の道路(国道290号)向かいにある加藤石材店の社長さんで(上の地図参照)、お父さんから入手したそうです。そこで店に車を駐車したまま、歩いて加藤石材店へ。そこで、下の写真の小さな石像を買いました。可愛いです。
2000円で買いました。いい感じです。
本の表紙の写真が「綺麗な紅葉だなぁ・・」と思い、雑誌「キャレル 10月号」を買いました。中を読むと写真は「村杉温泉 環翠楼」さんの大正の間の広縁から撮影した写真。いい写真ですね。1ページ、紹介記事が載っています。関心のある方は買ってお読みください。新潟日報事業社 税込550円。 環翠楼さんの庭は公園でないので(民間です)、紅葉を楽しみたい方は宿泊されるか、昼食の客としてお出かけください。昼食プランは午前11時~午後3時まで。入湯込。詳しくは環翠楼さんのHPで確認を。 環翠楼さんは、2020年7月16日 ミシュランガイド2020新潟版で、3パビリオンと評価されました。
五頭山の山中で金・銅・鉄などの鉱物が彩掘された。鉱山局の許可を得て本格的に採掘作業が進められた。今板地区では石炭が最も多く産出され、鉱夫の入浴を当て込んで削井された今板温泉。写真は昭和15年(1940年)のもの。写真のつり橋はどの辺りにあった?
今板温泉は大正期から昭和前期にかけて最も賑わっていた。大正15年(1926年)6月4日の資料によると、当時は7軒の旅館が今板温泉として営業していた。旅館名・長谷川勘七 客室・7室。材木屋 8室。大堀旅館 11室。湯本館 18室。長谷川館 9室。新生館 12室。大滝屋 10室。 現在残っているのは湯本館の1軒だけです。
下の写真は1995年に笹神村役場商工観光課が作成した観光パンフレットの1ページです。
現在(2020年)も、湯本館が今板温泉として営業中。時々、湯本館の美人若女将がテレビの旅館紹介番組に出演されています。ラジウム温泉でもあります。
2020年9月15日付「あがの新報」さんの記事によると、阿賀野市の2019年7月1日現在の高齢化率は33.8%だそうです。 高齢化率とは65歳以上の総人口に占める割合。つまり、阿賀野市の3人に1人は65歳以上の高齢者。 全国では28.1% 新潟県32.3% 新潟県の市町村別では、阿賀町49.0%が最も高く、一番低いのは聖篭町で25.8%。一番低いと言っても4人に1人が高齢者。そういえば、水原地区に阿賀野高校があるけれど、街中を歩いている高校生を見たことがありません。20年くらい前は、国道49号の歩道を高校生が歩いている姿を見たけれど、高校生が少ないので歩く人も減った? 阿賀野市の若者が減っているんですね。どうしよう。
1995年(平成7年)1月 笹神村役場の「広報ささかみ 5月1日号」から 「歴史」の記録として転載させていただきます。
1995年4月18日、ロシアの名門合唱団「モスクワ・ロクチァフ少年少女合唱団」が公演。新潟県北部地震チャリティーコンサートとして企画された。
この当時、新潟ロシア村は 地元との交流も熱心だったのですね。
2003年 笹神村の「広報ささかみ4月16日号」から
この年(平成15年)の4月1日から営業再開。4月26日~5月5日まで新潟ロシア村は、笹神村の村民を対象に入場料無料のサービスをしています。新潟ロシア村は、この時「ロジアンビレッジ」と名乗っていたようです。
この期間、「ロシアハウス 新設」「ハバロフスク地方フィルハーモニー所属のダーリニボストーク来日」「ロシアンピエロ再登場」「ロシア料理フエア」「熊のサーカス団 特別講演」などを営業。
※ この年の5月1日、新潟市中央区万代島に「朱鷺メッセ」が開業しました。この年の新潟県最低賃金は 時給641円でした。各種商品小売業は、時給704円でした。
←村杉温泉の某旅館に展示されていました
この年の12月、新潟中央銀行の旧経営陣が商法の特別背任容疑で起訴され、裁判。一審では有罪の判決が下される。12月、新潟ロシア村は休業状態になる。翌年の2004年4月に閉園しました。
「ほかりけんじ・県政便り 2020年8月号」さんに、阿賀野高校の紹介が有りましたので、一部転載し紹介いたします。
阿賀野高校は明治44年(1911年)水原農学校を前身として創立。2005年、安田高校と統合して現在に至る。創立109年の歴史あり。少子化の波を受け、近年は生徒数が大幅に減少する傾向にあり。
2020年4月1日現在の生徒数は、1年生 58名、2年生 55名、3年生 52名。合計 165名。(各学年 定員120名)
本年4月から「総合選択制の高校」として活動。 1年生全員が学習する「自分デザイン」。 2年生全員が学習する「未来デザイン」。2年生からは「地域探求コース」と「教養コース」に分かれる。前者に進んだ生徒が3年生になってから学習する「地域デザイン」からなる。
詳しくは紹介した県政便りか学校のHPでごらんください。
取り壊した明倫小学校の正面からの木版画。(2016年投稿)
阿賀野市(旧笹神村)上一分にあった明倫小学校は、昭和57年(1982年)笹岡小学校・大室小学校・出湯小学校・明倫小学校が統合し、新校舎の笹岡小学校になりました。
この木版画は約畳1枚分の大きさで、小学生たちが数枚の版木に絵を分けて彫り製作しました。 この版画は試し刷りです。 完成品が現在どこに保管されているか知りません。 この版画はTさん宅の客間の壁にガラスケースに入れられて飾られていました。 試し刷りだったので、譲ってほしいと願ったら譲ってくれたそうです。 知り合いの建具屋さんが額を製作してくれたそうです。
今日、ネット検索したら取り壊す前の明倫小学校の写真が一枚も表示されません。 明倫小学校の卒業生の皆さんには、この版画がネット検索できる最後の1枚になるかもしれません。 写真が不鮮明なのは、12畳の部屋の上部に飾られておりガラスケースに入っているので、フラッシュ撮影ができないから。
追記 運よく明倫小学校の写真(下記)を見つけました。撮影日は昭和48年(1973年)頃のようです。
明倫小学校は、明治25年(1892年) 女堂小学校と上一分小学校を統合し、明倫尋常小学校を創立。昭和29年(1954年)に明倫小学校の名前になる。昭和57年(1982年)には出湯、大室、笹岡小学校と統合され廃校になる。この建物は明治42年(1909年)建築である。
(下)明治42年(1909)運動会の写真。校舎に万国旗。子供たちの服装は着物である。
(下)昭和5年(1930年)3月 明倫尋常小学校の卒業式後の記念撮影。前列右から3人目が片桐義一校長
(上)子供たちの服装、女子は着物。男子も着物・・一人だけ洋服の子がいます(最後列の中央)。
(上)昭和5年(1930年)3月 明倫小学校の教務室。ダルマストーブです。左端が片桐校長(赴任1年目)。当時の教務室内の写真は、貴重だと思います。女性の先生は着物姿。ここに写っている先生たちは皆、他界されているでしょう。
(下)明倫小学校の校歌「昭和12年制定(1937年)」 作詞・片桐義一(新潟市北区、岡方第一尋常高等小学校長。元明倫小学校長) 作曲・山田正與
(下)昭和21年(1946年)3月の卒業写真。
(上)昭和21年(1946年)3月の卒業記念写真。昭和20年8月15日に終戦した翌年です。昭和5年の写真と、服装が違います。昭和16年(1941年)、明倫尋常小学校から上一分国民学校と改名された。この写真の玄関部分にローマ字の横看板あり。日本がアメリカに敗戦したことを物語っています。この年のクラスは47名。卒業生は笹神在住8人、県内10人、他は県外。教科書さえ満足なものが無い時代、せめて卒業式には良い服を着せたい・・と親が服を用意してくれたそうです。 ※昭和5年の写真で、玄関に日本の国旗が掲揚されていますが、昭和21年の写真では国旗がなく、ローマ字の横看板。日本が「敗戦」した事実を物語っています。
※ 昭和48年(1973年)10月21日 創立100周年記念行事を開催した。この年は先生(男5名・女7名 計12名)、生徒(男67名・女59名 計126名) (下左)来賓。村長 折笠信雄、助役 音田慎一、教育委員長 清野義平、元校長 片桐義一
特別招待 石塚友二(1906年9月2日生~1986年2月8日 79歳で没)俳人、小説家、編集者。笹神村沢口の生まれ。66歳の時に出席。ノーベル賞を受賞した川端康成と知り合い。
←旧職員。当校着任順。
(下)令和2年(2020年)9月9日 撮影
(上)2020年9月9日撮影 明倫小学校取壊し跡地に建てられた阿賀野市の農民研修所。この建物も、現在は使用されていません。