昭和59年(1984年)3月の新聞記事から。この頃、3紙の新聞を取っていたので、どの新聞か覚えていません。
3月31日で約60年の歴史にピリオドを打つ赤谷線。地域住民の熱い期待を受けて誕生した赤谷線だが、華やかな脚光を浴びたのは第二次大戦中の一時期だけ。戦後は鉱山の縮小やマイカーの進出で赤字が雪だるま式に膨らんだ。廃止に「ようやく」と安堵する国鉄幹部。「とうとう」と嘆く沿線住民たち。
大正14年11月20日、花火を合図に赤谷線開通第1号列車は、新発田駅を出発。沿線には地元住民が日の丸の小旗を振り、子供たちは「赤谷鉄道唄歌」を声を限りに歌った。この歌は明治の鉄道開通記念に歌われた唱歌の替え歌で、12番まであり、沿線の歴史や産物を網羅していた。どんな歌詞か興味があります。どこに、あるのでしょうか。
この年、70才だった人が赤谷尋常小学校5年生の時は、全校340人の児童数。多かったんですね。 次回に続きます。
2019年4月21日撮影。4年前に倒木の恐れがあり、桜の古木を伐採。新たに植えた桜に花が咲きました。
昭和19年(1944年)4月、瓢湖の樹齢60余年の桜木が伐採されました。時は昭和19年、戦争真っただ中です。
伐採理由は下の文のとおり。国家存乏の危局に花見気分は許されない、桜樹のため田が日陰になり食糧増産上支障がある、桜樹をマキにして町民に配る・・等。
現在の瓢湖の桜は、伐採後に植えた桜です。
2018年3月3日 南魚沼市浦佐 毘沙門堂の裸押合大祭で撮影。
2枚目の写真は1枚目中央上の赤い矢印先の拡大写真。中央上にオーブが写っています。
上の写真の赤い矢印先部分の拡大が、下の写真。
下の写真、赤い矢印の先にオーブが写っています。オーブは、お祭りが好き・・だと思います。
今回で毘沙門堂裸押合い祭での写真は終了します。
新潟市秋葉区 荻川駅近く「居酒屋 伊右ェ門」 昼釜めし定食。アサリ釜めし 刺身・お通し・小鉢・味噌汁・漬物・コーヒー付きで1080円「税込」。安い、美味です。夜は居酒屋になります。火曜日休店。
昭和11年(1936年)、瓢湖の内側を埋め立てて競馬場にする計画が有りました。工事費は約2万円くらい。
工事費の捻出方法は水原町の保管分1.3万円をあて、不足分は寄付を募る。ただ、この計画は実現しませんでした。
昭和11年 当時の「水原町上水道全景」 現在の中島町です。 この年の競馬場計画でした。
昭和10年代の「瓢湖畔料亭」での花見風景。 瓢湖に宴会用の建物があったようです。 まだ、白鳥は来ていません。
この資料は「郷土史 外城物語」から借用。 何故か、図書館にはこの本が所蔵されていないようです。良い本なのに。